聖女ならばという幻想
この世界の人間に何か宗教の名を挙げさせれば、まず十中八九、最初にヤゼス教と答えるだろう。
老若男女問わず、その知名度はまさに一大宗教というに相応しく、それに見合う活動のためにヤゼス教は様々な土地に教会を建てている。
本拠地と言っていいペルケティア教国内で見ると、大きな街には必ず教会があり、そこそこの規模の村であれば修行の一環として修道士が赴く際に使われる小さな教会も存在する。
国外においても、各国の首都には教会が優先的に建てられており、ペルケティア教国から赴任してくる神父や修道士達はまずそれら首都での布教から始める。
他国に建てられる教会は、基本的にその国が建設にかかるほとんどの負担を受け持つため、凡その作りは決まってはいるが所々にその国独自のエッセンスが織り交ぜられる教会が出来上がるという。
普通なら教義や形式を重視して教会の建て方も厳密に揃えたがるものだが、自国を出て布教活動をする際、後ろ盾となる国との融和も狙ってか、多少はその国の様式も取り入れるだけの柔軟性と度量の広さを示すのも、今日までヤゼス教がここまで大きくなった要因なのかもしれない。
ちなみに、ソーマルガ皇国の皇都へ置かれた教会も同じ形での作りが採用されており、全体としてはヤゼス教が好んで使う建築様式に則ってはいるものの、建材は白壁をメインとした石造りの中にソーマルガ独自の意匠や装飾が散りばめられているのが見てとれ、他国の教会との差別化もこういった点にあるそうだ。
その皇都にあるヤゼス教の教会だが、建てられている場所は第二市街の東側になる。
第二市街は職人街の側面が大きいのだが、第三市街が人の立ち入りを制限しているため、多くの人に門戸を開きたいヤゼス教としては、第一市街と第二市街に住む平民のためにその立地を選んだわけだ。
ヤゼス教は大陸を跨ぐ規模で勢力を伸ばしているだけあって、当然ソーマルガの人間にも信者は多い。
日頃教会へ礼拝に訪れる信者のためを思えば、いちいち入場に許可が必要な第三市街に教会を建てたくはないだろう。
第二市街にある建物の多くは、工房や店舗としての用途で建てられる。
職人達は自分の働く場に派手さを求めないため、居並ぶ建物は質実剛健を地で行くものばかりだ。
その中に紛れ込むようにして建つ教会は、そうと分かる形で周りとは明らかに違ってはいるものの、こちらも絢爛豪華とは程遠い地味な外観をしている。
外国で教会を構える際の費用はその国が補助してくれる点を利用すれば、一大宗教の威厳を保てる程度に豪華な建物を作ることはできなくもないが、一応ヤゼス教は清貧という言葉を知る組織ではあるため、明らかに周りから浮いた建物にはしないだけの節度は持っていた。
礼拝に訪れる信者は礼拝堂へ集まり、そこで掲げられている十字架を前に祈りを捧げるのだが、信者の中には身分の高い人間もいるため、流石に平民と同じ空間で祈ることはさせられないと、VIPルームのような部屋は別に用意されている。
下位の貴族や大商人といった側にいる信者達は、そういう特別な場所で祈りを捧げるわけだが、さらに上の身分では、伯爵より上の位の貴族や王族などともなると教会へ足を運ぶことはなく、司祭や修道士などを城や屋敷へ直接呼び寄せるという。
教会へ赴くのではなく教会を来させるという、まさしく権力者の特権とも言えるやり方だが、意外と高位の貴族にはヤゼス教の熱心な信者というのは少ないらしく、もっぱら教会関係者が呼ばれるのはペルケティア教国の情報を聞き出す目的の方が多い。
もっとも、司祭や修道士ではなく法術士を城に呼びつけるとなれば、その目的はやはり法術による治療であるのは間違いない。
明言されてはいないが、法術士の運用ではヤゼス教側が色々と制約を抱えているようで、希望者全てにその恩恵を与えることは出来ていない現状、ソーマルガ皇国としても要治療者の枠を設定するなどの管理を自分達で行っていた。
年間で何人まで治療を受ける、もしくは法術士の稼働にインターバルを設けるなど何かしらの事情がある中で、数の限られた枠を一つ、今回ハリムが融通してくれたことには感謝しかない。
