ここにいる権利
さすが天狗というべきか、鈴木の提案はまったく正気とは思えない。しかし、もっと正気と思えないのは部の連中の反応だ。
「いいかも!」「賛成」「ワクワクしますね」などと賛同の声を上げるばかりで、嫌そうな顔をする奴は誰一人としていない。なんだよこいつら。後退のネジが外れてんのかよ。風で倒れて骨でも折ったらどうすんだよ。車が転がってきたらどうすんだよ。痛いじゃすまねえぞ。
おれはとりあえず意見しやすい松丸を捕まえて物申すことにした。
「おい、いいのかよ。台風の中で撮影なんて、どう考えてもやばいだろ」
「やばいことにはやばいですが、まあ鈴木さんの言うことですから。僕達は彼女の決定に従うだけです」
松丸はやけに爽やかに笑う。
「なにより、楽しそうじゃないですか。台風の中での撮影なんて。きっと凄いことになりますよ」
凄いこと、程度で済めばいいんだけどな。メリーポピンズみたいに空飛ぶだけならまだしも、台風に巻き込まれた挙句に海に落とされてサメに喰われて死ぬのだけはまっぴらごめんだぞ。
さて順当に時は経ち、あっという間に一週間後の朝。天気予報の通り台風は首都圏を直撃。メジャーリーグ選手のスライダーみたいにグイと曲がって日本列島に飛び込んできた気象図上の台風を見て、おれが鈴木の介入を疑ったことは言うまでもない。
窓の外を見れば好き放題に雨が暴れ回っている。安アパートが強風を受けてウォンウォンと悲鳴を上げている。ビニール袋が空を飛び回り、空き缶が道路を自由気ままに駆け回る。今日の地球は自然の独壇場だ。非力な人間の出る幕じゃない。おれたちは黙って布団に包まり部屋の隅でがたがた震えて然るべきだ。
こんな天気の中で外に出なけりゃならん現実に消沈していると、押し入れの戸が勢いよく開いた。現れたのは言うまでもなく鈴木である。
「にーい山田さーん! 鈴木天音がお迎えに参りましたよぉーっ!」
「……ずいぶんと楽しそうだな」
「だって仕方ないじゃないですか! ほんとに楽しみなんですもん!」
令和の時代にお出しするにはなんとも昭和臭いⅤサインを天に突き出した鈴木は、窓を開いて「フゥーっ!」と妙なテンションの叫びを上げる。風に乗せられた大粒の雨が部屋に飛び込み、ただでさえ蒸した空気の不快感をより高める。
「見てくださいよこの天気! 雨風に煽られて空を舞う看板! まさに絶好の撮影日和じゃないですか!」
「どこがだよ、どこが。というか窓閉めろ。家の中がびしょ濡れになる」
「いやぁー! でも、すこーし雨風が足りませんかね? もうちょっと強めちゃおうかな? 扇子でびゅんびゅん仰いじゃおうかな?!」
「絶対にやめろ。あと、さっさと窓閉めろ」
「というか、いつまでそんな格好してるんですか? 早く着替えて準備してくださいよー、新山田さーん!」
「お前はいつまで窓閉めてくれないんだ」
「もうみんな揃ってるんで、新山田さんもお願いしますね! 押入れは部室と繋いでおくんで! それじゃ!」
窓から外に飛び出した鈴木は高笑いしながら空を駆けていった。よほどご機嫌らしい。というか、閉めろよ、窓。
嫌々ながら準備をはじめたのが午前八時過ぎ。茶漬けを食って着替えを済ませ、歯を磨いてから押入れに入れば、言う通り映画部部室に直結していた。
部の連中は「おはようございまーす」と口々に挨拶する。「おう」と答えつつ部屋を見回したが、肝心の鈴木が見当たらない。空を飛んで無駄に高いテンションそのまま宇宙にでも行きやがったか。
「鈴木はどうした」と松丸に問えば、「準備に行く、と言っていました。すぐに戻ってくると思いますよ」という答えがあった。
