第48話 屋敷の生活
来る灰の魔女の対決。そのために己の力を磨くためにミントは稽古に励んでいた。
…………はずだった。
デルタ地区の小さな街、人がすれ違う古風な街並みの中で、ミントは大量の荷物を持ち魔女警察シオンの後をついていた。
「さっさと歩けよー。そんな量多くねえんだから大丈夫だろ?」
「大丈夫じゃないよ…………。こんな大きな荷物何に使うの………」
大きな風呂敷に包まれたツボを背負い、バッグや鞄を手に持つ。塞がってないのは足だけだ。首と腕が痛い。そして目的地のスイレン邸まであと10分はかかる。普通に歩いてたらすぐ着く距離でも背負っていたらこうも遠く感じる。
「修行するんじゃないの………。最近荷物持ちばっかしてる気がするんだけど………」
のろのろ歩きながらミントは文句を垂れる。
「これも修行だろ。足腰を鍛えられる。剣を使う上で腕の筋肉、足の筋肉は使うんだぜ?その一環だと思え」
シオンは暴論でミントの文句を叩き潰す。
「高額な壺なんてどこに飾るかわかんないし、この服とかネックレスもいつ使うの………。しかも自分用でしょ?他の人のも買ってあげなよ」
シオンはポケットに手を突っ込み口を尖らせながら言葉を返す。
「私の金は私のものだよ。だから自由に使っていい。どんな服も、どんな高級品も、どんな壺も私が買えば特大の価値になる。奢ったり寄付したり貯金したりできるやつの正気を私は疑ってる。私は自分自身の金は自分で使うんだよ」
「その金はほとんどデルフィニウムさんから借りてるでしょ………」
「借りたらそれは私の金だ」
この屋敷に住み込みで稽古してから1週間が経った。その中で分かったことがある。デルフィニウムは真面目だが抜けている。スイレンは厳しいがお茶目である。そしてシオンはズボラで大雑把な唯我独尊が服を着たような女だ。
「タバコばっか吸っちゃって、体に悪いよ?」
小言ばかり言うミントにシオンはタバコを咥えたままもう一個のタバコをミントに咥えさせる。
「お前も吸えよ」
そのまま火をつけ、煙が立ち込める。手が空いてないミントは一気にその煙を吸引する。
「う、ごほっ!ごほっ!」
思わず蒸せて荷物を手放す。慌ててタバコを捨てて口を抑える。頭が少し痺れ、目に涙が溜まる。
「肺がよえーな」
シオンはタバコを手放し、落ちた荷物を拾い上げる。
「2個だけ持ってやるよ。ツボは落とすなよ。たけーんだから」
シオンは軽々と持ち上げるとミントを置いてスタスタと歩く。
ミントは慌てて立ち上がり、その後を追う。
「…………?」
だが足を止めて、背後を見る。何かの気配がした。それも自分が体験したような、あの禍々しいオーラだ。
どこかに潜んでいるのか、ブルグマンシアをも越える狂気が───。そう思うと体が震える。
「早くしないと置いていくぞー」
シオンの声が耳に入り、ミントは慌ててその後を追う。嫌な予感がする。だが今はその雑念を払い、修行することにしよう。そう決めた。
──────
デルタ地区の街から大きく離れたミルトン村、面積は小さく、村人の数も300を下回る。だが昔からの守り神を愛し、異世界へのゲートがどこかに存在していると言う言い伝えもある不思議な村だった。そこに存在するのがスイレンの屋敷。デルタ地区の魔女本部からもそう遠くはなく、スイレンの部下の魔女警察もここに住んでいるものが多いのだ。
なんとか辿り着き、玄関でミントは腰を下ろす。
「おかえりなさいませ、ミント様」
両手をつき、息をつくミントを出迎える制服姿の少女がいた。
「あっ、ライチ。お疲れ様。学校はもう終わったの?」
「はい。今日は5限だけでしたので早く帰れました。ミント様は相変わらずシオン様にこき使われて大変ですね」
背負ってた壺を片手で軽々持ち上げ、スイレン邸の侍女、ライチは奥の部屋へ入る。
ミントは腕をほぐしながらその後をついていく。
「その壺、そこら辺に置いてていいよ」
「承知しました」
壺を居間の棚の隣に置き、ライチはミントの脱いだ黒いローブを受け取る。
