第170話 ゼファー①
ティアはレオナと共に、ホテルを出たアストラルの後を追っていた。
彼女は今日も馬車に乗り込み、どこかへと向かっていく。
昨日は動きが無く、ホテルの部屋を一歩も出ることが無かったのだ。
今日も動きがなければ、こちらから仕掛けることも考えなければならない――そう思い始めていた矢先。
朝からついに動きがあった。
本来ならロレンツのお茶会に参加するところだが、動きがあったのだから仕方がない。
こちらもサリーに手配してもらっておいた馬車に乗り、アストラルを追った先はある一軒の屋敷だった。
「あれ、ここって……?」
追手だと気づかれないよう、路地の端に停車させた馬車から、こっそりとアストラルが入っていった屋敷を覗き見る。
すると、その屋敷に見覚えがあったらしいレオナがポツリと呟いた。
「レオナ知ってるの?」
「うん、だってここ、カスティロのおっさんの屋敷だし」
「なんですって……?」
タイミングが良いのか悪いのか、どうやらカスティロ邸にアストラルが入っていったらしい。
普通の貴族の屋敷なら、潜入の手段を考えるところだが、顔が割れている相手では難しい。ティアは思案する。
「しかし堂々と……私たちが追ってくるって考えないのかしら」
「バレてもいいって思ってんじゃない?」
アストラルは特に顔を隠そうする様子も無かった。
自分たちだけでなく、ヴァルターをはじめとするノルドヴァルトの関係者からの顏バレ対策なども一切行っていない。
まるでそんなことどうでもいいと言うかのような、あまりに無防備なその姿勢にティアは胸の奥で不穏なざわめきを覚えた。
「アタシが潜入して様子を見てこようか。どんな話してるかも探れるかもだし」
「そうしてもらおうかな……。私と一緒より、そっちの方が確実そうだね」
潜入自体はレオナだけならさほど難しくはないだろう。
見たところ警備も厳重と言うほどではなさそうだ。
「おっけー、任せといて」
「一応精霊を連れて行って。何かあったら放してくれればいいから」
ティアは例によって青白い1匹のネズミを喚び出し、レオナのポケットへと忍ばせる。
中と外では連絡を取る手段がないため、念のためだ。
ちなみに、後々合流の可能性も鑑みてフガクにも1匹同じ精霊をつけておいた。
すぐにレオナは馬車を飛び出ると、辺りに人がいないことを確認して門の上へとよじ登って中へと入っていった。
真っ赤な髪をなびかせる様子は目立つことこの上ないが、あれで上手くやるだろう。
ティアはひたすら待機の時間へと移った。
フガクとミユキはロレンツの元へと行かせた。
既に約束した予定ということもあるが、ゼクスによる調査結果を聞いた結果、ロレンツの病院も帳簿の数値がおかしくなる原因の一つとして挙がったためだった。
国内に入ってきた病院への搬入物のうちの大部分が帳簿上から消えていた。
医療機器などは通常の物流の流れとは異なる手続きで入っていくことが多いらしく、それだけでは怪しい取引というわけではない。
ただ、その数と大きさが異様だったらしい。
ゼクスが部下に調査させた話では、巨大な木造コンテナが十数個、ロレンツの屋敷や病院へと搬入されているとのこと。
果たしてその中身が何であるのかは分からないが、ただの医療器具ではないだろう。
他にも何人かの貴族が対象として挙がっていた。
彼らの物品の足取りを追っていくと、皆一様に巨大なコンテナを各自の屋敷や関連施設に運び込んでいた。
(ただ……カスティロは意外と出てこなかったのよね……)
そう、数値の合わない帳簿を持っていたカスティロだったが、いずれの物品も彼の倉庫を経由こそしているが、その後全ての荷物が別の貴族の施設へと移送されている。
つまり、カスティロ自体は特段怪しい取引を行っていなかったのだ。
(……つまり、カスティロが取引について他の貴族に声を荒げていたという話も、この帳簿の数値に気づいた彼が詰め寄っていたということ……)
もしアストラルがこれからカスティロに取引を持ち掛けるのだとすれば、彼の身に何かが起こるかもしれない。
ティアがカスティロの屋敷を見ながら思案していたその時だった。
――ドガァァァアァアアアアアアアアンンンッッッ!!!
