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鈴木天音

 九龍城の中は光源となるものが何もなく、ただただ暗い。だというのに奇妙なことに、おれはその場にいる全員の姿がはっきりと見えた。試しに手を叩いてみれば、ぼやけた音が反響する。この空間が広いのか狭いのかすらわからん。


「なんだ、こりゃ」


 思わずぼやいたその時、天から細い光が差してきて、前方10メートルほどのところに五つ並べて置いてある肘掛け椅子を照らした。赤い人工皮が張られた、映画館で見られるような椅子だった。


「座れ、ということでしょうか」と松丸が皆に確認するように言い、飯綱が代表して「そういうことでしょうね」と同意する。


 横並びで歩み出したおれたちは、各々空いた椅子に腰掛けた。


 瞬間、背もたれからベルトが射出され、身体が座椅子に固定される。立つことはおろか身じろぎひとつ出来ない。しかし今さらこの程度のことでは驚きもしない。それはおれ以外の奴らも同じようで、平然とした顔で次に起きる出来事を待っている。


 こちとらお化けピエロやゾンビに襲われてんだぞ。ちょっとやそっとのことで動揺していられるか。


 ――などと、内心で余裕ぶってみた矢先、全身を包んだ浮遊感。足元の床が忽然と消え、椅子ごと宙に放り出されたということを理解したのは数秒後のことだった。


「うふうぅぅぅ」「あぁぁぁぁ」などと思い思いの動物的叫びがこだまし、自由落下が十数秒。マシュマロのように柔らかい着地の感覚の後、暗い空間が月明かりのように頼りない光で満たされる。


 周囲は、いつの間にか背の高い木々に囲まれていた。どこからともなく涼しげな風まで吹いてきて、ざわざわと枝葉の擦れ合う音がする。緑の匂いはまだ遠い春を思い起こさせる。おれは何故だか、母に頭を優しく撫でられた大昔の記憶を思い出してしまった。


 小川に流される落ち葉の速度で椅子が前に向かって進み出す。ちゃぷん、ちゃぷんと水の揺れる音が耳に優しい。


 涼しげな空気に吹かれながら進むうち、現れたのは背の高い二本の木により形作られたアーチ。そこをくぐると同時に一変する景色。おれたちは西洋風のお屋敷の中にいて、赤い絨毯の敷かれた幅広の廊下を相変わらず椅子に固定されたまま進んでいた。「まるでホーンテッドマンションですね」と、松丸がつまらんことを呟いた。


 しばらく廊下を進んでいると、ふと開けた場所に出た。床は板張り遠い天井にはシャンデリア。舞踏会でも催せそうな鹿鳴館めいたその空間の中央には、白い髭を蓄えた燕尾服の男が立っている。その男の足元にしゃがみ込んでいるのはおれたちをこの空間に誘い入れた少女――つまりは鈴木(仮)だ。


 鈴木は右手に持った扇子でパタパタと空をあおぐ。すると何もないところからA4サイズ程度の小さな雲が発生し、ちょろちょろとかわいい雨を降らせた。


 それを見た白髭男は満足そうに頷いて、鈴木の頭を優しく撫でる。


「天音。お前の天狗としての才能はすばらしい。もっと励めよ」

「はい。お師匠さま。わたし、世界一の天狗になってみせます」

「こら。せめて家の中にいるときくらい父と呼びなさい」

「うん。お父さん」と鈴木は微笑んだ。白髭男――つまりは、鈴木の親父も微笑み返した。


 強烈な白い光がその場を包み、おれは思わず目を閉じた。


 次に目を開いた時、おれたちは空にいた。足元でどこまでも広がる雲海は、青空の境目と空平線を作っている。


 空にはふたつの人影が浮かんでいる。方や、真剣な表情のまま宙空で座禅を組むのは鈴木。方や、腕を組んでその姿を見守るのが鈴木の親父だ。


 鈴木の親父は「そこまで」と言って鈴木の肩を叩く。それを合図に鈴木がふっと息を吐くと、風の渦が無数に発生して雲海を引き裂く。眼下には深緑の草原が現れた。


 親父が穏やかに微笑む。


「天音、お前はこれですべての修行を終えた。今日からお前も立派な天狗だ」

「はい。ありがとうございます、お師匠さま。さて、天狗となったからにはどのようなことを致しましょう。人里に風を吹かしましょうか。雷でも呼びましょうか。それとも、山でも動かしてやりましょうか」


