第171話 ゼファー②
「貴様!! 儂を脅そうというのか!!」
応接室の机の上に足を投げ出し、煙草を燻らせたアストラルを、鬼のような形相で睨みつけて怒号をあげるカスティロ。
アストラルは彼の激昂する声も意に介さず、ピンクのリップが塗られた唇から煙を吐き出した。
「どう受け取るかはアンタの自由だよ。ただ、特に労せず兵力を手に入れられるってのはメリットだと思うけどねえ」
「断れば私の倉庫に魔獣を放つなど、そんなものとは交渉とは呼ばん!」
アストラルは口元に嘲笑を浮かべながらその声を聞いている。
「別に放つとは言っちゃいないわよ。アンタの倉庫に獣たちがちょっと巣を作っちまうかもなって心配してるだけ」
「儂は貴様のような不埒な輩からの脅しなど飽きるほど受けてきておるわ!」
アストラルはくだらないとばかりに煙を吐き捨てる。
今日カスティロの屋敷を訪れたのは、彼が王国内でも屈指の大物貴族であり、アストラルの取引についてかぎ回っていると聞いたからだ。
「あっそ。んじゃ買わないってことでいいの?」
「くどいぞ売女め。儂と取引がしたいならまず品格というものを身につけてから来るがいい!」
多くの貴族はアストラルに脅されて取引を結ばされているが、中には本当に兵力を求めて彼女に接触してきた者もいる。
そんな信奉者たちからの情報を得て、アストラルは今日ここに来た。
このカスティロという侯爵を黙らせるか、あるいは取引相手にしてしまえば、よりこの国の中で立ち回りやすくなるだろうと考えたのだ。
「おいライアン!」
「はい」
カスティロは、部屋の隅に控えていた護衛のライアンを呼びつける。
ライアンもアストラルには敵意を持っているのか、その大柄な体から圧を放ちながら近づいていく。
「その女を摘み出せ。いや、そのまま痛めつけて王国軍の詰所にでも放り込んでこい!」
「承知しました」
アストラルはため息をつく。
当然こんな荒事になることは想定の範囲内だ。
これまでだって何度か護衛と争いになった。
ただ、アストラルは血生臭い争い事は嫌いだった。
理由は、何の生産性も無いからだ。
服は煤で汚れるし、場合によっては血が飛び散る。
大立ち回りは疲れるし、髪も乱れるだろう。
やれやれと煙草を一吸いし、それを咥えたまま右手を構える。
「おぅいデカブツ。一応警告ね。あたしにそれ以上近づくな」
「ふざけるな。我が主人への恫喝など見過ごせるはずもない。衛兵に引き渡す故、そこで好きなだけ喋れ」
そうしてライアンの手がアストラルにあと一歩という距離にまで届く。
アストラルは、目の前のローテーブルの側面に、黒いブーツのつま先を付けた。
「じゃあ月までぶっ飛べデクの棒がよ」
次の瞬間、爆裂音が屋敷中に轟き、ローテーブルが衝撃波ごとライアンを吹き飛ばした。
壁に叩きつけられた大男の体から骨の軋む音が響き、部屋の空気が一瞬で凍り付く。
威勢の良かったカスティロも、口を開けたまま声を失っていた。さっきまでの威厳は剥がれ落ち、蒼白な顔でただ震えている。
ライアンが直撃を免れたのは、彼の日頃の鍛錬以外の何者でもなかった。
もし直撃していれば、彼は上半身ごと吹き飛んでいただろう。
アストラルは邪悪に笑い、壁際で外れた肩の関節を抑えてうずくまるライアンに向けて今度は手を翳した。
「ま、待て…… !!」
「何であたしがアンタの言う事聞かないといけないの?」
ドガァァァアァアアアアアアアアンンンッッッ!!!
