3章 その2
食堂に入ると妃織はくだんのメイド服を着ていた。
「今日はホットケーキです。キャラメルソースかチョコレートソースのお好きな方でどうぞ。ハムと目玉焼きは味付けしてありますからね」
やむを得ず朝からシャワーを浴びた僕はTシャツにジャージ姿で椅子に座る。
「しかし朝からシャワーを浴びるなんて珍しいですね、お兄ちゃん」
「ああ、ちょっと汗をかいたみたいだから」
「だから下着も入念にニュービーズで洗っていたんですか?」
「えっと、あれは…… 昨日の夜、パンツにチョコを落としてしまったんだ」
「そんなの、妃織が洗いますよ。それにパンツにチョコを落とすってどんな食べ方していたんですか?」
「いや、男には男の食べ方があるんだ」
「もう少し、世界一心が広い妹を信用してくださいね」
もしかして、ばれてる?
しかしここは話の流れに任せて突っ切るに限る。
「世界一能転気な妹とも言うけどね」
「お兄ちゃんの意地悪!」
純白が眩しいメイド服姿の妃織は僕の前にナイフとフォークを並べるとぺこりとお辞儀をして見せた。
「ホットケーキにお兄ちゃんがお好きな文字もお入れしますよ。日曜日限定サービスです」
「いつからメイド絵師になったんだ!」
「妃織をなめないでくださいね。某魔法少女でも某化け猫マスコットでも描けますよ」
チャイナドレスを着ていたときの優しくも絶対服従を強いる小悪魔的な表情が一変し、僕の目の前には可憐で健気で守ってあげるしかあり得ない可愛い天使が降臨していた。僕の鼓動は再び胸のあたりで騒がしくなり始める。
いけない。いつものペースに戻さないと。
「じゃあ、某這い寄る邪神は?」
「挑戦的ですね、お兄ちゃん。かなり難しいですけど描いて見せようじゃありませんか!」
妃織がチョコレートシロップで某ラノベ系アニメの美少女ヒロインの絵を一心不乱に描き始めた。元々絵は上手いのだが、果たして細かいディテールをどこまで描きこなせるか。
それにしても昨日は金条寺さんと白銀さんの不仲の理由を聞いてからと言うもの全く元気がなくなってしまった妃織だったが、一夜明けると完全復活したようだ。完全復活と言うか、何だか今までより積極的になっていると言うか、トキメキ成分が当社従来比500%くらいになっている。
自分の実の妹にドキドキするなんて、あってはならない事だし認めたくもないのだが、本音を言うと今までも少しはあった。
ちょっと訂正、そこそこあった。
ごめんなさい、多分にありました。
すいません、本当は結構ドキドキしてました。
しかし今朝の妃織は『結構ドキドキ』どころの騒ぎではない。
ドキドキの拷問美少女処刑官のようだ。
「はい、できました。ん~、やっぱり難しかったですね。ちっとも似てないです」
ぺろりと舌を出した妃織は欧州貴族の淑女よろしくメイド服のスカートの裾を摘み、右足を斜め後ろに引いてたおやかに会釈した。所謂『カーテシー』と言う挨拶だ。
「残念ながらこの勝負、妃織の負けですね。では食事をゆっくりお楽しみください、ご主人さま」
自分の席に戻った妃織は自分のホットケーキに上手に某魔法少女の絵を描いた。
何処で練習したんだ、妃織……
「冷めないうちに食べましょう」
爽やかに微笑む妃織と一緒に朝食を食べはじめる。
馬鹿げている内容だけど少しだけ知的で、そしてこの上なく快適な彼女との会話を楽しんでいると、あっと言う間に時間は進んでいく。
食事も終わりに差し掛かると妃織が立ち上がり台所に向かった。
「コーヒーをお淹れしますね。先日ちょっとだけ奮発してお兄ちゃんの大好きなキリマンジャロを買ってきました。上手に淹れれるか心配ですけど」
「ありがとう妃織。嬉しいよ」
「それでですね、コーヒー淹れたら一緒に録画しておいたアニメを見ませんか。楽しみにしていた新番組があるんですよね、お兄ちゃん!」
「もしかして『金髪ロボ・ヤンキードール』のことか。いや、あれはきっと妃織には面白くないと思うし、夜ひとりで見るから大丈夫だし……」
やばい。大石の話によると『金髪ロボ・ヤンキードール』はかなりイッちゃってるエロ系アニメのようだ。『女王様とお呼ビーム』がなんたらとか言っていたし。そんな危険なアニメを可愛い妹と一緒に見るなんて。
と言うか、今日の妃織とそんなアニメを一緒に見ると僕の方が危ないかも知れない。
妃織は少しくらいエロっぽいアニメやそんな本とかそんなブルーレイに目くじらを立てるような娘じゃない。日頃「お兄ちゃんが悪い感染症に掛からなければ、何をしたって妃織は何でも許します」と豪語する妹だ。『世界一心が広い妹』と言う自作キャッチコピーもあながち嘘ではないと思う。しかし今日の妃織の攻撃力は圧倒的だ。僕のHPを遙かに凌駕している。エロっぽいアニメを見ながら妃織の攻撃を受けたら僕のHPなどワンターンで吹き飛んでしまい、朝に続いて連続でイかされるかも知れない。
「えっ、酷いですう…… ぐすん。妃織、お兄ちゃんと一緒に見るの楽しみにしていたんですよ。お兄ちゃんと一緒に見るために、昨日も見るのを我慢してたのに…… ぐすん」
「ちょっ、ちょっと妃織!」
なんか、いつもとキャラが違うぞ。
「お兄ちゃんはわたしと一緒じゃお嫌ですか? わたしと一緒じゃ面白くないですか? わたしが大嫌いになってしまわれたのですか?」
妃織が半分拗ねたような、半分泣きかけの表情を作り、上目遣いに媚びてくる。
「いや、あの、そんなことあるわけ……」
「でも、妃織と一緒はお嫌なのでしょう?」
「いや、嫌だなんて……」
妃織がきらきらと輝く黒い瞳を少しだけ潤ませる。
「妃織、お兄ちゃんのことをずっと信じてました。妃織はお兄ちゃんのお願いなら絶対に何でもYESなんですよ。でもお兄ちゃんは違ったのですね」
「分かった。分かったよ。僕が悪かった。一緒に見よう」
「わたしなんかの、妃織なんかのために無理はなさらなくてもいいのですよ」
「いや、一緒に見たい。一緒に見させてくれ! 一緒に見させてくださいお願いします!」
「うふっ、ありがとうございます、お兄ちゃん! やっぱりお兄ちゃんは宇宙一です!」
完全にやられた。
これは演技だ。
僕の部屋でのチャイナドレス姿の妃織とは全く違うキャラを演じられた。
分かってた。
分かってたけど……
分かってても……
やられた!
「じゃあ、お兄ちゃんは再生の準備をお願いしますね。一緒にソファで見ましょうね」




