王太子殿下の事情聴取2
「君は思った以上に興味深いな。できればもう少し話したかったが、残念ながら時間切れだ」
「え?」
バタバタと廊下が騒がしくなる。入室の許可も得ず、突然バンッ! と扉を開けて入ってきたのはリュシアンだった。
日頃礼儀正しい彼からは考えられない無作法な行動に驚いたが、珍しく焦った様子だ。
ヴィクトルに急ぎの用かと目を丸くしていると、リュシアンはエミリーの姿を認めた途端に安堵の息を吐く。
「エミリー。無事でよかった」
彼はヴィクトルには目もくれず、ゆったりした足取りで近付いてくる。エミリーは面食らった。
(もしかして……私が殿下に呼び出されたと耳にして、駆けつけてくださったの? あんなに急いで)
リュシアンの心遣いに胸を打たれていると、エミリーを守るように隣に立ったリュシアンが、ヴィクトルに鋭い眼差しを向けた。
「自ら迎えに行って連れ出すとは。一体何を考えている」
「別に。光魔法の使い手は我が校でも珍しいだろう? ちょっと興味が湧いて話していただけだよ」
「本当に?」
リュシアンが椅子の背もたれに手を置き、真偽を確かめるように顔を覗き込んできた。
紫の双眸に射抜かれながら、横目でこっそりヴィクトルを確認する。すると眼差しで同意を求められたので、エミリーは素直に頷いた。
「はい。光魔法についてお話していただけです」
「そうか。ならいい。相手が殿下でも嫌なことがあればすぐに教えてほしい。オレが抗議する」
「はは、それ本人の前で言う?」
砕けた口調で笑う殿下と、畏まらない態度のリュシアンに驚いた。
二人が幼馴染で親しい友人という話は聞いていたが、公の場ではきちんと王太子とその臣下として弁えている。だからこれはごく親しい仲間内だけで見ることのできる、貴重な光景なのだろう。
またひとつ、リュシアンの意外な一面を垣間見れた。それが嬉しくて、くすっと笑みが漏れた。微かな笑みを目敏く拾ったリュシアンがエミリーに視線を向ける。
「ん?」
「すみません。お二人の仲の良さが微笑ましくて。リュシアン様の子どもっぽい一面も新鮮でした」
「っ!」
失態を自覚したリュシアンはバッと口元に手を当てた。明らかに動揺している。
「その、今のは忘れてもらえないだろうか……?」
「嫌です。もう心のアルバムに永久保存しました。ご心配されずとも、素敵でしたよ?」
「……っ!」
「それと、私のことを心配して駆けつけてくださったんですよね? ありがとうございます。殿下とはお話していただけですが、やはり緊張しますので。リュシアン様のお顔を見て安心しました」
「……っ!!」
言葉を詰まらせ、照れ臭そうに瞼を伏せるリュシアン。それをほのぼの見守っていると、ヴィクトルが信じがたいものを見た顔で感嘆の声を漏らした。
「――いや、驚いた。あれほど女性が苦手なリュシアンがこうも懐くとは。この調子なら、近いうちに婚約者の件は解決しそうだな」
「今その話をするつもりはない」
瞬時に持ち直し、スンっと真顔になるリュシアン。ヴィクトルはエミリーに視線を移した後、再度リュシアンを見据えた。
「そう? じゃあひとつだけ忠告。魅力的なご令嬢を放っておくと、すぐに横から掻っ攫われるから気を付けて。悠長にしない方がいい。後悔しても遅いからね」
ものすごく正論の、一般的なアドバイスだった。その時、護衛の方が「殿下」と何やら耳打ちする。
(そろそろ授業が始まる時間かしら?)
