第163話 魔女の王②
ミユキはメハシェファーと対峙し、驚愕を露わにした。
彼女の口から零れ落ちた”勇者”という言葉。
ミユキはこれまでの26年間の人生で、自らを勇者だと名乗ったのは、後にも先にもゴルドール帝都でフガクとティアに伝えたあの1回だけだ。
にも関わらず、メハシェファーはその言葉を口にした。
「……どうして、私のことを?」
今まで一度しか口にしていない言葉を、なぜ彼女は知っている?
ジッとこちらを見つめる魔女の視線は、何を考えているかが読み取れない。
それに、辺りの雰囲気も妙だ。
賓客たちはこちらに視線を送っているものや、思い思い歓談しているものもいるが、どこか空気が浮ついている。
まるで夢の中にいるように、あるいはこちらに興味が無いかのように、一触即発の空気を無視していた。
「分かります。私は……”この現世で”勇者を最も恨む女ですもの」
「わ、私は貴女に恨みを買うようなことをした覚えはありません……!」
メハシェファーの視線は、ミユキを通して誰かを見ているような、そんな遠い目をしている。
だが、何故勇者を恨むのか、ミユキには意味が分からなかった。
「ええ、貴女のことではありません。……むしろ貴女がそこに在ることは……とても喜ばしいこと」
メハシェファーは、もう一度指先でミユキの顎から頬をそっと撫でた。
ゾワゾワとした悪寒が走る。
瞬きもなくこちらの心を覗き込むようなメハシェファーの瞳と、一瞬口元に浮かんだ不気味な笑みに、ミユキは一歩後ずさった。
「やめてください……!」
「そんなに警戒しないで。私、占いが得意なのよ」
「な、何の話ですか」
ミユキは警戒したまま、メハシェファーに問い返す。
彼女の言葉には脈絡が無い。何を伝えたいのだろうか。
「今日ここに来ると良縁に恵まれると出ました。だから来たの。ええ、確かに当たっていたわ……貴女のことだったのかも」
口元に微笑を浮かべたままメハシェファーはミユキを瞳の中から外さない。
「でも……貴女」
「……私、ですか」
メハシェファーの視線が、ティアへと移った。
何かをこらえるような表情をしていたティアの額には、汗が浮かんでいる。
「貴女は違ったみたい……似ていると思ったのだけど」
「誰に……ですか」
「聖女アウラに」
ミユキは眉をひそめた。
聖女アウラ=アンテノーラ。
フガクが先日夢に見たという、400年前の勇者パーティにいた聖女だ。
ティアは人工的に作られた聖女だから、まったく無関係とはいえないのかもしれない。
ただ、問題はそこではない。
メハシェファーが、”アウラを知っているかのように”言ったことだ。
――不老不死なのではないかという話もあるほどです。
先ほどマティルダが言っていた言葉が頭を過ぎる。
まさか。
「まるで知り合いみたいに言うんですね」
ティアの身体が一瞬、青白く輝いた。
彼女がホーリーフィールドを張ったのだ。
戦うつもりか?と一瞬身体がこわばるミユキ。
メハシェファーの口元からも笑みが消え、ジッとティアを見下ろしている。
「……知り合いだなんて。御伽噺の……哀れな人でしょう」
そしてメハシェファーは、ティアから興味を失ったかのようにミユキへと視線を戻す。
「お名前を伺ってもよろしくて?」
「ミユキ……クリシュマルドと申します」
ミユキが名乗ると、メハシェファーはまた笑みを浮かべて小首を傾げた。
老獪で不気味な魔女なのに、その仕草はまるで少女のようにすら見える。
未だミユキには、メハシェファーという女性の内面が一切見えてこない。
「そう、ミユキさん。お近くに来られたときは、ぜひ私の屋敷にもいらしてね。では、ごきげんよう」
そしてメハシェファーは、踵を返してこちらを振り返らず、そのまま中庭から去っていった。
何人かが、その後を追いかけるのが見える。
「あれ、お話は終わったの?」
近くにいたサリーが、今までの異様な雰囲気をまるで意に介することなくそう言った。
「サリー、マティルダさん、大丈夫ですか?」
ティアが二人の顔を順番に覗き込む。
「大丈夫とは、どういう意味ですか?」
マティルダは不思議そうに首を傾げる。
今のやりとりを見て、何とも思わなかったのだろうか。
「いえ……何ともなさそうであればいいんです」
「ティアちゃん……ちょっと」
ミユキはティアの手を引き、中庭の端へと連れて行く。
今の一連の流れを整理した方がいいと思った。
「何が起こっていたのでしょう」
「私にも分からない。でも、何かしら精神に干渉されていた気がする。ミユキさんは何ともないんだよね?」
「ええ、私は特に……ですが、メハシェファーさんは勇者のことを知っていました。それは一体……」
「しかも、”喜ばしいこと”とまで言われてたもんね。どういう意味だろう」
一見脈絡の無い言動に見えても、本人の中では繋がっているのだ。
自分たちの知らない、勇者や聖女に関わる何かがあるのかもしれない、
何となくだが、今後もメハシェファーとは会うことになる気がした。
「フガクくんたちにも、共有しておかないとですね」
「もちろん。というか……メハシェファーが来たせいで調査どころじゃ無くなっちゃったね。今から少しでもやっておかないと」
別に今日の目的はメハシェファーに会うことではない。
あくまでも貴族の噂についての調査だ。
ミユキは、ひとまず気を取り直して本来の目的に取り組むことにした。
―――
時刻は23時を回ったところ。
