第4章ー4
「それにしても、孜々営々と努力を続けたとはいえ、後、10年は掛かるでしょうな。四軍に総動員を掛けつつ、後方でも労務動員を完遂し、問題なく兵器等の生産を行うには」
「全くだな」
山本五十六将軍と、井上成美将軍は会話を続けた。
フォードやGMといった自動車事業における米国企業と日本企業の積極的な経営協力等は、20年近くは掛かったが、工作機械の積極的な導入等により、日本国内にも徐々にではあるが、非熟練工員が活躍できる余地を広げていった。
それを活用(悪用とも言う)して、大企業は、熟練工員から非熟練工員へと切り替えていくことで、人件費の軽減を図り、利益を上げて行こうと試みた。
日本国内で、昭和初期に労働争議が多発した一因は、そこにあった。
反抗的な熟練工員を大量にクビ斬りして、安価で従順な非熟練工員を新たに雇用しようとする企業が、多発したのである。
工作機械の積極的な導入等は、熟練工員頼りだった日本企業の風土を、ドライなものに変えていた。
こうなっては、労働者側も戦わざるを得なくなる。
一時は、大企業側が、ヤクザを雇ってまで、労働争議を弾圧するような事態にまで至ったが、さすがに衆議院において普通選挙が実施され、女性の地方参政権が認められる時勢にあって、そのようなことがいつまでも続く訳は無く、まずは労働組合の団結権が法律上、認められ、それを根拠に、労働組合の団体交渉権や争議権が、徐々に日本でも認められるようになっていったのである。
だが、そのような動きにもかかわらず、非熟練工員が工場で雇われる事態が止まることはなかった。
実際、昭和10年代になると、高等小学校卒業生は、非熟練工員として引く手、数多の事態が起こった。
いわゆる女工さんが、工場の製造現場等で、珍しくなくなるのも昭和10年代に入ってからである。
それだけ、非熟練工員が活躍できる場が、日本国内で増えたのである。
とはいえ、日本が、いざ戦時体制に移行し、いわゆる四軍が総動員態勢に入った場合、民需を含む生産体制には多大な影響が出るのは、どうしても避けられない。
だが、少しでも軽減し、総力戦体制を整えて、長期戦を戦える状況を作らねばならない。
山本将軍や井上将軍が見る限り、徐々にそのような体制ができつつはあるものの、日本の現状は、まだほど遠いもので、後、10年近くは欲しい、というのが、本音の状況だった。
だが、世界情勢の方が速やかに動きつつあるというのが、現実だった。
「話を、軍用機の武装と防弾の話に戻すが」
山本将軍は、あらためて話を切り出した。
「我が空軍としては、米国のブローニング12.7ミリ機関銃をそれなりに改修して、事実上のライセンス生産に至った、いわゆるホ103を当面の間の軍用機の主力武装と考えているが、どうだろうか」
「ホ103は、炸裂弾を開発する予定にしていますし、当面の問題はないのではないでしょうか。それに弾道性が良いのも利点です」
井上将軍も同意した。
「海軍航空隊としては、スイスのエリコン20ミリ機関砲を、将来の軍用機の主力機関銃と考えているようだが、これについてはどう考える」
「エリコン20ミリ機関砲の大口径は魅力的なのですが、弾道性が余り現状では良くないですからね」
山本将軍の問いかけに、井上将軍は、余りいい顔をしなかった。
零式戦闘機以降、日本の軍用機は、エリコン20ミリ機関砲を徐々に愛用するようになり、数々の伝説が生まれていくことになるが、1936年当時、エリコン20ミリ機関砲については、弾道性の悪さが日本空軍内では、かなり問題視されていたのである。
だが、日本海軍航空隊の偏愛により、エリコン20ミリ機関砲は採用される。
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