「何もするな」


「……何も、でしょうか?」

「ああ。我々天狗は存在しているだけでいい。力は持っているだけでいい。人間にとって畏怖の対象となれればそれでいい。ゆえに、なにも残すな。誰にも覚えられるな。記録にも、記憶にも残ってはならん」

「……しかし、だとすれば私たちはなにをして、なにを生きがいにして生きればいいというのですか」

「なんのためにこれがあると思っている」


 右ポケットへ手を突っ込んだ親父は、そこから巨大な板状のものを引きずり出した。通常の数十倍はあろうかという、超が三つ付くほど巨大な将棋盤だった。


「さあさあ。父と娘、親子水入らずで一局打とうではないか」


 鈴木の顔がにわかに曇った。


 世界は再び白い光に包まれた。


 再び目を開けた時、おれたちは見知らぬ部屋の一角にいた。ベッドからソファー、壁紙に至るまですべてが無地でまったく味気のない部屋。広さは十二畳ほどあるが、なんとなく生活感が感じられない。間も無くして窓が開く。現れたのは馴染みのある見た目まで成長した鈴木の姿。それにコンマ1秒遅れて部屋の扉が開き、鈴木の親父が現れた。親父を見た鈴木は気怠そうに大きなため息をつく。親父の眉間にわずかなしわが寄った


 親父は鈴木を哀しそうに睨みつけた。


「天音。また俺に何も言わずに家を出たな」

「……出たら悪いの?」

「何度言えばわかる。もし、万が一、人間が持っているカメラに映ったらどうするつもりだ?」

「別にいいもん。死ぬわけじゃないし」


 素っ気ない答えを聞いて、親父の白い髭がわなわなと震えた。


「いいか? 天狗は人間より強い。天狗は人間より長生きだ。天狗は人間より偉い。天狗は人間にとって神に等しい存在だ。ゆえに、天狗は人間に正体を知られてはならないんだ。知られてしまっては神秘性が薄れる。人間が我々を畏怖の対象とみなさなくなるんだぞ」

「じゃあ、わたしたちが生きてる意味ってなんなの?」

「だから、存在しているだけで――」


「そんなのつまらない」


 親父の言葉を両断した鈴木の顔には断固たる決意が感じられて、まさに真剣そのものだった。


「人間はわたしたちより弱くて、短命で、なんの力も持ってないけど、いろんな形で自分が生きた証を残すでしょ。わたしだってそれがやりたい。わたしだって、自分がこの世界に生きたって証を刻みたいの」

「……ならんもんはならん」


 理屈になっていない言葉で押し切った親父は、鈴木に背を向け部屋を出ていった。白い光が世界を覆った。


 次の景色は夜の森の中だった。ごうごうと逆巻く風で枝葉が揺れる。月明かりが作り出すおぼろげな影が、なんだか絵本に出てくる化け物めいて見える。


 自らの足元に目をやる鈴木は、じっと固まったまま動こうとしない。鈴木の視線の先を見ると、拳骨程度の大きさの瑠璃色に光る石が三つ積み重ねられたものがあった。


「……馬鹿だよ。天狗のくせに喉にお餅詰まらせて死んじゃうとかさ。ほんと、馬鹿だよ。お父さんが生きてたこと、この世界でわたししか知らないんだよ? それでいいの? わたしだって、いつか必ず死んじゃうのにさ。わたしが死んだら、この世界の誰からも忘れられちゃうんだよ」


