偽兵の計
SIDE:フィルニア傭兵団 歩哨の男
月のない夜に歩哨の番が回ってくるとはついていない。
このジカロ村というところは周りを森に囲まれているせいで、夜になると不気味さが増して手持ちの明かりだけでは正直心許ない。
こんなことを仲間に言うと臆病だと馬鹿にされるが、嫌なものはどうしようもないのだ。
村を占拠して今日で2日目だが、防御設備の補強はかなり進んでおり、明日にでも作業は完了するだろう。
村の防御が整えば、たとえ領軍が来たとしても撤退までの時間を稼ぐことは出来るだろうし、何よりもこの辺りの領主はどいつも弱小だらけだ。
奴らが準備を整え終わる頃には既にマクイルーパからの後続部隊がジカロ村に着いていることだろう。
俺達がジカロ村を占拠しているのはまだ誰も知らない。
だからまだまだ時間の余裕はあるはずだ。
防御陣地の構築は十分に間に合うし、その後も後続部隊を待つまで戦闘は発生しない。
安全な任務になりそうだ。
差し当たってこの不気味な時間の歩哨を乗り切ることに気持ちを強く持つ必要がある。
はぁ~、憂鬱だ…。
村の周りを歩いていた時、街道へと延びる道の先にチロリと松明の明かりのような物が見えた。
この時間にそんなものが見えるのはせいぜいが道に迷った旅人か、緊急の用件を持った早馬といったところだろうが、夜間にこの村に近付くものは例外なく抹殺するように通達が出ている。
他の奴らが気付いているかわからないが、明かりの数は一つだけであることから、俺だけでも対処は出来るだろう。
背負っていた弓を取り出して矢を番え、射程距離に入るのを待つ。
だが松明の明かりは先ほどからその場を動くことはせず、まるでこちらの様子を窺っているかのような錯覚に襲われる。
いや、大丈夫だ。
月明りのないこんな夜にあんな遠くからこの村の様子を窺うことは出来ない。
とにかく今は待つことだと自分に言い聞かせ、明かりがこちらに近付いてくるまでその場で待機していた。
そうしていると明かりに動きが出た。
徐々に大きくなる明かりからこちらに近付いていると判断し、弓を構えて第一射を撃とうとしてふとおかしなことに気付く。
先程まで一つきりだった明かりが徐々に増えていく。
一つが二つに、二つが四つにとドンドンと増えていく明かりに、弓での狙いに迷いが出る。
一体どれを狙ったらいいのか、そんなことを考えていると、遠くの方からあまりにも多くの馬蹄の音が聞こえてきた。
松明の明かりを持った騎士がこちらに攻めてきている、そう判断した俺は弓を討つことなく村へと走っていく。
逃げたのではない、とにかくこの事態を団の全員に知らせるためだ。
「敵襲ーっ!敵襲ーっ!!」
喉が裂けんばかりに叫ぶと、各家々から武装した仲間たちが飛び出してきた。
俺の声に他の奴も呼応して敵襲を叫び、団員全員へと敵襲の情報が伝播していく。
「敵の数は!どこの軍だ!」
「数・所属共に不明!数は100を軽く超えている!とにかくすぐに全員で入り口を封鎖だ!俺は団長に報告に行く!」
「わかった!3番隊は防護柵を引っ張るぞ!」
『了解!』
それぞれが動いているなか、俺は団長のいる村の中でも一際大きな家へと向かった。
「団長!敵襲です!」
ドアを開けると同時に叫ぶ俺の目には、既に鎧を着こんで武装を整えている団長の姿が映った。
「聞こえてたよ。正確な数は分からないんだろう?俺は村の入り口の指揮を執る。お前は撤退用の経路を押さえたら俺の所に報告に来い。わかったらすぐに動け」
「はっ!失礼します!」
冷静な団長の様子に、ここに飛び込んできた時よりも幾分か落ち着きを取り戻した俺は、再び建物を飛び出して周囲を走り回っていた連中を捕まえて村の入り口と反対方向にある撤退用の経路へと続く柵を破壊する。
