第58話 初めて尽くしの始まり
望んでいた今日がやってきた。カーテン越しに明るくなる空を見つめ、ライチはゆっくりと起きる。ミントを起こさないように音を立てずに歩き、歯を磨き、メイクをする。黒のカチューシャを頭につけ、ライチは鏡に向かってにっこり笑う。
「楽しみだな…………」
一言つぶやく。異性とデートをするのなんて久しぶりだ。徹夜でデートスポットを調べ尽くした。ミントは退屈しないか不安だった。自分だって普段デート行かないから実際はどう言うところか一切わからない。でもミントとなら、路地裏でも楽しめる気がした。
「ん………」
小さく唸って、ミントが目を覚ます。掠れた視界が徐々に鮮明になり、その双眸がライチの後ろ姿を捉える。
「おはようございます。ミント様。起こしてしまいすみません」
「大丈夫。なんだか体が重くて起きちゃった」
目をこすり、肩を鳴らしながらながらミントは頷く。寝ぼけていた。朝はあまり強くないから。徐々に思考が鮮明になっていくうちに、今日がなんの日なのかミントは思い出す。
「今日、楽しみだね」
「そうですね」
2人ともそっぽを向く。他愛もない会話でも顔を赤くしていた。何故だか自分たちにもわからなかった。
空が晴れ渡った。快晴の中小鳥は鳴き、徐々に人の声で賑わっていく。仕事と朝食を終え、ミントとライチはいつもの庭で一息ついていた。木の葉が落ちる。その木の葉を拾い、ライチはミントに語りかける。
「この屋敷での生活も、徐々に慣れてきましたね」
「まあね」
後ろに腕を立てて、ミントはリラックスする。
「何時ごろに出発する?」
「正午の予定です」
ライチはやけに素っ気なく返す。
「楽しみだね」
ミントは笑顔で返す。直視できなかった。まだ恋には落ちていない。大丈夫だ。ライチは心の中で念じる。
太陽のように眩しかった。ただでさえ優れている容姿なのに、子供のように無邪気で素敵な笑顔だった。おかしい。見慣れたはずなのに何故こんなに混乱するのだろう。
「ライチ?」
異変を察知したミントが語りかける。
「………あ、いや、は、はい!楽しみですね!」
顔が熱かった。意味がわからない。自分が何故彼の顔を見れないのか。何故「好き」に近い感情を持ってしまってるのか、理解ができなかった。
「…………僕、でーとってやつ、はじめてだから。ライチから離れないようにするよ」
空を見上げながらミントは呟く。
「今日はたくさん楽しもうね」
ミントはそう言ってまた笑った。今度は直視できた。無論ライチだって楽しむつもりでいる。気になっている人とのデートだ。楽しまないと大損だ。
「もちろんです」
微笑みで返した。少し恥ずかしかった。目を合わせると言う行為を苦痛だと思ったことがないのに、今はそれが少し大変に感じる。心の変化、それを直に感じた。
時計塔の短い針が9の針を指す。あと3時間で“その時”がくる。2人はお互いソワソワしていた。貧乏ゆすりが止まらない。立ち上がっては座るを繰り返すミント、ずっと俯いたままのライチ。場は静寂に包まれていた。
「あ、あのさ!」
同時に言ってしまい、一層恥ずかしくなってしまう。言葉を飲み、一呼吸を置く。
「え、えっと………」
先に口を開いたのはライチだった。辿々しい言葉でミントに話しかける。
「き、着替えていいですか?仕事着でデートをするわけにもいかないので」
「そ、そうだね。僕も着替えるよ」
「服はあるんですか?」
「いやないけど」
「なるほど」とライチは小さく唸る。確かにライチの見る限り、ミントは仕事着のスーツと、白いシャツと、パジャマの3着しか持ってなさそうだった。ミントほどの淡麗な容姿ならどんな服も似合いそうなのに。とライチはもったいなく感じた。
「今日一緒に買いましょう」
「いいの?」
「はい。服は多い方が良いですから」
そう言ってライチは立ち上がる。
「先に着替えておきます。あまりくつろいでいると時間に遅れてしまうので」
「う、うん」
