第189話 星眼の魔女①
フレジェトンタの町に入り、馬車を走らせること15分程度。
馬車はやがて町の奥、丘の上に広がる大きな館の前で止まった。
黒い尖塔の屋根が幾重にも連なり、空に向かって鋭く突き刺さるその姿は、まるで闇夜の王冠のようだった。
外壁は白灰色の石造りであるにもかかわらず、ところどころ黒ずみ、絡みつく蔦がまるで血管のように壁面を覆っている。
黒や紫など、シックな色合いの薔薇が咲く前庭を抜けると、早朝にも関わらず多くの使用人がエリエゼルの帰りを出迎えた。
その光景に圧倒されながら、俺達も馬車を降りる。
館の正面玄関には、黒檀の大扉がそびえている。
両脇の柱には獣の浮彫が施されていたが、光と影が交錯することでその表情は笑っているのか泣いているのか判別できない。
そして扉の上には銀で象られたガレオン公爵家の紋章が輝き、その下を通る者を冷ややかに見下ろしていた。
「応接室へ……いえ、食堂の方がよろしいかしら。ギュスターヴ、皆様に朝食をご用意して差し上げて」
「かしこまりましたお嬢様」
確かに少し早いが朝ごはんの時間ではある。
エリエゼルがギュスターヴにそう指示をすると、玄関前で出迎えてくれた使用人たちは素早く屋敷内へ入っていく。
玄関ホールの床は大理石で覆われ、2階へと続く巨大な階段のあるいかにも洋館といった様相だった。
正面の階段の上、踊り場の壁には巨大な絵が飾られているのか、白い布で覆われた端から少しだけ黒い額縁が見えている。
「あちらは我が主、メルエム様の敬愛する女神の肖像画が飾られております。夜はこうして布をかけてお休みになっておりますが、間もなくそのお姿を現します。ぜひ後ほどご覧ください」
絵が気になっていた俺に、ギュスターヴがそう説明してくれた。
天井まで数m程度あるが、そこに届きそうなほど巨大な額だ。
一体どんな女神が描かれているのだろうか。
俺達はエリエゼルや数名のメイドと連れ立って、屋敷の廊下を奥へと進んでいった。
磨き上げられた床には靴音がやけに反響する
「エリエゼル様、お気遣いありがとうございます」
成り行きで朝食までご馳走になれるので、ティアが代表してお礼を言っている。
「とんでもないことだわ。わたくしが無理にお連れしたのだし。皆様は王都からいらしたの?」
「はい。途中ツェリナに寄ってから参りました」
「そう。長旅でお疲れでしょう。ゆっくりしてらしてね」
ティアと話しながら、俺たちは大理石が敷かれた薄暗い廊下を歩いていく。
通路の途中で、部屋に戻るのかエリエゼルはメイドを一人伴って別れることになった。
「わたくしも着替えを済ませたら伺うわ。シエラ、皆様をご案内して」
「はい、お嬢様」
俺達を案内するのは、シエラと呼ばれるメイドが行うことになった。
褐色の肌に紫の瞳、明るいブラウンの髪を短く切り揃えた若いメイドだった。
ただ立ち振る舞いはキビキビとしており、古参の使用人という風格も漂っている。
「皆さまはこちらへどうぞ」
アポロニア邸やシュルト邸、カフカ邸などこれまでいくつかのお屋敷にご招待いただいた俺達だが、このメハシェファー邸はそのどれよりも厳格な雰囲気がある。
使用人たちの動きには一切の無駄が無く、練り上げられた兵士のような整然さがあった。
「うわ、すご!」
部屋に入ると、レオナが思わず感嘆の声を挙げていた。
俺達が通された食堂は、20人程度が向かい合って座っても余裕がある巨大な長テーブルが鎮座している。
両端には高い背もたれの重厚な黒檀の椅子が並び、シワ一つない真っ白なテーブルクロスがピッチリと角を作ってテーブルにかけられていた。
「御伽ばなしの世界みたいだね」
黒みがかった赤いベルベットのカーテンが開かれた窓は、天井までゆうに7~8mはあり、朝の光を室内に静かに取り込んでいる。
窓の向こうには、前庭と同じく黒や紫の薔薇が咲き誇る庭が見えた。
