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殺すしかない

 翌朝。郵便受けの中を見ると、蝋で丁寧に封がされた洋封筒が入っていた。差出人は書いていなかったが、誰が出したのかは開いてすぐにわかった。中に神海高校文化祭の入場券と、『雨の日には中指を立てろ』の鑑賞チケットが封入されていたからだ。


 鈴木め。おれはやることはやっただろ。もうおれになんて構わなくたっていいだろうが。お前にはもっと他にやるべきことがあるだろうがよ。早くおれをプロにしろよ。


 チケットを眺めていると、あの映画のことを、おれが手を抜いたことを思い出してしまう。精神衛生上あまりいいとは言えない。かと言って、チケットをゴミ箱に放り込むのも忍びない。仕方がないので腐り果てるのを待つことにして、チケットをジップロックに入れたおれはそれをアパートの敷地内に埋めた。


 朝、昼、夜。朝、昼、夜。


 無為な時間が過ぎていく。


 飯を食うこともまともに手につかない。新山田牧人の中にある小説家としての人格が、冷たい秋風に磨耗して消え去りそうだ。いっそのこと、それもいいかもしれん。


 おれが人間に戻ったのは、珍しくスマホが鳴った時のことだった。ディスプレイを見れば『森田』の文字。


 電話を取ると、ポップコーンみたいに中身の詰まっていない森田の声が聞こえてきた。


「ああ、ごめん新山田くん。いま大丈夫かな?」

「大丈夫ですけど、どうしたんですか」

「いやいや。ようやく店の修理が終わってね。今日明日準備で明後日開店。で、どうかな?」

「どう、っていうのは」

「いやいや決まってんでしょ。来れるかどうかって話。てか、来れるでしょ? だから電話したんだし」


 堪忍袋の緒が切れる音がした。どうしてコイツは事前に連絡するってことを知らねえんだ。


「いやいや、いくらなんでも今日ってまた……」

「いやいやいやぁ。そんなこと言って来れるでしょ? だってヒマじゃん。新山田くん、フリーターじゃん」


 二本目の堪忍袋の緒が切れる音。くそ、おれをコケにしやがって。


「たしかに、フリーターかもしれませんけどね。だからって毎日ゴロゴロしてるわけじゃないんですよ」

「でもさ、なにもしなかったら新山田くんってニートなわけじゃん。出た方がいいよ。お金、必要でしょ」

「そりゃ金は必要です。でも、それだけじゃ解決できないことだって――」

「わかった! 負け負け、僕の負け。時給アップ、上に掛け合ってあげるからさ。三十円くらい。新山田くん、もう三年目だしさ、それくらいだったらなんとかなるから!」


 血流が一気に速度を上げて、堪忍袋の緒どころか全身の血管が切れそうになる。臨界点を超えた怒りは瞬時に気体となり、体積が膨れ上がった怒りが肉体の中で行き場を失い破裂しそうになった。


 おれの、おれの三年間。千飛んで九十五日。そいつがたったの三十円。十六時間余計に働いてようやく牛丼が食えるカネ。


 三年で三十円なら十年でようやく百円か? 百年でようやく千円か?


 ふざけろ。おれの人生なんなんだよ。


「……なんだってんだよ、クソ」

「え? なに? 聞こえなかったんだけど、来れるってこと?」

「店長。すいませんけど、今日で辞めます。お世話になりました」

「は? いやいや困るんだけど。新山田くんが抜けたら誰がキッチン入んのよ」

「雇えばいいだろ。三十円で」


 通話を切ったおれはさっきのクソ野郎の電話番号を着信拒否リストにぶち込んで、スマホを布団に叩きつけた。その拍子に待ち受け画面が表示され、ディスプレイに今日の日付が浮かび上がる。


 十一月三日、文化の日。


 文化祭当日。


「クソ」と呟いたおれは、埋めたチケットを掘り起こすために部屋を出た。





 今さらあの映画を見て何になる?


 答えは簡単。何にもならない。ただ後悔が生まれるだけだ。だからって、逃げ続けてたらきっとおれはこのクソみたいな気分のまま歳を重ねて死んでいく。そんなのはごめんだ。


 後悔したって構わない。いやむしろ、後悔することが大事なんだ。自分の怠慢と傲慢が生んだ結果を受け入れて、それから死ぬほど後悔して、おれはようやく前に進める。一文にもならない自己満足だけど。


 神海高校文化祭はなかなか賑わった様子である。校門で警備員に入場券をチェックさせ、敷地内に踏み入った途端に足がやけに重くなった。「やっぱりここで回れ右して帰ろうか」なんて、弱気の虫が首をもたげる。ええい、くそ。今さら怖気付くな。


