第179話 剣の舞姫は闘争を望む
俺とミユキが恋人になってから一晩が明けた。
その日俺たちは、ホテル・ベルダインの最上階に用意してもらった客室で夜を明かした。
最上階と言っても、7階くらいではあるが、この世界ではひと際高い建物ではある。
ちなみに、もちろん俺とミユキは同室ではない。
男女別に2部屋用意されており、俺は生前の自分の部屋より広い客室で一人寂しく寝た。
と言いたいところだがぶっちゃけろくに寝ていない。
だってそうだろう。
俺はあのミユキと。
あの美しき勇者と。
ふへへへ……と洗面台で顔が綻ぶのも致し方ない。
この世界に来て鮮烈な出会い方をした推しの年上女性と、まさか付き合えることになったのだから。
昨日は酒と会場のムードの所為というかおかげもあって、かなり恥ずかしい台詞も言ってしまった気がする。
しかし、一晩明けてみても夢ではなかった。
時刻は朝の5時半。
昼夜なんて関係ない冒険者の俺達でも、さすがに平時においては起きるのに少し早い時間だ。
俺は窓のカーテンを開け、まだ人影もまばらな王都の街並みを見下ろす。
おはよう世界。
俺はついに彼女ができましたと誰かに言って回りたいくらいだ。
コンコンッ!
そのとき、俺の部屋の扉を誰かがノックした。
こんな朝早くに誰だろう。
俺はパンツ一丁だったのでさっと着替えをして慌てて扉を開く。
「あ……ミユキさん」
「……おはようございます」
扉を開けると、そこではバッチリと着替えを済ませたミユキが立っていた。
魅惑のポニーテールがゆったりと揺れている。
身体の前で手をもじもじと遊ばせ、チラチラと視線を向けたり外したりしていた。
うーん、可愛い。
「おはよう。どうしたの? こんなに朝早く」
「す、すみません。隣の部屋から物音が聞こえていたので、もしかしてフガクくん起きてるんじゃないかと思って……あの、お散歩でも行きませんか?」
どうやら俺がテンション上がって小躍りしている音が聞こえてしまっていたらしい。
まったく何やってんだか俺。
しかし、朝からミユキと二人きりでお出かけとはラッキーだ。
俺達は恋人になったとはいえ、普段は4人で行動するパーティである。
二人きりになってイチャイチャするなんて時間は大して無いのだ。
だからこそ、こうしたちょっとしたスキマ時間を活用して二人の時間を育むことになる。
「もちろんいいよ。行こう」
そして俺は、二つ返事でミユキの手を取り、部屋を出た。
「あ……」
「あ、ごめん嫌だった?」
恋人同士だからいいかなと思ったが、さすがにいきなりすぎただろうか。
俺は慌てて手を離して謝っておく。
「い、いえ。ちょっとビックリしただけです。嬉しいです。ぜひ、繋いでください」
そう言って、ミユキが俺の手を両手で取った。
彼氏としての贔屓目なのかもしれないが、こうした仕草がいちいち可愛いのは何とかなりませんか。
何ともならなくていいが。
「ティアたちは?」
「まだ寝ています。昨日は遅くまで起きていたようで」
冒険者のわりに規則正しい生活を信条とするティアにしては珍しく、夜更かしをしていたらしい。
レオナは早々にいびきをかいていたらしいが、今も起きる気配はないとのこと。
まあ子どもは寝て育つって言うし。
「ミユキさんはよく眠れた? 僕は眠れなくって」
興奮してというか、テンション上がってというか。
俺は今も徹夜明けの若干高めのテンションで喋っているし、内心もそんな感じだ。
「私は明け方になってようやく眠れました」
ミユキは恥ずかしそうに視線を落とし、頬を赤く染めた。
俺は思わず頭をかいた。
「はは、僕と大差ない」
俺とミユキは、まだ眠りにつつまれたホテルを抜け出し、石畳の大通りへと出た。
王都の朝は静かだ。
夜会のざわめきが嘘みたいに消え去り、淡い朝焼けの光が屋根の上に差し込んでいる。
通りの端では、パン屋の少年が焼き立ての籠を抱えて走っていき、風に乗って香ばしい匂いが漂ってきた。
小鳥の囀りが遠くで響き、冷たい朝の空気が頬を撫でる。
「……静かですね」
「うん。昨日までの騒がしさが嘘みたいだ」
俺たちは自然と歩幅を合わせて並び、繋いだ手を軽く揺らした。
掌から伝わる熱に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「……昨日の夜。ずっと、フガクくんの言葉を思い出していました」
まだ静けさの残る街並みを歩きながら、ミユキが恥ずかしそうに言葉を口にした。
「ごめん。なんか恥ずかしいことをいっぱい口走った気がするよ。自分でもちょっと反省してる」
「……嬉しかったんです。すごく」
真っ直ぐな声に、俺は立ち止まって彼女を見た。
ミユキの赤い瞳は朝日に透かされ、潤んで光っているように見える。
その視線に射抜かれ、俺の心臓がまた早鐘を打ち始めた。
「フガクくんは、私にいつも前に進む勇気をくれます……そんなあなたが、私を選んでくれたことが。私と一緒に、前に進んでくれるってことが、たまらなく嬉しかったんです」
ミユキの口元には、確かに微笑が滲んでいた。
「フガクくんの言葉を思い出すだけで、今も口が緩んでしまいます……」
俺は立ち止まり、彼女の顔を真っすぐに見つめる。
「ミユキさん」
「はい……」
繋いだ手を、少しだけ強く握る。
彼女は驚いたように瞬きをし、けれどそのまま、ぎゅっと握り返してきた。
「これから、よろしくね」
