第154話 サリー=カフカの憂鬱④
その後、俺たちは自由行動となった。
旅から連日の会談や夜会などで疲弊している俺たちを労い、ティアがそうしてくれたのだ。
カフカ邸での皆揃っての晩餐も断ってくれたので、各自街に出るなりして適当にやってと言われている。
まあ、先ほどの話の直後なんてギクシャクするだけだろうし、ティアが面倒を避けただけかもしれないが。
俺は荷物の整理も行わず、案内された部屋のベッドの上に身を投げ出して天井を見つめていた。
窓の外では、街の喧騒が遠くに聞こえる。
突如降って湧いたサリー=カフカとの婚約話。
当たり前に断ろうと思っていたところ、ミユキからのまさかの後押しで考えることになってしまったのだ。
俺は、レオナのからかいでもなければティアの合理性の観点からの発言でもない、ミユキからの言葉だったのがショックだった。
彼女だけは、俺の婚約話に真っ向から反対してくれると思っていたのだ。
もちろん、婚約を受ける気は今も無い。
ただ、俺はミユキの気持ちが少しだけ分からなくなっていた。
―――私は、フガクくんを幸せにはできませんから
その言葉が、いつまでも頭の奥に深く刻まれて繰り返されている。
「幸せか……」
俺は一人天井に向けて言葉を放つ。
こんなところをレオナにでも見られたら、爆笑必至でいじられまくるだろう。
幸せとは何ぞやなんて、考えるだけ時間の無駄だ。
そんなもの、答えも無ければ一つでもないのだから。
だが、ミユキの中には明確にあるのかもしれないと思った。
彼女はフェルヴァルムとの再会の後、俺に告げた。
―――幸せな人生を生きたい
彼女が望む"幸せな人生"の中に、俺はいないということなのだろうか。
「あーくそっ!」
俺はベッドをボフッと叩き、声をあげる。
考えても考えても、ミユキの言葉と彼女の曇った顔が脳裏に浮かんでは消えていく。
そんな時だった。
コンコンと、俺の部屋を誰かが叩く。
「はーい」
まさかミユキか?もしくはティアかもと思いながらベッドから下りて、扉に向かう。
ドアの前には、サリーの姿があった。
彼女も今日はそのままオフのようで、平服姿だった。
「や、さっきはごめんね? ちょっと付き合ってくれない?」
サリーははにかむように言った。
全くそんな気分では無かったが、部屋にいたって落ち着かないだけだ。
俺は一瞬の逡巡の後、サリーに着いて部屋を出る。
「どうしたの?」
「ん、一人でいると余計なことばっかり考えちゃうから」
どうやら、サリーも俺と同じ状態だったらしい。
2階から1階へと降りて、中庭にある訓練場のようなスペースへと辿り着く。
石畳と植物で彩られた中庭においては異質な、固めの土が敷かれた一角だった。
「私は子供の頃身体が弱くって。お父様のご友人でもあるヴァルター先生に、ここで稽古をつけてもらってたの」
雨でも稽古できるよう屋根があり、20m四方程度のスペースは模擬戦を行うにも十分な広さだろう。
「はいこれ。軽く模擬戦でもどう?」
サリーは、柱に立てかけてある木剣を取り俺に差し出す。
空き時間にミユキやレオナと模擬戦をするのが日課となっている俺は、やや気は乗らないまでもそれを受け取った。
「例の技、使ってもいいよ」
サリーは俺と距離を取り、フィールドの中心で剣を構える。
『神罰の雷』のことを言っているのだと思うが、俺は首を横に振る。
「さすがにここじゃ無茶だよ」
「あ、私のこと舐めてるな」
冗談めかしてサリーが言った。
「まさか。僕がその辺の柱や壁にぶつかって怪我するだけだよ」
俺は苦笑いしながらそう返す。
剣闘大会では訓練場も広く、アルカンフェルの課題があったから使ったが、ここでは狭すぎるしお互い危険だ。
「君はヴァルターさんの弟子なんだよね」
サリーの打ち込みを受け、軽く木剣を振るいながら問いかける。
「そう。まあ、先生の弟子というか門下生なんてたくさんいるんだけどね」
剣帝流のスキルを持っていた人物はそれなりの人数いた。
アポロニアや、シュルトなんかが代表例だ。
サリーは自分は別に特別な存在ではないと言うように、眉尻を下げて苦笑する。
「でもヴァルターさんは君に期待してるみたいだったよ」
「先生は優しいから、弟子にはみんな期待してるよ。昔は怖かったらしいけどね」
木剣を撃ち合う鈍い音が響く中、俺たちは言葉をかわしていく。
ヴァルターのことを語る時のサリーは活き活きしていた。
「へえ、ヴァルター先生が? 信じられないな」
「ガレオン公爵との斬り合いが日常茶飯事だったって聞いたことがあるよ。もう30年も前のことだって」
そう言ってサリーは袈裟懸けに切り掛かってきた。
それを俺は受け流す。
彼女の太刀筋は基本に忠実で無駄がなく、それでいて隙が無い。
