第172話 聖獣の咆哮
エンディミオン総合病院。
王都の一角に広大な敷地を持つ大病院で、清潔感のある白亜の壁と手入れの設備が行き届いた緑溢れるその場所は、連日多くの患者で賑わっている。
清潔と整然を形にしたようなその場所が、今大混乱に見舞われていた。
突如病院内の地下倉庫から姿を現した2体の魔獣が、患者や病院スタッフを襲い始めたとしてパニックになっていたのだ。
人々の悲鳴と怒号を聞きつけ、あらかじめ病院の外で待機していたサリーは、シュルトと共にすぐに人々の救助へと回った。
「けが人を連れて外へ! 早く!」
サリーはよろよろと歩く老人や、患者の乗ったストレッチャーごと外へと避難する看護師などを警護しつつ、魔獣をけん制する。
巨大な牛のような魔獣と、ワニのような魔獣だった。
どちらも青白い体表に、目の無い顏が不気味だ。
いずれも周囲の人間たちへの敵意を露わにしており、爪や牙を無差別に振るっている。
「サリーさん、こいつを任せても大丈夫ですか? 私はもう1体を仕留めます!」
「はい! 先生もお気をつけて!」
シュルトが迅速に援軍を手配したため、数人の騎士が既に動けない患者の元などへ向かっていた。
つまり、後はここにいる2体の魔獣を片づければ一旦は解決ということだ。
だが。
(こいつ……! 傷がすぐ塞がる……!?)
サリーが対応している牡牛型の魔獣は、多少の傷はすぐに塞がってしまうという特異な回復力を持っていた。
深い刺し傷は塞がらないので不死身ということは無さそうだが、それでもタフであることには変わりない。
強烈な一撃で確実に仕留める必要があると感じた。
(私も……フガクくんみたいな大技が使えれば……!)
サリーはふとフガクの顔を思い出した。
自分を一撃で地に沈めたあの大技。
雷のように奔り、どこから来るか分からない縦横無尽な連撃なら、こんな魔獣の1体くらいはなんということも無いのだろう。
(でも、これくらい倒せなくちゃ……ヴァルター先生のような騎士になんてなれっこない!)
巨大な角による突進をかわし、サリーはすぐさま側面から思い切り魔獣の首に剣を振り下ろした。
ザクリと刃が首へと食い込む。
暴れ回る魔獣の角先が頬を掠め、白亜の床石が槌で割ったように欠け散る。
刃は食い込む――が、肉が蠢いて塞がっていくのが見えた。
「くっ……! 届いて……!!」
サリーは渾身の力を籠め、どうにか刃を無理やりに押し込んだ。
一瞬絶叫にも似た鳴き声を上げたが、やがて首を断たれて魔獣はその場に倒れ込んで絶命した。
「はぁ……はぁ……や、やった!」
サリーは肩で息をしながら、動かなくなった魔獣の死体を見下ろしていた。
これまでに魔獣と戦った経験は何度もある。
それに比べると疲労感も大きく、何体も相手にするのは骨が折れそうだと思った。
ふと見ると、後ろではシュルトが魔獣の頭に剣を突き刺して倒し終えたところだ。
「怪我はありませんか?」
涼しい顏でシュルトが歩み寄ってくる。
上司であるゼクスの娘ということで、何かと気を使ってくれているのだ。
サリーもシュルトに敬礼をして、無事を知らせる。
「はい。どうにかといったところですが……」
「よろしい。……本命のエンディミオン伯爵邸でも、同様の事態が起こっているかもしれませんね」
フガクたちは調査の結果を踏まえて、ロレンツの元へ兵器取引について詰問しに向かっている。
果たしてフガクたちは大丈夫なのだろうかと彼らの姿を想うのだった。
―――
ヴァルターは王都の居住区にあるドノヴァン邸にて、現れた魔獣を2体斬り捨てたところだった。
「違う……! 私はあの女に脅されたのだ!」
近くで騎士たちに囲まれ、ゼクスから尋問を受けているのは家主のドノヴァン伯爵だ。
声を荒げて必死に弁明している。
彼の屋敷から青白い魔獣が出現したと通報があり、たまたま他の騎士たちと近くにいたヴァルターが臨場して魔獣を討伐したのだ。
「話は城で聞く。おい、連れて行け」
「はっ!」
「ま、待ってくれ! 私は悪くない! 悪いのはあの魔女だ……!」
ゼクスは手近の騎士に、ドノヴァン伯爵の連行を命じた。
喚きながら連れられていく彼を見送りつつ、ヴァルターは隣に来たゼクスに声をかける。
「やはり通常の魔獣とは違うね。二匹で連携して襲ってきた」
魔獣と戦っていると、彼らはヴァルターの死角を縫うように攻撃を仕掛けてきた。
本来の魔獣でも同族であれば群れで連携して襲ってくることはあるが、こいつらは全くの別種だ。
1体は赤い爪を持つオオワシのような姿をしており、もう1体は大きなトカゲの姿だった。
いずれも顏の無い青白い体表で、不気味な容貌をしているという共通項はあるが。