ライチは胸を抑えながら走ってその場を後にする。後に続いてミントも立ちあがった。ふとライチの座った後を触ってみる。体温はまだ残っていた。
変なことを考えてしまう前にミントも奥の方へ戻る。時間は9時30分。2人にとっての最高の日が、着実に近づき始めていた。
─────11時を回った。詳しく言えば11時40分だ。着替えも終わり、食事も終わり、準備も全て終わった。
ミントの方が先に準備を済ませていたので、屋敷の門の前でライチを待っていた。ミントの服装はいつもの白いシャツに黒のロングスカートだ。
屋敷の使用人達にはすでに挨拶を済ませていた。見送ってくれるのはランタナだけで、あとは忙しいからとミントを無視した。冷たい連中だと思ったが別に良かった。そんなことで悩んでライチとのデートを楽しめなくなるのが一番良くないのだから。ちなみにスイレンとシオンは任務でいない。
「お待たせしました」
門が開き、ライチが現れる。白い無地のTシャツに、黒い長ズボン、黒いブーツ。そして緑のネイル。目を奪われた。口をポカーンと開けて、ライチをじっと見つめる。
「あ、あの。そんなに似合ってないですかね?」
「いや逆だよ。とっても似合ってる」
率直な感想だった。長々と語ることはできない。でもそれは似合ってないわけではない。むしろ似合いすぎて言葉が見つからない。星の数ほどある言語の中でどれが適切か選ぶのが難しい。その中で選んだ言葉が「似合ってる」それだけのことだ。
「ミント様に言われると嬉しいです」
満面の笑みだった。ライチは凛としているが顔立ちは可愛らしい。まだあどけなさが残った笑顔は、ミントの心臓を鷲掴むには充分だった。
「もういきましょうか。列車に遅れてしまいます。12時のものを逃してしまったら、次の時間まで30分待つ羽目になります」
「そうだね。もう行こう」
2人でランタナに「行ってきます」と言い、2人は出発する。2人は並んで歩いていた。片方は刀。もう片方は薙刀を持って森の中を歩く。狩りをするわけではない。あくまで護身用だ。2人の目的は楽しむこと。何もないことが一番だが、ミントは狙われている身。備えあるに越したことはない。
森を抜け、またしばらく歩き駅に着いた。たくさんの人が賑わっている中でミントはある物に目を奪われる。
「ライチ、なにあれ………?」
そう言ってミントが指差す方向をライチは見る。黒い巨体は長く伸び、幾つもの物体が繋がり並んでいる。はじめて見る異様な物質にミントは驚きを隠せなかった。
「ミント様、あれは汽車です。私たちは今から、あの汽車に乗ります」
「汽車ってことは、あの大きいの、走るの?」
「ええ、あの汽車はイプシロン地区の天空の塔へ向かう予定です」
「なるほど………」
汽車という物、ミントは記憶の片隅で知った覚えがあった。黒炭を原材料に黒い煙を出しながら走る。確かそうだった気がする。楽しそうだ。乗ったことない分、今日それに乗れることに気分が乗った。
「あ、あのミント様。お願いがあるのですが」
「どうしたの?」
「その、一緒に手を繋ぎませんか?」
照れくさそうに笑いながらライチは言った。
「え、手を繋ぐ?」
「だ、ダメでしたか?」
「いや…………」
ミントは深刻そうに顔を背け、意を決したように口を開く。
「手を繋いだら、子供とかできちゃわない?」
「は?」
「……………」
空気は白け切っていた。ミントの言ってることは摩訶不思議なんてレベルじゃない。100パーセント怒らないことを深刻な表情で言うその姿にライチはだんだん笑いが込み上げてきた。
「あはは!そんなわけないじゃないですか!ミント様のおバカ!」
顔を赤くしながら怒るミントをよそにゲラゲラ笑い続ける。ある程度笑った。悩んでいるのがどうでも良くなった。
「ほら!繋ぎましょ!せっかくのデートなんですから!」
そう言ってミントの手を取って走る。そのまま汽車の中へ入っていく。今日は絶対楽しい日にする。ライチはそう決意した。




