第153話 サリー=カフカの憂鬱③
「貴方、うちのサリーと婚約しませんか?」
マティルダからの突然の申し出に、俺は体中の全細胞が固まるように凍りついた。
「はい?」
口を開け放ってアホ丸出しの呆けた声をあげてしまう。
ただし、それはサリーも同様だ。
「お、お母様一体何を……」
「サリー、あなたももう18です。これまでも縁談を何度断ってきたか」
「で、でも! 私は騎士として陛下にお仕えしたいのです!」
立ち上がり、身を乗り出して声をあげるサリー。
彼女も寝耳に水の話だったようだ。
「あら、あなた目を輝かせて言っていたじゃない。騎士学院に素晴らしい方がいたって。自分が手も足も出なかったと。母は嬉しかったですよ。ああ、あなたにもとうとう興味を持てる殿方が現れたのだと」
「そ、それはそういう意味では……!」
俺たちを置いてきぼりにして、母娘の言い争いを始めたマティルダとサリー。
「あ、あの……」
俺より先にティアが割って入る。
ありがたい。
どう言おうかと考えあぐねていたところだった。
変な断り方をして角が立つのも嫌だし。
「フガクは私のパーティメンバーなので、今旅を抜けられると困るのですが……」
「あらごめんなさい。今すぐどうこうの話ではないのよ。あくまで婚約だから、そうね……婚姻を結ぶのは2年後、サリーが20歳の誕生日を迎えたときでいかがかしら」
「2年か……」
いやいやティアさんよ。
2年あれば旅もひと段落してるかも……じゃないんだよ。
日取りの問題ではない。
俺とサリーの気持ちはどうなるのだ。
というわけで、満を持して声をあげるとしよう。
「あのですねマティルダさん。僕といたしましては」
「だ、駄目です!」
俺が声を上げようとしたところに、ミユキが割り込んだ。
膝の上でキュッと拳を握り、唇を少し震わせながら真っすぐマティルダを見つめている。
「あら、どうして? あ、ごめんなさい私ったら! 先に恋人がいらっしゃるのか聞くべきだったわよね。もしかしてあなたが……?」
「い、いえ違います。その、サリーさんも、フガクくんもお二人ともその気は無いように見受けられます。結婚はやはり……お二人の気持ちが大事なのではないでしょうか」
ミユキは少し恥ずかしげに、だがはっきりとそう言った。
「そうね。でも、結婚や出会いには色々な形があるわ。サリー、母もお父様とはお見合いで出会ったの。陛下と先王、あなたのお爺様の薦めでね。最初は戸惑ったけれど、段々とお父様のことを知っていって、今は愛していますよ」
「あ、愛……」
ミユキはそれ以上何も言えなくなった。
俯き、耳まで赤くしている。
「いいえ、お母様。私はそんなつもりでフガク君のことを話したわけではありません」
サリーがそうはっきり述べてくれた。
「ではあなたはフガクさんとの婚姻は嫌だと? 彼には何の魅力も感じないと? そう言うのですね」
マティルダがジッとサリーの目を見つめる。
「そ、それは……尊敬できるところはあります……努力家で、実力も確かですし」
この流れはまずいと思った。
サリー、それは罠だ。乗ってはいけない。
「ではフガクさん、あなたはどう? 婚姻後は当家の婿養子としてお迎えすることにはなりますが……サリーは、私の娘には何の魅力も感じないかしら」
「……その、大変素敵な娘さんだとは思います」
こんなの、こう答えるしか無いんだが。
誘導尋問じゃないかと思いつつ、さすがにあなたの娘には何の魅力もありませんとは言えない。
「ほらご覧なさい。愛とは、ほんの些細な相手の美点を見つけることから始まるのですよ。あなた達二人はもう、そのスタートラインに立っています」
ぐうの音も出ない俺たち。
俺とサリーは視線をかわし、どうしたものかと天井を見上げる。
確かにマティルダの言うことだって一理あるのは認める。
ただ、婚約ってそんな簡単なものだっけ?と思うのだ。