これで部隊の撤退が楽になる。
そう思っていると、村の入り口から悲鳴と木がへし折れるような破壊音が聞こえてきた。
いよいよ敵が突入したかと思い、団長に撤退準備完了の報告に向かう。
全速力で向かうと、村の入り口はまだ辛うじて破られてはいなかった。
だが防護柵は辛うじて形を保っている程度で、その周りに倒れている団員はピクリとも動いていない様子から既に息絶えているのだろう。
怪我人は随時後方へと運ばれているが、このままでは防衛に回る人員は消耗していく一方だ。
「団長!撤退準備整いました!」
「ご苦労!手の空いている者は怪我人を優先して運び出せ!それ以外は防戦に回る!一度押し返したのちに後退だ!なんとしても耐え抜け!」
『応ッ!』
まだ動ける人間で戦闘能力の喪失していない者達が、村の入り口の防護柵の裏に回り、弓や槍で突進してくる敵に攻撃を仕掛ける。
俺もそれに加わり、弓で松明の明かりにめがけて弓を射る。
騎乗している人間の大凡の位置をめがけて撃つが、矢が突き立つことなく通り抜けていく。
避けられたかと第二射を準備した時、横にいた他の団員から声がかかる。
「無駄だ。あの松明の所には人は乗ってねぇ。あれは全部フィンジラの角に松明を括り付けてこっちに突撃させてるんだ」
フィンジラ、確か牛によく似た動物だったはずだ。
比較的温厚な性格だが一度興奮すると落ち着くまで猛烈な突進を繰り返す。
なるほど、その性質を利用して村に突撃させているのか。
「けどそれなら周りに倒れてたやつらは何にやられたんだ?どう見ても剣で切られた跡だろう」
「そこがいやらしいところさ。松明の明かりに気を取られているとどこからか斬りつけられるんだよ。そいつを攻撃しようにも姿が見えないし、すぐにどっかにいっちまう。おかげでフィンジラの突進以外にも気を配らにゃならん」
こんなやり方をするぐらいだ、兵力の準備が不完全な状態で攻めることを想定したのだろう。
つまり俺達がこの村の防御を固める前に攻めることを決めて、すぐに立てた策のはずだ。
しっかりとこっちの情報が筒抜けだったということか。
フィンジラをすぐに戦力として生かす発想と、目に見えない脅威を演出する手腕、これらを行える人間が敵にいるというのが恐ろしく感じる。
そうしているうちに怪我人の搬送が終わると、残るは防衛に立っていた俺達の後退だけとなり、もはやただの木材の塊となり始めていた防護柵に油をかけ、火をつけてその場から撤退した。
「総員撤退だ!合流地点で落ち合うぞ!行け行け行けー!」
団長の声に撤退行動に移る団員達。
傭兵団として戦場に立っていると、こういう不意の撤退戦は少なくない。
あらかじめ予定されていた合流地点を目指してそれぞれが駆けだしていく。
なるべく追撃の手を分散させるために一塊ではなく、小隊単位での移動だ。
村の中を駆け抜け、俺が空けておいた柵の切れ間から次々と飛び出していく。
この中で一番腕の立つ団長が殿に立ち、俺達の撤退を支援してくれている。
先行している団員がそのまま村を出ていくのについて行き、このまま森の切れ目に出てから散開する手はずとなっているため、暗闇の中をひたすら走り続ける。
ようやく微かな星明りに照らされた街道が見え始めたことで僅かに気が緩んだところで、突然目の前が真っ暗になって俺は気絶してしまった。
SIDE:OUT
「大漁大漁~♪」
目の前に空いている大穴にはフィルニア傭兵団の団員達が大勢犇めいていた。
ほとんどは落下の衝撃で気絶するか、最悪は死んでいるのかもしれないが、何人かは意識を保っており、松明片手に上から見下ろす俺達の姿に気付くと罵声を浴びせてくるが、それ以外何が出来るわけでもないので言わせるままにしておく。
