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第2章ー4

「本当に辞められるのですか」

 梅津美治郎中将は、陸軍大臣室で、渡辺錠太郎大将が陸相を辞任し、自らを予備役に編入しようとするのを慰留しようと試みていた。

「ああ、潮時だろう。あいつが、宇垣が、あれだけ廃止に反対していた軍部大臣現役武官制度が廃止されているために、首相に成れるというのは皮肉な話だがな」

 渡辺陸相は、達観したような口ぶりだった。


「我がブリュッセル会は、渡辺陸相続投支持でまとまっています。その力をもってすれば」

 梅津中将は、それ以上の言葉を発しようとしたが、渡辺陸相は眼力でそれを押し止めながら、言葉を発した。

「それ以上は言うな。いいな。わしは、お前らを軍法会議に掛けたくない」

「申し訳ありません。感情に奔っていました」

 梅津は、頭を下げながら、謝罪した。


 実際、ブリュッセル会の一部、小畑敏四郎中将らは、宇垣内閣阻止のためにクーデターを行うべきだ、という強硬意見を吐いていた。

 だが、永田鉄山中将らは、さすがにクーデターはいかん、とクーデター阻止に動くことを言っており、下手をすると、ブリュッセル会が分裂する危険さえ孕んでいる状況だった。

 梅津や岡村寧次中将らの中間派が仲裁に走り回り、宇垣内閣に渡辺陸相を押し込むという案で、ブリュッセル会を何とか一本化したのだが、その矢先に、渡辺陸相が辞意を表明したのである。

 そのために、慌てて、梅津が仙台から駆け付けて、渡辺陸相に翻意を促していたのだが、渡辺陸相の辞意は固かったと言う訳である。


「ところで、宇垣が次の首相になるということは、誰から聞いた」

 渡辺陸相は、梅津中将を睨みながら聞いた。

「次期首相が誰になるかというのは、機密情報だ。誰かが漏らした機密情報を聞いたのか」

「宇垣元陸相、立憲民政党総裁が、斎藤實内閣の後継内閣を組閣するというのは、新聞ならどこでも観測記事として載っている話です」

 梅津中将は言った。


 だが、本当は違う。

 梅津中将は、林忠崇侯爵から、その情報を確実なものとして聞いていた。

 林侯爵が何故、そんな情報を漏らしたのか。

 梅津は、頭を回転させて、自分なりの判断を下していた。

 林侯爵は、自分達を試している。

 クーデター等を起こさずに、この政治的事態を鎮めろ、と試しているのだ。


「わし自身も、宇垣が首相に成るというのを確実に聞いたわけではないが、昨今の事情からすると、そうならざるを得ないだろうな」

 渡辺陸相はそう言った後、それとなく言葉をつないだ。

「梅津中将、陸軍次官になるつもりはないかね」

「それは」

 梅津は、絶句した。


 陸軍次官は言うまでも無く、陸軍省のナンバー2だ。

 陸軍全体の序列でも、天皇陛下を別格とすれば、平時には実質的に5番以内に入る役職である。


「君が、陸軍次官となって、陸軍省を実質的に取りまとめてしまえば、宇垣も陸軍内に容喙するのは、かなり困難になるだろう。そして、陸軍大臣に、それなりの人物を置いて、緩衝役を務めてもらえば」

 渡辺陸相は、梅津中将を試すような目で見ながら言った。

「確かにいい考えですな」

 梅津中将は、渡辺陸相の言葉に同意した。


「宇垣が幾ら逸っても、まだ組閣の大命が宇垣に降下するのには、数日は掛かる筈だ。西園寺公望公も根回しに動かねばならないからな」

 渡辺の言葉に、梅津は肯いた。

「君を陸軍次官に任命するから、その間にブリュッセル会を中心に、わしの後継の陸相候補について、陸軍内の意見を取りまとめたまえ。それが君の陸軍次官としての初仕事だ」

「分かりました」

 

 梅津は答えながら考えた。

 おそらく、渡辺陸相の頭の中に後継陸相候補の名前はある筈だ。

 だが、それでは自分達の為にならない、と考えておられるのだろう。

 さて、誰にすべきかな。

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