第190話 星眼の魔女②
「……ノルドヴァルトでヴァルター様を斬られた方がいらっしゃるとか。どなたかしら?」
エリエゼルの放った一言が、食卓を凍り付かせた。
ヴァルターを斬ったミユキはと言えば、口にパンを放り込む寸前で固まっている。
エリエゼルの表情はワクワクとドキドキでいっぱいという感じで、不穏どころではないプレッシャーがこちらに向けられていた。
「咎めようという話ではなくてよ。わたくし、あのヴァルター様が敵の手に落ち、しかも斬られたと聞いてとても胸が躍ったの。一体どのような方が、あの剣帝閣下に刃を突き付けたのかしらと」
エリエゼルは頬に手を当て恍惚の表情を浮かべている。
先ほどまでの完璧なレディの顔は鳴りを潜め、いや完璧なレディのままヤバいことを言っているのだ。
俺はミユキに視線を向けると、彼女は観念したようにパンを口に放り込んで咀嚼しながら、小さく顔の横に手を挙げた。
「私……です」
「まあ!」
エリエゼルは上品に、それでいて飛び上がりそうなほど嬉しそうな顔をした。
ヤバいヤバい。
何でそんな表情になるのかが、俺には全く理解できなかったからだ。
「貴女、お名前は何と仰るの?」
「ミユキと申します……」
「そう、ミユキさん。貴女、素晴らしいですわ」
何が素晴らしいんだ。
俺は、エリエゼルの興味関心を引いてはならないというアレクシスの言葉が、ようやく胸に沁み込んできた。
よもやミユキと手合わせなんて話にならなければいいが。
「ヴァルター様はわたくしもノルドヴァルトに通っていたころ、剣術をご教授いただいたの。本気でお手合わせいただける機会は、卒業まで終ぞ無かったけれど」
「……そ、そうですか。でも、私も本当にたまたまです。運に恵まれただけですので……」
ミユキは言葉を選びつつ、エリエゼルを刺激しないように当たり障りのないことを言っている。
しかし、エリエゼルは興味深そうにミユキをまじまじと見ていた。
「ミユキさん。貴女さえよければ……」
「は、はい……」
来た。
駄目だ、斬り合いだけは受けちゃいけない。
あんな凄絶な剣舞を行うエリエゼルと戦えば、ミユキだってただではすまないだろう。
俺は思わず声をあげそうになったが、エリエゼルから出て来たのは意外な言葉だった。
「あとでわたくしとお茶をご一緒してくださらない? ぜひ色々とお話を伺いたいわ」
「え……?」
お茶ですか。
斬り合いじゃないのはよかったが、若干まだ不安は残る。
ミユキは意外な言葉に呆けた声を出してしまっていた。
「ご迷惑だったかしら」
ただ俺には、ほんの少し伏せられたまつ毛の影が、不思議と獲物を逃がすまいという網のようにも見えた。
ミユキはハッとなって慌てて顔の前で手を振る。
「い、いえ! お茶であれば、大歓迎です」
「そう。でしたら、お昼からお声がけいたしますわね。楽しみにしているわ」
嬉しそうに頬を緩ませるエリエゼルに、ふぅと息を吐く俺
ただその笑顔は、真綿で首を絞められるような圧迫感が伴っている気がした。
「エリエゼル様。私、ミク義姉さんとどのような学生生活を送られたのかぜひお伺いしたいです」
ティアは話題を逸らすためか、ミユキに助け舟を出すようにしてそう切り出した。
そこからは、エリエゼルはミクローシュ、アポロニアらとの学生生活における思い出話を聞かせてくれた。
何とか話題を逸らすことに成功したようだ。
だが、俺の視界の端に映ったエフレムの顔が、ややピリつき頬に一筋汗が零れたことが気にかかった。
それがまるで、ミユキの未来を案じているかのように見えたのは、俺の気のせいだったのだろうか。
―――
朝食後、俺たちはメハシェファーに話が通るまでの間応接室を待機場所として与えられた。
エリエゼルとエフレムも午前中、王国軍人としての仕事もあるとのことで一旦俺達とは分かれることになる。
俺は高そうな調度品や絵が飾られた応接室を出てトイレに向かった。
廊下をいくつか曲がった先のトイレで用を足し、再び長い廊下へと戻る。
途中飾られた絵に描かれた人物の目が、何となくこちらを見ているような気がして気味が悪い。
そもそもこの屋敷には大勢の使用人がいるはずだが、客に見えないようにしているのかほとんど姿を見かけることが無い。
隣の部屋にシエラや他の使用人が控えてくれているようだが、目に見えるところには誰もいなかった。
人気が無く静けさに満ちた屋敷内は、見た目以上に広く不気味に見えてくる。
「あ」
俺は大理石の敷かれた床でピタリと足を止める。
そう言えば、玄関ホールにかけられた肖像画のことを思い出した。
真っ白い布がかけられており、どんな絵なのか見えなかったのだ。
メハシェファーの敬愛する女神の絵とのことだが、果たしてどんな女神だろうか。
俺は記憶もおぼろげな、俺をこの世界に誘った女神のことが頭を過ぎる。
それから応接室の前を通り過ぎ、真っすぐ廊下を歩いた先の扉を開けて玄関ホールへと赴いた。
「どれどれ……」
俺は階段下まで歩いていき、2階の壁にかけられた肖像画を仰ぎ見る。
額縁は黒檀に銀色の縁取りがされ、高さは2m以上もある巨大な絵だ。
すると。
「えっ……」
俺は思わず驚きの声をあげてしまった。
そこに描かれていた女神の姿に、俺は見覚えがあった。
真っ赤な玉座に腰掛けるその女神は、毛先が赤い白髪と真っ赤な爪、そして血の色をした唇が生々しい輝きを放っていた。
