第5章ー3
スペイン史の続きです。
前田利為少将は、更に想いを巡らせた。
「イスラムか、貢納か、剣か」ではなく、「キリストも、貢納も、銃弾も」だったな。
実際、「大航海時代」以前から中南米に住んでいたいわゆるインディオの一部の部族等は、スペイン人の前に絶滅の路を歩む羽目になった。
スペイン人たちは、神の名の下に、彼らに対して、キリスト教を無理矢理受け入れさせ、略奪等暴虐の限りを尽くし、少しでも反抗すれば、銃弾の雨を降らせる等による虐殺を行った。
これは、「黒い伝説」であり、実際には、スペイン人は、そのような暴虐行為は全く行っておらず、世界各地にカトリック、キリスト教の福音を広め、文明をもたらしたという「白い伝説」による反論が、主にスペインの右翼を中心とする者等によって主張されるが、前田少将の見る限り、言い過ぎの部分はあるかもしれないが、大よそについては、「黒い伝説」の方が正しいのでは、と思われて仕方なかった。
そうでなかったら、何故、アステカやインカといった国々が滅んで行ったのだ?
前田少将は、皮肉な想いを内心で抱いた。
そして、1580年、スペイン国王のフェリペ2世は、終にポルトガル国王にも即位し、スペインとポルトガルは同じ国王に統治されることになる。
おそらく、この瞬間が、世界史上において、世界が一つの国家として統一される可能性が、最も高まった瞬間だったかもしれない。
だが、余りにも当時の文明では、世界は広すぎ、スペインは世界に手を伸ばし過ぎていた。
カトリックの守護者として、スペインは、オランダ等で実際に戦い、英国等のプロテスタント勢力とは対立し、同じカトリック同士の筈のフランスとも国益の不一致から、イタリア等でも戦わざるを得なかった。
太陽の沈むことが無い、と謳われた未曾有の大国とはいえ、スペインの国力にも限りがある。
1588年の英国へ向かった「無敵艦隊」の敗北、1618年から始まった独三十年戦争への介入の失敗といった事態が起こり、1640年には、ポルトガルもスペインからの独立を果たす。
17世紀後半以降、長年にわたる戦争で国力を使い果たしていたスペインは、徐々に衰退していった。
更に、スペイン国民の長年のキリスト教、カトリック信仰が、悪い方向に働き出した。
レコンキスタを戦い、勝利を収めたスペインにとって、カトリック信仰は、ある意味で国の背骨だった。
イエズス会等、創設者の中にスペイン人がいる修道会も珍しくない。
16世紀にはじまったプロテスタントの宗教改革に対抗した、いわゆる対抗宗教改革において、スペインは、ローマ教皇を中心とするカトリック勢力の最大の後援者だった。
同じカトリックの筈のフランスは、国益次第でイスラム教徒のオスマントルコとも、平然と手を組む有様だったから、尚更、カトリック勢力にとって、スペインは頼りにされた。
だが、こういった信仰は、下手をすると狂信となり、却って国を害していく。
レコンキスタ完了当初は、まだ、スペイン国内に、イスラム教徒やユダヤ教徒といった異教徒が、ある程度はまだいたが、スペイン国内で、カトリックへの狂信が強まるにつれ、イスラム教徒やユダヤ教徒に対する迫害が始まり、彼らは国外へ脱出するようになった。
これは、スペイン国内の良質な商工業者を失うことになり、スペインの国を害した。
更に、こうして、スペイン国内から異教徒がほぼ姿を消すと、スペインは、同じキリスト教徒にも刃を向けるようになった。
スペインの異端審問が、スペイン政府により正式に完全廃止されたのは何と19世紀に入った後、フランス7月革命後の1834年である。
それまで、スペインでは中世さながらの異端審問が続いていたのだ。
まだ、続きます。
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