 目元を拭った鈴木は震える声で呟いた。


「わたしはイヤだよ。お父さんみたいになるのなんかイヤだからね、絶対。わたしは、わたしにしかできない方法で、わたしが世界にいたことを証明してみせるの」





 気づけば、おれたちは見覚えのある部屋にいた。飾り気のない長テーブルに簡素なパイプ椅子。間違いない。ここは神海高校映画部部室だ。


 身体を拘束していた椅子もいつの間にか消え、身動きが取れるようになっている。試しに窓へ近づいてみると、見える空は紫色に淀んでいた。まるで世界の終わりだ。


「……なんだよ、ここ」


 思わず呟いたその時、背後に人の気配を感じた。部室の扉を開いて現れたのは鈴木だった。


 おれたちを視界に入れた鈴木は小さく息を吐いた。怒りと憎しみを雑にかき混ぜたような負の表情を浮かべていた。


「……なんで来ちゃったの、みんな。帰った方がいいよ」

「なんでって、そんな言い方――」

「帰って!!」


 鈴木が強い口調で鞍馬の言葉を遮ったのと同時に、地面が揺れた――いや、揺れているのは地面だけじゃない。世界そのものだ。大気が歪み、破裂するような音が断続的に響いている。身体ごと脳味噌までが揺さぶられているようでまともに立っていられない。


 そんな環境でなお平然としている鈴木は、眼前の小虫を払うようにさっと右手を振った。空間のあちこちにチーズを溶かしたみたいに穴が空いた。中を見れば、その向こうはおれたちが元いた部屋だ。


「そこから出てって。出てかないと、どうなっても知らないから」

「どうなってもって、どうなるのですか?」


 鈴木は松丸の問いに答える代わりに、もう一度右手を軽く振った。世界の揺れがより一層強くなる。思わずその場に膝をつき、次に顔を上げたときには鈴木の姿は消えていた。


 おれたちはそろって顔を見合わせる。


「……どうすればいいのでしょうか」と開口一番弱気な発言をこぼしたのは飯綱。「どう、って。どうにもならないよ」と鞍馬がこれに続く。「だったら諦めるの?」という厳島の問いにふたりともすかさず首を横に振ったが、その表情は暗いままだ。


 三人ともいまにも泣きそうで見ていられない。松丸に視線を移せば、険しい目つきで天を眺めている。存在しない次の一手を模索しているような、途方に暮れた目をしていた。残された時間はさほど多くない。


 こうなりゃもうヤケだ。意地だ。出たとこ勝負のあとは野となれ山となれだ。


 おれはまず、手近なところにいた鞍馬の背中を「ほら行け」と力一杯押した。バランスを崩した鞍馬は「うわうわ」と声を上げながら部室へ通じる穴へと落ちていった。突然のことに動揺し、動きが固まった飯綱と厳島の両名の背中も続けて押してやれば、鞍馬と同様に穴へ吸い込まれていく。


 ひとり残った松丸は、降参したように両手を上げながらも警戒の視線をこちらに向ける。


「ちょ、ちょっと新山田さん。待って、待ってくださいよ。どうしたんですか」

「なに言っても帰りそうにないから、強硬手段に出ただけだ。ほら、お前も押されるのがイヤなら自分で飛び込め」

「嫌ですよ。鈴木さんをひとりここに置いていけっていうんですか」

「そうは言ってねえだろ。おれが連れ帰るから」

「だったら、僕だって行きますよ。僕だって彼女と話したいです」

「駄目だ。おまえは、先に帰ってあいつらと一緒に指くわえて待ってろ」

「なんでひとりで行こうなんて――」

「うるせえ。いいから帰れ」


 素早く松丸の背後に回り込んだおれは、渾身の力を込めて奴の背中を押す。はじめのうちはなんとか踏ん張っていた松丸だったが、年の甲と気合いのぶんおれが勝り、奴はとうとう元の世界へ通じる穴へと吸い込まれていった。


 揺れる世界の中で、おれは安堵の息を吐きながらその場に尻もちをついた。


 悪いな、おまえら。もし生きて帰ったら、ヒーローはおれひとりだ。

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