ソーマルガ皇国の政治と経済の中心である皇都で最も巨大な建物と言えば、今でこそ郊外に作られた飛空艇の研究施設が挙げられるが、少し前まではやはり王城こそがソーマルガの威信を示すに相応しい巨大建造物の代表だった。
王族が暮らす居城であり、行政と軍事を両立させていただけあって、他国の城と比べてもかなり大きい容れ物として機能している。
そんな王城には、ヤゼス教の教会をコンパクトにした、小規模の礼拝堂のような部屋がある。
礼拝室と呼ばれるそこは、主に城勤めの役人達にいるヤゼス教信者が祈りを捧げる場として作られた部屋なのだが、福利厚生の一環で作られた割りにあまり利用者は多くない。
場所が場所だけに神父や修道士が常駐できないため、信心深い信者なら第二市街の教会へ足を運ぶからだ。
そのため、この部屋が使われるのは、法術士がやってきた時の待機室や施術室といった用途でのことが多い。
稼働率は高くはないが、それでも城の施設だけあって手入れは欠かされない。
ハリムに連れられた俺とパーラがやってきたのがこの部屋で、入ってみればその内装が俺達の目を惹く。
ちょっとした宴会場ぐらいはありそうな広さに、ソーマルガとペルケティアの二国で見られる様式が折衷で使われた室内を金銀の細工で彩る華美さは中々のものだ。
この辺りは、俺が知る第二市街の教会とはまた趣が違っていて、若干派手な印象が強いのは城の一室と思えば当然のことだろう。
ただ、礼拝堂には必ず置いてあるはずのベンチや壇といったものはなく、多人数が使えるソファセットがいくつかあるだけの部屋はその広さも相まってどこかガランとした印象がある。
礼拝室には誰もおらず、ハリムに勧められるままに適当なソファに座ってしばらく待っていると、法術士と思われる一人の人物がやって来た。
俺達が入って来たのとは違う扉から現れたのは女性の神官で、ヤゼス教の人間が身につける純白の法衣を纏っていることから、あれがハリムの呼んだ法術士と思われる。
ヤゼス教のシンボルが刺繍された頭巾と、たっぷりの上質な布で作られた法衣は高位の聖職者の証で、少なくとも司祭と同等かそれ以上の身分の人間なのは確かだ。
宗教ではどれほど修行を積んだかがその組織での地位を押し上げるため、高位の聖職者ほど歳をとっていることが多いのだが、目の前の女性は随分若い。
保有魔力次第では若く見られるため、これでも十分な修行を積んでいるという可能性もゼロではない。
いっそ冷たさすら感じかねない落ち着いた雰囲気は、神事に携わる者に相応しい威厳があり、少し前に見たエセ宗教の代表とは格がまるで違う。
堂々とした様子で俺達の前までやってくると、微かな笑みを浮かべて口を開く。
「お待たせしました、宰相閣下。先だっての昼餐の場以来でしょうか?」
「うむ、十日ぶりか。急に呼び立ててすまぬな、ベネデッタ殿」
この女神官はベネデッタというらしく、ハリムと親し気に話をしているところからも分かるが、昼食の場にも招かれる程度には良好な関係のようだ。
「他ならぬ宰相閣下のお呼びとあらば、何ほどのこともありませんよ。座っても?」
「ああ、かけてくれ」
俺とパーラが座るソファの対面にはハリムがおり、そしてコの字を描く様に置かれていたソファの空いている席へとベネデッタは視線を向け着席の許可を求める。
着席を許されないなど微塵も思っていなかったのだろう。
ハリムが掌で指し示すよりも若干早いぐらいのタイミングで、既にベネデッタはソファへとその腰を下ろすと、視線を俺とパーラへ向けた。
「言伝は頂きました。法術での治療をお求めとか。対象はそちらの二人でしょうか?」
ねめつけるとまでは言わないが、値踏みをするような目で見てくるベネデッタの目には俺達はどう映っているのだろうか。
治療を受けるのはパーラなので、出来ればそっちを重点的に観察して欲しいものだが。
「左様。アンディとパーラ、いずれも我が国にて功ある者でな。此度はパーラの怪我を治療してもらいたい。二人とも、こちらが先程話した、法術士のベネデッタ殿だ」
「初めまして。アンディと申します。この度はご足労頂き、感謝の念に堪えません」
「お世話になります、パーラです」