そうでなくとも生徒会役員をはじめ様々な役職を引き受けている多忙な方だ。日常的にかなりスケジュールが詰まっているはず。
(それでも、リュシアン様を守るために――私と会う時間を作ってくださったんだわ)
ヴィクトルの厚い友情に感激し、エミリーはじんわり胸が温かくなった。
「殿下。差し支えなければ退出の許可をいただけますでしょうか?」
「ああ、そうだな。君のおかげで有意義な時間を過ごせた。感謝する。リュシアン、私たちも行こうか」
ヴィクトルに促され、リュシアンが生徒会室の扉へ向かう。エミリーは心底ほっとした。ヴィクトルの事情聴取がどうにか無事に終わったことで緊張がほぐれ、頬が緩む。
既に生徒会室の入り口に到着したリュシアンの後を追うと、背後から肩に手を置かれた。振り向くと、触れていたのはヴィクトルで、かなり驚いた。てっきり彼には嫌われていると思っていたから。
「突然連れ出した上に怖がらせて悪かったね。失礼な発言を謝罪する。どうやら余計なお節介だったようだ」
リュシアンの耳には届かないよう、静かに囁かれた。申し訳なさそうに眉を寄せるヴィクトルに恐縮し、「いいえ」と首を横に振った。
「謝罪していただくことなど何もありません。ただ、殿下がリュシアン様のことを心から大切に思っておられるのが伝わりました」
屈託のない笑顔を向けると、ヴィクトルは僅かに驚き、眼差しを和らげた。
今朝の短い交流の間にヴィクトルの信頼を得たなどと自惚れたりはしない。ただ、リュシアンの友人だと認識され、こうして真摯に言葉に耳を傾けてもらえることが嬉しかった。
ヴィクトルとの間に穏やかな空気が流れると、先に扉を開けて待ってくれていたリュシアンから不機嫌な声が飛んできた。
「何をこそこそ話しているんだ?」
「「秘密(だよ/です)」」
計らずも声が重なり、ヴィクトルと顔を見合わせて笑った。何がいけなかったのか分からないが、リュシアンの眉間に皺が寄る。それはほんの一瞬のことで、すぐに柔らかな眼差しが注がれた。
「君を教室までエスコートしよう」
「ありがたいお申し出ですが、辞退させていただきます」
即座にお断りすると、リュシアンは身を竦ませた。彼の厚意を受け取れないことに胸が痛んだが、譲歩するつもりはなかった。
(ついさっき殿下にエスコートしていただいたばかりだもの。教室に戻ったら女生徒達に取り囲まれて質問攻めに遭うわ。その上リュシアン様と戻ったりしたら……。うう。想像しただけで胃が捩じ切れそう)
リュシアンの特別な女性が誰なのか躍起になって探されている今の状況では、余計に注目を浴びることは避けられない。
(今朝だけで一生分の注目を浴びた気分よ。これ以上は心臓がもたないわ。それに、リュシアン様もご自身の状況を把握しているはず)
ご厚意はありがたいが、素直に受け取れない事情がある。それに思い至ればすぐに納得して身を引いてくれるだろう。
そう思って気楽に構えていたが、予想が外れた。いつもこちらを慮って譲歩してくれるリュシアンは、黙って不満げなオーラを漂わせている。
「あの、リュシアン様……?」
戸惑いながらリュシアンの顔色を窺うと、彼はなぜか拗ねた様子で視線を逸らした。
「……なぜオレはだめなんだ?」
「えっ?」
「……殿下のエスコートは受けたのだろう」
「ええっ!?」
エミリーは驚愕した。
(いやいやいや。さすがに殿下のエスコートは断れません!)
いくら在学中身分を問わないといっても、王太子殿下のお誘いを断る選択肢などありはしない。しかし、ヴィクトルの目前でそれを口に出すのはさすがに憚られた。
上手い説明が思い浮かばず、軽いパニックに陥っていると、リュシアンは悔しそうに拳を握ってエミリーを見据えた。
「君の事情もオレを取り巻く状況も理解しているつもりだ。君が殿下のエスコートを断れない立場にあることも知っている。――だが、理屈で割り切れない。
本当はオレだって人目を気にせず君に声を掛けたいのに、できない。隣に並ぶことさえ拒絶される。友人なのに。意地悪なのはエミリーの方じゃないのか?」
むすっと抗議するリュシアンが、仲間外れにされて機嫌を損ねた子犬のようでとても可愛い。うっかりキュンとしてときめきの矢に撃ち抜かれたエミリーは、動揺を誤魔化すように咳払いした。
「リュシアン様、誤解しないでください。私はリュシアン様のことを大切な友人だと思っています。ただ、周りに騒がれたくないだけなのです。私の至らなさでご不快な思いをさせてしまい、申し訳ございません。どうかお許しいただけませんか?」
己の胸に両手を重ね、誠実に許しを請う。するとリュシアンの纏う空気が一気に凪いだ。
「……すまない。わがままを言った。君を困らせたくはないのに、なぜか君のことになると感情のコントロールが難しい。謝るのはオレの方だ。身勝手な言い分を押し付けて申し訳ない」
「いいえ、リュシアン様が私との交流を大切に思ってくださって嬉しく思います。私も友人としてリュシアン様と共に過ごす時間を心待ちにしていますよ」
親しみを込めた笑顔を向けると、自己嫌悪で『ずぅーーーん』と暗雲を背負い始めていたリュシアンの瞳が、ぱぁああっと輝きを取り戻す。まるで見えない耳がぴょんと立ち、尻尾がパタパタしているようでとても可愛い。
内心床に転がって身悶えていると、背後から「ぶふっ」と吹き出す声がした。まさかのヴィクトルだった。
「ブラン嬢。君のおかげで面白いものを見せてもらった。私もまた君と話す機会を楽しみにしているよ」
「!? み、身に余る光栄です」
「殿下との話はもう終わったのだろう? 早くしないと授業に遅れるぞ」
リュシアンの忠告に促され、慌てて生徒会室を出た。同じく廊下に出たヴィクトルに淑女の礼を取り、お暇する。
走らずも急ぎ足で教室に戻るエミリーの後方にて――
余裕の微笑みを浮かべるヴィクトルに、リュシアンが牽制の眼差しを送っていたことなど、知る由もなかった。