屋敷の一角が、真昼の陽光をかき消すほどの閃光と爆炎に包まれた。
空気を裂く衝撃波が街路の窓ガラスを次々と粉砕し、破片が雨のように降り注ぐ。
炎に巻かれた壁が吹き飛び、赤黒い煙柱が天へ突き上がった。
「……っ!?」
ティアは思わず腕で顔を庇いながら、耳をつんざく轟音に身をすくませる。
馬車の外に出ると、鼻を突く焦げ臭さが風に乗って押し寄せ、爆心地からは人々の悲鳴が響き渡っていた。
(レオナと接触した……? いやもしかしたら……)
カスティロをアストラルが襲った爆音かもしれないと、直感的に思った。
屋敷の門の前を守っていた衛兵も、慌てて中へと飛び込んでいく。
ティアは一瞬迷ったが、これはチャンスだと思った。
そして、こうと決めたら迷わないのがティアだ。
御者には待機しておくようお願いする。
中には確実に、ゼファー=アストラルがいる。
仇であるガウディスの仲間と思しき人物と会えることに、ティアの胸の奥では静かな高鳴りが起こっていた。
復讐へと繋がる大事な一歩だ。
爆破の位置は、おそらく2階。
ティアは王国軍などが出張ってくる前に決着をつけようと、真っすぐにその部屋へと駆けだした。
―――
「さあ、誰だったかな。連日多くの人と会うからね。印象にない人の顔はいまいち覚えられなくてね」
ロレンツは柔和な表情を崩さずにそう言った。
「そうですか。でも本当は知ってるんじゃないですか? 僕たちその人のことを探してるんです。よければ教えてもらえませんか?」
だが、俺も態度は崩さない。
帳簿の数値上、ロレンツはかなり怪しい。
この屋敷に運び込まれた巨大なコンテナの行方は一体どこだ。
これだけ広い屋敷ならいくらでも各場所はあるだろうし、病院側にもコンテナが運ばれた形跡がある。
俺がミユキと共にここに来たのは、”最悪の事態”に備えてのことだ。
俺達の雰囲気を察してか、今まで後ろに控えていたダリオが口を開く。
「何だ君達。少し無礼ではないか? 伯爵は知らないと言っているんだ。それで話はおしまいだ」
「ダリオ、構わないさ。彼らも仕事でやっているのだろう。だが残念なことに、そんな名前の女性に覚えはないよ」
役に立てなくてすまないねと、ロレンツは続けた。
なるほどとぼけるつもりらしい。
後ろではニヤニヤとダリオがいやらしい笑みを浮かべている。
しかし、俺の中では、ロレンツは限りなくクロだ。
なぜなら。
「あれ……おかしいですね」
俺は足を組み、笑みを零す。
お前は今、盛大に墓穴を掘ったと。
「僕はゼファー=アストラルが女性だなんて、一言も言ってませんが?」
カチリと、ロレンツがカップを置く手が震えた。
彼の目が、俺を真っすぐに見据えている。
「……あれ、そうだったかい? たまたまだろう。僕に会いに来る人なんて女性が大半だから、ついうっかりだ」
「シラを切っても無駄ですよ。既にあなたの病院にもシュルトさんが調査に向かっています」
ミユキが冷淡な口調で告げた。
既に状況証拠は揃っている。
王室による強権が発動され、強制的に調査が開始されるだろう。
すると、ロレンツの後ろでダリオが激高して剣を抜いた。
「貴様ら無礼であろう! 伯爵を貶めるような真似をして、何が目的だ!」
「この屋敷やあなたの病院に運び込まれた大量の”医療器具”ですが、中身は何ですか? アストラルと何の取引をしたんです」
俺の言葉に、ロレンツはただ優雅に座って笑みを浮かべるばかりだ。
まるで崩れない余裕の態度に、俺はいささか不穏な気分になった。
「……陛下に言われて来たのかい?」
ロレンツは俺の目を真っすぐに見つめている。
「調査を命じられました」
俺は淡々と答える。
「……なるほど、既に証拠も掴んでいるのだろうね」
ロレンツはそっと目を伏せる。
実質それは、取引の事実を認めたのだと思った。
「王宮へ出頭してください。まだ何もことを起こしてはいません。今ならまだ……」
「……残念だが、そうはいかない」
「え……?」
ロレンツの目には怯えのようなものが見えた気がした。
「おそらくあの魔女は……私のことも消してしまうだろうからね」
「どういうことですか……?」
ミユキの問いに、ロレンツが何かを答えようとしたそのときだった。
「キャァアアアアアアアアアアッッッ!!!!」
現在茶会の行われている大広間から、女性の甲高い悲鳴が聞こえた。
その声に、ガタッと椅子を引き倒しながらロレンツが立ち上がる。
「馬鹿な……もう!?」
彼の穏やかな表情に、初めて焦りと恐怖が滲んだ。
そして彼は、慌てふためきながらそちらの方へと走っていく
「フガクくん!」
「うん! 行こう!」
ロレンツに逃げる意図はなさそうだったが、俺達も後を追う。
そして、そこに広がっていた光景を見て俺たちは驚愕した。
「なんだ……こいつは」
そこには、青白い身体の魔獣が6体ほど蠢いていた。
4足歩行の全長3mほどの身体、ところどころ羽のような体毛が生え、周囲の賓客たちに向けて長い尻尾や鋭い爪を振り回している。
虎のような身体をしたものもいれば、小さなドラゴンのような形状の個体もいた。
いずれも共通して貌が無く、鋭い牙だけが口元に覗いていた。
「ミューズ……とは少し違いますよね」
ミューズはフランシスカ研究所の少女たちを媒介にしているため女性の肉体があるが、こいつらにはそれがない。
俺は一瞬、ロレンツがなりふり構わず賓客たちを人質にとるために、この魔獣をけしかけたのだと思ったが、彼の様子はそうでもなさそうだ。
「皆さん落ち着いて! 逃げてください! おいやめろ! やめるんだ!!」
ロレンツは魔獣に向かってしきりに叫んでいる。
そんなことをして、魔獣が命令を聞くわけでもないのに。
どうやら彼は、これが何であるかを理解しているような素振りだった。
そして俺の想像が正しければ、これこそがきっと。
「ロレンツさん、これは……」
「ああ……これがゼファー=アストラルから”売りつけられた”商品、『聖獣』だよ……!」
混沌とする屋敷内。
しかし、俺たちがアストラルの話をし始めた途端示し合わせたかのように現れた『聖獣』という名の魔獣。
とにかく話は後だ。
この賓客たちを守るために、俺とミユキは剣を抜くほか無くなった。
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