確かにヴァルターの弟子と言った印象だ。
「尊敬してるんだね。先生のこと」
「うん、強くて、優しくて、誰からも慕われてる。私もそんな先生の元で学べるなんて、本当に恵まれてると思うよ」
そう言って剣を薙ぐ彼女の右手の甲を、俺は木剣で軽く叩いた。
サリーは思わず剣を落としてしまう。
視線が一瞬落ちていく剣を追う瞬間を見落とさず、俺は彼女の首元に剣を突きつけた。
「さすが……強いなあ。やっぱり私じゃ敵わないわね。ねえ、私って弱い?」
俺にもそれなりに強敵と戦ってきた経験が活きているのだろう。
サリーとの間には明確な実力差があった。
「そんなことないよ。ただその……基本の”き”の字も分からない僕が言うことじゃないけど、ちょっと基本に忠実すぎるかな?」
割と先が読める攻撃が多かったので、そう伝えてやる。
ヴァルターのように基本を極限まで研ぎ澄ます道もあるが、彼の場合は基本以外も恐ろしく高いレベルでできるからこそ手数の多さに繋がっている。
サリーの場合はまだ道半ばと言った印象だ。
この状態で戦うなら、ある程度定石から外れたこともしなければ格上の相手とは渡り合えないだろう。
基本は重要だが、相手も同じことができるならそれ以外のところで凌駕しなければならない。
が、サリーはまだ18歳だ。
技術の向上などこれからいくらでも見込める。
「優しい言い方……私は、フガク君のことも尊敬してるのよ。あのアルカンフェル先生にも勝って、学院を救ったんだもの」
「買いかぶり過ぎだよ。ヴァルターさんを倒したミユキさんはもっとすごかったし、実際に学院を救ったのはレオナだ」
落ちた木剣を拾い、サリーが俺を真っ直ぐに見つめる。
「……ねえフガク君。婚約のこと、どう思ってる?」
そう切り出してくるサリー。
その表情は真剣そのもので、彼女が本当に話したかったことはこれなのだとすぐに分かった。
俺は彼女から視線を逸らす。
「どうって……さすがに考えられないよ」
俺の気持ちは変わらない。
婚約なんて荒唐無稽すぎるし、受けるつもりなど毛頭なかった。
「……そうよね。でも、意外と私嫌じゃないんだよね」
「えっ……?」
俺は驚き思わず声を挙げる。
サリーは俺と同じようにキョロキョロと視線を泳がせ、やがてもう一度俺を見据えた。
「全然嫌じゃ……ないんだよ。どうしてかな」
”愛とは、ほんの些細な相手の美点を見つけることから始まる”という、マティルダの言葉が思い起こされる。
思えば、昨日の晩餐会から、サリーは俺に気さくに話しかけてくれていた。
彼女は学院の剣闘大会のときから、俺に対して多少の好感を持っていてくれたのかもしれない。
もしかすると、ヴァルターからも俺の話を聞かされていたのかも。
こちらを見つめるサリーの灰色の瞳が揺れている。
唇を引き結び、彼女は意を決してその言葉を口にしたのだと分かった。
「……僕のことは嫌いじゃない、それだけじゃないかな? 僕も君のことは嫌いじゃない。だけど、それと婚約は別でしょ」
俺は少し冷たく取られるかもしれないと思いながら、サリーにそう答えた。
彼女は彼女なりに、この婚約を真剣に考えようとしているのかもしれない。
乗り気でないのはお互い様だが、別に悪い話とも思っていない。
そんな印象だった。
「……そうね。私もそう思う。フガク君は、恋人はいないんだよね?」
「いないよ。恋人も、家族も」
いるのは仲間だけだ。
俺はこの世界に何も無い。
自分が生きて来た痕跡だって、あの日ティアと出会ったところからだ。
だから、娘を思うゼクスやマティルダを見てしまうと、少し羨ましい。
帰る家も、想ってくれる家族も、優しい師匠に誇りある仕事もある。
「そうなんだ……」
「そういう君は? 好きな人とかいないの? 親衛隊とか、学院とかに」
18歳なら、好きな相手の一人や二人いたって全然おかしくない。
サリーは苦笑して首を横に振った。
「いないよ、いたらこんなことになってないでしょ」
「確かに」
俺たちは笑い合う。
誰もいない中に、俺たちの声だけが小さく響いていた。
「……ねえフガク君。あなたのことがもう少し知りたいの……今晩、街に夕食でも行かない?」
意を決したように、サリーはそう口にした。
頬には少し朱色が差しているように見える。
サリーは「前向きに考えてもいい」と思ってくれているのだろうか。
彼女は伯爵令嬢だ。
俺みたいな素性の分からない冒険者なんかと一緒になることを、本気で考えているのか。
生真面目で、その上俺のことをその程度には想ってくれている。
俺にはそれだけで十分に嬉しいことだった。
そして俺は、口を開き彼女に返事を返す。
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