第4章ー8
ところで、96式シリーズは、本来は日本空軍機のみを指すはずだが、日本海軍の艦上機についても言われることがある。
何故なら、日本海軍は、この年に、艦上機として、96式艦上戦闘機、96式艦上爆撃機、96式艦上攻撃機と、一度に三種共、新型機への更新を断行したのである。
全てが全金属製単葉機であり、遂に師匠筋の英海軍の艦上機を、質的に追い抜くことに成功した、と日本海軍航空隊の面々が胸を張れる成果であった。
96式艦上戦闘機は、既に少し触れたが、三菱重工が堀越二郎技師を主担当にして開発した、日本初の全金属製単葉艦上戦闘機だった。
この高性能は、英米の海軍航空隊の注目を浴びた。
何しろ、1936年当時、英米の空母に搭載されていた艦上戦闘機は、最新鋭のものでも複葉機だったのである。
英国はともかく、米国でさえ複葉機のF3Fを同年に配備を開始した最新鋭機としていた始末だった。
慌てて、米国海軍航空隊は、競争試作の末に、F2Aを採用したが、後から開発されたはずなのに、それでさえ、最高速度や武装では勝るものの、総合性能では96式艦上戦闘機に劣ると米国海軍航空隊の搭乗員にさえ評されてしまった(日本海軍が対照の為にF2Aを購入して試験を行ったが、日本海軍航空隊の搭乗員が、96式戦闘機と模擬戦闘を行ったところ、ひたすら一撃離脱に徹しないと、96式艦上戦闘機にF2Aはどうにもならない、と酷評したという報告書が今に残る。)。
結局、F4Fの導入で、米国海軍航空隊は、一息つくのだが、その頃には、日本は零式艦上戦闘機の制式採用、それへの機種変更を進めており、第二次世界大戦中、艦上戦闘機は日本製が最優秀であり続けた。
英国海軍航空隊は、もっと気の毒な有様で、艦上戦闘機については、96式戦闘機に対抗できるようにと急きょ、陸上戦闘機を転用したシーグラディエーターは複葉機のまま、単葉の艦上戦闘機への機種改編は、米国製のF4Fの導入により、ようやく達成されるというてん末になった。
(実は、日本製の96式戦闘機を採用しようか、という声が、当時の英国海軍航空隊内に、全くなかったわけではないのだが、師匠が修業を怠っていたので、と弟子に頭を下げられるのか、と当時の英国海軍首脳部の1人が激怒して言った末に潰されたという噂がある。)
一方、艦上爆撃機については、米国海軍航空隊の方が胸を張れる状況だった。
日本海軍に先んじて、SB2Uを単葉の艦上爆撃機として採用していたからである。
しかも、96式艦上爆撃機では、最大でも250キロ爆弾を搭載しての急降下爆撃がやっとだったのに、SB2Uは1000ポンド、つまり約454キロ爆弾を搭載しての急降下爆撃が可能だった。
他にも艦上機として使用しやすいように折り畳み式の主翼の採用、脚も手動とはいえ引き込み式と、日本海軍が、99式艦上爆撃機でも固定脚だったのと比較すると、表面上はSB2Uの方が上位だった。
これを把握した日本海軍は、慌てて96式艦上爆撃機の後継機として、99式艦上爆撃機の開発を指示することになり、それにより、99式艦上爆撃機では、SB2Uと同等以上の500キロ爆弾を搭載しての急降下爆撃を可能にするのである。
(ただ、SB2Uは開発当初は、急降下爆撃を行う際のダイブブレーキに問題(プロペラを逆ピッチとすることで、ダイブブレーキとして使用しようとしたが、実際には有効でなかったという。)があり、1000ポンド爆弾を搭載しての急降下爆撃は困難であったという。
実際、米海軍航空隊は、改良型が登場するまで、SB2Uでの1000ポンド爆弾を搭載しての急降下爆撃を危険として通達で禁止している。)
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