第2章ー3
斎藤實首相が、内閣総辞職の意向を示したことで、後継首相選びが急務となった。
これまでは、周囲の意見を聞いたうえで、元老が相談して、後継首相を今上天皇陛下に奏上するのが恒例だった。
だが、山本権兵衛元首相まで亡くなったことから、西園寺公望元首相が、唯一の元老となっており、しかも、西園寺自身も80歳以上となっていた。
そして、西園寺自身は、決して明言しようとしなかったが、その態度から、自分を最後の元老と定めているようであり、周囲もそれを是認しつつあった。
こうしたことから、首相の選任のやり方も変更されることになった。
「斎藤實首相の後任の首相についてですが、牧野伸顕内大臣が、今上天皇陛下の御下問を受けて、西園寺公望公に相談、その後、首相経験者(後に「重臣」と呼ばれるようになる。)や枢密院議長と、西園寺公が相談して、西園寺公が意見を取りまとめ、牧野内大臣を通じ、今上天皇陛下に首相候補を奏上するのですか」
土方勇志伯爵は、新しい首相選任のやり方を聞いて、少し驚いた。
「ああ。今後の首相選任についてだが、西園寺公にもしものことがあったら、内大臣が、今上天皇陛下の御下問を受けて、首相経験者や枢密院議長に相談して、内大臣が首相候補を奏上するようになるらしい」
林忠崇侯爵は、土方伯爵にそう話して聞かせた。
「誰から、そんな話を」
と土方伯爵は、林侯爵に続けて聞きそうになったが、そこで、気が付いて、口をつぐんだ。
そんな話を、林侯爵にするとしたら、西園寺公しかいない。
山本元首相が亡くなる前に、西園寺公に林侯爵を(主に軍事面の)相談役に推挙したという噂がある。
山本元首相が亡くなってから、林侯爵が、それとなく西園寺公を訪れることが、時折、あるらしい。
公家の生き残りと、武家の生き残りとして、お互いに話も合うのだろう。
西園寺公から、自分の死後についての首相選任方法について、林侯爵は相談を受けたと言う訳か。
となると、林侯爵は、この話の情報源を明かすことはあるまい。
土方伯爵は、自分で自分を納得させた。
林侯爵は、いつの間にか、横を向いて、態度でそれを示していた。
そこで、土方伯爵は、別のことについて、林侯爵に尋ねることにした。
「ところで、新首相には、立憲民政党総裁の宇垣一成元陸相が就任するという噂が流れていますが、どうなのでしょうか」
「筋的には、無難と言うか、当然の話だが」
土方伯爵の問いかけに、林侯爵は、そこまで言って、言葉を切った。
本音として、どこまで言うべきか、ためらっているらしい。
土方伯爵は、背中を押してみることにした。
「忌憚のない所をお聞かせいただけませんか」
「宇垣が首相になるとして、誰が陸相になるのか、と思ってな」
林侯爵は、半ば独り言のように言った。
「確かに、宇垣元陸相は、最近、陸軍の現役軍人の間で人気が無いどころか、嫌われているという噂がありますが。陸軍の現役軍人が誰も陸相にならないというのなら、宇垣首相が陸相兼務ということで、いいのではないでしょうか」
土方伯爵は言ったが、林侯爵は渋い顔をして、言葉をつないだ。
「それをやるとな、宇垣が首相兼陸相として、陸軍内をかき乱しそうでな。よくないとわしは思うのだ」
「確かに、いつ、中国内戦が再開しないとも限りませんし、そういった状況下で、陸軍内部が乱れていては良くないですね」
土方伯爵も、林侯爵の意見に同意せざるを得なかった。
「陸軍の現役軍人の誰かが、陸相を押しつけられて、宇垣首相と陸軍との間を取り持つことになるのではないかな。その陸相には、胃に穴が開きそうな日々が待っているだろうが」
林侯爵は、複雑な顔をしながら言った。
土方伯爵も、それに同意した。
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