第161話 魔女の王①
「ガレオン公爵夫人、ですか」
ティアは、これから訪れると噂になっている魔女メハシェファーについて、マティルダに尋ねてみた。
メハシェファーのことは名前くらいしか知っている情報が無い。
とにかく魔女関連は厄介なのであまり関わらないようにしていたのだ。
メハシェファーはロングフェロー北部に位置する魔女の自治区『フレジェトンタ』の代表で、”魔女の王”とも言われる人物だった。
ただ、彼女に関する話は過去に聞いたことがあるだけだ。
実際にこの国ではどういう印象で、どんな人物なのかを知っておきたいと思った。
「ええ、これから来られると聞いたので、どんな方なのかと」
「そうですね……私も何度かお見掛けしたことがある程度ですが、確かにこうした夜会に訪れるのは稀なことです。今日の夜会はいつにも増して大勢いらっしゃると思ったのは、そういうことでしたか」
マティルダも少し困惑したような表情を浮かべていた。
魔女メハシェファーはガレオン公爵の妻なので貴族だろう。
だが、その彼女が社交界に顔を出すのは非常に珍しいことのようだ。
「公爵夫人は、普段は何をされている方なのですか?」
ミユキの質問に、確かに気になるとティアも思った。
魔女たちの自治領であるフレジェトンタだが、領地はあくまでガレオン公爵領。
領地の運営は領主であるガレオン公爵が行うはずだ。
その中で自治権を認められているというのは分かるが、つまりメハシェファーの仕事は村の寄合の代表者みたいなものなのだろうか。
「公爵領にいくつかの孤児院や学校を運営されている方ですね。ただ、私が学生の頃に既に今と同じ活動をされていました。ずっとお姿が変わらないので、一説には不老不死なのではないかという話もあるほどです」
「不老不死? まさか」
ティアは思わず口をついて出た。
不死の人間なんて、この世にいるわけがない。
「私もそう思いますが、それほどまでに昔から名前の知られた方なのです。ただ、実際に会ったという方から悪い噂は聞きませんよ。魔女ということで、少し誤解をされている方も多いようですが」
「ティアさん、来られたみたいですよ」
マティルダの言葉を遮り、護衛として隣に控えていたサリーがそう言った。
ティアが入口の方に視線を移すと、どよめきと共に人垣が割れていく。
「あれが……魔女メルエム=メハシェファー」
コツ……コツ……と、石畳を針のように尖った黒いヒールで突き刺しながら、ゆっくりと歩いてくる女性。
ミユキにも劣らない、女性としてはかなりの長身だ。
しなやかで華奢な体は、夕暮れ時の影のように長細い。
黒いレースが指先までを覆う、赤紫色をしたベルベットのドレスを身にまとっていた。
「まあ見て……あれが公爵夫人」
「美しい方……」
夜会の視線のほとんど全てが彼女に集まっている。
ざわざわと、まるで魅入られたかのように周囲の賓客たちが彼女を賛美する声を挙げていた。
闇夜のように長い黒髪は、踵にまで届くほど長く、病的に白い肌と目の下の黒い化粧が存在感を露わにしていた。
「まさに魔女……といった印象ね」
「ええ……なんというか、あの方の周囲だけ空間が歪んでいるような異質さを感じます」
ティアは周囲に聞こえないようミユキと互いの印象を共有する。
深い紫色の瞳が、主催者のアッヘンバッハ伯爵へと向けられている。
彼女の一挙手一投足が、まるで美術館の彫刻品のように衆目を集めて離さない。
ティアたちの前を通り過ぎたメハシェファーは、アッヘンバッハ伯爵の前でカーテシーを行った。
それだけで、周囲の喧騒はピタリと静まった。
「お招き有難う、アッヘンバッハ伯爵」
ティアは思わず息を呑んだ。
あまりにも、異常。
彼女の声を聴くだけで、心地よく脳が蕩けていくような気分になった。
気を抜けば膝が抜けるかと思った。
ジャコウのような甘ったるい香りがここまで漂ってきて、そのまま眠りに落ちてしまうかのような優しい声色だ。
魔女の王が放つ妖しい色香は、同性である自分すらも虜にしてしまうような快感を与えてくる。
本当に彼女は、人間なのか?