さすがにこれを同種と呼ぶのは無理があるだろう。
魔獣が統率を持って襲い掛かってくることの脅威を、ヴァルターは身をもって感じた。
「ヴァルター、お前ならば何の問題も無いだろう」
「少数ならね」
無論、苦戦したわけでもなく魔獣はそれぞれ一太刀の元に切り伏せている。
だが、これが大群で押し寄せて来たらどうだろうか。
人間の軍隊のように規律を持って、一つの意思の元襲い掛かってきたら、あるいはその物量に押し切られることも考えられた。
「軍勢として来れば分からないか……確かにこれが数万体いれば、十分に国家の危機だろうな」
ゼクスの呟きに、ヴァルターも頷く。
「カフカ副団長! この屋敷同様、複数の魔獣の発生報告が王都各地か上がっています!」
「分かった。地図を持ってこい」
「はっ! こちらに!」
現在、王都の各地で突如同時多発的に魔獣が発生する事件が起きている。
各地には適宜副騎士団長であるゼクスの指示のもと王国軍を向かわせているが、明らかに作為的だ。
何者かが、同時に魔獣を暴走させるかのように解き放っているとしか思えない。
ゼクスは地図に魔獣の発生個所を書き込みながら、軍の配置を部下に指示し続けていた。
「我々はもしかすると、とんでもない兵器を相手にしているのかもしれないな」
その様子を見ながらヴァルターは、ミユキたちのパーティに依頼した兵器の行方と関係していることを感じていた。
そして、その結末が近いことも肌感覚で分かる。
「こんなもの、本当に人の手で制御できると思っているのか……?」
仮にこれが兵器だとして、誰が操るというのだろうか。
もしかすると、自分たちが相手にしているのはその脅威のほんの一端であるのかもしれないと、ヴァルターは背筋に冷たいものが通り過ぎていくのを感じた。
―――
俺は『聖獣』と呼ばれた青白い魔獣の前に立ちはだかった。
逃げ遅れて転んでしまった女性に振り下ろされようとする爪を、銀鈴で受け止める。
キンッ!という高い音が天井に木霊する。
「大丈夫ですか!?」
ここから彼女には一人で逃げてもらわねばならない。
できるだけ怖がらせないように、俺はロレンツのような柔和な表情を意識しながら女性に声をかけた。
「は……はいっ……! ありがとうございます……!」
「ゆっくりで大丈夫ですから、逃げてください」
そして俺は、身を翻して聖獣の首に刃を突き立てる。
ギャッ!という断末魔の声を聞こえた同時に、さらに2体の虎型の聖獣が飛び掛かってきた。
1体は俺の背後、1体は俺の右側からだ。
「やりにくいなっ……!」
魔獣ってこんなにいやらしい隊列で襲ってくるものだっけ?と思いつつ、俺は1体ずつ処理していく。
1体をすれ違いざまに斬りつけ、もう1体を背中から貫いた。
すると、斬りつけられた聖獣の傷が、青白く仄かに輝いて傷が塞がりかけている。
「えっ……!」
普通の魔獣ならまず絶命しているところだが、驚くべきことにその聖獣とやらは浅い傷をほぼ完ぺきに塞いだ状態で俺に突進してきたのだ。
まるで、ティアのヒーリングのように。
「フガクくん!」
まあ切り返せばいけるかと思っていたところに、ミユキがその膂力で剣を振るう。
俺の眼前で、その虎型の聖獣は胴体を真っ二つに割かれてドサリと地面に横たわった。
「ありがと、ミユキさん」
「いえ、無事で何よりです」
ミユキが今のも含めて3体、俺が2体の聖獣を屠ったところだ。
「くるな! くるなぁぁぁああっっ!」
ロレンツの前で、ダリオが涙目で大仰に大きい剣を振り回している。
巨大な野犬のような見た目をした聖獣が、そのめちゃくちゃな剣筋をかわしてダリオに飛び掛かる。
「ぎゃっ!」
ダリオが倒れたのを見て、聖獣が口元に邪悪な笑みを浮かべたように見えた。
まずい、ロレンツが無防備だ。
「僕が行く……! 『神罰の雷』……!」
バヂッ! という雷鳴の轟く音が響いたとき。
すでに屋敷のホールを瞬時に駆け抜ける俺の刃は、その野犬の胴体を引き裂いた。
奴の爪が、ロレンツの鼻先にまで届こうかという瞬間のことだった。
「ひ……ひぃい……!」
倒れ伏したダリオの顏の前に倒れ込んだ獣の死体に、彼は顔面を蒼白にさせて情けない声をあげている。
「だ、大丈夫ですか?」
あなた一応護衛騎士ですよね?と言外に含みつつ、俺は一応ダリオに聞いてやる。
普段威張ってるわりに、主人のロレンツよりビビッてるとはどういうことだと。
「あ、ああありがとう……! わ、私は魔獣と戦うのは初めてなんだ……!」
どうやら立派なのは見た目だけだったようだ。
俺は呆れつつ、ようやくひと段落したとロレンツの元へと歩み寄った。
ミユキも近づいてくる。
「聖獣……でしたか。思ったより頑丈でしたね」
