第4章ー3
少し横道にそれます。
「そのためには、我が国の保有する軍用機の性能向上、新型機開発が必要不可欠ですな。そして、そのためには、民間需要の幅広い裾野が必要です。何しろ、我が国の軍需、官需だけでは、どうにも大企業を維持できませんから」
井上成美将軍の言葉に、山本五十六将軍も肯きながら、言わざるを得なかった。
「正に卓見、その通りだな」
この当時、日本の二大航空メーカーと言えば、三菱重工と鈴木重工だった。
それに次ぐ航空メーカーが、川崎重工と愛知航空機だったが、その4社とも本業を別に持っていた。
(それ以外の航空メーカーも、日本国内には複数あるが、実際に空軍なり、海軍なりから軍用航空機開発を命ぜられて、実際に製造する力を持つ民間企業となると、その4社のみだった。それ以外は、4社から製造委託を受けたり、航空機の部品を製造して、それを4社に供給したりする程度の実力しかない、と言っても過言では無い存在だった。)
航空メーカーとはいえ、三菱重工と鈴木重工は、共に自動車メーカーという表看板を持っていた。
川崎重工も造船、機関車製造といった表看板を持っている。
愛知航空機に至っては、本来は時計製造の会社だったのが、軍からの様々な注文を受け、終には航空機製造に乗り出した企業であり、今でも時計製造の方が民間では著名だった。
何故、そうなったのか、というと、それぞれの企業の経営者と軍の思惑が、奇妙に一致した結果だった。
企業経営者としては、軍需のみに企業経営を頼ることはリスクが大きかった。
従って、民需を睨んで、企業経営を考えざるを得なかった。
また、軍(ここで言う軍は、陸海空海兵四軍全てを含む)も、軍需のみに頼らせていては、軍需関係の企業が発展せず、いざという際の総力戦では役に立たないと考えていた。
実際、第一次世界大戦において、米国は民需で培った国力を軍需に大規模に転用することで、連合国の勝利に多大な貢献を行っている。
そういったことから、軍も、軍需関係の企業が、民需を重視することを止めるどころか、後押しする方向に動いた。
そして、民需の裾野が広がることは、徐々に民間の間で様々な工業規格の統一等、日本の工業化を徐々に促進することにもなった。
上が頭で考えて行動するだけでは、下は中々動かないが、下が求めることを、上が促進すると相乗効果で発展するのは、ある意味、自明の事柄だった。
その連鎖効果で、日本は工業化を促進していた。
「全く本格的な総力戦に突入したら、日本はどれだけ航空機を製造しないといけないかな」
「最低でも、月に1000機は造らないと追いつかないでしょうな」
「平時に軍需だけで、それだけの航空機産業を維持できるかな」
「絶対に無理ですな」
山本将軍と井上将軍は、更に会話した。
月に1000機、というと、とてつもない数字に思えるが、実際に第一次世界大戦では、仏1国でそれだけの損害を1918年に被っていたのである。
しかも、当時は、米英仏日連合軍が、独軍に対して航空優勢をほぼ完全に確立していた時期だった。
それなのに、それだけの損害を受けてしまう。
第一次世界大戦を実地に経験した日本空軍の将帥が、強迫観念に半ば捕らわれているのも、むべなるかな、という状況だった。
「民需と軍需、これを車の両輪のようにして、日本の民間企業を保護育成していく。20年近くも掛かったが、田中義一、宇垣一成陸相ら、加藤友三郎、財部彪海相らの努力は実った、というべきかな」
「実ったと言わざるを得ませんな。それ以外のことについては、いろいろと思うところがありますが」
山本将軍の問いかけに、辛辣な人物評で知られる井上将軍は答えた。
井上将軍のその答えに、山本将軍は肯いた。
ご意見、ご感想をお待ちしています。