屋敷の壁ごと吹き飛ぶような一撃をくれてやった。
舞い散る砂塵と石かガラスの破片が外部に飛び散る。
使用人達の悲鳴が聞こえる中、アストラルは爆風で舞った自分の髪を手櫛で整えながら、まるで欠伸でもするように次の煙草に火を点ける。
今日はとんだ無駄足だったと、すっかり風通しの良くなった壁に一瞥もくれることなく立ち上がり、帰り支度を始めるのだった。
その横顔には、恐怖でも怒りでもなく――退屈そうな倦怠しか浮かんでいなかった。
―――
ティアは屋敷内に飛び込んでも、もはや部外者かどうかを咎められることすらなかった。
それどころではない大混乱が起こっていたからだ。
メイド長や執事達は、2階で起こった大爆発を、何事かと階下からおそるおそる眺めている。
何名かのベテラン使用人達は、主人に何かあったのではと足早にその部屋に向かって駆けていく。
その流れにティアも乗っていると、すぐにレオナと合流できた。
「ティア!」
「レオナ、大丈夫!?」
「アタシとこの爆発は関係ないよ! 多分これが……」
レオナや他の使用人たちと共に廊下を駆け抜けた先では、ちょうどトランクを手に持ったアストラルが部屋から悠々と出て来るところだった。
ふてぶてしくも、その口元には煙草の煙が揺らいでいる。
「あン?」
アストラルが、こちらに気づく。
ついにティアは、アストラルと真正面から対峙することになった。
「親父い! 大丈夫か!」
上の階から降りてきたらしい息子のパトリックが、他の使用人と共に主人公カスティロ侯爵に駆け寄る。
特に怪我は無さそうだが、顔面は蒼白でその場に声も無く立ち尽くしていた。
だが、ティアもレオナもアストラルも、その光景には一瞬たりとも視線を移さなかった。
ティアとアストラルの視線は互いを射殺さんばかりに交錯し、二人はその場から動かなくなる。
その沈黙を破ったのは、アストラルからだった
「ちッ、災厄女かよ。後つけてきやがったわね。めんどくせえけど、ここで殺すしかないか」
わずらわしそうにそう言いながら、何でもないことのようにアストラルはこちら向けて手を翳した。
ティアは咄嗟に自分の近くにいたメイドを抱き抱えながらすぐ横にあった扉に飛び込んだ。
瞬間、巻き起こる爆炎の渦と瓦礫の嵐。
耳鳴りして視界が白く焼けるほど、大爆発が起こった。
次の瞬間には、廊下に張られたカーペットを弾け飛ばしながら爆風が舞う。
レオナも同様に使用人と共に部屋に飛び込んだので無事だった。
「イヤアアアアア!!!」
周囲からは使用人の悲鳴が木霊する。
「機を見てすぐに屋敷を出て!! できるだけ遠くへ逃げなさい!」
「あんたらもそのおっさん連れてすぐ逃げて!」
レオナも扉の影に隠れながら、アストラルの奥にいるパトリックや執事に向けて声を投げかける。
「あ、あれ……君この前のレナちゃん……」
「いいからさっさとしろバカ!」
「は、はいぃ! いくぞ親父……!」
情けない声をあげながら、パトリックはカスティロを引きずるようにして反対側の階段の方へと逃げて行った。
ひとまずはこれで安心と思った矢先、コツコツと黒いブーツの底で壊れた床を叩きながら、部屋の入り口にアストラルが立つ。
そのまま爆炎を放つかと思いきや、彼女はこちらを嘲笑うような表情で見下ろしている。
「あーキモいわねー。人間みたいな面してるよ災厄女ァ。テメェはあのミューズと中身大して変わらねえっつーのにさー。あ、これ何か分かる?」
アストラルは、手に持っていた赤いボタンの付いた黒い端末を、ティアに見せつけるように晒す。
その端末の下部には、赤い光を放つ石が取り付けられていた。
そして、当たり前のようにボタンを押した。
「くっ!」
またも爆撃かとティアやレオナが身構えるが何も起こらない。
すると、アストラルは再び嘲笑を満面に浮かべた。
「勘違いすんなバァカ。これは保険を発動しただけ。ここに王国軍が押しかけてきてもウザいしねえ」
