馬鹿野郎
十月ももう半ばを過ぎた。最近すっかり亜熱帯と化した日本にしては珍しく、季節は秋一色といったところで、汗ばむ陽気がもう久しい。
さて例の映画の方はといえば、撮影はすでに完了しており、編集作業が佳境の佳境を迎えたところであるらしい。「らしい」なんて他人事なのは、クランクアップ以来、部の方に顔を出していないからだ。仕方ないだろう。おれにだっておれのやることがある。あいつらにいちいち構ってるヒマなんてないんだ。
鈴木はおれに言った。映画が完成して上映が成功した暁には、おれを作家にしてやると。
おれは知ってる。作家になるのがゴールじゃない。あくまでそこがスタート地点だと。
だからおれには使える『弾』をなるべく増やしておく必要があるんだ。だからおれには映画にかまけている時間なんてもう無いんだ。
しかし、ペンを握ってノートの前で構えたところで、集中力がまったく続かない。頭に浮かぶのはあの映画、『雨の日には中指を立てろ』の出来栄えばかり。
もっとうまくやれたんじゃないか。最初から真面目に取り組んでおけばよかったんじゃないか。あいつらの横に並んでも、罪悪感を覚えずに済んだんじゃないか。
後悔。後悔。後悔。先に立たないとはいうが、たまには例外だってあってもいいだろう。神様の野郎もちっとは融通利かせろよ。
馬鹿野郎。おれの、馬鹿野郎。
◯
鈴木から連絡があったのは十月末のことだった。曰く、映画が完パケしたという。「めでたいな」と一応労をねぎらうと、鈴木は「他人事みたいじゃないですか」と言って笑った。
「てことで、完成記念のパーティーでもやろっかなーなんて思いまして。もちろん、参加してくれますよね?」
「おれに参加する権利なんてあんのか」
「ありますって。あるに決まってるじゃないですか。相手が高校生だからって遠慮しないでくださいよ。新山田さんらしくない」
「どんなイメージ持ってんだよ、おれに」
「どんなって、ひたすら大人気なくて、年下相手にムキになるイメージですかね」
冗談っぽく言ってけらけらと明るく笑った鈴木は、「じゃ、今日の夜六時半にはお迎えに上がりますから」と残して通話を切った。断るタイミングを完全に逸してしまった。まあ、適当に参加して、適当なところで帰ればいい。いざとなれば親戚が死んだことにして逃げればいい話だ。
さて、相変わらず進まない筆をじっと見つめる不毛な時間をひたすら過ごしていると、いつの間にか約束していた六時半が近づいてきた。思えば、起きた時から格好が一切変わっていない。慌てて着替えを済ませ、顔を洗い終わったところで、押し入れが開いて鈴木が現れた。今日は制服ではなく大胆に肩を出した黒色のドレスを着ている。どんな高級レストランに行くつもりだ。こちとらジーパンが最大限の礼服だぞ。
「新山田さん、準備できてます?」
「一応はな。てか、その格好気合い入れすぎだろ。どこ行ってなに食うつもりだよ」
「いいじゃないですか着飾るくらい。それに、そんな肩肘張らなきゃいけないようなとこ行くつもりなんてありません。部室ですよ、部室」
身の丈に合わない場所に行ってお洒落なだけで味のしないものを食う、なんて事態は避けられたらしい。よかった。下手すりゃ早々に叔父あたりを殺さなきゃならんとこだった。
安堵しつつ押し入れの戸を開けば、そこはもう神海高校映画部部室だ。長机には寿司やピザや麻婆豆腐やパスタなど、和洋中節操無く様々な料理が並んでいる。
見知った四人のメンツはすでにいて、各々飲み物の注がれたグラスを片手に待機していた。ジャケットとパンツのセットアップにスニーカーを組み合わせたラフな格好の松丸が、「お久しぶりです」とにこやかに言って頭を下げる。黄色のパーカーに細身のジーンズの鞍馬がそれに続いて「遅いよ〜、ヤマっち〜」と明るく言い、白いセーターとこれまた白いロングスカートに身を包む飯綱が「来て頂けないかと思ってました」と続く。唯一、制服のままの厳島は軽く手を振るばかりだったが、口元は若干緩んでいる気がしなくもない。
たった二週間程度顔を合わせてないだけなのに、なんだか懐かしい感じすらある。いかん、ノスタルジーに呑まれるな。こいつらはおれなんかとは住む世界が違うんだぞ。
そんなことを思う間に、「はい、こちらどうぞ」と鈴木の手からコーラの注がれたグラスが渡される。その足で窓に面したところに立った鈴木は、おれたちを見回すとひとつ大きく息を吸った。
「みなさん、本当にお疲れさまでしたー! みなさまの協力のおかげで、文化祭三日前というギリギリのスケジュールながら、なんとか映画が完成しました! 今日はいつも以上に無礼講! 先生からも遅くまで騒いでいいって『許可』は貰ってるので、じゃんじゃん食べて、じゃんじゃん飲んでください! それでは、かんぱーい!」