「本日もお疲れ様です。灰の魔女の調査は進展はございましたか?」
片手でローブをぶら下げ、ライチはミントにたずねる。
「特に何もなかったよ」
シャッター越しで着替えながらミントは答える。
「スイレンさんは?」
「奥の会議室でデルフィニウム様やハイビス様と話しておられます」
「そうなんだ」
脱ぎ捨てたシャツを回収しながらライチは淡々と質問に答える。ミントのお目付け役兼、監視員の彼女は必要最低限の情報だけは答えてくれる。逆に彼女自身の情報はルミナス魔法学園所属の中学3年生ってこと以外は教えてくれない。どれだけ詮索しても「親密になるつもりはない」としか答えない。
シャッターを開け、ミントは身なりを整えながら現れる黒いジャケットに白いシャツ。使用人のような出立ちでミントはライチの前に立つ。
「相変わらずゴテゴテするな………」
革靴を履き、掃除用具を取り出すとミントは茶の間に向かう。
スイレン邸で修行をする代わりにミントは使用人として働いている。給料は時給で950マイルほど、悪くない仕事だがいかんせん屋敷全体は広く、よく客が出入りするため接客なども求められる。ミントは訳ありなので接客などはライチがやるが、それでもミントに課せられた仕事、屋敷全体の掃除と村のパトロールは毎日やるには少々骨の折れるものだった。
ほうきで埃やちりを集めていく。魔法が使えるこの世界でこんな手間ひまかけて掃除する必要性があるかどうか疑問だ。だがライチも手間のかかる作業を黙々とやっている。いちいち文句を言うのもめんどくさいし、他の使用人がそんな文句も言っていないのであれば自分も言う必要もない。
何より自分は正体を隠してもらってる人間だ。すでに数名の使用人には怪訝な顔をされたが、スイレンの命令であるが故背くことなく渋々従ってもらってる。その厚意に今は甘んじよう。
そうして茶の間の掃除を一通り終えるとミントは椅子に腰掛け休息を取る。5分ほどゆっくりして次の部屋の掃除を始めよう。そう思った。
うたた寝をしてしまいそうになる。朝から稽古、昼にシオンの付き添い、夕方は掃除、夜はお勉強。1週間ほどだろう。もう慣れてきた。でもやはり疲れるものは疲れる。
「(アンナ、どうしてるかな)」
あの茶髪の少女の顔を思い浮かべる。最後に会った時、あの子は笑顔だった。自分に感謝の言葉を述べていた。
『強くなったら、アンナとデートしようね!』
最後にアンナはそう言ってくれた。デートがどう言うものかはわからないがまあ男と女が街を歩くものとでも思えばいいだろう。
「(会いたいなぁ)」
今生の別れでもないのに無性にそう思う。恋しくなる。今の生活が楽しくないわけではないがアンナとチロルと暮らすことでしか得れない栄養というものがある。
どんどん夢魔が自分を誘っていき、いざなわれる。まだ仕事があるのに本能に身を任せ目を閉じる。
だが太ももを這う音で目を覚ました。手で肌を撫でられたようなくすぐったさを覚える。
這われた方向を見る。その正体を見て、ミントは大きく目を見開く。
「────────!!!!!」
叫び声をあげて椅子から転げ落ちる。
「どうしましたか?」
叫び声を聞いて特に慌てもせずにライチが駆け寄る。
ミントは半泣きで口をパクパクしながら恐怖の対象を指差す。
その刺された指の先にいたのは小さなヤスデ。叫ぶミントに驚いたのか、腐臭を出し縮こまっている。
「ヤスデがどうかしました?」
呆れ顔でライチがたずねる。
「あ、あいつがぼくのふとももについてて…………こわくて…………」
にゅるりとヤスデが体をくねらせる。その動きにミントがピクっと体を震わせる。
「ら、ライチ…………怖いよ…………。早く追い返して!」
袖に縋りつきライチに情けなく嘆願する。
「わかりました………。あまりくっつかないでください」
煩わしそうにミントを振り解き、ヤスデを素手で掴むと窓を上げ放り投げる。こんな小さな虫に大の大人が驚くのはこうも情けないのかとライチはため息をつく。
