第9章ー15
エブロ河会戦は、9月上旬にはその結末が明らかになりつつあった。
スペイン共和派の大敗である。
スペイン国民派は、捕虜5万人以上(その内、「赤い国際旅団」の面々が1万人以上)を得た。
また、スペイン共和派からの逃亡兵も続出しており、最終的にスペイン共和派が再編制できた兵は、約3分の1の3万人余りに過ぎなかった。
勿論、これだけの大会戦である。
スペイン国民派にも、それなりの損害が出た。
「白い国際旅団」も5000人近くの死傷者を出し、スペイン国民派全体では1万人近くの死傷者が出た。
だが、捕虜だけでも、スペイン国民派は、その損害を充分に補充できた。
当時、バルセロナにいたソ連軍軍事顧問団の面々は、この詳細を知るにつれ、衝撃を隠せなかった。
どう見ても取り返しのつかない大敗を受けたことを覚らざるを得なかったからである。
最も衝撃を受けたのは、言うまでも無く、トハチェフスキー元帥だった。
「ソ連に帰ったら殺されるだろうな」
一人で部屋に籠って、秘かに調達したロシア産の極上ウォッカを呑みながら、トハチェフスキー元帥は呟いていた。
目の前には、スターリンの署名が入ったソ連軍軍事顧問団の引き上げ命令書があった。
これに従って帰国すれば、多分、自分は銃殺の運命が待っているだろう。
これだけの物資等の援助を受けながら、スペインで勝てなかった自分に明るい運命は無い。
ひょっとしたら、祖国ソ連で吹き荒れている粛清の嵐の煽りを受け、周囲の軍人と共に反逆の陰謀を企んでいることにされるかもしれない。
「ろくでもない未来だな」
「それにしても、サムライと祖国は相性が悪いな。旅順、奉天で負け、またしても負けるのか」
トハチェフスキー元帥は更に呟いた。
子どもの頃、(当時の自分の頭の中では)日本によって、難攻不落の筈の旅順要塞があっさり陥落し、奉天会戦で当時、世界史上最大の敗北をロシア陸軍が被った衝撃は今でも思い出せる。
そして、ロシア革命で赤軍に入り、日本を最大の直接の仮想敵国として、自分は赤軍の整備に努めてきたつもりだった。
今回、スペインに派遣された際には、まさか、日本が指導する「白い国際旅団」と戦う羽目になり、自分が負けるとは思わなかった。
「自分では、結局、勝てなかったか。後の事は、自分が育てた部下達に託そう」
トハチェフスキー元帥は、そう呟いた後、遺書を認め、拳銃の銃口を自らのこめかみに当て、引き金を引いた。
トハチェフスキー元帥が自決した瞬間、エブロ河会戦は事実上、完全に終結したと言える。
トハチェフスキー元帥の自決を聞いたスペイン共和派政府は、完全にエブロ河での決戦の意図を喪失し、これ以降、退嬰的な全面防衛に走るようになったからである。
また、ソ連軍軍事顧問団は全員が、スターリンの命令に従い、ソ連へ帰国した。
ソ連からの物資の援助は完全に途絶したわけでは無かったが、代金との完全引き換えになり、窮迫しているスペイン共和派の財政をますます追い込むことになった。
更に「赤い国際旅団」は、エブロ河会戦の戦いの後、政治的信頼をスペイン共和派政府から失ったこともあり(エブロ河会戦の際に、投降者が続出したため)、解散が決定された。
「赤い国際旅団」の幹部は、ソ連への亡命が認められたが、兵クラスは、母国への半強制的な帰国を求められることになった(表向きの理由は、民主主義を護った経験を母国に伝え、母国に真の民主主義を根付かせるため)。
だが、一部の兵は拒否した。
彼らは帰国した後、ソ連のスパイと見なされ、祖国で過酷な運命が待っていることを察していた。
もっとも、ソ連に亡命した幹部も、ソ連の大粛清の嵐の中で多くが処刑される運命が待っていた。
第9章の終わりです。
次話から第10章、最終章に入ります。
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