ティアとレオナが訝しむ視線を向ける中、彼女は舌を出して笑った。
「……今ごろ、王都のあちこちで”悲鳴”が上がってるはずだよ」
「な……!?」
煙草の火が赤光に照らされ、不気味に揺れた。
「ああそれとも、こっちが欲しかった?」
アストラルの掌が、再びティアの方を向いた。
しかし、今度はレオナが腰のバッグからナイフを引き抜きアストラルに投げつける。
「チッ!」
アストラルは身を翻してすぐに部屋から廊下に飛び出る。
レオナの投擲したナイフが空を切った。
「アストラル! あなたには聞きたいことが山ほどある!」
壁越しに叫びかけるティア。
アストラルは爆発の魔法かスキルが使える人物のようだ、今度は迂闊に撃ってはこなかった。
爆発によって遮蔽物を失えば、ナイフ投擲の的になることをわかっているのだろう。
「喋んじゃねぇよ化け物。テメェにくれてやる情報は生憎と無いわねえ!」
すると、すぐにドンッ!という爆発音が聞こえた。
しかし、こちらから見えている壁を破壊したわけではない。
彼女は恐らく部屋の床を破壊した。
「まずい! レオナ逃がさないで!」
「分かってる……!」
慌ててレオナが窓に近寄り下を見ると、壁を破壊してアストラルがそこから出てくるところだった。
レオナは腰からナイフを取り出して投げつけると、アストラルは再び屋敷の中に飛び込んでそれをかわす。
「鬱陶しいクソガキ!」
「あんたに言われたくないよクソビッチ!」
レオナは窓から飛び降り、アストラルを追いかけていく。
ティアも隣の部屋へと走り、爆破された床の穴から下を覗き込んだ。
すぐにレオナが階下を走ってアストラルを追いかけていく様子が見えたので、ティアも穴から飛び降りる。
ティアは、先ほどアストラルがボタンを押した謎の端末が気にかかっていた。
あれは何だったのだろう。
王都中で悲鳴が起こっているはずと彼女は言っていた。
爆破が通報されてここに王国軍が押し寄せてくるのを、アストラルは避けたいはずだ。
ということは、それを妨害する何かを起こすものと考えられる。
仮説として、王都に仕掛けられた爆弾のスイッチ。
あるいはそれに似た何かを起動させるもの。
特に端末に取り付けられていた赤光石のような物体が気になる。
たとえば……ミューズなどの魔獣を操るものといった可能性も考えられる。
いや、むしろその可能性は決して低くない。
王都で魔獣が統率された行動を取っていた事件の裏にアストラルがいたとして、あの端末がその兵器だったとしたら。
今ごろ王都では魔獣が暴れ回っているかもしれない。
瞬間、またも激しい爆発音。
ティアが走る廊下の角で、壁を背にレオナが通路の向こうを覗き込んでいる。
「レオナ、アストラルは!?」
「すぐそこの部屋にいる……!」
レオナの服は爆炎で煤だらけになり、頬も割れたガラスの破片で切ったのが血が出ていた。
ティアはその傷をヒーリングで治しつつ、アストラルの行方を追う。
このまま逃げるつもりだろうか。
しかし、見たところ威力は大きいがリーチではレオナのナイフ投擲に分がある。
ティアがチラリと壁の向こうを覗き込んだときだった。
轟音と共に、再び爆炎が巻き起こった。
壁が破壊されて破片が飛んでくる。
ティアは慌てて身を屈めた。
爆炎の向こうに、人影が佇んでいる。
どうやら彼女は、逃げたわけでは無いらしい。
「あたしが逃げると思ったか、災厄女。ざーんねん……」
女は再び煙草に火を点けて、嘲笑を高らかに響かせる。
それはノルドヴァルトに続く、2度目の宣戦布告だ。
アストラルは、砂煙と炎、そしてガラスの破片が揺らめく地獄の中で、悠々と告げた。
「……セレスティア、化け物狩りだ。テメェはここでブチ殺すって決めてんのよ」
邪悪に満ちたアストラルの声色が、初めて冷徹な殺意を孕んだ。
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