「もういった?いったよね?」
「大丈夫ですよ。ちゃんと外に返しました」
「……………」
ミントは足をブルブル震わせる。恐怖で立ち上がれなくなっているみたいだ。
「ヤスデ、苦手なんですか?」
「うん、足がたくさんある虫見ると怖くて叫んじゃって…………。ごめん」
「大丈夫ですよ。私たちが危害を加えない限り襲ってこないですから」
ほうきを縦にかけ、ライチはミントを元気づける。涙を流して震えるミントの姿にライチはどこか庇護欲をそそられる。
「一緒に掃除しましょう。また出た時私が守ってあげますから」
「ほんと?」
「ほんとですよ。だからそんなに泣かないでください。大丈夫ですから」
ミントの手をとって立ち上がらせる。まだ手に少々震えが残っている。その手をぎゅっと握り締め、残りの手でほうきを持つ。
「残りの部屋も片付けましょう。夕飯の支度は私がするので終わったら休んで大丈夫ですよ」
そうしてライチは残りの部屋の掃除へと向かう。
───────
ライチと一緒に掃除をしたらあっという間に終わった。
ヤスデはあれ以降来なかった。役割分担をし整理整頓を終え、ミントとライチは一息つく。
「ありがとうライチ。おかげですぐ掃除が終わった」
「お礼を言うほどじゃありません。1人では大変なことも、2人では楽にできるので」
ライチはいつも塩対応だ。ミントがどんなに話しかけても必要最低限の返事しかしない。勉強の時も厳しいし、稽古の時も厳しい。でも上手くできたら笑顔を見せてくれる。さっきみたいな優しさも見せてくれる。まだ1週間程度の仲だが、ミントはライチのことが好きになった。
「あまりジロジロ見ないでください。気持ち悪いので」
ライチにそう言われ、慌てて目を逸らす。
「ごめん………」
好きだけど、少しだけ苦手。ライチに対する印象はそれだけだ。
夕飯の支度をするからと、ライチはエプロンを着て、キッチンに向かう。
「僕も手伝うよ」
ライチにだけ任せるのは申し訳ないと思い、ミントも同行する。
向かっている途中、ミントとライチはシオンと鉢合わせる。肩にはタオルがかかっていた。姿が見当たらないと思ったら、自分たちに掃除を任せてシオンは悠々自適に風呂に入っていた。
「おー、頑張ってんな2人ともー」
シオンは2人に軽口を飛ばす。
「お疲れ様ですシオン様。スイレン様がお呼びですので、すぐに会議室に向かうように」
会釈をしつつ、ライチはシオンにそう告げる。
「めんどくせーな。寝るから明日にしといてー」
「いけません。大事な会議です。上級魔女のシオン様も出席してください」
目を鋭くさせライチはシオンに再度告げる。
「チッ!会議なんて一度二度聞き逃したって変わんねーよ。そういえばミント」
話題を変え、シオンはミントに嘲笑の眼差しを向ける。
「お前さっきめっちゃ叫んでたな。どうかしたか?」
「シオン様…………」
明らかにミントを侮蔑する目的で聞いている。そんなシオンをライチはたしなめる。
「おーこわ。しゃーねーから行ってやるよ。お前らも頑張ってなー」
後ろ手を振り、シオンはその場を後にする。
シオンの気配が消えた後、ライチは大きくため息をつく。
「…………ルミナス学園の英雄があのザマじゃ、他国から鼻で笑われますね」
ライチは呆れ口調で呟く。
ミントも心中穏やかではなかった。だが嘲笑されるような出来事であるのも事実。灰の魔女と闘うものが、ヤスデ一匹に怯えてるようじゃ幸先不安だ。
「シオン様の言うことなんて気にしなくていいです。支度しましょう」
そう言って2人は本来の目的を遂行するためにキッチンへ向かう。
────
使用人に自由時間ができるのは20時になってから。19時に主人達が使った食器を洗ってから、2人は黙々と食事をとる。
料理は苦手だ。包丁でよく手を切るし、じゃがいもはうまく皮が剥けない。たまに不注意で皿を割る。ライチの足を引っ張りすぎた。だがライチはそんなミントを見ても一切不快な表情を見せなかった。
「少しずつ治せばいいんですよ。まだ1週間なので。最初はできなくて当然です」