漆黒のドレスをまとい、赤い口元を吊り上げて笑うその女は、かつてエフレムと戦った時に垣間見た記憶の中にいた女だ。
そして、俺をこの世界に放り出したあの女神■■の姿を彷彿とさせ……。
「ネメ……シス……?」
額の縁には古めかしい文字が浮かび上がっていた。
“Majesty Nemesis”。
光に照らされると、その刻印は血のような赤に染まり、まるで絵そのものが生きているかのように蠢いて見えた。
玉座に座す女神の瞳に見下ろされるだけで、胸の奥を鷲掴みにされるような圧迫感が走り、思わず膝を折りそうになる。
額縁から発せられる赤黒い輝きは、まるで聖堂のステンドグラスを通して降り注ぐ陽光のようでありながら、同時に裁きを下す神罰の光のようでもあった。
ただの絵画であるはずなのに、そこに在るのはもはや“絵”ではなく“御神体”だった。
「……美しいでしょう。私の神は」
隣に突如立った女の声に、俺は叫び声をあげそうになった。
髪もシルエットもひどく細長い長身の女で、少女のようでもあり、怪物のようでもある。
床まで届きそうな漆黒の髪を揺らすことなく、そこに立って肖像画を見上げる彼女は、紫色のドレスと甘ったるい匂いを身にまとっていた。
青白い肌に黒い化粧の施された目元は病的で、妖怪の類ではないかと思ってしまう。
ただ、俺はティア達から話に聞いて知っていた。
「あなたは……」
俺の呟きと同時に、彼女の唇がほんの僅かに動いた。
吐息と共に紡がれる言葉は、鐘の音のように澄んでいながらも低く掠れ、囁きがそのまま耳の奥へ直接触れてくるかのようだった。
「お待ちしておりました、私の魔王様……」
メルエム=メハシェファー。
妖しい色香を纏う魔女の王は、胸の前に手を当てて恭しく頭を垂れた。
甘い匂いを孕んだ息が、耳朶をかすめる。
呼吸が頬にかかる距離まで迫られているのに、彼女の衣擦れは一切響かず、ただ声と香りだけが全身を包み込んでいた。
冷たくもしなやかな絹のような声音に、喉が勝手に鳴り、背筋が痺れるように震えた。
俺はギョッとなって一歩後ずさる。
「え? え? いや僕魔王じゃないです!」
声は裏返り、喉が勝手に鳴っていた。
冷や汗が背中を伝い、シャツがじわりと張り付く感覚が妙に生々しい。
心臓は拳で内側から叩かれるように跳ね上がり、呼吸は浅く早くなる。
口の中が乾ききり、言葉を続けようとしても舌がうまく動かない。
まるで自分の身体すら制御できなくなるような、圧迫感だった。
メハシェファーの紫色の大きな瞳が、ギョロリとこちらに向けられた。
美しい女性だが、その目はとても不気味だった。
視線だけで呪われそうな、あるいは心の奥を見透かされてかき乱されそうな、そんな如何ともしがたい迫力があった。
「……そうですか。ですが、メルには分かります。貴方は確かに魔王様の権能を宿したお方」
ドキリと心臓が跳ね上がった。
俺の魔王の力のことがバレている?
何故分かるのだ。
俺は『魔王の瞳』を使い、彼女のスキルを覗き見た。
――――――――――――――
▼NAME▼
メルエム=メハシェファー
▼AGE▼
529
▼SKILL▼
・精神干渉 S
・魔女王のカリスマ S
・雷魔法 S
・星見の瞳 S
・魔女 SS
――――――――――――――
「ごっ……!?」
529歳というデタラメな数字に、俺は自分の目を疑った。
アリシアが先日言っていた。
メハシェファーは悠久の時を生きる老獪な魔女だと。
それは比喩でも何でもなく、本当に永き時を生きる人物ということだったのか。
「今日、貴方様が此方を訪れることは分かっておりました。私の『星見の瞳』は星座を仰ぎ見るが如く、運命を視るものですから」
スキル『星見の瞳』。
一体彼女には、こちらの何が見えているのだろうか。
そして俺が何者であるのか、彼女にはもう分かっているというのか。
ならばと、俺はあらゆる説明をすっ飛ばして、気になっていることを訊いてみることにした。
「僕は……魔王の眷属なんですか?」
俺は誰なのだ。
何故魔王の力を持ってこちらの世界に来たのか。
メハシェファーはその答えを知っているのだろうか。
俺の言葉に、メハシェファーは少しだけ目を見開き、やがて細めて俺を見下ろした。
「”眷属”はある意味では正しくとも、貴方様の本質ではありません」
俺は、魔王の眷属ではない?
では何だというのだろう。
俺の中にある『魔王の瞳』は、魔王の持つ力ではないのか。
「じゃあ、僕は一体誰なんですか。僕の中にある記憶は……」
俺が時折見る記憶も、魔王のものでなければ何だというのだ。
しかし、俺は次の瞬間メハシェファーの口から出て来た言葉に、さらに驚愕させられることになる。
「貴方様は魔王様の半身、権能の一部を譲り受けた魔王様そのものなのです」
「なっ……!」
俺は頭の中が真っ白になり。
心臓の音だけが耳の奥で轟いていた。
驚く俺をまるで無視して、メハシェファーは熱を帯びた視線で俺の瞳を覗き込む。
鼻先が当たるほどの距離から、脳を蕩かすような甘い香りが漂ってきてクラクラした。
「嗚呼、我が神ネメシス。メルは……400年、ご帰還をお待ち申し上げておりました―――」
そう言って目を細めたメハシェファーの瞳には、恐怖と戸惑いを満面に浮かべた俺の顔が映っている。
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