互いのグラスがぶつかる軽い音がいくつも部室に響いた。
◯
打ち上げは大変賑やかに進んでいる。女三人寄れば姦しいなんていうが、まさにそれだ。映画部の女性陣は鞍馬を筆頭に馬鹿みたいに騒いでやがる。おれが高校生の頃に、教室の真ん中あたりに陣取っていた集団とよく似ている。ああいうのとは卒業までにのべ十回も喋らなかったな、なんてつまらん思い出が頭に過ぎる。
おれはといえば若さという名の暴力についていけず、部屋の隅でひとり飯を食っている。並べられた料理を全種類一通り食べたが、ダントツなのはやはり寿司だった。美味いもんはひとりで食っても美味い。
ぬるくなったコーラを飲んで、ポテチをぱりりとかじりながらぼぅっと過ごしていると、ふらりと松丸がこちらへ歩み寄ってきた。なんだかどこか疲れた顔をしているのは気のせいだろうか。
松丸はおれの横にパイプ椅子を置いて座ると、右手に持っていた冷えたマルゲリータピザを噛んだ。
「新山田さん。撮影期間中、色々とお世話になりました」
「世話になったのはこっちの方だよ。おれなんて、たいしたことはしてねえ」
「そんなことはありませんよ。少なくとも、僕にとって新山田さんは救いでした。女性ばかりのところに男ひとりでは心細いですからね」
「意外だな。女に囲まれてる状態なんて慣れっこだと思ってたのに」
「慣れていることは間違いないですがね。僕は男友達が少ないので」
「……嫉妬ってやつか。気にすんなよ。女にモテるお前が羨ましいだけだ」
「それは薄々わかってはいますがね。とはいえ、わかっていても寂しいものですよ。気軽に隣に並んでくれる男友達がいないというのは」
松丸は期待を込めた眼差しをこちらに向けてくる。おれは明後日の方向を向いてそれから逃げた。
「おれがいるだろ、なんてことは言わねえからな。同年代の友達くらい、勝手に探せ」
「手厳しいですね」と笑う松丸を見ていられなくて、おれは「ところで」と話題をすり替えた。
「松丸。おまえ、卒業したら事務所所属のモデルになるんだって?」
「一応はそのつもりです。やりたいこともとくにありませんし」
「なんだ。勉強のつもりってわけでもなかったのか。だったら、どうして素人映画になんて参加しようとしたんだ」
「やりたい、に理由が必要ですか?」
「カッコつけんな。だから友達ができないんだぞ」
「冗談だったのに」と笑った松丸はピザを一口かじってから続けた。「本当は、なんとなくなんですよ。鈴木さんに誘われたら、出てみようかなという気になったんです」
「……鈴木の顔がいいからホイホイついて行っただけじゃねえのか」
「そうかもしれません。いまとなってはわかりませんけど」
その時、手のひらを打ち鳴らす音が二度響いた。見ると、どこか上気した顔の鞍馬が部室の入り口に立っている。酒でも飲んだんじゃねえだろうな、あいつ。
「は〜い! みなさん注目〜! 大ちゅ〜も〜く! これから本日の突発的メーンイベント、『雨の日には中指を立てろ』の試写会を始めたいと思いま〜す! 拍手っ!」
ひとり拍手をする鞍馬。釣られる形で手を打つ鈴木たち。満足げに頷いた鞍馬は持っていた鞄からタブレットを取り出して、それを長机の空いているところに置いた。
鞍馬の行動に面食らった様子ながらも、映画部の奴らはパイプ椅子を横一列に並べて準備を進めている。
目前に迫る上映会に心臓が暴れ出し、おれはつい「ちょっといいか」と声を上げた。
その場にいる全員の目が一斉にこちらに向く。暑くもないのに背中が汗でぐっしょり濡れる。
「どしたんですか~、ヤマッち~。あ、ひょっとしてトイレですか~? だったら先に言っておいた方が――」
「いや。おれ、そろそろ帰らなきゃなんだよ」
「ええ〜?! ナニソレ?! 三十分くらいいいじゃないですか!」と鞍馬。それに飯綱が、「そうですよ。せっかくみんなの力で作り上げたものなんですから。最初に観るときもみんな一緒です」と続けば、厳島は「それとも、完成したものに興味を持てない面倒くさい創作者タイプ?」と湿った視線でこちらを刺し、松丸がそれに「ほら。座ってください。なんなら、鈴木さんの横の席をお譲りしますよ」と追従する。
「新山田さん。映画、観ましょう。楽しいですよ、きっと」
朗らかな鈴木の笑顔が向けられた。よりいっそう辛くなって、おれは首を横に振る。
「……悪いな。とにかく、都合が悪いんだ。また今度な」
逃げるように部室から出たおれは、全速力で夜の校舎の廊下を駆けた。