空いている席に適当に腰掛けたおれは、部の連中を眺める。楽しげに会話を交わす奴らは全員揃いの合羽を着ており、準備万端といった様子だ。
「しかし、ずいぶん楽しそうだな、お前たちも。いやじゃないのか」
「あたしたち、新山田さんと違ってまだ台風楽しめる年齢なんで」と鞍馬が親指を立て、「やっちゃいけないことって、ドキドキしますよね」と頬を赤らめた飯綱がそれに続く。
「こんな過酷な環境で撮影なんて、女優冥利に尽きますから!」と、化粧を済ませて面倒くさい実力派女優と化した厳島が元気いっぱいに言った後、「これぞ映画撮影ですよ」と松丸が知った風な口を叩いて締めた。
「……おい、松丸。こんな風の強い中でスカートの女が出歩いてると思うなよ」
「馬鹿にしないでください。僕の本命は濡れた女性のうなじです」
松丸が平時と変わらぬアホっぷりを見せつけたその時、部室の扉が力一杯開け放たれた。
「はーい! みなさん、お待たせしました! 早速撮影に行きたいと思います!」
我らが天狗監督様の格好は呑気で陽気なアロハシャツ。準備ってアレかよ。バカンス行くんじゃねえんだぞ。
〇
――雨が降らない日々が続いてもう十日。漠然とした不安を抱いたまま毎日を過ごす考は、彼の住む地域に台風が直撃するという予報を目にする。
予報は当たり、考の住む地域に台風が上陸する。思わず家を飛び出し、キリを探して街を駆けまわる考。彼女がいたのは考にとって忘れられない場所――彼の幼馴染が足を滑らせて死んだ近所の野山にいた。
「久しぶり。こんな日でも、傘差さないんだね。君は」
「うん。そういう人なの、わたし」
街を襲う台風なんて感じていないかのように笑ったキリは、「もう会えるのは最後になるかも」と彼に告げる……。
『雨の日には中指を立てろ』のクライマックスはだいたいこのような内容だ。良く言えばド真ん中一直線の青春映画。悪くかつ端的に言えばありきたり。
おれは高校生の文化祭のために脚本を書いた。ハンバーガーを食いに来た客にハンバーガーを出すのが創作者としての使命というなら、おれが書いたものは間違いじゃない。しかし、これを映画のコンテストに出していい結果が得られるのかといえば……必ずしもそうじゃないだろう。
とはいえ、このラストをひっくり返すだけの展開が思い浮かばなかったのだから仕方がない。それに、《ゆうんう国際ファンタスティック映画祭》への参加なんてたかが冷やかし。目標はあくまで文化祭での成功、ひいてはおれの小説家デビューだと考えれば、まあ気に止むこともないだろう。
現状、脚本家としてやれるだけのことはやったんだ。あとは役者の演技と演出に期待するだけだ。
機材のチェックを済ませ、何度か通しでリハを行い、撮影準備をもれなく済ませたおれたちは、六人そろって部室を出た。扉を開けばそこは見知らぬテントの中。風のせいでテント全体がガタガタと揺れているが、雨が天井を打つ音が聞こえないのは、神通力で防音加工でもしているんだろう。便利なもんだ。
シートをめくってテントの外をちらりと覗いてみれば、途端に頬が雨に打たれる。巻き上げられた落ち葉が顔に引っ付いてきた。外は緑深い野山。いい塩梅に間引きされた木々を見るに、どこかのキャンプ場か何かだろうか。
このとんでもない環境だ。音声は別録りだろうな。もしくは、台風という環境音を活かすために台詞のオンリー録りをやるのか……なんて考えが浮かぶあたり、いつの間にかおれは部活動に毒されていたらしい。心頭滅却、心頭滅却。こんな撮影はおれにとっちゃ通過点だ。