俺が今回行ったのは偽兵の計の変則型だ。
ジカロ村に攻撃を仕掛ける前日一杯まで、付近の村にも協力を頼み、捕まえられるだけのフィンジラと言うバッファローのような動物を用意し、その角に松明を取り付けた。
後は夜を待ってジカロ村の前までフィンジラを誘導し、角の松明に火をつけてジカロ村の方へと尻を叩いて走らせる。
これでジカロ村にいた傭兵団の連中は、大勢の騎士が馬蹄を響かせて迫ってきていると錯覚してしまった。
暗闇の中において、数の指標となるのは松明の明かりの数となるため、フィンジラの左右の角それぞれに一本ずつの計2本の明かりによって水増しされて突進してくる偽の兵力はさぞかし大軍に見えたことだろう。
ちなみにこの松明だが、一定時間燃えると結んである紐が焼き切れて松明が落ちるようにしてあるので焼け死ぬことは無いように配慮はしてある。
だが村の入り口に築かれていた防護柵に突っ込んで死ぬのだけはどうしようもない。
フィンジラにはかわいそうなことをしたと思うが、同時に人死にを肩代わりしてくれたことに感謝を捧げるとしよう。
こちらの戦力を過剰に見せることで村の入り口の防備を固めさせるとともに、撤退を意識させることで行動の選択肢を狭めさせてもらった。
フィンジラの突撃の手はずはルドラマの使用人でも出来るので任せて、最近ようやく風魔法で鎌鼬を使えるようになったパーラを追撃の攻撃支援役として配置していた。
夜の闇の中から突然襲い掛かってくる不可視の刃は連中にかなりの不安を与えたようで、撤退への移行も実に早い段階で行われたのは嬉しい誤算だった。
決行日の昼の間に俺とルドラマと数名の騎士がジカロ村を大きく回り込んで撤退用の道を押さえることになったのだが、森の切れ目が不自然に人の往来に向いたひらけ方をしていたことから、その場の全員一致で撤退路の予想は簡単についた。
あとは俺の土魔術で道に沿っていくつかの落とし穴の準備をし、穴の隠蔽用に上にかぶせる土も魔術で強化したものを敷くことで、そこそこの重量がかかっても穴に落ちず、キーとなる俺の魔力を流すことで陥没するという仕掛けを施した。
その後夜の混乱で撤退して来た連中を次々と穴に落としていくことで、暗闇の中での移動と言うこともあってほとんどの人達が穴の底の住人となっていた。
「…こうしてみるとお前の策と魔術があれば一軍すら手玉に取れるのではないかと思えて、末恐ろしい。果たして本当に在野に置いておいていい人材なのか?」
「怖いことを言わないでください。俺はただの冒険者です。今回の策もたまたま状況と時期が揃って効果を発揮するものだったんですから」
ルドラマのそんな一種物騒な物言いに一応反論しておくが、これはあくまでも俺が自由な冒険者と言う立場でいたいがために弄している詭弁に過ぎない。
実際はこの策はいくつかのバリエーションを用意できるだけの応用力がある。
今回ルドラマが知ったことで遠からず知れ渡るかもしれないが、これはあくまでも奇襲用なので、正規の軍事行動では敬遠されるだろう。
こっちの世界での戦場の主力である騎士と言うのは、意外と奇襲というやり方には消極的な生き物だからな。
そんな風に話していた俺達だったが、落とし穴を挟んでジカロ村の側の縁に一人の男が立っていることに気付いた。
微かな星明りの下でもその姿をはっきりと見ることが出来たのは、魔術で強化した視力を持つ俺だけだ。
「一人残ってますね。どうやらフィルニア傭兵団の団長のようですけど、どうします?」
暗闇の中では向こうの様子を見れないルドラマ達のために、手元に用意していた松明に火をつけ、向こう側へと放り投げる。