大体、俺の気持ちはどうなる。サリーの気持ちだって。
「……けれど、確かに急なお話でした。皆さまもごめんなさいね。すぐに答えを出してとは言わないわ。ここでの滞在中、じっくり考えてみてくださる?」
そう言ってマティルダは、柔和な笑みを浮かべた。
これってこの人の社交術なんじゃないだろうか。
ティアもレオナも、言葉を失う俺をただ見つめるばかりだった。
そしてミユキは、俯き、何かを考えているように見える。
俺は彼女にそんな顔をさせることだけはしたくなかったのだ。
「すみません。考えることは」
できないと、そう言おうとしたときだった。
「少し考えてみても……いいのではないでしょうか」
「えっ、ミユキ、何言ってんの……?」
レオナも思わず驚きを露わにして、ミユキの顔を覗き込んだ。
彼女はギュッと両手の拳を握り、こちらを見ずに俯いている。
俺の口から放とうとした言葉が、霞のように消えていく。
「え? ミユキさん? ……な、なんで?」
絞り出した俺の声は少し震えていた。
「フガクくんが幸せになれる道なら……検討すべきだと思います。私は、フガクくんを幸せにはできませんから……」
「い、いやいやミユキ……アタシが言うことじゃないけど、フガクにこんな貴族のお宅は釣り合わないって……」
まさかのレオナが援護射撃をしてくれている。
それだけ、ミユキの声のトーン、俯きこちらを見ないその瞳に浮かぶ感情、それらがただごとでは無いと言っているのだ。
「フガクさん。どうかしら、彼女もこう言っていることだし」
俺は、視線を泳がせながら、助けを求めるようにティアの方を見た。
ティアはため息をつき、口を開く。
「フガク、あなたが決めなさい」
ティアは鋭い視線で俺を射抜くように告げた。
俺は困惑する。
ミユキは、俺がサリーと婚約しても構わないと思っているのだろうか。
俺は、この2ヶ月近い旅の中で、ミユキと心を通わせてきたと思っていた。
四六時中一緒にいる中で、確かな絆を育んできたはずだ。
俺はこのまま彼女と同じ人生を歩んでいくのかもしれないという、淡い期待さえ持っていた。
もしかすると俺は、自惚れていたのかもしれない。
懐にしまい込んだ銀時計に、そっと服の上から触れる。
俺とミユキは確かに運命共同体だが、それとこれとはまた別だったのだろうか。
もちろん、彼女を救いたいと言う気持ちに一片の変化も無い。
だがそれは、男女の仲とはまた違った絆だったのかもしれないと、少なくとも彼女はそう思っているのかもしれないと思わされた。
俺は言いたい言葉を喉まで出しかけて――凍りついた。
ミユキの声が、背中を押すどころか足枷のように俺を縛りつけていたからだ。
「……考えるだけなら」
俺の向かいで、俯くミユキの肩がピクリと震えた気がした。
「フガク君……」
サリーが驚いたように俺を見つめる。
俺たちは、ティアの復讐に手を貸すために集まったパーティだ。
逆に言えば、それ以外の繋がりは基本的には無い。
確かに4人とも仲は良い方だと思うが、あくまでパーティメンバーとしてだ。
今回出て来た俺の婚約話は旅への影響は薄く、誰も口を挟めないのだろう。
俺とミユキの運命が重なったことは、確かに俺たちの行動指針の一つではある。
だが、このパーティの目的とは少し逸れているのも事実だ。
だからこの問題は、俺とミユキが解決すべきことなのだと思った。
「サリー、あなたもよ。母は本気です。真剣に考えてみてちょうだい」
「……はい」
重苦しい空気のまま、その場はお開きとなった。
使用人たちからそれぞれの部屋へと案内される。
その間、俺とミユキは一言も話さない。
俺は、部屋への順路すら覚えられないほど頭の中がグチャグチャで、彼女にかける言葉の一つさえ見つけられなかった。
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