第155話 ミユキの独白
ミユキは部屋に一人でいると気が滅入りそうになったため、屋敷の一階を少し散歩することにした。
ある程度歩き回ったところで、フガクとサリーが模擬戦を行っているところに遭遇した。
何となく楽しそうに見えたのもあって、ミユキは思わず柱の陰に身を隠し、彼らの会話に聞き入ってしまう。
「……ねえフガク君。あなたのことがもう少し知りたいの……今晩、街に夕食でも行かない?」
サリーが真剣な声のトーンで、フガクにそう告げていた。
突如降って湧いた彼の婚約話に、ミユキは頭の中がグチャグチャになっていた。
一度は頭ごなしに反対してみたものの、マティルダから返ってきた言葉に、返す言葉を失ったのだ。
――愛とは、ほんの些細な相手の美点を見つけることから始まるのですよ。
ミユキは、マティルダのその言葉を否定できなかった。
だってそれは、きっと自分にも当てはまることだったから。
彼の前向きで、優しくて、新しい世界で懸命にもがく姿に、いつしか目を奪われていた自分に。
彼の美点など、挙げろと言われればいくらでも挙げられる。
あの日二人で誓った、血塗られた運命を終わらせるための戦い。
今もその気持ちに一片の躊躇いも後悔もない。
だが、それは彼の人生を縛る行為ではないのかと思った。
この戦いの果てに、彼に幸福な人生は待っているのだろうかと。
そんな一瞬の迷いが、ミユキの口から言ってはいけない言葉を引きずり出した。
――フガクくんが幸せになれる道なら……検討すべきだと思います
なんでそんなことを言ったのだろうと、ミユキは後悔で頭がどうにかなりそうだった。
あのときの彼の表情が、ずっと脳裏に焼き付いて離れない。
だって自分の自惚れでなければ、きっと彼はその幸せになれる道とやらを、自分と一緒に歩こうとしてくれていたから。
彼のあの時の悲しみと、戸惑いの表情を見たときに、それは確信へと変わった。
(……なんで私は隠れているんでしょう)
別に盗み聞きをしに来たわけでもなければ、フガクを探しに来たわけでもないのだ。
普通に歩いて通ればいいのにと思い、ミユキは柱の陰から身を出す。
すると、バッタリと彼と遭遇してしまった。
「あ……ミユキさん」
「フガクくん……」
てっきりサリーと一緒に食事に出かけたのだと思っていたため、ミユキは呆気に取られてしまう。
バッチリ目が合い、何を言おうかとしどろもどろになる。
「……あの、行かないんですか……? お二人で食事……」
「行かないよ」
そう言って、フガクはスッとミユキの横を通り抜けて部屋へと帰ろうとする。
いつもならもう少し会話を交わしてもおかしくないので、やや冷たい対応だなと感じた。
もちろんそれもこれも、自分が蒔いた種なのだが。
「……どうしてですか」
どうしてサリーと行かないの?
ミユキの問いかけに、フガクは立ち止まって顔だけこちらに向けた。
その口元には笑みが滲んでいるが、瞳には少しの寂しさを称えている。
「どうしてだと思う?」
そう言って、フガクはふっと笑って部屋へと戻っていく。
ミユキは後を追えなかった。
その資格が、自分にはないと思ったのだ。
唇を噛み締め、眼の奥が熱くなるのを感じながら、中庭に視線を移す。
そこにはもうサリーの姿もなかった。
ミユキは、中庭の石畳の傍に設置されたベンチまで歩み寄り、腰かける。
深くため息をついた。
昨日まで彼の腕に自分の手を添えて、仲睦まじく歩いていたというのに。
しばらくぼんやりと地面を見つめていると、見覚えのある靴が視界の端に現れた。
「ティアちゃん……」
視線を上げるとそこには、腕を組んでこちらを見下ろすティアの姿があった。
口元には微笑が浮かんでいるが、これまでの付き合いからその目は怒っていると分かる。
「まあ分かってたけど。ミユキさんって、かなりめんどくさい女だよね」
「はい……すみません」
ミユキは再び俯く。返す言葉もなかった。
パーティ内の人間関係を乱すようなことをして、煮え切らない態度を取っている自分が悪いことは自覚している。
普段ミユキを責めることが無いティアだけに、その言葉は痛かった。
「今までそっとしといたけど、これでギクシャクされるの嫌だから言うね」
ティアは隣に腰かけ、こちらを見つめる。
ミユキも顔を上げ、ティアに視線を返す。
「フガクのこと好きでしょ」
ドクンッと、心臓が跳ね上がる音が聞こえた。
自覚があるようでなかった、これまで口に出したことの無い想い。
頬が急激に熱を帯び、声を出そうにもついぞ世界には放たれない。
「そ、れは……」
どう答えればいいか分からないから、ティアに察して欲しいと視線を送るが、彼女はそんなに甘くはなかった。
「まずはっきりさせて。じゃないと話進まないし、進める気もないから」
ティアの言葉は厳しかった。
ミユキは視線を逸らし、唇を噛む。
「わ、分かりません……」
「駄目、はっきりさせて。口に出して言いなさい」
ティアは逃がしてはくれない。
こんなことを、口に出してもいいのかと逡巡する。
言ってしまえば、もう後戻りはできない気がした。