相手はヤゼス教全体でも数が限られる人材で、その身なりからして教会内でもそこそこ偉い立場の人間だと推測できる。
おまけに現状で唯一、パーラの腕を治せる人間でもあるのだ。
謙っておいて損はない。
「ベネデッタです。宰相閣下のご紹介通り、法術士として皇都の教会に駐留しています」
法術士という言葉を口にした時、ベネデッタの表情に喜びの感情が垣間見え、いかに法術士であることへ誇りを持っているのかが伝わってくるようだ。
「…お二人は魔術師ですね?」
唐突に、ベネデッタが俺とパーラを鋭い目で見据えてきた。
尋ねてはいるが確信を持っているようにも思えるその様子に、特に隠す必要もない俺達は肯定の頷きを返す。
「かなりの保有魔力とお見受けします。それに放たれている魔力の波にほとんど揺らぎがない。その若さでそこまで魔力の制御ができているとは。見事です」
魔術師が魔術師を見分ける方法はいくつかあるが、主に無意識に放たれている魔力を感知しての判断が多い。
個人の探知能力次第で、魔力をどこまで察知して分析できるかは違ってくるが、このわずかな間に保有魔力量と魔力の波まで読まれているあたり、ベネデッタの探知能力は中々鋭い。
勿論、魔力操作に熟達すれば体外に漏れ出す魔力を隠ぺいすることも不可能ではないので、絶対の指針とは言い難いものの、俺とパーラは多少制御はしているが漏洩する魔力量はほとんど偽っていないので、ベネデッタも簡単に見抜けたのかもしれない。
「若くしてそれほどの魔術の才があるとは、将来有望です。その才をペルケティアのために活かしてみる気はありませんか?」
「…はい?」
ベネデッタの魔力探知に内心で舌を巻いていると、何故か急に勧誘を受けてしまった。
出会って間もないにもかかわらず、随分と俺達を高く買ってくれているようで、若干圧力を感じるほどの迫り方だ。
流石、国家ぐるみで魔術師をかき集めている組織の人間だけはある。
「我が国では魔術師と、その卵となり得る才の持ち主を広く求めています。既にそれほどの実力をお持ちのお二人ともなれば、本国もきっと―」
「そこまでにしていただこうか、ベネデッタ殿」
鼻息が荒くなり始めたベネデッタを、ハリムの毅然とした声が宥める。
勧誘を中断され、一瞬ハリムに対して不満そうな顔を見せたベネデッタだったが、自分が今いる場所を思い出してそれもすぐにひっこめた。
「そちらの二人は我がソーマルガ皇国での仕官が内定していてな。目の前で引き抜かれるのを見過ごすわけにはいかんよ」
「なんと、そうでしたか。流石は宰相閣下、先んじておられたとは。しかし、もしも気が変わることなどがありましたら…」
「ベネデッタ殿」
「ふふふ、失礼」
再度ハリムに言われて引き下がりはしたが、図々しい笑い声を残していくあたり、ベネデッタもいい性格をしている。
それぐらいでないと、異国で法術士なんぞも務まらないのだろうか。
「それで、法術が必要なのはパーラ殿でしたね?」
「あ、はい」
「では治療の前に、怪我の程度を教えてもらえますか?」
他国で立場のある人間は切り替えもうまいようで、欲しいおもちゃを見つけた子供のようだった顔からうって変わって、法術士としての顔に変わったベネデッタに若干気圧されながらも、パーラが自分の怪我を丁寧に申告する。
怪我の場所は包帯で吊っている左腕を見れば明らかだが、怪我の重さに関しては流石に見ただけではわからないようで、法術であっても問診は必要なようだ。
おおまかな経緯を交え、パーラが肩の傷について話すのを穏やかな様子で相槌を打ちながら聞いていたベネデッタだったが、次第にその顔には陰りが見え始め、遂には眉間に皺を寄せて黙ってしまう。
その変化に、彼女以外の全員が訝るが、俺は薄々嫌な予感を覚え始めている。
医者がこういう顔をする時、大抵はいいことはないものだ。
しばらく誰も口を開かない沈黙の時間が続く中、最初に耐えきれなくなったのはパーラだった。
自分の怪我の状態を聞いて、ベネデッタの様子が変わったことに最も敏感になるのはやはり患者本人だろう。
「あの…ベネデッタさん?なんで何も言わなくなったの?私の怪我って、治るよね?」
