第7章ー7
少し横道にそれます。
登場人物の1人、アラン・ダヴーの半回想になります。
アラン・ダヴーは、年老いてから想うことがあった。
あのスペイン内戦の日々、「白い国際旅団」の一員として戦った日々は、私に軍人としての基礎を叩きこんでくれた。
私が、フランス軍の将軍として、栄光に包まれて退役できたのは、あのスペイン内戦での日々があったからこそだった。
あの時、あの場所で、日本人義勇兵の多くが、自分達を、自らの肉親のように慈しむ一方で、軍人としても鍛え上げてくれた。
自分が、物心つく頃には、既に父はいなかった。
母の話によると、私が胎児の頃に、父はヴェルダンで戦死したとのことだ。
母と父の馴れ初めを何度も聞いたが、いつも、母には言を左右にして誤魔化されてしまった。
確かに、父には妻が日本にいたそうだから、最初から、父と母は不倫関係だったことになる。
母としては、私に言いづらい所が多々あるのだろう。
それにしても、私は息子なのだから、正直に教えてくれてもいいではないか。
私が十代の一時、その点から、かなり母に反抗してしまったくらいだ。
だが、その一方で、母は、父のことをいつも偲んでいた。
「本当にね。男女の仲って、そういうのがあるのよ。出会う時期が異なったばかりに、幸せな仲になることもあるし、不幸な仲になることもあるの。本当に、あの人が結婚する前に、私とあの人が出逢っていたら、幸せな結婚ができたのに。でも、それは無理ね。何しろ、あの人と私が出逢ったのは、戦争が起きたからだもの。戦争が無かったら、あの人と私は出逢えなかった。そして、戦争があったから、あの人は結婚して、日本から来たのだから」
母の口癖だった。
何だかんだ言いながら、私が、父に完全な悪感情を持てなかったのは、母のこの口癖があったからだろう。
そして、私は成長し、昔の戦争の事を知り、父がサムライ、日本の海兵隊の軍人だったことを知った。
父の背を追うように、私はフランス陸軍士官学校の門を叩き、軍人の道を歩もうとしている際に、スペインで内戦が起き、国民派を助けようと、ローマに義勇兵が集まっており、日本からもサムライ達が駆け付けようとしているのを聞いたのだった。
士官学校の教官に、休学して、義勇兵として赴きたい、と私がいうと、教官は私の背を推してくれた。
「君が義勇兵となって、土方提督が君を指導してくれるのなら、私が君を教える必要は全くない。いや、遥かに君にとって有用だろう」
そして、教官は私の為に動いてくれ、休学許可を私は貰って、ローマへ赴けた。
ローマで部隊編制を完結し、私は日系義勇兵中隊の小隊長として、スペインへ赴いた。
スペインに行って、私達は、時には土方提督直々に指導を受ける羽目にもなった。
実際に戦場に赴くまでに私達は1月以上、地獄の訓練を受けた。
実際の戦場の方が楽ではないか、と私自身が思うくらいだった。
だが、そこで一から十まで叩きこまれたことにより、私達の多くがスペイン内戦を生き延び、更に鍛え上げられたことで、その後、祖国フランスの為に戦うことができた。
だが、その一方で、スペイン内戦に際して、同じフランス人同士が銃口を向けあうこともあった。
その光景を見た土方提督は言われた。
「お互いに自分の信じる正義の為に戦っているのだ。必要以上に、相手への非難をせず、傷ついた相手には情けを掛けたまえ。それによって、相手から撃たれても、必要以上に恨むな」
私は、厳しい祖父の戒めの言葉のように、その言葉を聞いた。
土方提督も、お互いに自分が正義だと主張する戦場で戦い抜いてきたのだろうと思うと、説得力を自分は痛感せざるを得なかった。
アラン・ダヴーは年老いてから、何度も想い返した。
スペイン内戦で、私は様々な経験を積み重ねたものだと。
別作に描いていますが、アランの母ジャンヌは街娼、父はその客として知り合い、お互いに惚れあって、ジャンヌは、街娼から足抜けして、アランを産みました。
幾ら実の息子とはいえ、自分が街娼をしていて、その際に、アランの父が客として来て、知り合ったと言い辛くて、ジャンヌは、2人の馴れ初め等、交際の詳細をアランに語っていません。
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