鈴木がおれたちを見回しながら、ぐっと固めた拳を天井に向けて突き出した。
「よぉーし、みんな! この撮影がクライマックス! 気合い入れていくよ!」
監督の号令を受けて、部の連中は次々にテントを飛び出していく。脚本家であるおれは撮影時にはまったくの役立たずだ。とくに外へ出る必要もなかったのだが、動かないでいるのも気まずい。外へ出たおれは雨に打たれながら撮影が始まるのを待った。
周囲の木々に括りつけられたiPhoneは雨風をまったく寄せ付けない。光源となるものはない曇った空なのに、撮影に必要かつ映像になったときに不自然にならない程度の光が空から降り注いでいる。すべて鈴木の神通力のおかげだろう。
暴風雨の中に沈黙が染み入る。お互いの呼吸音まで聞こえてきそうだ。松丸、厳島のふたりは役に入り込んでいて、雨に濡れる顔にはすでに別人格が宿っている。松丸の野郎、風にはためく厳島のスカートに見向きもしない。本格的に俳優だ。
iPhoneを構えた鈴木はひとつ胸をなでおろすと、「よーい、スタート!」と掛け声をかけた。
嵐の中にたたずむ松丸――いや、考はキリに笑いかける。
「――久しぶり。こんな日でも、傘差さないんだね。君は」
「うん。そういう人なの、わたし」
「知ってる。ぼくが知ってる君とよく似た人も、傘が嫌いだった」
「またその人の話なの? わたしが目の前にいるのに」
呆れたように息を吐き、微笑んでみせたキリはふと視線を足元へ落とす。表情には何か暗い決意をしたような影がうかがえる。
「……ねえ、考。わたしね、もしかしたら、わたし……」
「どうしたの、急に」
数秒溜めて、顔を上げる。眉間のあたりに弱々しい力を込め、それからキリはつらそうに言葉を吐き出す。
「……もう、あなたに会えるのは今日で最後になるかもしれないの」
沈黙。雨音。ズームになったふたりの顔が交互に映る。
「そっか」と呟く考。少し間を置いてもう一度「そっか」と呟き、荒れ狂う空を見上げる。映るのは考の口元。
荒れる空の様子をカットイン。カメラはローポジから。暴れる枝葉と風に吹かれて恐ろしい速さで進んでいく灰色の雲をしっかり映して。
「強いね、雨も風も。立ってるだけで大変だ。人生と同じだよ。でも、倒れたくないよね。汚れちゃうから」
考とキリをフルショットで映す。三秒。それからバストショットでふたりを交互に。微笑む考はキリに背中を向けている。
「キリ。僕のそばにいてくれてありがとう。でも、もう大丈夫だから。ひとりでも倒れず、きちんとやっていけるからさ。もう、雨もいやじゃないからさ」
振り返る考。キリの姿はすでにそこから消えている。
「……キリ?」
呼び掛けても返事はない。響く雨風の音。キリが立っていた場所へと歩いていく考。ふとなにかを見つけて考はしゃがみ込む。地面にカメラを置いて、考がなにかを拾い上げるところを激ローポジで(『レザボアドッグス』に観られるような開いたトランクを覗き込むシーンのように!)。
「……こんなところにいたんだ。久しぶり」
地面から傘型の汚れたキーホルダーを拾い上げる考。生前のキリが大切にしていたもの。
口元に笑みを浮かべる考。頬につたう水は雨か涙か。
「はーいオッケー! みんなで映像確認しよー!」
鈴木の声が嵐の空に高々と響いた。部の奴らは鈴木のもとに集まり、真剣な顔で撮った映像を確認している。
本気かつ、心の底から楽しそうに映画に取り組むあいつらを見れば見るほど、おれはなんとなく居た堪れない気持ちになる。
ふと思った。
おれには、ここにいる資格があるんだろうか。