「浅めの傷も塞がってた。たぶん、ミューズに近い能力があるんじゃないかな」
というかそうとしか思えない。
見た目も青白くて顔が無いし、ドミニアと戦ったときの青白い狼によく似ている。
しかも連携を取りながら襲い掛かってきたので、大群で来られるとかなり厄介そうだなと思った。
「ロレンツさん、これがあなたがアストラルから買った兵器ですか?」
俺はその場で立ち尽くすロレンツに尋ねると、彼は観念したように瞳を閉じて頷いた。
「ああ……言い訳をするつもりはないが、こいつらを病院や屋敷に放つと言われて買わされたんだ……何でも命令に従う強靭な魔獣だってね。だが、現実蓋を開けてみればこの有様だよ」
ロレンツは悔し気に奥歯を噛み、拳を握りこんだ。
どうやら、アストラルは半ば強引に聖獣を取引相手に買わせているらしい。
目的は金か、あるいは研究データを取る目的もあるのかもしれないが。
「アストラルさんから購入したのは、この聖獣そのものですか?」
「正確には、”捕らえた魔獣を聖獣に変えるパッケージ”『聖赤薬』と言っていた。赤い薬剤が入った巨大な注射器だったが、捕らえた魔獣が眠っているうちに注射器を撃てと言われて撃ったんだ」
ヴァルターが、件の魔獣の体内から薬剤の痕跡が見つかっていると言ったことを思い出す。
つまり、アストラルが売りつけている兵器とは、そこらへんにいる魔獣を聖獣へと変え、統率の取れた怪物にするキットなのだろう。
どういう原理でそうなるのかはともかく、ミューズが赤光石で変身するのは俺たちも目の当たりにしている。
恐らくは赤光石の力をあれやこれやしているのだろうと、俺は適当に自分の中で説明をつけておいた。
「君たちも陛下に言われて来たなら知っているだろう。昨今王都で発生していた事件は、あの女が見せしめとして命令を断った貴族を殺すために聖獣を暴走させたんだ」
「一体何のために……」
「分からない。ただ彼女は、"強い兵士が欲しくはないか"と尋ねてきた……」
分かったことは、聖獣への命令権は購入者だけでなくアストラルにもある。
突如暴走し始めた原因は分からないが、アストラルがそう命じた可能性があるということだ。
聖獣たちがロレンツの命令を聞かなかったのは、そもそも購入者の命令を聞くような機能が無いのか、アストラルの命令がより上位なのか。
「フガクくん……ティアちゃん、大丈夫でしょうか」
ミユキの言葉に俺はハッとなった。
そもそも聖獣の暴走がアストラルの仕業だとして、何故そんなことをする必要があったのか。
俺達を殺すことが目的なのではなく、たとえばかく乱が目的だったとしたら?
「そうか……! もしかして今ティアは……!」
アストラルと接触したのかもしれないと思った。
そこかしこで聖獣を暴走させ、王都内を混乱に陥れたドサクサに紛れて逃げようとしている。
「いえ……もしかすると、ティアちゃんを殺そうとしているのかも」
俺の背筋に寒気が走った。
アストラルの目的は、いや、目的なんかはじめから無い可能性だってある。
今日アストラルは、追跡者であるティアと出会ってしまった。
王都の混乱に乗じてティアを殺そうと考えた。
それだけでも十分に説明がつく。
「……ミユキさん、ここを任せてもいい?」
態度を見ていると大丈夫そうではあるが、ロレンツの逃亡を防ぐためにも俺とミユキの二人がここを離れるわけにはいかない。
ミユキもそれを分かっているようで、穏やかな表情で頷いた。
「はい、むしろお任せしてもいいですか?」
戦力的には、本当はミユキが行った方が確実なのかもしれないが、足が早いのは俺だ。
そしてミユキは、俺が行くことに微塵のためらいも見せなかった。
それを俺は、彼女からの最大限の信頼と受けとる。
「もちろんだよ」
俺の返事に、ミユキも微笑み頷く。
俺はここに来る前、ティアから預けられていた精霊のネズミを床に放した。
チチチと鼻を鳴らしながら、早い速度で外へと駆けていく。
「そうだ、ミユキさん」
振り返り、ミユキを見つめる俺。
こんなこと言うと死亡フラグになるかもしれないと思ったが、まあ言っておこう。
俺は割とこれまで死亡フラグをへし折ってきた方だ。
「戦いが終わったら、大事な話があるんだ」
俺は彼女に笑いかけながら、白いネズミの聖霊の後を追いかける。
「はい、お待ちしています!」
ミユキの朗らかな声を背中に、俺は『神罰の雷』を発動。
アストラルは確かに危険だが、逆に言えばティアの復讐の一手を打てるかもしれない。
俺は今こそ彼女の傍にいなければならないと、わき目も振らずに走り出した。
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