第5章ー4
前田利為少将は、更に想いを馳せた。
本当に狂信と言うのは、厄介なものだ。
藩祖、前田利家公も苦労させられた。
織田信長公に仕えていた頃、前田利家は一向一揆と死闘を繰り返す羽目になった。
長島一向一揆や、越前一向一揆といった面々と、前田利家は激戦を繰り広げ、苛烈な弾圧を加えることでようやく抑え込んでいる。
更に言うならば、いわゆる前田本家が江戸時代に本拠とした加賀は、かつて守護の富樫氏を一向一揆の軍勢が打倒した上で、一向一揆の国衆による自治、いわゆる「百姓の持ちたる国」が実現していた所でもあった。
このため、加賀の統治に初期の前田家は苦労した。
また、前田利家の主君、織田信長も延暦寺焼き討ちや石山合戦等、宗教勢力との全面戦争を行っている。
江戸時代に入ってからも、キリシタンや日蓮宗不受不施派は、全国的に弾圧されたし、浄土真宗も薩摩等の一部の地域では禁教扱いだった。
それだけ、時の政治勢力から、狂信というものは、怖れられる存在だし、実際に厄介なものなのだ。
では、狂信者が政府を長年にわたって握ったら、どうなるのか?
前田少将は、スペインの現状がそれを示しているように思えてならなかった。
かつて、スペインが、「大航海時代」に乗り出すために船舶を整備した際や、英国との戦争の為にいわゆる「無敵艦隊」を建造した際、信仰を優先する余り、国中の森林を伐採し、後の事を考えなかったらしい。
そのため、スペインの山は、いわゆる禿山ばかりになり、大地の保水力は下がり、スペインの豊かな農地は、森林の伐採により起こるようになった洪水によって、容赦なく削られ、やせ細ってしまった。
もし、後の事を考え、森林を保全していれば、スペインは古代以来の沃野のままだったのではないか。
他にも、狂信は様々な害をもたらした。
19世紀に入っても、カトリックの聖職者は、当然のように、スペインの国政に口をだした。
日本だったら、17世紀には、そんなことをしようとした僧侶等は死罪にならないまでも、徳川幕府によって寺等から叩き出されていたはずだ、と前田少将は思った。
前田少将が今、読んでいる報告書に書いてあった話だが、19世紀前半、スペイン国内のある土地で運河を建造し、物品の流通を促進し、商工業を盛んにしようとする計画が立てられたが、カトリックの聖職者が介入して潰されたらしい。
その際、彼らは何と、のたまったか?
「もし、神がこの土地に運河を必要と考えられていたのなら、神がそのように土地を作られたはずである。それなのに運河は無い。従って、運河を作ることは、神の意思に反し、異端の振舞いである」
こんなことを公然とされて、スペインで商工業が発展する訳が無かった。
だが、スペインがこうなったのには、スペインなりの理屈があった。
スペインは、表向きは統一国家だが、歴史的経緯から地域での独自性を求める動きが強く、特にバスクやカタルーニャでは言語の相違等もあり、スペインからの分離独立を求める動きさえもあった。
そういったことから、スペインの統一の為に、宗教面での統一を重視せざるを得なかったのである。
だが、傍から見る限り、どうにもやり過ぎてしまった。
そして、独三十年戦争の後も、スペインは、対外戦争においては、スペイン継承戦争や米国独立戦争等に翻弄され、とうとうナポレオン1世率いるフランス軍の侵攻を受けてしまう。
英軍の支援、協力等を受け、スペインは、ゲリラ戦術を駆使すること等によって、フランス軍を国外に最終的に追い出すことに成功するが、この戦争によるスペイン全土の荒廃は、既に長年の失政により衰弱していたスペインという国家に致命的な打撃を与えることになった。
スペイン史の話が長引いてすみません。
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