第2章ー6
相前後して、斎藤實首相は、内閣総辞職を前に、高橋是清蔵相(元首相)へのこれまでの功績に、きちんと報いようと、陞爵の準備を進めていた。
高橋蔵相は、隠居の身であり、長男の高橋是賢子爵が陞爵することに、結果的にはなる。
斎藤首相は、様々な根回しをし、高橋是賢を伯爵にすることにした。
高橋蔵相は、半ば苦情を斎藤首相に言った。
「息子が恥らっています。父の功績で陞爵するのは気が引けると」
「かといって、今更、隠居して爵位を息子に譲られている高橋蔵相に爵位を与えるわけにはいきますまい」
斎藤首相の意見に、高橋蔵相は肯かざるを得なかった。
「本音で言わせていただくと、私としては、高橋蔵相が現役なら叶うことなら公爵に陞爵、せめて侯爵に陞爵したいと思うくらいです。日本の経済、財政を三度、いや四度に渡って救っていただき、本当にありがとうございます」
斎藤首相は深々と大先輩の元首相に頭を下げた。
「それは、余りにも過分なお言葉だ」
高橋蔵相は言った。
だが、ある意味でそれは事実だった。
日露戦争時での外債の調達に際し、高橋蔵相は日銀副総裁として渡英し、ロンドン市場でその辣腕を振るった。
もし、高橋がいなければ、日露戦争は戦費不足で戦い抜くことは、そもそも不可能だったろう。
そして、関東大震災後の東京大復興計画を、財政面で支えたのも高橋だった。
高橋が蔵相で無ければ、東京大復興計画は、まず潰されていた、というのが、多くの意見だった。
更に、昭和金融恐慌からの脱出の際にも、高橋は蔵相として辣腕を振るった。
最後に、世界大恐慌を日本から救うのにも、犬養首相からの三顧の礼に応えて犬養内閣の蔵相に就任し、更に後継者の斎藤内閣でも、蔵相として高橋は抜群の功績を上げた。
犬養内閣の蔵相就任時には、高橋元首相が蔵相になるという第一報が流れてすぐ、日本国内の全ての商品相場が落ち着いた、という半伝説が流布されるくらいの高橋は経済、財政のエキスパートだったのだ。
そして、高橋蔵相の息子、高橋是賢を伯爵に陞爵するのを最後の事実上の仕事にして、斎藤内閣は総辞職を果たした。
「高橋是賢が伯爵になりましたな」
「高橋蔵相も、有為転変が激しい人物だったな。米国に居る時は年季奉公人だったか、奴隷だったかにまで身を落としたのに、最後は華族になった。そういえば、高橋蔵相は生涯で、破産を何度したことか。わし自身が尋ねたことがあるが、覚えていない、と高橋蔵相は笑っておられたな」
土方勇志伯爵の問いかけに、林忠崇侯爵は、どこか遠くを眺めながら言った。
「そんな人物が、日本の経済、財政を何度も救い、最後は事実上、伯爵ですか」
土方伯爵は思わず、首を振った。
「人の人生は、いろいろとおもしろいことがあるものさ。それにしても、高橋蔵相は、侯爵になる資格が充分にあるな」
「侯爵とは凄い」
林侯爵の一言に、土方伯爵は呟いた。
実際、軍人出身の華族で、元老以外となると、侯爵になったのは、林侯爵だけだ。
野津道貫伯爵が、薩摩出身ということもあり、侯爵になるという噂が流れたらしいが、息子の婚約者が日本一の美女になった、という情報が流れたことから、周囲からやっかまれてしまい、潰されたらしい。
野津伯爵自身は、
「日本一の美女の嫁に、最期を看取ってもらえて、思い残すことは無い」
と言われて、あの世に旅立たれたらしいが。
そういったことから、侯爵となると元老か、それに伍する地位でないと無理、という想いが土方伯爵にはある。
林侯爵が、高橋蔵相は元老並みの功績があるといったようなもので、林侯爵の高橋蔵相への高評価がうかがわれる話だった。
もっとも、それが事実だと土方伯爵自身も認めざるを得なかった。
活動報告にも後で書きますが、野津道貫元帥をおとしめる意図は全くありませんので、誤解なさらないでください。
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