第159話 陰謀の夜会②
夜18時、辺りが暗がりに包まれ始めたころ、ミユキはティアと共に夜会を訪れていた。
マティルダがお呼ばれしたようだが、カフカ伯爵から協力するよう言われているのか、自分たちにも参加してみないかと声をかけてくれたらしい。
噂を探ろうとしていた自分達にとっては、渡りに船だった。
ミユキはティアの宣言どおり、一昨日よりもやや胸元の開いた大胆な薄ピンクのドレスを着せられている。
だが、原因は自分にあるのでそこは文句を言わず甘んじて受け入れた。
レオナとフガクは一足先に屋敷を出発したのだが、フガクが「絶対後で見せてね!」と念を押してきたことを思い出してクスリと笑みがこぼれる。
胸の奥が暖かい気持ちにはなったが、とはいえ恥ずかしいことには変わりない。
ショールでどうにか胸元を隠しつつ、羞恥に身を焦がしながら現地に到着したところだ。
「盛況ね。一昨日の王宮の晩餐会と比べても、こっちの方が人が多いくらいじゃないかしら」
ティアが辺りを見渡しながら感心したような声をあげた。
黒い鉄の柵と白い壁に囲まれた広い敷地の中では、中庭を活用した立食パーティが行われている。
色とりどりのドレスを着た来賓や、仕立ての良いスーツの紳士たちが思い思いにグラス片手に歓談をしていた。
ちなみにサリーはマティルダの護衛として参加しており、本日もドレスではなく騎士服だった。
「本日はアッヘンバッハ伯爵主催の夜会です。まずは伯爵に御挨拶に伺いましょう」
マティルダにそう言われ、ミユキはティアと顔を見合わせる。
アッヘンバッハといえば、学院でティアたちと同じクラスだったエイドリックの実家だ。
先日のベルダイン侯爵との出会いといい、やはりノルドヴァルト騎士学院がそれだけ上流階級の子女も通う学校だということを実感する。
「あら、お知り合いでしたか?」
「はい、実は先日ノルドヴァルトで……」
エイドリックのことをティアが説明する。
ミユキは教師だったと伝えておいた方がいいのか少し迷った。
相手に変な気を遣わせるだけではないのかと思ったが、どうせバレるから隠す必要は無いとティアに言われたので従うことにする。
二人はマティルダの紹介で、アッヘンバッハ伯爵と挨拶を交わした。
口ひげを生やし、眼鏡をかけた壮年の紳士で、エイドリック同様やや生真面目そうな印象を受けた。
その分夫人の方がおっとりとした人で、ミユキは結局息子がお世話になりましたと頭を下げられ恐縮することになる。
ひとまず主催者への挨拶を終えたが、マティルダはまだ伯爵と話があるとのことで別行動となった。
ミユキはティアと共に、参加者の顔ぶれを確認しようとしたときだ。
「あの……先ほどアッヘンバッハ伯爵とのお話が聞こえてしまったのですが、ノルドヴァルトで教員をされていたとか……」
一人の女性が声をかけてきた。
茶色の髪を後ろでまとめた、少し大人しそうな印象の女性だった。
年齢は40代前半といったところだろうか、目元に少し疲れた印象が見える。
「え? ええ……ですが先日退職しておりまして……」
在職期間なんて一週間だ。
ミユキは教員をやっていましたとはとても声高に言えないと思いつつ、笑顔を返す。
「私はモルガナ=エバンスの母です。その節は娘がお世話になりました……いえ、娘の命を救っていただき、本当にありがとうございます!」
そう言って、エバンス夫人は深々と頭を下げる。
ミューズに囚われていたモルガナは、間一髪のところで命が助かっていた。
そのことを、彼女も学院側から聞かされていたのだろう。
「と、とんでもないです。モルガナさんがご無事で何よりでした」
ミユキはどうにかエバンス夫人に顔を上げてもらい、しどろもどろになりつつ事の経緯を簡単に説明する。
聞けば、アッヘンバッハ伯爵からノルドヴァルトを救った英雄が参加すると聞いて、慌てて来たらしい。
「娘の調子もだいぶ良くなって……本当になんとお礼を申し上げたらよいか……」
「いえ、気になさらないでください。学院側から十分お礼を伝えられていますし、私たちも成り行きでそうなっただけですから」
ティアが丁重にそう伝えると、エバンス夫人は少しだけ笑ってくれた。
結局夫人からはもう一度感謝の言葉を伝えられて別れることになった。