「こ、これは……公爵夫人。まさか足をお運びいただけるとは、光栄の至りですな」
アッヘンバッハ伯爵も声は朗々としていたが、手にしたグラスが小さく鳴って揺れるのをティアは見逃さなかった。
伯爵の目はメハシェファーを見据えていながらも、どこか視線を逸らそうとするような曖昧さを帯びている。
「どうか、ごゆるりとお過ごしくださいませ」
言葉は礼節を尽くしている。
だが、わずかに青ざめた頬と額に浮かぶ一筋の汗が、彼の内心を雄弁に物語っていた。
それは異様なほどのカリスマ。
威圧ではなく、まるで夢心地に包み込むがごとく、現実との境界を曖昧にするかのような柔らかさだ。
思わず傅いてしまいそうなほどの魔性が、辺りを支配していた。
「常日頃からのご支援感謝しています。ぜひフレジェトンタにいらして。子どもたちの笑顔を、伯爵にもご覧いただきたいわ」
「あ、ああぜひそうさせてもらおう」
目を細めて笑うメハシェファーの笑顔が、脳髄を刺激する。
ティアは、あれは直視してはならないものだと目を逸らし、ミユキを見る。
「大丈夫?」
「え? 何がですか?」
「……ん、平気ならいいの」
ケロリとしているミユキ。
変な気分になっているのは、自分だけなのだろうか。
だが、近くにいるマティルダやサリーも、どこかぼんやりとして遠くを見るかのような表情になっていた。
メハシェファーは踵を返して庭園の中を悠然と歩いていく。
そのまま帰るのか、他の賓客とも言葉を交わすのか。
ティアは可能な限り直視しないよう、視界の端に彼女を捉える。
時が止まったような静けさの中、メハシェファーが自分たちの前を通り過ぎようとしたその時だった。
「あら……?」
メハシェファーの視線が、こちらを向いた。
ティアが彼女を見ると、視線は合わない。
魔女の魔性の眼は、ミユキを真っすぐに捉えていた。
「……貴女」
メハシェファーは、少し驚いているように見えた。
ブワッと、彼女の背中から甘やかな重圧が迸った気がした。
「あ、あの……私ですか?」
ミユキは何故声をかけられたのか分かっていないようだ。
ティアはメハシェファーを目の前にするだけでバクバクと心臓が跳ね上がっている。
だがミユキは全く何事もなさそうだった。
この感覚は何だろうと、ティアは一筋の汗が頬に流れるのを感じながら、疑問に思った。
「……そう。貴女は”彼女”ではないのね、よかったわ。殺してしまうところだった」
「殺す」と言われたのに、ティアは自らの身体を差し出したくなるような心地よさに捕らわれた。
目を細めて笑う魔女の視線は、殺意など微塵も感じさせないのに、心臓を鷲掴みにされるような緊張感がある。
「あの、どういう……?」
「いいえ、何でも無いの。でも……嗚呼、可哀想な子。貴女は勇者として生まれ堕ちてしまったのですね」
メハシェファーの指先が、そっとミユキの頬を撫でる。
ミユキの目が驚きに見開かれた。
「どうして……それを……?」
絞り出すようなミユキの呟き。
二人の間に、流れる張り詰めた空気。
当たりの人々は、凍りついたかのように静まり帰っていた。
彼らの視線はこちらを向いてすらいない。
メハシェファーは、この魔女の王は、完全に場を支配している。
ティアはそれに飲み込まれないよう自分を強く持ちながら、ミユキを憐れむように見つめるメハシェファーの次の言葉を待つのだった。
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