現在ティアはミユキと二人、帰りの馬車を手配してもらってカフカ邸へと帰宅しているところだった。
マティルダとサリーももう少ししたら帰るとのことで、先に帰っていてくださいと言われたのだ。
「ねえ、おかしくない?」
そんな中、どこか不穏な気配を感じてティアは、ミユキに問いかけた。
「ええ、どんどん街を外れていっている気がします」
ミユキも、馬車の外を流れる風景を見ながら、頷く。
馬車で走ること20分以上。
本来なら10分程度で到着するはずが、さすがにおかしい。
ミユキは馬車の御者台に向けて声をかける。
「すみません、道を間違っておられないでしょうか。郊外に来てしまっているようですが……」
「……」
御者の反応が無い。
その眼は虚ろで、意識を現実世界からどこかへ飛ばしてしまったかのような印象を受ける。
「ティアちゃん……これは、まさかメハシェファーさんが?」
精神に干渉する魔法かスキルをかけられているなら、先ほどのメハシェファーの仕業ではないかと思った。
「どうなんだろう……タイミングとしてはあり得るけど、違うような気もする」
ティアもその線を一瞬考えたが、何のために?と思い直した。
彼女が自分たちを狙う理由など特に無さそうに思えるが……。
「ちょっと失礼!」
ティアは馬車から身を乗り出して御者台へと移る。
それでも御者からは何の反応も無い。
そして手綱を奪おうとしたところで、急に馬車が停車した。
「キャッ!」
急停車にティアはバランスを崩し、落車してしまう。
高さは1mも無いので特に怪我は無いが、肩から落ちたので痛みと、わずかに泥が付着した。
「だ、大丈夫ですか!?」
ミユキも停まった馬車から降り、転んでいるティアに手を差し伸べた。
肩が出たオフショルダータイプのドレスだったので、白い肌に土が着いており、ミユキはそれを払ってやった。
「ありがと……ここって……」
辺りを見渡すと、そこは共同墓地だった。
綺麗に整備や清掃は行われており、嫌な感じは無かったが石板のような墓石が均等な間隔で並んでいる。
月明りとわずかな街灯が照らす墓地には人気が無く、遠くから梟か何かの鳥の鳴き声が聞こえてくるばかりだ。
「ここが目的地、ということなのでしょうか」
ミユキは辺りを警戒する。
彼女は一応ティアの護衛も兼ねて夜会に参加しているので、馬車に大剣を積んでいた。
ミユキはそれを取り出し、ティアも眠ったように動かない御者の腰から剣を引き抜く。
「でしょうね。今度は墓場でのパーティにお誘いなんて、悪趣味だこと」
周囲に人影を確認する。
不自然なほどの人気の無さ。
数十メートル先は石畳の敷かれた道路で、この場所からも墓地を囲う鉄柵は見えている。
ただ、周囲を歩く人の音や生活音がまるで聞こえてこなかった。
「一応……フガクたちに場所を知らせておくね」
「ええ……」
ティアは、すぐに精霊の鳩を一羽召喚し、フガクの元まで向かわせる。
時間的には、何事もなければ既に屋敷に戻っているはずだ。
「……誰ですか! そこにいるのは」
突如、ミユキが向こうにある大きな木に向かって声をあげた。
暗がりでよく見えないが、彼女の『勇者の瞳』ならば見えるのだろう。
「……へえ、私が見えるのね」
木陰からではない、突如木の手前、何もない空間から一人の女が姿を現した。
均整の取れたボディラインを強調する真っ黒な革のドレスを身にまとい、おとぎ話の魔女のような大きな帽子をかぶった女だった。
青みがかった長い銀髪を揺らし、まるで夜闇が遣わした死者のような出で立ちの彼女は、赤い紅が引かれた口元に微笑を滲ませている。
「あなたは……」
ティアの前にミユキが立ち、大剣を低く構えた。
ティアはその女を見据える。
そして次の瞬間、女の口から飛び出してきた言葉に驚愕した。
「……なるほど、確かに勇者と聖女のようね。どちらも歪だけれど」
「っ……! ティアちゃん……」
メハシェファーの件といい、今日は何なのだろうか。
普通にクエストをこなしていたはずなのに、一気に自分たちの核心に触れるような女が二人も現れた。
「名前くらい名乗ったら? こんな素敵な場所に招待してくれてどうもありがとう」
ティアが皮肉を飛ばすと、女は口元を艶やかに動かす。
「そうね。私は、アリシア=アンテノーラ」
「なんですって……?」
ティアは驚いた。
その名前を、”聞いたことがあった”からだ。
落ち着け、攪乱する目的かもしれない。
ティアは一度瞳を閉じ、息を大きく吸って再び目を見開く。
どうするか考えあぐねているミユキに向けて告げる。
「ティアちゃん、彼女を知っているんですか?」
「ええ、おとぎ話の中でね」
アリシア=アンテノーラ。
ティアの知識が正しければ、それは400年前の勇者パーティにいた魔法使いの名前だった。
「とりあえず、ミユキさん。足の骨でもへし折ってくれる? 聞かないといけないことが馬鹿みたくあるから」
「わかりました」
「やれやれ……聖女とは思えぬ好戦的な態度ね」
まあ何にせよ、色々と興味深い情報が聞けそうだ。
こんなところまで招待してくれたのだから、ただ楽しくお茶会をしようということでもないだろう。
ミユキは地面を蹴って墓石を砕きながら大剣を振りかぶる。
それを見やるティアの視線には、怒りの色が滲んでいた。
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