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青藍の勇者  作者: 無眠
第2部 アルティメット・エボルヴ
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第56話 内に秘める楽しみ

 驚愕した。嬉しさより先に驚きが勝った。あのライチが、自分と2人きりでデートをしたいと言い出したから。


 デートとは男と女が2人きりで食事をとったり旅をしたりするもの。以前アンナからそう聞いていた。


 沈黙の空間を作り3秒間。ライチが顔を赤くして口を開く。


「………なんとかおっしゃってください」


 そう言ってそっぽを向く。


「ごめん………」


 口を真一文字に結ぶ。手遊びの回数が多くなる。こんな時に言うべき言葉を必死に探す。と言っても答えは一つしかない。


「ぼ、僕でよければ………」


 俯きながらそう返答した。


 期待に少し胸が躍る。ライチとは“そういう関係”ではない。だが気になってる存在と2人で出かけるのは不思議と高揚感が増す。


「…………行く場所、2人で決めましょうね」


 ライチの口元が綻ぶ。心の中でピタヤに感謝する。ライチも一緒だ。こういう経験をしたのは立ったの一回だけ。少しも楽しくなかったのを覚えている。だが今回は違う。ミントなら自分もうまくエスコートできるはずだから。


 メイド服に着替え終え、カーテンを開ける。ミントの方に目をやるとまだ顔を赤らめてモジモジしている。夢なのかと頬をつねってみる。痛い。これは現実みたいだ。


「楽しみだね」


 一言呟く。その言葉にライチは反応しなかった。いや、できなかった。ライチだってこんなことは慣れてない。心臓の音の方がうるさくなる。ピタヤには平常心でいけと言われたがそう言われても困ってしまう。


「け、稽古しましょうか。お食事の用意まではまだ時間がかかります。それまでに私たちは私たちのできることをやりましょう」


 制服を綺麗に畳み、ミントを連れて庭へ向かう。積み立てられた石、切り分けられた薪を沈む太陽が照らし、空が茜色に染まる。ライチはミントの手を見る。ボロボロの手は至る所に豆が潰れた跡があり、彼の文字通り血の滲むような努力を体現していた。綺麗に切り分けられた薪もおそらくミントが刀で斬ったのだろう。自分がいない間にミントはちゃんと努力をしていた。その姿にライチは安心感を覚えた。


「今日の朝教えた二段跳躍はできました?」


「いや、全然できない」


「そうですか………」


 ふーむと、ライチは小さく唸って考える。二段跳躍は今朝教えた基礎の応用ともいえる技だ。エリートの魔女なら全員が習得しており、ありとあらゆる場面で使用ができる便利なもの。ミントが使えばきっと役に立つ。そう思って教えたのだが今日はまだ進展がないらしい。


「どういったところが難しいですか?」


 切り株に腰掛けライチはたずねる。風が優しく吹く。鳥たちが一斉に南の方へ向かう。もう日が沈み日没へ至る。


「飛ぶところまでは簡単にできる。でももう一回飛ぼうとしたら下降していって間に合わないんだよ」


「ためしにやってみてください」


 見た方が早いと、ライチはミントにそう言った。ミントは虚空を見上げ、呼吸を整えると大きく飛び上がる。凄まじい跳躍力だ。思わずライチは「おお」と声をあげる。


 だがそれまでだった。ミントは空中で回転しようともがく。だが身体は徐々に下降していく。ミントは陸にあがった魚のように必死に暴れるがそのまま地面に落ちてしまう。


「いてて………」


 頭をさすりながら上体をおこすミントにライチは手を伸ばす。その手を掴んで起き上がるとライチは改善点を挙げる。


「跳躍力は大したものです。ですが2度目の跳躍の際に力んでしまってはいけません。2度目の跳躍の際は目を閉じ、流れに身を任せて緩やかに飛ぶものです」


 そのアドバイスを聞いて早速実践しようとするミントをライチは止める。


「アドバイスは聞いただけではすぐできるようになるわけじゃありません。そのアドバイスを咀嚼し、理解し、そして忠実に実践できることが大事なのです」


 ライチはそう釘を刺した。ミントに変な勘違いをさせたくなかったから、あえて厳しい言葉を使った。アドバイスの内容は、実際に自分が教師に言われていたことをそのまま模倣している。その教師のことは尊敬していた。だから自分も真似てみた。それだけだ。


「わかった」


 理解してくれたようだ。ライチは安堵する。ミントを見ていると昔飼っていたネズミの魔獣を思い出す。病気で死んでしまったが、内気で頑張り屋で見ていて応援したくなるいい子だった。


 ライチは立ち上がると大きく伸びをして藍色の空を見上げる。今日も空が綺麗だった。約束も交わせた。無駄じゃない今日を過ごすことができた。


「もう様はつけなくてよろしいですか?」


 ふと、そうたずねてみる。思えば主従関係でもなんでもないのに様をつけているなんて不思議だ。少し前まではミントはあくまで食客で、それも許されただろうが、今は違う。次の“賭け”に自分は負ける。そうなれば自分は友達になる。だから敬称なんてつける必要がなくなるのだ。


「僕が君に勝ったら、好きな呼び方で呼んでいいよ」


 ミントは約束にこだわった。ライチには意味がわからなかった。ライチはミントに負けるのだ。むしろ、ライチ自身がそれを望んでいる。友達になりたいから。今のような他人行儀の関係ではなく、お互いタメ口を叩けるような友達の関係。自分が負ければそれが叶うのだ。


「回りくどいですね。本当は呼び捨てで呼んで欲しいくせに」


「ライチだって、本当は友達になりたいくせに」


「お互い様ですね」


「そうだね」


 2人の笑いが込み上げてくる。お互い、何がしたいのかよくわからなくなるような、無意味な賭け事だった。友達になる。ただ素直に言えば誰でもできることをこの2人はできない。一方は勝負で決めようとし、もう一方は勝つ気のない勝負を申し出る。少し歪だが、2人にしかない絆がそこにはあった。


 なぜここまで素直になれないのか。なぜここまで意識するのか。お互いがお互いのことを何もわからなかった。


 好きという感情とはまた違った何かが、そこにはあった。


「ミント様」


「何?」


「明日、楽しみですね」


 ライチは微笑む。楽しい。そう思った。ミントと話すのは楽しい。普段は内気だが誰よりも努力家な彼を見るとこっちも頑張りたくなる。


「食事の準備をしましょう。2人で分担すれば、早く終わりますから」






 ─────


 月も街灯もない、真っ暗で不気味な夜だった。古びた家屋の屋根の上で、灰の魔女スナバコは、夜空を静かに見上げていた。その容姿は暗くて見えないが、赤い瞳だけが、静かに周囲を灯していた。


「ばらっどおうこくってここかなー?くらくてよくみえなーい!」


 屋根から飛び降り、けんけんぱで段差を飛び跳ねる。振る舞いは幼子そのものだ。


 スナバコはポケットから写真を取り出す。ショートヘアーの水色の瞳をした。中性的な容姿の男の写真だ。


「このこをたおせば、アイちゃんからいいこいいこしてもらえる!スー、がんばっちゃおー!」


 灰爆の魔女スナバコは笑顔で歩き続ける。邪悪な無垢な魔女は、死を連れて恐怖をもたらす。

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