第164話 魔法使いアリシア①
「遅すぎる……」
俺は、カフカ邸の自室で窓の外を見ながら一人呟いた。
時刻を銀時計で確認すると、23時を少し回ったところだった。
カスティロ邸から俺たちが戻ってもう1時間以上も経つし、今しがたマティルダとサリーも帰宅したようだった。
二人に聞くと、先に帰ったと言われてしまった。
どこか寄り道しているのか、あるいは何かトラブルが起こったのか……。
レオナと相談しようと思ったが、彼女はアストラルの調査とかで屋敷に戻るなりすぐに出かけてしまった。
俺は一人で先に休んでしまっていて良いものなのかと、窓の外に見える前庭に馬車が帰ってくるのを今か今かと待ちわびていた。
「……ん?」
そのときだった。
窓の欄干に青白い鳩が降り立った。
ティアの精霊召喚で呼び出される鳩だ。
俺が窓を開けると、今度は翼をはためかせて飛び立ち、前庭の噴水の上でこちらを見ている。
着いてこいということだろうか?
「何かあったのか……?」
俺は急いで脱いでいた外套を引っ掛け、銀鈴を携えて部屋を出ていく。
ティアが精霊召喚でわざわざ居場所を教えるということは、指定の場所で何かが起こっているということだ。
俺はミユキの顏を頭に思い浮かべながら、一刻も早く彼女たちの元へと辿り着かねばと早足で部屋を飛び出した。
―――
ガギィィィイイン!!!
と、ミユキの振りかぶった大剣を、木の上から飛び出て来た巨大な影が受け止めた。
「これは……魔獣……?」
ティアは、ミユキの目の前に現れた巨体を見上げて驚愕した。
見た目の率直な印象は、二足歩行のライオンだ。
全身が黒鉄色に輝き、真っ赤な瞳がこちらを見下ろしている。
体高は3mほどだろうか。大木のような隆々とした肉体は鋼のように研ぎ澄まされ、ミユキの剣を腕で受け止めていた。
「おいアリシア……戦うのか?」
重低音が、その獅子から鳴り響いた。
「知らないわよ。向こうから襲い掛かってきたんだから、少し相手してあげなさい」
先ほどまでより幾分か軽妙な口調で、アリシアは眉間に皺を寄せながらその獅子の魔獣へと声を挙げる。
「承知した」
獅子は身を屈めると、猛牛のような勢いでミユキに突進する。
(喋った……? ミューズ、いやでも見た目が全然……)
ティアは未だに状況がよく飲み込めずにいた。
アリシアと名乗った女が自分たちの前に姿を現した理由も分からないし、この魔獣の正体も不明だ。
ミユキは再度大剣を振りかぶり、獅子の魔獣へと叩きつける。
敵はそれを両腕をクロスして受け止めると、その威力に太い脚を地面へとめり込ませた。
「アリシア、こんなところに急に呼び出されれば警戒するのは必然だ……。普通の人間なら怒って当然だぞ」
「なっ……!」
ミユキと獅子の魔獣が戦う後ろから、今度は真っ黒な犬が姿を現した。
シェパードやドーベルマンを彷彿とさせるスタイリッシュなフォルムで、大型犬程度の大きさだ。
獅子と同じく、真っ黒な体毛と真っ赤な瞳が特徴だった。
そして、”彼”もまた言葉を話している。
「あなたたち……何者? 目的は何」
「突然目の前に現れた相手が、目的も名前も、全部思い通りに喋ってくれるなどと思わないことね」
女は妖艶な貌に嘲笑を浮かべる。
それはそうだとティアは舌打ちをするが、それを横にいる犬がたしなめるように喉を鳴らした。
「アリシア。お前の悪い癖だぞ。意地悪をしていないで答えてやったらどうだ。このままだと
殺し合いにしかならないだろ」
「黙っていなさいヒューゴー。ガスパール! その女は? ”あいつ”と比べてどう?」
アリシアはヒューゴーと呼ばれた傍らの犬に、追い払うような仕草を見せながら、獅子の魔獣ガスパールへと声を投げかけた。
「膂力が桁違いだ。”奴”とは違うタイプだが、強さで言えば”奴”の足元にも及ばない。だが此奴とて本気ではあるまい」
ガスパールがミユキの攻撃をかいくぐりながらそう言った。
ミユキの力を真っ向から受け止めているだけでも、相当の実力者と見ていいだろう。
だが、ティアはヒューゴーとガスパールという名前にも聞き覚えがある。
「どういうつもり? 誰も彼も勇者パーティの名前ばかり。ファンサークルか何か?」
そう。
アリシア、ガスパール、ヒューゴー。
この3人に聖女アウラと勇者を加えたものが、400年前魔王と戦った伝説の勇者パーティだとされていた。
5人のうち3人の名を名乗るとは、一体何のつもりなのだろうか。
「お前たちこそどういうつもり? 聖女と勇者で徒党を組んで、何を始める気なの? 今度は世界を滅ぼす?」
アリシアは戦闘を繰り広げるミユキとガスパールを挟んで、ティアを鋭い目つきで睨みつけた。
「何を言っているの? そもそも聖女や勇者ってなんのことかしら」
「とぼけるつもりか」
「目の前の相手が、本当のことを何でも喋ってくれるとは思わないことね」
ティアは冷たい目で、アリシアに仕返しのように皮肉を飛ばした。
