幕間1-2
岸忠子に案内され、土方勇志伯爵は、岸三郎(後備役)海軍大将の自宅に上がり、更に応接間に入り、椅子に腰かけて、岸大将を待った。
程無くして、岸大将も、娘の岸忠子に誘われて、応接間に入ってきた。
「わざわざ来るとは何かあったか」
「いえ、大したことでは。ちょっと顔を見に来ただけです」
岸忠子の耳には入れたくない話だ、そう思った土方伯爵は、岸大将の問いかけに、言葉を取りあえずは濁すことにした。
「粗茶ですが」
「どうも、すみません」
岸忠子が、そう言いながら、実父の岸大将と土方伯爵の前に、熱いお茶を入れた湯呑と干菓子を置いたので、土方伯爵は、頭を下げて礼を言った。
岸忠子が、応接間から出て行くと、土方伯爵は当たり障りのない話を、まずは始めたいと思った。
「岸先輩の息子、総司は、江田島で元気に頑張っているようですね」
「まあな。どうも腹違いの姉と、しょっちゅう手紙のやり取りをしているようだが」
いきなりまずい話をしてしまったか。
岸大将の答えに、土方伯爵は後悔した。
岸総司から見れば、腹違いの姉、岸大将から見れば、娘婿の愛人の娘になる、篠田千恵子は、会津が本来の故郷なのだが、いろいろあって、今は横浜に住んでいる。
千恵子の母、りつや千恵子の母方の祖父母も、横浜で一緒に暮らしている。
岸大将は、今は横須賀に自宅を構えており、総司にしてみれば、横浜はそう離れてはいない。
それに(アランの存在を知らない)総司にしてみえば、千恵子は唯一の兄弟姉妹だった。
忠子が嫌がる程、千恵子が総司にとっては気になるのは、ある意味、仕方のない話だった。
千恵子も、たった1人の血を分けた弟として、総司を可愛がり、時折、お互いに示し合わせて逢っているようだと、以前、土方伯爵は聞いたことがあった(学年的には同年になる。)。
総司が江田島、海軍兵学校に入ったことから、関係が途切れているのでは、と土方伯爵は思っていたのだが、岸大将の話によると、下手な恋人同士よりも仲良く異母姉弟で手紙をやり取りしているようだった。
慌てて、土方伯爵は話を変えようと、応接間の中を見回したところ、新型のラジオが目に入った。
取りあえず、話をこれで切り替えよう、土方伯爵は素早く考えた。
「新しいラジオを買われたようですな」
「ああ、総司がラジオが好きでな。帰ってきた際には、新しいラジオを使わせたいと思った。それにオリンピックブームで、ラジオがどんどん安く普及しつつあるからな。4年前に買ったラジオが、まだ十分使えるのだが、自分専用にして、総司が帰ってきたら、この新しい愛知時計製のを、総司には与えるつもりだ」
岸大将の返答に、話を切り替えられた、と土方伯爵は、少しほっとした。
「そういえば、今朝のベルリンオリンピックの開会式は、ラジオで聞かれたのですか」
土方伯爵の問いかけに、岸大将は肯きながら言った。
「新しいラジオで聞いた。中々盛大な開会式だったようだな」
「私も聞きました。本当に盛大な開会式だったようです」
土方伯爵も相槌を打った。
1936年のオリンピックは、ベルリンで開催されていた。
50の国と地域から、4000人余りの選手がベルリンに集っている。
オリンピック史上初となるギリシャのオリンピアからベルリンまでの聖火リレーが行われる等、様々な仕掛けが、この開催に当たり凝らされていた。
独、というより、ヒトラー政権の国威高揚の為に、主に行われたものだった。
日本からも数多くの選手が、ベルリンオリンピックに参加している。
当時、日本が優位を占めていた水泳や陸上と共に、土方伯爵や岸大将が注目していたのは、団体競技のサッカーで、日本がメダルを取れるのかどうか、ということだった。
あれ、史実の1936年のベルリンオリンピックに参加したのは、49の国と地域では、という突込みが入りそうですが、この世界では、韓国が独立国のために、独自に参加しています。
そのため、日本のメダル総数も変わります。
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