「はい! こんな私ですが、よろしくお願いします」
俺達は互いの目をまっすぐに覗き込んで、笑いあった。
王都の朝のざわめきの中で、俺たちはまるで世界に二人きりになったように歩き続けた。
―――
時刻は正午ごろ、俺たちは王宮の貴賓室でアレクシス=レイヴンスカヤ辺境伯と向かい合っていた。
彼は辺境伯として普段は地方の領地にいることが多いが、こうしてちょくちょく王宮に顔を出すらしい。
俺達は、道のりが険しいというフレジェトンタへのスムーズな行き方などについて聞くため、彼との会談予定をヴァルターに取り次いでもらったのだ。
「君達から呼び出しとは、何事かと思ったよ。また活躍したらしいね、大したものだ」
アレクシスが椅子に座り、感心したように言った。
といっても、目の下の隈が不健康丸出しといった具合で、表情も薄いのでいまいち何を考えているのかは読めない。
一応うっすら笑っているので褒めてはくれているようだった。
「恐れ入ります、レイヴンスカヤ辺境伯」
俺達を代表して喋るのはもちろんティアだ。
「それで、僕に用とは?」
「用と言うか、ご相談があり……実はフレジェンタに行きたいのですが、道のりが険しいと伺ったので、辺境伯は良いルートなどをご存じではないかと」
ティアの言葉に、アレクシスは少し驚いたような顔を見せた。
まあ無理もない。
自ら婚約破棄した元婚約者の住まう場所のことを、いきなり訊かれているのだから。
「そうか……陛下から少し話は聞いているが、僕はさすがに行けない。エリエゼルはともかく、公爵夫人からは嫌われているからね……」
困ったようにアレクシスは言った。
さすがに俺達も、一緒に来てくれとまでは言うつもりはない。
道のりに詳しい御者でも紹介してくれればいいのだ。
「フレジェトンタは列車で国境付近まで北上し、そこから東方に向けて馬車で3日ほど田舎道や山道を走れば着く。が……確かに道中山賊や盗賊なんかも多いから注意は必要だ」
田舎過ぎて王国軍の目も届きにくいというわけか。
「山賊ですか……ガレオン公爵領ですよね? 治安が良くないんですか?
「そういうわけではないんだが、公爵は戦争がお好きでね。ずっと各地の、時には国境を越えてまで紛争を鎮圧、場合によっては起こして回っているから領地運営にあまり手が回っていないんだよ」
なんだか本末転倒というか、無茶苦茶だなと思った。
そもそもガレオン公爵、つまり三極将の『オーギュスト=ガレオン』は王国騎士団長らしい。
それが前線に出てばかりで中央にほとんど戻らないというのだから、副団長のゼクスの苦労が偲ばれる。
あの人相の悪さは疲れからなんじゃないだろうか。
しかし、それでもなおガレオン公爵が騎士団長を務めているということは、逆にそれだけ強さや影響力があることの裏返しなのだが。
「まあ運が悪ければの話だ。詳細な地図があるから、あとでカフカ伯爵の屋敷に届けさせるよ」
「え、いいんですか?」
思わず聞き返す俺。
こんなにスムーズに話がいくとは思わなかったのだ。
「君達に恩を売っておけば、僕も陛下の覚えが多少は良くなるだろうしね」
と、不健康そうな顔で薄く笑ったアレクシス。
そうは言うが、彼の名前を出したときも別にジェラルド王は不快そうな顔はしなかった。
社交界での嫌われ者とはいえ、ヴァルターなどからも推薦されるくらいだし、そう悪い人物ではないのだろう。
むしろ俺としては、そんな彼に婚約破棄を決断させるに至ったエリエゼルの方が怖く思えてくる。
「いつ発つんだい?」
「明日には出ようかと思っています」
「そうか……しかし、本当に気をつけたほうがいい」
アレクシスの眼光が鋭くなった。
剣呑な雰囲気に、俺達の間に緊張が走る。
前から思っていたがこのアレクシスという貴族、他の貴族とは少し雰囲気が違う。
常に帯剣しているし、体格もヴァルターと比べても劣らない、鍛えられ研ぎ澄まされた肉体をしているように見える。
ガレオン公爵領に山賊が出るように、治安の悪い地方を治める領主だからか戦いには慣れているような、百戦錬磨の兵士のような雰囲気を放っていた。
「お気遣い痛み入ります。しかし、メハシェファー様がただならぬ人物だということは、私たちも承知しています」
しかし、アレクシスは首を横に振った。
ティアも不思議そうに首を傾げ、俺やミユキ、レオナもどういうことかと互いに視線を合わせた。
「確かに公爵夫人は油断のならない方だが、君たちは分かっていない」
「……あの、分かっていないとは?」
ミユキも思わず不安げに聞き返す。
メハシェファーよりも、危険な何かがそこにあるというのだろうか。
そんな人物には、俺たちは一人しか心当たりがない。
「これは親切心からの忠告だ。いいかい、エリエゼル=メハシェファーの興味関心を引いてはならない」
アレクシスの瞳の奥に、恐怖が宿ったように見えた。
「……君たちが無事にフレジェトンタの地を出たいのなら――」
これから向かうフレジェントンタに、確実にいるエリエゼル。
一体彼女の何がそんなに恐ろしいというのだろうか。
そして俺たちは後に知ることになる。
エリエゼル=メハシェファーという女は、アレクシスの言う通り決して興味を持たれてはならない"恐るべき公爵令嬢"だということを。
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