正直、今の関係は居心地が良い。
互いに憎からず想っていることが分かっていて、つかず離れずの距離感はとても気分が良かった。
フガクは自分の弱音なんかも受け入れてくれるし、どこか長年連れ添ったパートナーのようにも扱ってくれる。
茶番劇まがいの恋人のような振る舞いができたのも、核心に触れる言葉を口に出してはこなかったからだ。
そして多分彼は、自分に好感を抱いてくれているんだろうなという安心感があったからでもある。
きっと役を演じるような気軽さと、手厚く張られた予防線の上で、自分たちは互いが傷つかないように踊ってきたのだ。
まるでお姫様のような扱いをされて、自分は舞い上がっていたのかもしれない。
ひょっとしたら、自分が何を言ったって彼は許してくれるなんて、そんな甘えすらあったのかもと。
ミユキは泣きたい思いをこらえながら、ティアを見つめる。
こうなってしまってはティアは許してくれない。
「あなたたちが今の関係性を楽しむのは勝手だけれど、私の旅の邪魔をしないで」と、そう言われているような気がした。
ミユキは覚悟を決めて、浅い呼吸の中で口を開いた。
「はい、私はフガクくんのことが好きです」
唇も、指先も、そして声も震えた。
上ずったまま世界に向けて放たれた言葉が、ジワジワと頭の奥を浸食してくる。
「それは仲間として? 恋愛対象として?」
ティアはまだ踏み込んでくる。
絶対に逃がさないという気迫めいたようなものを感じた。
「男性として……好きです。彼に触れたいと、側にいたいと……そう思っています」
ああ、自分は彼のことが好きだったのだと、ようやく客観的に理解できた気がした。
その言葉に、ティアはため息をつく。
「じゃあ何で婚約を勧めるようなこと言ったの?」
ティアの声色は、少しだけ優しいものへと変わった。
ちゃんと告白したことで、ティアも分かってくれたようだ。
「フガクくんに……幸せになってほしいからです」
綺麗なお屋敷、優しい家族、素晴らしい家柄、そして可愛くて性格も良い素敵な相手。
それがフガクの前に提示されているのだ。
婚約を受ければ、全てが手に入り、きっと彼は幸せになれる。
嫌だけど、すごく嫌だけれど、彼のためを思えば悪くない提案だと思えてしまったのだ。
だがティアは眉をひそめる。
「なんでよ。そこは”私と一緒にいられるなんて、フガクくんは幸せな人ですね”くらい言ってもいいと思うよ」
「そんなこと言えるわけない……!!」
ミユキは声を張り上げた。
珍しく感情を露わにした姿に、ティアの顔にも驚きが浮かんだ。
「私はいつ死ぬか分からないんです! フガクくんがこんな素敵なお屋敷で、貴族になって、王様に気に入られて、そんなの私なんかといるより良い人生に決まってるじゃないですか!」
感情を押し留めていた堰が崩壊するように、言葉がとめどなく溢れてくる。
ミユキの目には涙が浮かんでいた。
フガクはきっと、自分と一緒にどこまでも戦ってくれる。
けれど、もしダメだったら?
上手くいったとしても、その後の人生は?
彼はどんどん人間離れした力を手に入れて、もう自分と遜色ないレベルの強さに届こうとしている。
彼がこの世界にきて2ヶ月足らずのことで、はっきり言って異常だ。
引き換えに彼には常に傷が絶えず、命を削りながら戦っていることが傍目に見ていて痛いほどわかる。
ミユキにとっては幸せなことだった。
こんなにも、自分のことを想い、命をかけて共に歩んでくれる人がいる。
ひたむきに生きる姿に勇気をもらい、自分も強くなれた気がした。
そんな彼だから、惹かれたのだ。
―――だがそれは本当に、彼にとって幸せなことなのだろうか?
そう思うと、どうしてもあと一歩先の関係を求められなかった。
「……少なくとも、私はフガクくんに婚約しないでなんて言える立場じゃないです」
ティアは、ミユキの言葉を黙って聞いていた。
恋人じゃないのだ。彼の縁談を邪魔する権利なんて自分には無い。
そもそも、最初に反対したことの方がおかしいとさえ思っている。
恋人でもない女が、どんな立場で、どんな顔で、人の婚約に反対なんて宣っているのだと。
自分の厚顔無恥に、吐き気がするほど嫌気が差した。
「……ふーん、じゃあさ――」
ティアは微笑を口元に貼りつけて、俯き涙を浮かべたミユキの顏を覗き込む。
いつも自分に向けてくれる、優しくて穏やかな笑顔とはまるで違う。
機械的で、心の奥底までを見透かして貫くような、そんな不気味なほどに冷たい氷の微笑。
いつも敵に向けられるその顔がこちらを向くことが、こんなにも恐ろしいことだったなんてと、ミユキは背筋に寒気が走るのを感じた。
「―――私がフガクもらってもいい?」
ティアの真っ赤な、血のように鮮やかな瞳が射貫いてくる。
ミユキは頭の中が真っ白になっていくのを感じた。
これまで数多の敵が見てきたティアという女の恐ろしさに、ミユキは初めて直面するのだった。
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