「朝食をご用意いたしますので、今しばらくお待ちくださいませ」
室内の広さ、豪華さに圧倒されている俺達に、シエラは深く頭を下げて扉の横に控えた。
その表情はどこか誇らしげだ。
室内には他にも2名ほどメイドがおり、ティアとミユキは案内されるまま席につく。
俺もレオナと共に慌ててそれに続いた。
部屋が豪華すぎて逆に落ち着かない中、ほどなくしてエリエゼルが現れた。
先ほどとは少しだけ意匠は異なるが、またも黒いドレスを着ている。
「お待たせいたしました」
さらにその後ろからは、エリエゼルとは真逆の白いドレスを着たエフレムが入ってくる。
彼女は俺達の、特にティアの顔を見るなり口には出さないが「げっ!」という顔をした。
「あ、エフレム」
ティアが微笑んで彼女を出迎える。
「な、なぜあなた方がここに……」
エフレムは口元を引きつらせ、しかし姉の手前あまり辛辣な言葉も吐けないのか狼狽えている。
彼女の質問に、優雅に席に着くエリエゼルが応えた。
「わたくしがお誘いしたの。今朝”お掃除”に出たのだけれど、彼らがわたくしを助けようとしてくださって、お礼をしたいと思って」
あの殺戮を”お掃除”と言うのかこのお嬢様は。
ただ、あの場に何故エリエゼルがいたのかは、今の言葉で何となく分かった。
さしずめ公爵令嬢として、領内の治安維持のためのパトロールといったところだろう。
この災害級の怪物に遭遇してしまった哀れな山賊たちは、みんな仲良くなます切りにされてしまった。
「お姉様を……助ける……? それはまた奇特、いえ感謝します……」
エフレムは信じられないといった顔になったが、姉の顔色を見てすぐに言葉を改めていた。
「まさかあなたに会えるなんてね」
ティアはどこか嬉しそうに言った。
その言葉に、エフレムはため息をつく。
「私は起き掛けにあなたの顔を見て、目が覚める思いです」
「エフレム、お客様をお待たせしていてよ。早く席にお座りなさいな」
「は、はい……申し訳ありません」
入口に立ち尽くしたままティアのような皮肉交じりの言葉を放っていたエフレムが、姉に叱られていた。
それだけで、二人の関係性が分かるというものだ。
「あなたがお友達に会えてはしゃぐ気持ちも分かるけれど」
「い、いえそのようなことは……」
もう完全に子ども扱いだ。
きっと子どものころから姉に頭が上がらないのだろうなと察せられた。
「エリエゼル様、メルエム様もいらっしゃるのですか?」
ティアが尋ねる。
エフレムが来たということは、屋敷の主であろうメハシェファーも一緒に朝食を摂るのだろうか。
「いいえ、お母様は晩餐以外にはおいでにならないわ。何かお母様に御用がお有りでして?」
「ああいえ……実は私たちメルエム様にご相談したいことがあって、フレジェトンタに来たんです」
「まあ、そうでしたの。では、あとでわたくしからお伝えするわね。どのようなご用件ですの?」
ティアが俺の代わりに用件を伝えてくれた。
話が早くて助かる。
本当なら宿探しにアポ取りと、色々と手間がかかる工程が待っていたからだ。
あの惨劇の場所にエリエゼルがいてくれてよかった。
「あ、用があるのは僕なんです。実は過去の記憶のことで相談があって……」
「記憶? そう……それは確かにお母様の領分ですわね。よくってよ、ご相談に乗ってくださると思うわ」
おお、意外と好意的だ。
見たところかなりの大貴族のようだし、簡単に会えるとは思っていなかった。
俺がホッと胸を撫でおろしたところで、朝食が運ばれて来た。
「これは……」
一人ひとりの前に並べられた皿は決して多くはない。
だが、その一品ごとに漂う気配は、宮廷の食卓にも劣らぬ格を備えていた。
雪のように白い皿に置かれているのは、まだ湯気を立てる焼き立てのパン。
