第185話 旅の小休止②
「ああ……生き返るー……」
ティアは公衆浴場の女湯にて、岩で囲われた風呂へ肩までざぶんとつかりながら、気の抜けた声をあげた。
木の屋根で覆われているので空はあまり見えないが、一応露天なので爽やかな風が頬を撫でて心地よい。
最後に風呂に入ったのは2日半も前。
もはや自分の精神は限界に達していた。
切実な泣き言を言っていたところ、フガクが宿探しを引き受けてくれたのでミユキと二人先に風呂に来ることができたのだ。
「ええ……フガクくんとレオナに感謝ですね……」
ミユキも隣で胸のあたりまで湯につかり、岩を枕にして幸せそうな顔をしていた。
二人で服を脱ぎ捨てるように裸になり、丹念に体と髪を洗ったのち現在湯舟で命の洗濯中である。
この2日間の汗と汚れとストレスと何か色々なものが、すべてきれいさっぱり洗い流されていくようだった。
「お風呂で悩むのはゴルドール以来だもんねー……」
「騎士学院も、シュルトさんやマティルダさんのお屋敷もシャワーがありましたもんね……」
二人は横並びに気の抜けた会話を繰り広げていく。
湯船につかるという行為自体はかなり久しぶりで、それもまた二人の心身をリラックスさせている要因の一つだ。
冒険者としては毎日風呂に入らないと気が済まないというのはかなり贅沢なのだが、そこは二人とも絶対譲れないと豪語している。
「フレジェトンタでもお風呂入れるといいですね……」
「宿くらいあるでしょさすがに……」
「ティアちゃん知ってますか? ゴルドール北部のアダブは温泉地だそうですよ……いいですよねえ、温泉」
「温泉いいねえ……みんなでいつか行きたいねー……」
別に観光名所を巡る旅ではないのだが、そのくらいの楽しみがあったっていいだろう。
温泉地という響きに、ティアはいつか行きたいものだと想いを巡らせる。
ちなみにここは沸かしたお湯を岩風呂に流し込んでいるだけなので、温泉ではない。
「ふぅ…にしても、ミユキさんって……」
「え? なんですか?」
マジマジとミユキの身体を見るティア。
自分もなかなか肉付きが良く女性らしい身体つきだとは思うが、ミユキには負けるなと思った。
その長身と脚の長さは素直に羨ましいし、均整の取れたボディラインはまず美しさを感じられる。
「キレーな身体してるよねー」
「そ、そうですか……? ありがとうございます……でも恥ずかしいのであまり見ないでいただけると……」
そこかしこに傷痕は見られるが、それよりもうっすらと見える筋肉が実に整然としている。
お湯に浮かぶ双丘の形も見事だし、さすがにこのレベルになると同性ながら思わず見とれてしまうような肉体だった。
「これがフガクのものになるんだね」
「ッ! な、何言ってるんですか!」
「だってそうでしょ。あーあ、いいなあ」
「誰目線なんですか! テ、ティアちゃんこそ素敵だと思いますっ! 」
「お褒めの言葉ありがとう」
ティアも我ながら良い身体をしているとは思っているが、ちょっとジャンルが違う。
ティアはミユキの”これ”を間近で見られることに、フガクに若干の優越感を感じた。
「よっしゃあお風呂お風呂! いえーい!」
ガララッ!と扉を開けて全裸ダッシュでレオナが浴場に入ってきた。
ザッパーン!!!と、飛沫を盛大にあげながら風呂に飛び込んでくる。
ティアもミユキも頭からお湯をかぶる羽目になった。
「こらー! レオナ先に身体洗ってきなさい!」
お転婆を通り越してマナーに真っ向から喧嘩を売るスタイルに、思わず声を張り上げてしまう。
せっかくいい気分でお風呂に入っていたのにうるさいのが来たなと思った。
「いいじゃん他に客もいないんだし。何々? ミユキのおっぱい揉んでいいって話?」
「いいわけないです! そんな話は金ッ輪際ありません!」
「減るもんじゃないのに」
「擦り減ります! 私の気持ちが!」
何とかレオナをお湯から追い出し、すぐ後ろにある洗い場へ向かわせる。
ため息をつきつつも、レオナがここに来たということは、宿は無事に見つかったということだろう。
それについては、まあ礼を言っておくべきだ。
「レオナありがとう。宿見つかったんだね」
「あー、うん。でも宿は満室だったから、色々あって教会に泊めてもらうことになったよ」
レオナがツインテールを解いた頭をシャンプーでワシャワシャ洗いながら言った。
色々の部分が気になるが、まあいいだろう。