「ふ、アリシア。あの聖女なかなか面白いぞ」
「黙ってなさいと言ったわよ」
黒犬ヒューゴーは、ブルルと鼻を鳴らし、アリシアの持っていた赤い杖で小突かれた。
「勇者よ、貴様は何のために戦う……」
そんな折、ガスパールは鋭い爪でミユキを引き裂こうと飛び掛かりながら、彼女に問いかけた。
ミユキは後ろに飛んでかわし、その延髄に踵を叩き込んでいる。
「ぬっ……」
わずかに怯むガスパールだが、異様に頑丈ですぐに腕で払ってくる。
「何を仰っているのか分かりませんが。少なくとも私は世界を滅ぼすだとか、そういうことはよく分かりません!」
「なるほど。此度は勇者の方が平和主義かもしれんな」
ガスパールは、牙をむき出しにして嗤った。
ティアは、このまま腹の探り合いをしていても埒が明かないと思った。
戦力は3対2でこちらが一応不利だが、アリシアやヒューゴーが動かないところを見ると、向こうが優勢ということでもないらしい。
ミユキの実力が分からない以上、向こうも攻めるに攻められないのかもしれなかった。
ただこちらとしても、ミユキがガスパールにかかりきりになってしまうと、決め手には欠ける。
少なくともあと一人、フガクかレオナが来てくれればもう少し優勢に出られるのだが。
「いいわ、腹を割って話しましょう。別に争いたいわけじゃない」
ティアは一度深呼吸をして、相手にそう提案してみる。
ここで消耗する意味はあまり無いと思った。
実際、アリシアがティアに差し向けられた刺客なら、もっと激しい攻撃を仕掛けてくるだろう。
あくまで様子見に徹しているということは、話し合いの余地があるということだ。
まあこちらから襲い掛かったのでどの口でという感じもするが、そもそもこんなところに勝手に連れて来たのは向こうなのだから、痛み分けと言うことにしてもらいたい。
「ふん、私たちは襲われているだけよ?」
こいつ……とティアは額に青筋を浮かべた。
こちらが下手に出ればこの言いぐさだ。
確かに出方を誤ったのはこちらかもしれないが、原因は確実に向こうにある。
「勝手に連れてきといてよく言うわ。どうするの? このままミユキさんが3人仲良く首を取ってもいいけど?」
ティアは苛立ちを押さえつつも、へりくだることなく冷たく言い放つ。
見たところ、確かにガスパールは強いが、ミユキもまだ全然余力がある。
ここならば『聖餐の血宴』も使えるだろうし、よほどのことが無ければ負けはイメージしにくい。
交渉の優位性はこちらにあると思った。
「はあ? やれるものならやって……」
「やめておけアリシア。ガスパール、お前はその勇者を倒せるのか?」
アリシアの前にヒューゴーが躍り出た。
ティアとアリシアの視線が交錯する。
まるでいい歳してワガママなお嬢をたしなめる従者二人といった感じだ。
従者が人間じゃないくせにまともなのが何とも皮肉な話だが。
「これが此奴の全力ならば、可能だ。そうでないなら……確かに首が3つ転がることになるだろう」
「……ふん」
ガスパールの答えに、アリシアは鼻を鳴らした。
「……停戦、ということでよろしいですか」
ミユキは剣を構えたまま、ガスパールを見上げて問いかける。
ガスパールは、拳を下ろして頷いた。
「よかろう。いいな、アリシア」
「好きにしなさい」
ようやく互いに矛を下ろし、まともに話ができるかという段になったそのときだ。
「そこまでだ! ミユキさん! ティア、大丈夫!?」
バヂッ!という、聞き覚えのある雷鳴の音が聞こえた。
道路の鉄柵を乗り越えて、フガクが飛び込むように入ってきた。
既に銀鈴を抜き放ち、ティアとミユキを庇うように、間に割って入る。
「フガクくん……!」
「早かったわね」
「こいつらは……?」
フガクはアリシアたちを睨みつけたまま、ティアに問いかける。
こいつらが何なのか分かっていないので、ティアもどう答えようかと迷っていたそのとき。
「……冗談……でしょう?」
「アリシア?」
ガスパールやヒューゴーは、奥歯をギュッと噛んで引き絞るようにそう言ったアリシアに視線を移す。
「魔王……ですって? 聖女と、勇者と、魔王で、一体何をしようと言うの……!」
アリシアは、警戒を露わにしてそう言った。
ガスパールとヒューゴーも、驚き目を見開いて戦闘態勢の構えを取る。
ティアはもう何が何だか分からなかった。
「え? ……え?」
フガクも困惑し、チラリとこちらを見てくるが、自分にだって分からないのだから見られたって何も気の利いたことは言ってやれない。
ただ、アリシア=アンテノーラ。
彼女が聖女や勇者、そして魔王とやらと何らかの関わりを持つ人物だというのは、どうやら間違いないらしかった。
<TIPS>
お読みいただき、ありがとうございます。
モチベーションにもつながりますので、もしよろしければぜひ評価や感想などいただけると幸いです。
評価は下の「★★★★★」から行えますので、よろしくお願いたします。