 焼きそばやらうどんやらアイスクリームやらポテトフライやらをぼったくり価格で売りつける売店や、無駄にダンボールを使って作った暗いだけのお化け屋敷や、クソの役にも立たない迷路が校内の至る所に散見され、体育館にいけば下手なコピーバンドが喧しい音を鳴り響かせる青春の押し売り会場。おれにとっての文化祭とはそれだ。


 しかし、神海高校は違った。AR技術を駆使して作ったというゲームや、教室狭しと駆け回る手製のジェットコースター。古代バビロニアで食べられていたという料理を再現したものを食わせる店など、目眩がするくらいに本格的。これは青春の押し売り会場なんかじゃない。青春の見本市だ、モデルルームだ。


 なんだかますますアウェー感が強くなってきた。早いところ用事を済ませて帰ろうと、映画部の上映が行われるという三階の第一視聴覚室に向かおうとしたのだが、二階から三階へ向かう階段に行列が伸びていて昇りづらい。「通してくださーい」と声を上げつつ人混みを割ってなんとか階段を昇りきってわかったことだが、その行列はおれが行こうとする先へと続いていた。


 まさかと、背中にいやな汗が流れたその時、聞き覚えのある声が人混みの中から聞こえてきた。


「ヤマっち〜! 来てくれたんですね!」


 ツインテールを上機嫌に跳ねさせつつ現れたのは鞍馬だ。

「いや〜、もうちょうどいいとこに! 見てくださいよこの列! もう大大大大大成功ってカンジで。で、このままじゃ人が捌き切れないからって急遽、休憩室として使ってた多目的室を使っていいってことになったんです! これから準備なんで、ヤマっちも来てくださいよ~!」


「あ、いや」と口ごもるおれの手を、「拒否権はありませ~ん!」と無理に掴んで引いたゴキゲンな鞍馬は、混み合う廊下をズンズン進んでいった。こうなると、もう振り切れそうにもない。


 多目的室は一階にあって、教室二部屋分ほどの広さがあった。映画部の奴らは忙しそうにパイプ椅子を並べており、声をかけるのも躊躇われる。部の奴らは入ってきたおれに気づくと、いやな顔ひとつせずに手を振った。


「新山田さん。あの行列、ご覧になりました? 皆さん、私たちの映画を観に来てくださったんですよ」

「このままでは観客を捌き切れないということで、気を利かせた先生がこの部屋を上映場所として用意してくれましてね」

「ぼーっと立ってないで手伝って、新山田さん」


 三者三様の反応。その最後を締め括ったのが、いつもと変わらぬ穏やかな笑みを浮かべる天狗女鈴木だった。

「待ってましたよ、新山田さん。来るって信じてたんですから」


 くそ。やっぱり、来るんじゃなかったかな。


 こいつらの顔を見ると、一文の得にもならない自己満足すらできそうにない。





 視聴覚室と多目的室での上映を合わせ、『雨の日には中指を立てろ』は一日で八回も上映された。結果は全回満員御礼の大盛況。立ち見席も用意されるほどで、大成功という言葉がちっぽけに感じるほどだった。


 その要因はなんといっても元天才子役の厳島と有名読者モデルの松丸というダブルキャスト。それに、高校生離れした映像クオリティー。当然ながらおれの書いた脚本への評判はいいも悪いも聞こえてこなかった。ただ、上映後の観客のひとりが言っていた、「高校生らしいお話だったねえ」という言葉が、おれの頭に妙に残った。


 時刻は午後の四時半を回った頃。おれは映画部の奴らと共に上映終了後の多目的室の片付けをしていた。鈴木も鞍馬も飯綱も厳島も松丸も、みんな満足そうに笑ってやがる。見ているだけで気が滅入りそうな爽やかな笑顔だ。


「いや〜、お客さんの反応よかったね〜。ああいう顔見てると、作り手冥利に尽きるっていうかさ〜」

「まったくです。できるものなら、観客の笑顔を待ち受けにしたいくらいですよ」

「松丸くんがそういうことを言うと、なにか別の意図を感じますね」

「……高度な変態?」


 楽しげに会話する四人を横目に黙ってパイプ椅子を片付けていると、鈴木がふとおれの前に立って深々と頭を下げた。


「新山田さん、本当にありがとうございました。なんかもうわたし、明日死んでもいいかなーって感じです」


 こんなことをなんの恥ずかしげもなく言ってくる奴に、おれは何もしなくていいのか? 知らん顔なんて出来るのか?