とりあえず今日はまともな部屋とベッドで寝られそうだ。
「フガクくんもお風呂に来てますか?」
「一緒に来たよー。おーいフガクー! そっちいるー?」
大声を上げ、木の壁で高く仕切られた向こうにある男湯に声を投げつけている。
恥ずかしいからやめてほしいと思った。
「ありゃ、いないのかな?」
「大きい声出すの恥ずかしいんでしょ」
「そうですよ。他のお客さんの迷惑ですから、駄目ですよレオナ」
「フガクー!! ミユキとティアの身体すっごいよー! ナイスバディ!」
バシャーンッ!と向こうから音が聞こえてきた。
これはいるなと思ったが、本当にやめてほしい。
フガクだけならともかく、他の男性客に聞かせるようなものではない。
「フガクー!! あとでどんなだったか教えてあげブハッ!」
「やめなさい!」
「絶対ダメですからね!」
いい加減にしなさいと、ティアはミユキと一緒にレオナに洗面器で思いっきりお湯をぶっかけた。
いくらフガクでもさすがに恥ずかしい。
ティアは何だか結局3人で風呂に入る方が疲れそうだなと、隣に一人でいるであろうフガクを少し羨ましく思った。
―――
「フガクー!! ミユキとティアの身体すっごいよー! ナイスバディ!」
とまあ、女湯の会話全て丸聞こえの俺。何やってんだか。
で? どうすごいの? めちゃくちゃ気になるんですけど。
思わずステーン!とこけて風呂に飛び込んでしまった。
こちらも他に客はいなかったので恥をかかずに済んだが、一体向こうにはどんな楽園が広がっているのだろう。
思いつつ、俺はミユキの裸を思い浮かべてしまう。
あの肉体美のワガママボディだ。
ノースリーブから覗く魅惑の腋と仄かに見える横乳に、普段どれほど俺が耐えているか誰か聞いて欲しい。
おまけにすれ違ったり、隣に座るたびに香ってくる花のような匂いは、それだけで顔が綻んでしまうパブロフの犬みたいになっているのである。
そんなミユキのいる女湯の光景はさぞ……いやいやいかん。
俺たちはまだ清いお付き合いをしているのだ。
あまり妄想が捗るようなことを考えると後で悶々としてしまう。
俺は心を無にして瞑想の体勢に入る。
「フガクー!! あとでどんなだったか教えてあげブハッ!」
ぜひ。
その後、俺は幾度となく向こう側にいるレオナから「ティアのお尻モッチモチ!」だの「アタシ今ミユキの太ももに挟まれてまーす」だの、実況形式で無駄情報を与えられ、煩悩まみれになった。
こいつ絶対わざとやってるなと、風呂でリフレッシュするどころか精神をすり減らすことになるのだった。
―――
それから俺たちは4人で揃って教会に向かった。
今晩の宿を借りるためだ。
孤児院を併設する教会の中は泊まり込み用の部屋が複数あり、ありがたいことに俺たちは男女で分かれて割り当ててもらえた。
食事は街で適当に買い込み、夕食を済ませた俺たちは今日は早く休むことに決めた。
列車旅からすぐに馬車旅に移行したので、皆多少の疲労は溜まっているだろうとのティアの判断だった。
だったのだが、俺は長湯のせいで眼が冴え、全然眠たくない。
宿泊場所を提供してくれたシスター・カナリアの許可を取り、教会内を散歩することにした。
特に目ぼしいものも無かったので、礼拝堂で夕涼みをしようと訪れる。
光石ではなくろうそくの明かりで照らされた堂内は厳かな雰囲気が漂っており、ステンドグラスから差し込む月明りが神秘的だ。
時刻は夜の20時を回っていることもあり、誰もいない。
と、思っていると、端の方に見覚えのあるシルエットが見えた。
「あれ、ミユキさん?」
礼拝堂のチャーチベンチで、ミユキが腰かけている。
彼女は天窓の代わりになっているステンドグラスを見上げていた。
「フガクくんも夕涼みですか?」
「お風呂入り過ぎて目が覚めちゃってね」
「私もです。あ、お風呂でレオナが言っていたこと、気にしないでくださいね」
そんな無茶な。
彼女が先程まで、レオナ曰く"すごい"身体を晒した姿で隣の浴場にいたかと思うと否が応でも意識してしまう。
ただ、ミユキに冷たい視線を向けられるのも嫌なので、ここは素直に頷いておく。
いや、ちょっと冷たい視線を向けられて見下されたい欲も無いことはないのだが、またレオナに変態扱いされるので黙っておいた。
「隣いい?」
「もちろんです。どうぞ」
十分スペースはあったが、ミユキはわざわざ隣に避けて座り直してくれた。