ミユキはティアと二人で庭の端の方へと移動する。
「私たちの名前、かなり知れ渡ってしまっているようですね」
「学院であれだけやれば、まあ仕方ないね。ただ気をつけないと……」
「ええ……誰が私たちことを知るか分からない、ということですよね」
「そう。面倒ごとが向こうからわざわざやってくることにもなりかねないからね」
ミユキは辺りからの視線を感じていた。
一昨日の王宮での晩餐会にも参加していた貴族からだろう。
さらに、そこから噂が広がって一気に自分たちは有名人だ。
少しの居心地の悪さを、ミユキは感じていた。
「で、ミユキさんはフガクとどう仲直りしたの?」
ティアは近くの給仕からノンアルコールのドリンクを二つ受け取り、一つをミユキに手渡しながら尋ねる。
ミユキはドキリとなった。
だが、ティアには話しておいてもいいかもしれないと、ミユキは飲み物に口をつけた彼女に告げる。
「……フガクくんに謝罪して、好きですとお伝えしました……」
「ブッ……!! ゲホッ……! え、ええっ……!?」
ティアは口に含んだ飲み物をむせて吹き出し、慌てて取り出したハンカチで口を拭った。
信じられないものを見るような目でミユキを見つめる。
「……変、ですか?」
「変じゃないけど……昨日の今日で極端だなあ。で、フガクはなんて?」
「あ……そういえば返事を聞いてないですね」
ミユキはそこでようやく、フガクから返事をもらっていないことに気がついた。
伝えることで精一杯で、自分の気持ちを分かってほしくて、そう言ったのだ。
「好き」という感情を、彼に伝えること以上を考えられなかったのもある。
ミユキの言葉にティアは呆れたような顔を見せたが、それでも最後には笑ってくれた。
「ま、いいんじゃない。ミユキさん頑張ったね。でも返事ほしいでしょ?」
「それは……ほしいです」
昨日の一件から、できるだけティアには本音で語ろうと思ったミユキ。
素直な気持ちを口にした。
「どうする? ”僕も好き”って言われたら。それってもう恋人だよ?」
「え、ええ……? どどどうしましょう……! どうしたらいいですか!? 恋人って何をするんですか!?」
「知らないよ。私だってそういう経験ないんだし……まあフガクと一緒に考えなよ」
庭の端で、夜会そっちのけで恋バナを始めてしまうことになった。
ミユキは明確に自分の中に”欲しい”という感情が生まれたことに気づく。
これまではあまり持ちえなかった、自分の中の明確な欲望だ。
「は、はい……とりあえず返事を待っておきます」
「まあでも催促しないとフガクのことだから……」
「やあ、ここでも会えるとはね。こんばんは」
ティアと話していると、そこに先日出会った若き医師のロレンツ=エンディミオン伯爵が近づいてきた。
相変わらずスマートな佇まいで、周囲の女性たちからの視線が感じられる。
後ろには嫌みな護衛のダリオもくっついており、相変わらず品の無い笑顔でこちらを見ている。
「こんばんは伯爵。あ、ロレンツさん」
ティアが挨拶を返したので、ミユキもペコリとお辞儀で返す。
ロレンツは柔和な笑みで頷いた。
「覚えてくれるとは、嬉しいね。君たちもアッヘンバッハ伯爵から招待を?」
「いえ、カフカ伯爵夫人にお誘いいただき、厚かましいと思いつつも同行させていただきました」
相手が貴族だろうと王族だろうと、物怖じしないティアの存在は本当に頼もしいと思った。
ロレンツも「なるほど」と頷く。
「……ロレンツさん、最近カスティロ侯爵に良くない噂があると仰ってましたが、どんな噂ですか?」
ティアは一瞬迷う素振りを見せたが、ロレンツを真っ直ぐ見つめて直球の質問を投げかけた。
「え? ど、どうしたんだい突然」
穏やかで冷静なロレンツも、驚いたような表情になる。
それはそうだろう。
特に社交界に縁もゆかりもない相手が、いきなり貴族間の噂について問いかけてきたのだから。
「実は昨日、陛下からもそのような話を聞いたんです。私たちも少しの間王都に滞在するので、知っておいた方が良いのかもしれないと思いまして……あ、でもいきなり失礼ですよねこんな話。すみません、忘れてください」
そう言って苦笑するティア。