明かりがその男の足元に現れたことでルドラマ達もその存在を確認できたようで、騎士たちは剣の柄に手を乗せて警戒し、ルドラマは団長に話しかける。
「フィルニア傭兵団団長、ワッケイン殿とお見受けする!わしはアシャドル王国が伯爵、ルドラマ・ギル・エイントリアである!そちらの団員は既に無力化して拘束している!大人しく投降すれば命までは取らん!部下たちの命も保障しよう!返答はいかに!」
そこそこデカい穴を挟んでいるために声を張り上げる必要があり、ルドラマの声に対する向こうの反応を待つ。
有名な傭兵団の団長だけあってルドラマは名前を知っていたようだ。
俺はこの時、初めて男の名前を知る。
少しの時間、考え事をしているようなしぐさをしていたワッケインは、足元に転がっていた松明を拾い上げ、自分の姿をはっきりと見えるようにし、返答を返してきた。
「一つ、こちらの条件を呑んでくれたら投降しよう。そこにいる少年との立ち合いを希望したい。それが叶えば部下たちを含め、我らフィルニア傭兵団は武装解除の後、捕虜としての処遇を受け入れよう。勝敗でそちらに条件を押し付けることはしない。勝っても負けても捕虜になると誓おう」
不思議とワッケインの声は張り上げているわけでもないのにこちらに明瞭に聞こえてきて、その内容にその場の全員が俺を見てきた。
「…と、言っとるがどうする?お前が嫌なら下にいる連中の命を盾に、改めて投降を勧めてみよう。だが、出来れば―」
「―出来ればワッケインとの一騎打ちを受け、下したうえで傭兵団を丸ごと捕虜にしたいのでしょう?」
俺の意見を聞こうとするスタンスは取っているが、ルドラマの顔からはどうにかして俺に一騎打ちを受けさせようと企んでいる気配を感じる。
言いたいことは理解できる。
傭兵団をただ拘束して捕虜にするよりも、その団長を下したうえで捕虜にした方がその後の反乱を起こされる可能性はずっと低いため、管理がしやすい。
加えて団長も力を尽くして倒れたうえで捕まったとなれば格好はつくし、一騎打ちに勝てたとしたら戦に負けて試合に勝ったと印象付けることができ、捕虜となっても団の不満は一定の解消を見る。
つまりこの一騎打ちは受けることが決まっているのだ。
なんということでしょう。
策を弄して戦わずにして勝ったつもりが、最後の最後に戦う羽目になるとは。
匠もびっくりだよ!
ただ少し不思議なのは、なぜ傭兵団の団長ともあろうものが見た目は子供である俺に一騎打ちを申し込んできたかと言うことだ。
これがルドラマに挑むというのなら理解できるが、一見すると従卒のような立ち位置にいる俺を指名するのはおかしい気がする。
何か俺を相手に指名する要素がワッケインの中にあっただろうが、それを確認するのは一騎打ちをやる空気となっているこの場では意味がない。
もはや決定事項となっている一騎打ちのためにこちらに向かって穴を飛び越えてきたワッケインが俺の目の前に着地し、やる気満々といった表情を浮かべているのが俺のテンションを下げる。
この顔はヘスニルのギルドマスターや、ヘスニル騎士団団長のアデスらと同じ部類にいる人間のものだ。
まじでこの世界の強い奴はバトルジャンキーだらけだ。
抑えることが出来ない特大のため息が口から漏れ出たところで一騎打ちのための場所に移ることにした。
一応落とし穴にいる傭兵団の連中の中から怪我人と部隊長クラスの人間を選んで引き上げ、傷の手当と一騎打ちの見届け人を用意した。
俺の行動を見てワッケインも頷いていたので、特に不満はないようだ。
やはり人心掌握の意味があると読んだのは正解だったか。
何本かの松明を地面に刺し、それを明かりとして俺とワッケインは対峙した。




