第194話 揺籃アイデンティティ③
ミユキはフガクが深い眠りに落ちたのを見届けた。
フガクの額に触れる魔女メハシェファーを、ミユキは複雑な想いで見ていた。
ここはメハシェファーの寝室で、彼女のベッドで眠りにつき、彼の肌には指が触れている。
単純に彼の恋人として嫉妬心が無いと言えば嘘になる。
しかも相手は、不気味なほどの美貌を称える、敵か味方かも分からない女だ。
「……ずっと触れていなければならないんですか?」
「いいえ、彼が”夢”を見始めたなら、後は目覚めるのを待つばかりです」
メハシェファーはこちらを見ない。
この部屋からは、ひどく女の匂いがした。
甘ったるく、脳を蕩かすような妖しい香りだ。
こんなところに、フガクと彼女を二人きりにしておきたくない。
そんなミユキの心を見透かすかのように、メハシェファーはミユキの顏を見つめる。
「……あちらの椅子をお使いになって。不安ならば、傍らで見守るのもよいでしょう」
思いのほか親切に、座って待ってたら?と促してくれた。
ミユキはこくりと頷き、椅子を2つ持ってベッドの傍らに置いた。
一つは彼女の分だ。
「……フガクくんは、どうなったんですか?」
「眠っているだけです。脳の奥にある記憶を整理し、夢を見るように過去の記憶を知るでしょう」
ミユキは椅子に座ってフガクの表情を見る。
少し苦し気で、額に汗が滲んでいる。
呼吸が浅く、指先もかすかに震えているように見えた。
悪夢にうなされているような顔だった。
苦しんでいるのではないか、ミユキは心配になる。
同時に、ミユキは胸の奥に渦巻く不安を、メハシェファーに見せないようにするので精いっぱいだ。
彼が魔王の記憶を知った後にどうなるのか、誰にも分からない。
もし彼が目覚めたとき、本当に魔王になっていたら。
”勇者を殺す者”になっていたら。
そう思うと、ミユキは本当は今すぐにでもフガクを叩き起こしたかった。
本音を言えば、魔王の記憶なんてどうだっていい。
彼がただ傍にいてくれれば。
そんな人生が、この先も続いていくのなら。
だが、それが難しいことも知っていた。
フェルヴァルムとの決戦のためには、どうしても魔王のことを知る必要がある。
アリシアの言う、魔王の呪いとは何か。
どうすれば呪いは解けるのか。
分からないことだらけだ。
今はただ、祈ることしかできない。
彼がまた、その笑顔を自分に向けてくれることを願いながら。
「フガクくんが、魔王の記憶を取り戻したらどうなるんですか……?」
たまらず、ミユキはメハシェファーに尋ねる。
強がって、必要なことだとうそぶいて、記憶を取り戻す選択を促したって結局自分はこんなものだ。
不安で不安で仕方ない。
彼はきっとまた笑顔で戻ってきてくれると信じているけれど、それも"もしかしたら"が拭えない。
ミユキの問いに、メハシェファーはようやく手を離してこちらを見下ろした。
その目に感情は無く、口元にだけ貼りつけたような笑みが滲んでいる。
「さあ。全ては魔王様の御心が決めることです」
彼女にも分からないということか。
ミユキは、ようやく眠りに落ちたように穏やかに瞳を閉じているフガクに視線を移す。
ただ待つしかないのだろう。
コンコンッ
その時、メハシェファーの部屋の扉を誰かが叩いた。
「エリィね。どうぞ」
ノックの仕方などで分かるのだろうか、メハシェファーの声に扉を開けて入ってきたのはエリエゼルだった。
「お母様、失礼いたします。こちらにミユキさんがいらっしゃると伺いましたが……」
「は、はい!」
エリエゼルの視線が、ミユキに向かう。
ミユキは慌てて立ち上がった。
「ミユキさん、お約束のお茶の用意が整いましたが……ご都合はいかがでしょう」
エリエゼルは朝食の際に言っていた”お茶”の準備をしてくれたらしい。
もちろん平和にお茶を飲むだけの会だとは思っていない。
ヴァルターとの戦いの話を聞かせてほしいというエリエゼルの望みだが、それにはこちらを値踏みする意味もあるのだろうと考えていた。
しかし、今ミユキはフガクの様子が気にかかる。
チラリとベッドの上で静かな寝息を立てるフガクを見て、ミユキはどうするか迷った。
「……お取込み中でしたかしら」
エリエゼルが首を傾げた。
このまま横で見ていてもいいが、世話になっているだけのエリエゼルの頼みも無下にはしにくい。
「私がここにいますから、ご心配なく」
メハシェファーはそう言ったが、それが一番心配なのだ。
二人きりにさせてもいいものだろうか。
フガクは眠っているのでおかしなことにはならないだろうが、どうにもこのメハシェファーという女性は彼に距離が近い。
魔王とやらとの距離感もこんな感じだったのかは分からないが、恋人としては気が気でなかった。
「……では、少しだけ」
ミユキがエリエゼルに歩み寄ると、彼女は嬉しそうに顔を綻ばせた。
これがただ友人とお茶会をするだけだったなら、とても健気でミユキにとっても喜ばしい反応だ。
だが、そうではないと分かっているだけに複雑だった。
「フガクくんのこと、よろしくお願いします」
「ええ、もちろん」
メハシェファーの声音は妙に甘く、囁くように響いた。
その柔らかさこそが、ミユキにとって一番の不安の種だった。
ミユキは魔女の伏魔殿を後にする。
扉が閉じる直前、メハシェファーの微笑が視界に残り、胸の奥に冷たいざわめきを落としていった。
そして廊下を歩くエリエゼルの小柄な背中を見ながら、ミユキはもう一つの不安を感じていた。
せめて、この公爵令嬢と命のやり取りに発展しなければいいのだがと。
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