俯いて黙々とシチューを頬張るミントをライチは慰める。
「私だって先輩の足を引っ張ってました。でも4年間続けたら様になりました。それでも先輩達の足元には到底及びませんが」
綺麗にシチューを啜り、半分ほど残した後、残りを捨て食器を洗う。
ライチはあまり食事を取りたがらない。いつも最後は残してしまう。いつも料理はライチが作っている。ミントはそれの補助をしているだけなのだ。
自分の作る料理の味に満足していないのであろう。ミントからすればライチの作る料理は全てが格別の味なのだがライチはいつだって完璧を求めている。気に入らなければ捨てるし、気に入ってもそれを大切にする。なんてことはしない。
ライチはどことなく生きづらそうだった。
「食器を片付けたら勉強の時間です。今日は前回やったバラッドの歴史の続きをやりましょう」
淡々とライチは定められたプログラムを伝える。沈黙を貫いていたミントは口を開く。
「ライチ」
「………?」
「何か悩んでることがあったら、いつでも言ってね?」
「…………検討しておきます」
ライチは背中を向けそう返答した。
木々がざわめき、カエルが鳴く20時30分。ミントはランプが置かれた机の上で、お世辞にも綺麗とはいえない字を書く。
「北暦772年、イルスラン帝国はバラッド王国へと姿を変え、かつてのような魔女国家ではなく、国民の権利を尊重した民主国家へとして生まれ変わった。バラッド王は騎士や魔女に同等の権利を与え、かつての植民地を独立させ、現在に至る」
ライチが淡々と歴史書を読み上げる。年表を作成し、その要所をかいつまんで解説する。
頭が痛くなる。紀元前からバラッド王国は名前を変え続け、その度に成長した。ライチによれば、ここバラッド王国は騎士の国と魔女の国で分裂していた時代もあったらしい。その戦争では、魔女の国が勝利し騎士の国と統合。そして魔女主導の元、プラント州の様々な国を植民地にしてきた。その名残は今もなお色濃く残っている。
この星はプラント州 ヒューマ州 リザード州 アフィビア州 バレット州の5つに分かれている。中でもプラント州は絶大な力を誇り、数々の国を侵略した。リザード州とバレット州にもプラント人は住みついている。それは多様化された世界。といえば聞こえはいいが。裏を返せば今もなお侵略の歴史が色濃く残っている負の象徴でもあるのだ。
「僕やライチ、アンナもプラント人なんだよね?」
「そうですね」
他にも地下のインセクト州、空のバード州、海のウォーター州なんかもある。この星は広い。ミントの知らない世界がまだたくさんある。
「プラント人の中には、今でも多種族に対して差別意識を持っている者もいます。誰が悪いと言うのはありませんが、それでも少しでも先人達の塗った泥を拭き取れればいいなとは常々思っております」
ライチはそう呟く。どこか憂いのある表情だ。ライチにもそんな過去があるのか?気になる。だが不用意に詮索すべきではない。
「今日はここら辺で終わりにしましょう。明日に響くのはよろしくありません」
ライチはそう言って本を閉じる。
どこか物足りなく感じた。眠たい。だがライチとまだ話したい。
「ライチ、ちょっとだけ夜ふかししたい」
「夜ふかし、ですか」
ミントは席を立ち、本棚から一つ本を持ってくる。
「ライチが好きって言ってたプラント州の神の話。これ僕好きなんだ。字読めなくて内容理解できないけど、よかったら読み聞かせしてほしい」
「いいですよ」
「やった」
ライチはミントをベッドに寝かせ本を開く。
「じゃあ特別に私が一番好きな話を読みます。『知識の神アースの恋物語』お気に入りの回です」
そう言ってライチはその本を読み上げる。淡々と読むライチの声が逆に安らいで、気持ちよくて、ミントの意識はだんだんと遠くなる。
「『その時、アースは言いました。あなたを、この星の誰よりも愛します。と』」
最後の一節を聴き終わったと同時、ミントの意識は夢の中へと落ちた。