俺は彼女と肩が触れ合うか触れ合わないかの距離で、同じようにステンドグラスを眺める。
「ティアたちは?」
「レオナはまだ起きてナイフの手入れをしていましたが、ティアちゃんはもうお休みになりました。少しお疲れだったみたいです」
まあ俺達以上に気を張って色々と準備をしてくれているし、王都での連日の対応も結局ティアがメインだった。
彼女も顔には出さないが、それなりに消耗していたのだろう。
「ミユキさんは疲れてない?」
「ええ。私は大丈夫ですよ。フガクくんこそ」
「僕も大丈夫だよ」
「そうですか……」
「うん……」
俺たちは無言になるが、決して嫌な沈黙ではない。
隣に座る彼女から感じられる仄かな体温が、俺の思考を緩ませていく。
喋らなくても居心地のいい関係性だった。
「……ミユキさんは昔、修道院にいたんだよね」
俺はふと、気になることを尋ねてみることにした。
彼女が教会で一人佇む様子は、何というか、”様”になっているように見えたのだ。
特に何をしているわけでもなかったのだが、姿勢や居住まい、そして雰囲気がとてもしっくりくる
「そうですね……この礼拝堂は、私がいた修道院ともよく似ています」
ミユキは幼い頃フェルヴァルムに拾われ、14歳ごろまで修道院で育ったと言っていた。
フェルヴァルムに突如命を狙われることにならなければ、もしかすると傭兵や冒険者になどならず、シスターになったり、別の仕事に就いたりして普通の女性として生涯を送ったかもしれない
それを思うと、俺は彼女の数奇な運命に正直同情せずにはいられなかった。
「ミユキさんはその……どんな子供だったの?」
「……大人しい子供だったと思います。最初は周りの子ともあまり馴染めず、そんな時はシスター……フェルがいつも私を助けてくれました」
フェルヴァルムは、戦災孤児となったミユキをわざわざ助けてシスターになっていると聞く。
そんな彼女がいずれミユキの命を狙うようになるまでに、一体なにがあったのだろうか。
それが魔王の眷属として彼女が辿る運命だったのなら、俺にとっても他人事ではない。
「あ、あと小さなころはアポロニアさんも私とよく遊んでくれました。修道院の思い出は……そんなに悪いものでもありません」
辛い記憶は、きっとそこから始まるのだろう。
ミユキは少し悲しそうな顔で、遠い目をして宙を見上げている。
これ以上先を聞くのはやめておこう。
「いつか、全部が終わったら、ミユキさんの育った修道院に行ってみようか」
「え?」
「ミユキさんがどんなところで育ったのか、見てみたいんだ」
修道院で過ごした幼少期がそこまで辛いものでないなら、いつか全てを笑って語れるようになったとき、彼女の過去を巡る旅もいいかもしれない。
それに俺は単純に、彼女の育った場所にも興味があった。
「……約束が、増えてしまいましたね」
「デートの約束も忘れてないよ? ゴルドールの夜景も」
「はい……フガクくんと一緒にいると、楽しみが増えていきます」
ミユキはそう言って、嬉しそうに微笑んでくれた。
俺は彼女のその表情を見ていると、胸の奥がホッとしてこちらまで気が楽になってくる。
彼女には、この先ずっとそんな顔をしていてほしいと思った。
「……フガクくん。私はフェルヴァルムとの決戦は、そう遠くないと思っています」
「僕も……そう思う」
彼女がいつ、再び俺たちの前に姿を現すのかは分からない。
だが、俺がこんな風に未来の約束を語るのは、もしかすると予感に近い胸のざわめきを感じているからなのかもしれない。
そしてそれは、ミユキもまた同じ気持ちのようだった。
今確かに小さな幸せを感じているから不安になるのか、それとも本当に第六感のようなものがはたらいているのかは分からない。
「私を、未来へ連れて行ってください」
そう言ってミユキは、隣に座る俺の手を握った。
その表情に怯えはない。
わずかに赤らんだ頬は、きっとお風呂で温まったからだけではないだろう。
「うん、約束だ」
俺はその手を握り返した。
俺たちはそれから、しばらくその場で一緒の時間を過ごし、俺は先に眠るために部屋に戻ることにした。
今この胸にあるのは、わずかな不安と彼女と共に過ごす未来への希望だ。
フェルヴァルムとの決戦は近い。
ミユキの言うように、俺は”その時”が近づくのを確かに感じていた。
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