第9章ー13
幾らエブロ河が増水し、スペイン共和派の部隊を分断したとはいえ、アラン・ダヴー少尉達が、自分達を直接攻撃してきた敵戦車を全て炎上させ、随伴歩兵全員を死傷、又は捕虜にするのには、ほぼ丸一日が掛かることになった。
そして、自分達に投降してきた敵兵が片言のスペイン語で話しかけてきて、更に味方同士で話している言葉が、フランス語なのに気づいたダヴー少尉達は顔色を変えた。
ダヴー少尉は、フランス語の分かる高木惣吉中佐らの立ち合いの下、投降兵と話し合いたいと思った。
だが、その前に重傷を負っている敵兵、捕虜の救護だ。
ダヴー少尉達は、手分けして動いた。
ダヴー少尉が、部下の一人と共に担架に乗せようとした敵兵の1人は、おそらく40代半ばで、両目等を負傷しており、数時間後には息を引き取りそうだった。
どう見ても助からない、と判断したダヴー少尉は、フランス語で話しかけた。
「しっかりしろ」
「その声、味方なのか」
「ああ、そうだ」
「あの増水した河を渡って来てくれたのか」
「そうだ。我々は勝ったぞ」
「勝ち戦で死ねる。幸せだ」
敵兵の両目から流れる血に、涙が混じったような気が、ダヴー少尉にはした。
「最期に何か言い遺したいことはないか」
「頼みごとを聞いてくれないか。バレンシア港の近くの秘密娼館「饗宴」に、カサンドラという俺のお気に入りの彼女がいるんだ。俺は、彼女に、勝って帰ると約束した。彼女に、勝ったが、帰れなくてすまん、と俺が言っていた、といつか、伝えてくれないか。俺の名前は、マルランだ」
「分かった」
戦場での最後の頼みが、娼婦への伝言か。
その娼婦は、別の男に、既に抱かれているだろうに。
それよりも、家族には伝言しなくてもいいのか、と思わなくもない。
だが、今の彼にとって、それが最も重要なことなのだろう。
ダヴー少尉は、敵兵の名前を記憶に止め、内戦後にカサンドラをできたら、訪ねに行こう、と思った。
多分、カサンドラの方は、その名前を聞いても、心を動かさないだろうが。
しかし、敵兵とはいえ、最期の遺言を果たさないわけにはいくまい。
ダヴー少尉は、そう内心で決意した。
そして、負傷していた捕虜は野戦病院にいれ、ほぼ無傷で投降した捕虜は後方の捕虜収容所へ送る準備をし、と手配を済ませた後、ダヴー少尉とその部下は、従前の陣地に再度、籠った。
充分な渡河機材を持っていない訳ではないが、そうは言っても増水した河を渡りたがる者はいない。
ダムの放水が一段落し、水が引いた後で、エブロ河の渡河を試みるべきだった。
その一方、ダヴー少尉等は、捕虜の尋問に駆り出されることになった。
同じ言語の方が、捕虜も話易かろう、という考えからである。
当然、その捕虜はフランス人という事になる。
ダヴー少尉自身も希望していたことであり、願っても無い事だった。
「フランス人なのか」
「そうだ」
「フランス人同士、スペインで撃ち合ったのか」
「そういうことだな」
(以下、略)
ダヴー少尉は、結果的にだが、何人もの捕虜を尋問することになった。
捕虜の多くが、尋問に現れたダヴー少尉の姿に驚いた。
そして、彼らのほぼ全員が、スペイン共和派の現状に内心では絶望しており、同じ言語の気安さも相まって、ダヴー少尉の尋問にすらすらと答えることになった。
ダヴー少尉は、捕虜の尋問を行いながら思った。
民主主義を護る、という理想に燃えて、スペインの地を捕虜となった面々は踏んでいたのに、その彼らをここまで絶望させてしまうとは、スペイン共和派は、今では間違った存在になっていると言わざるを得ない。
だが、一体、どこでスペイン共和派は、間違えてしまったのだろうか。
この内戦が終わった後、私に分かるだろうか。
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