第4章ー6
本当にすいません。
予定を少し変えて、日本空軍(及び日本海軍航空隊)の96式シリーズの説明を、以下、しばらく行います(そうしないと、説明しそびれることになりそうなので。本当にすみません。)。
96式シリーズは、第二次世界大戦初期の日本を支えた軍用機が揃っており、外国の評判はともかく、日本国内でも21世紀に至るまで評判が高いが、その中で、最大の議論になるのは、空軍と海軍航空隊とで、使用する戦闘機が異なるという点である。
空軍は、鈴木重工製の96式戦闘機を採用しているのに、海軍航空隊は、三菱重工製の96式艦上戦闘機を採用している。
共に単発単座で低翼で固定脚の戦闘機であり、外見上の差異がそうないし、性能も額面上は余り差が無いことも合わさって、日本の空軍と海軍航空隊のセクショナリズムの象徴として、一般的に評判が悪い。
中には、鈴木重工の軍用機部門を救うための政治的採用だという説まであるくらいである(96式中型爆撃機が、三菱重工製であり、戦闘機も中型爆撃機も全て三菱重工製に抑えられるのを嫌った中島知久平が、政軍関係者に働きかけた結果、という妄説まである。)。
だが、これは大きな誤解であり、艦上戦闘機としての運用を考えざるを得なかった96式艦上戦闘機に対して、陸上からの運用のみを考えればよかった96式戦闘機は、その差もあって、実際の搭乗員の間では、96式戦闘機の方が、実際の対抗戦でもやや有利であった、と言うのが定説になっている。
少しでも優秀な戦闘機を空軍が採用するのは、ある意味で当然の話だった。
それに幾ら三菱重工とはいえ、戦闘機も中型爆撃機も共に量産するというのは荷が重かった。
(実際、96式中型爆撃機の生産は、一部を鈴木重工等に委託するという事態が起こっている。)
それを考えれば、鈴木重工製の96式戦闘機を、空軍が採用したのは妥当なところだった。
ちなみに96式戦闘機のライバルとされるのは、ソ連製のイ15、イ16とされる。
実際、制式採用後、張鼓峰事件を皮切りに、96式戦闘機とイ15、イ16は何度も死闘を繰り広げているが、お互いの得意戦法に持ち込んだ方が優位な結果が出ている。
イ15と96式戦闘機が戦った場合、格闘戦ならイ15が優位、一撃離脱に徹すれば、96式戦闘機が優位だった。
逆にイ16と96式戦闘機が戦った場合、格闘戦なら96式戦闘機が優位、一撃離脱に徹すれば、イ16が優位とされている。
そのため、日本空軍の戦爆合同の大規模空襲に対しては、イ15が96式戦闘機を引きつけている間に、イ16が96式中爆撃機を襲撃するという戦例が多発しており、その対策に日本空軍は苦慮することになったが、裏返せば、96式戦闘機は両方共にこなせるということであり、日本空軍が戦闘機に求めた性能は、充分に満たしていた。
また、米国の同世代のライバルと言えるP35やP36よりも、満州国空軍や韓国空軍の評価は高く、共に検討の末に、P35やP36を退けて、96式戦闘機を制式採用している。
こうした96式戦闘機の泣き所を敢えて挙げるならば、当時としては止むを得ないとはいえ、火力不足と防弾の欠如が挙げられる。
実際、機首に7.7ミリ機関銃2丁を装備したのみという弱火力は、ソ連空軍のSB双発爆撃機を撃墜するのに苦戦を強いらせ、特に7000メートル以上の高度を、相手が飛んでいる場合は、ほぼ撃墜不能とさえ評された。
また、防弾の欠如は、搭乗員の損耗を招いた(そのため、後期型は改良された。)。
こういった泣き所や対ソ戦の戦訓を踏まえたことから、日本空軍の昼間戦闘機は、96式戦闘機以降、第二次世界大戦中は、主に対戦闘機用の軽戦闘機と、主に対爆撃機用の重戦闘機という二本立てで、一時は推進されることになるのである(あくまでも、主にと言うことであって、一応、どちらの任務もこなせることが、前提では開発はされている。)。
ご意見、ご感想をお待ちしています。