表面は薄く光沢を帯び、切り分けると中からふんわりとした香りが立ちのぼる。添えられたバターは琥珀色に澄んでおり、滑らかに溶けていった。
深い瑠璃の器には、淡い緑色のポタージュ。
庭で摘まれた薬草と朝摘みの野菜を煮込んだものという解説と共に置かれ、澄んだ香りが鼻に抜ける。
さらに、銀の小皿に盛られた果物。
葡萄や林檎など見慣れたものもあるが、中には紫水晶のように透き通った小さな果実や、鮮烈な香りを放つ柑橘も並び、まるで宝石箱のようだった。
「綺麗ですね……」
「うん……こんなの初めて見た」
ミユキも感嘆の声を挙げている。
決して贅沢を誇示する量ではない。
だが一つひとつが選び抜かれた品であり、朝というひとときを清めるかのように、静謐な空気の中で供される美しい朝食だった。
「おいしそー! いっただきまー……」
レオナが早速スプーンを手にスープをひと掬いしようとしたところ、食事を前に祈りを捧げるエリエゼルとエフレムの姿が視界に入った。
俺達は彼女らの祈りが終わるのを待つ。
ティアは元々聖庁でやっていたのか、彼女らに倣って同じように祈りを捧げている。
その光景に、さすがのレオナも一旦スプーンを置いて空気を読んだ。
「お嬢さん、お待たせしてごめんなさいね。どうぞ召し上がって」
「は、はーい……」
お祈りが終わり、エリエゼルが柔和な微笑を口元に称えてレオナにそう促した。
気遣いも完璧な、本当に嫌みなところが一つも無いレディだと思った。
むしろさっき俺達が見た、暴風みたいなエリエゼルの姿こそ夢か何かじゃないかと思えてくるほどだ。
「うんまっ! 何これ!」
「レオナ、もう少し静かに食べなさい」
「いやだって! めっちゃ美味しいよこれ」
ティアがたしなめているが、正直気持ちは分かる。
俺もその緑色のスープを口に含んだ瞬間、鼻を通り抜ける薬草と香辛料の香りや、遅れてやってくる旨味の奔流で思わず目を見開いてしまった。
見た目にとんでもなく贅沢というわけではないが、料理としての格は間違いなく一級品だ。
「ふふ、いいのよ。食べ盛りだものね。エフレムが貴女くらいのころを思い出すわ」
「お、お姉様!」
エリエゼルとエフレムの会話を見ていても仲睦まじい姉妹といった感じで、強制的にノルドヴァルトに妹を放り込んだとは思えない。
それだけに、エリエゼルの考えがいまいち読めず不気味でもある。
ちなみに思いっきり子ども扱いされているレオナだが、食事に夢中で特に聞いていないようだった。
「エフレムはノルドヴァルトが休校しているからこちらに戻ったの?」
「ええ……というより、お姉様にお許しいただき私の罰、いえ就学期間は終わったので」
「そうなの」
ということは、エフレムもノルドヴァルトを去ったということか。
アギトやバロックもいなくなったし、俺たちのクラスはもうほとんど人が残ってないな。
「学院の憂いも晴れたものね」
エリエゼルは何でもなさそうにそう言った。
なるほど、エリエゼルはそもそも学院で起きていた問題解決のためにエフレムを送り込んだのかもしれない。
ティアも俺達のお別れ会のときにエフレムからそんな話を聞いていた。
「ところで……」
エリエゼルが柔和な表情を浮かべたまま、ポツリと言った。
俺の背筋に緊張が走る。
何ということも無い呟きのはずなのに、どうにも嫌な予感と不穏な気配がしていたからだ。
「……ノルドヴァルトでヴァルター様を斬られた方がいらっしゃるとか。どなたかしら?」
口元には微笑だが、明らかに嬉々とした目の色をしている。
ああ、エリエゼルは本当はこれを訊くために俺達をここに呼んだのかもしれない。
俺はチラリとミユキに視線を移す。
彼女は小さくちぎったパンを口に含もうとしたまま動きを止め、その頬を一筋の汗が流れていった。
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