演技が板についているなとミユキは関心した。
「ああいや、いいんだ。そうだね、私が言っていたとは言わないでほしいんだが……」
ただの興味本位に思われるかと心配したが、ロレンツは意外にも少し声を潜めて辺りを確認している。
その視線の先には、他の貴族と話しているカスティロ侯爵の姿があった。
「実は、カスティロ侯爵が他の貴族を話しているときに、何らかの取引について声を荒げているのを聞いてしまってね。有名な話さ。他にも聞いた人はたくさんいて、王室派の筆頭と思わせつつ、他の者と何かよからぬことをしているんじゃないかって……」
「そう……ですか」
「兵器がどうとか詰め寄っていたってね……ほら、侯爵は物流を牛耳っている大物だ。正直、密輸なんかやろうと思えば簡単にできてしまうんだよ……」
ヒソヒソと語ってくれたロレンツ。
ティアは遠くにいるカスティロを見ながら、考える素振りを見せた。
「私が知っているのはそれくらいかな。他の人には言ってはいけないよ」
自分の口の前に人差し指を立ててそう言った。
「はい、もちろんです。ありがとうございます」
ミユキは、本当に噂程度の話でしかないとは思ったが、火の無いところに煙は立たない。
兵器や取引といった言葉が本当に飛び交っていたのだとしたら、かなり怪しいと言えるだろう。
ミユキがそんなことを考えていると、ロレンツは思い出したように口を開いた。
「あ、そういえばお茶会の件は考えてくれたかな?」
王宮の晩餐会で、ぜひ今度屋敷においでと招待された件についてだろう。
社交辞令ではなく、本当に誘ってくれているようだ。
「では……3日後はいかがでしょう? 何分無作法な冒険者ばかりなので、ご迷惑でなければ……」
丁重に断るのかと思っていたが、ティアは了承した。
情報集めが肝心な時期だ。
気さくに声をかけてくれるロレンツから、色々と聞き出せないかと思っているのだろう。
「迷惑なものか。ぜひみんなでおいで。君たちの武勇伝が聞けるとは感激だ」
「ではぜひ。いいよね、ミユキさん」
「はい、お邪魔いたします」
ティアの問いかけにミユキも微笑み頷いた。
気を良くしてくれたのか、ロレンツは少年のような笑顔を浮かべている。
なるほど、こういうところがご婦人たちにモテるところなんだろうなとミユキは思った。
屈託なく笑うフガクの顔をミユキは思い出した。
「よかったな君達。伯爵のお茶会といえば、ご婦人方がこぞって参加したがる大変貴重な機会だぞ」
ニヤニヤとそう言ってくるのは、ロレンツの背後に控えていたダリオだ。
さすがに主人自ら誘っていたからか、嫌みは控えめだった。
「ダリオ、そんな大したものじゃないよ。そういえば、聞いたかい? 今日のお茶会にはガレオン公爵夫人が参加するって」
「……え?」
ティアは眉を潜めた。
その表情の変化に、ミユキもわずかに不穏な気配を感じた。
「珍しいこともあるものだね。まあアッヘンバッハ伯爵は夫人の運営する孤児院に多額の寄付をされているから。付き合いもあるのだろうけど。では私はこれで。3日後の朝10時に迎えを寄越そう」
そう言い残し、ロレンツは去っていくと、見計らっていたかのように何人かの女性から声をかけられている。
その背中を見送りながら、ミユキはティアへと視線を送る。
「ティアちゃん……」
「ええ……まずいわね」
ガレオン公爵夫人。
ティアが「絶対敵対してはならない」と言った4人のうちの一人であり、最も関わりたくないと言った女性だ。
魔女の自治領『フレジェトンタ』の代表であり、シェオルへの帰還を目指す『回帰派』の魔女。
つまり、メルエム=メハシェファーその人だった。
「どのような方なのか、知っておいた方がいいかもですね」
「マティルダさんに聞いてみましょうか」
ただの情報収集のために訪れた夜会のはずが、急に緊張を帯びたものへと変わっていく。
エフレムの目論見を邪魔した経緯もあるので、相手がどう出てくるかが分からない。
何事も起こらなければいいがと思いつつ、ミユキは少し離れたところで他の貴族と歓談しているマティルダの元へと足を進めていった。
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