 そんなわけがない。おれは……おれは、やるべきことをやらなきゃならん。


「鈴木。みんなも。話があるんだけど、いいか」


「ど、どうしたんですか。やけに深刻な顔して」と鈴木は目を丸くする。五人分の困惑した視線が全身を貫く。


 鉛球を呑み込んだみたいに胃が重い。舌がガラスになったみたいで動かしたら割れそうになっている。砂を撒いたみたいに喉がカラカラだ。


 言えよ、おれ。言わなくちゃはじまらんだろ。


「おれ、あの映画の出来に満足してないんだ。あのままじゃ来月の《ゆうゆう国際ファンタスティック映画祭》に参加しても、なんにもならんに決まってる。でもみんなが悪いってわけじゃない。悪いのはおれだ。おれの脚本だ。おれは、たかが高校生が観るものだからって手を抜いて脚本を書いた。みんなと違って、本気じゃなかった。だから本気でやりたいんだ。本気で書きたいんだ。やらせてくれないか」


 鈴木の表情に暗い影が落ちた。


「……新山田さん。たとえば脚本を書き直したとしても、残された時間を考えれば再撮影なんて不可能です。あの映画はあれで完成。みんなが喜ぶいい作品。《ゆうゆう国際ファンタスティック映画祭》には不参加。それでいいじゃないですか」

「よくない。本来なら、お前たちの才能とがんばりがあれば、もっといい作品になったはずなんだ。おれがもっと頑張ってれば……いや、お前たちのことをナメてなけりゃ、お前たちの力で間違いなく傑作が生まれてたはずなんだよ」


 おれはじっと頭を下げ続けた。できることといえば、それくらいしかなかった。全身が溶けて無くなるほど血液が騒いでいる。


「いいんじゃないでしょうか、やって頂いても」


 その場の沈黙を破ったのは松丸の一声だった。


「新山田さんがあの映画の脚本を本気で書いたかどうかなんて、僕は知りません。ですが、本人が満足していないというのならやるべきでしょう。少なくとも、僕はそう思いますが」

「……あたしも、松丸くんに賛成。本気じゃなかったってナニソレ。真面目に書いていいものができるなら、しっかりやって欲しいんだけどな〜っていうのが、あたしの意見で〜す」

「いいものが出来るという前提なら、反対する理由はないと思います。新山田さんの仰る本気、見てみたいですよ、わたし」

「やるならいいものを作って。それだけだから」


 松丸に続けて鞍馬、飯綱、厳島がそれぞれの意見を述べる。


 顔を伏せてひとり沈黙を貫いていた鈴木は、ふいに顔を上げるとどこか悲しそうに微笑んだ。


「みんながそう言うなら反対しないよ。お願いします、新山田さん」





 自宅でひとり、おれは『雨の日には中指を立てろ』を繰り返し視聴する。何度も、何度も、何度も、何度も。


 どんなシーンを差し込めば、これが子供騙しじゃなくなるのか。どんなシーンを差し込めば、この作品に「高校生が作ったにしては」なんて枕詞を付けられなくなるのか。どんなシーンを差し込めば、これが傑作となり得るのか。


 考えろ、考えろ、新山田牧人。観客のためでも賞レースのためでも、小津の奴を見返すためでも、ましてや自分自身のためでもない。本気で創作に取り組んだあいつらの努力に報いるために。あいつらの横で胸を張って並ぶために。


 物語とは丁寧な積み重ねの結果生まれるものだ。しかし、積み重ねたものをぶち壊すのもまた物語だ。現状を打破するには、この作品そのものを根幹からぶち壊すしかない。


 かと言ってワンシーン、あるいはツーシーン挟み込んだところでこの作品を壊せるのか? 「こんなもんでいいだろう」とおれが適当に描いた――つまりは元から壊れているのと同義であるこの作品を、土台からひっくり返すことはできるのか?


 文化祭の日からもう一週間が経った。未だ光明は見えず、過去のおれ自身と向き合う日々が続いている。


 朝起きて、卵かけご飯をかき込んだあと、ふと窓を開けて空を眺めてみた。今日の天気は冷たい雨。吐く息が白くならないのが不思議なくらい寒い。鉛色の空が気分をいっそう重くさせる。


〝雨〟をテーマにした高校生の青春映画。雨と高校生なんて、今更ながらありきたり過ぎる組み合わせだ。「たかが高校生」なんて舐めた真似したことがそもそもの間違い――。


 いや。待てよ。それでいい。むしろ、それ〝だから〟いいんじゃないか。たかが高校生が作った映画。だからこそ打てる手があるんじゃないか。


 ふと湧いてきた一発逆転のアイデアにひとりほくそ笑んだおれは、「やっぱり、殺すしかねえな」と呟いた。

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