「治る…という意味では、もう治っていると言ってもいいでしょう。傷はほぼ塞がっているようですし」
「いやそういうことじゃなくて、腕が動かないのがどうにかなるかって話!」
確かに見た目だけなら傷口はほとんど塞がっているので、外見では治ったとするベネデッタの判断は間違っていない。
ただ、パーラからすれば傷口がどうのではなく、腕が動かせるようになるかが問題なのだ。
噛みつくような勢いのパーラの様子に、ベネデッタは一瞬目を細めて考える仕草を見せた後、徐に口を開く。
「…残酷なことを言いますが、私の法術ではあなたの腕を動かせるようにすることは出来ません」
「え。なんで…」
「私達が使う法術というのは、決して万能の癒しとはなりえません。症状が分かっている怪我や病気であれば、それに対応した法術を用いた治療はできます。ですが、無くなった四肢を再生させるほどの力はありません」
「無くなってない!私の左腕はほら―」
ベネデッタの物言いに撃発されたように、パーラは動かない自分の左腕を右手で持ち上げて強く声を挙げた。
何も無くなってはいないと、今ここにあるものだと主張するその様には強い焦りが見える。
「いいえ、無くなったも同然です。肘から先、指一本に至るまで機能を失った四肢を回復させるのは、法術をもってしても不可能でしょう。私も以前、パーラさんと似たような症状で動かせなくなった足へ法術を施した記録はあります。ですが結果は…」
そこまでを言い、痛ましい目でパーラの左肩を見るベネデッタの言葉の続きは聞くまでもない。
法術はあらゆる怪我を癒す万能の術ではないと、術者の口から聞かされた上で、過去の施術でもいい結果ではなかったと匂わされては穏やかではいられない。
特にパーラなんかは、それを聞いてからは顔色が明らかに悪くなっており、引き結んだ口元がかすかに震えているほどだ。
「ベネデッタ殿、どうにかならぬのか?貴殿が無理なら、誰か他の法術士に…」
そんなパーラの様子に危機感を覚えたのか、ハリムがかなり失礼なことを口にする。
パーラの腕が直る前提で俺達の仕官が決まっているため、ここで実は治らなかったで話が終わっては、ハリムとしても困るのだろう。
「お言葉ですが、私の法術士としての力量は決して他に劣っていないと自負しております。恐らく、私ができないのであれば、他の術士であっても出来ないものとご理解ください」
「むぅ、左様か」
術士の腕を疑い、セカンドオピニオンを口にするという中々失礼なハリムの言葉に、ベネデッタは表情こそ変えてはいないが、平坦な物言いは不機嫌さの現われと思えてならない。
俺はまだベネデッタの法術士としての実力を知らないが、魔術師という似た立場から言わせてもらえば、このハリムの言い様に気を悪くするのも仕方のないことだ。
「…本当にどうにもならぬのか?」
まだ諦められないのか、なおも食い下がるハリムにベネデッタが一度目を伏せるが、すぐに何かを思いついたように目線をハリムへと合わせて口を開く。
「先ほども言いましたが、私で無理なら他の法術士でも無理です。……ですが」
たっぷりの間で言葉を区切ったベネデッタに、俺達はその先を焦れるように身を乗り出す。
法術での治療の道が無くなると思っただけに、希望が持てそうなベネデッタの言葉を誰もが待ち望んでいる。
俺やハリムは勿論、当事者であるパーラなどは特に思いは強いようで、もう既にソファから腰を浮かせている。
「たったお一人、パーラさんの腕を再び元の状態へと戻すことが出来る方がおられます。いえ、むしろあの方が出来ないのならば、この世界の誰であっても出来ないのでしょう」
「その、あの方って誰なの?勿体ぶらないで早く教えてよ!」
「パーラ、少し落ち着け」
最早我慢も限界と言わんばかりに、パーラが悲痛にも聞こえる声でベネデッタへと噛みつくのを、隣に座る俺が宥める。
「勿体ぶっているつもりはないのですが……そのお方の癒しの術は、私など足元にも及ばぬほど」
他国でも低くは扱われない法術士は、相応にプライドも持ち合わせているに違いない。
そのベネデッタが自分よりも格上と言いながら悔しさを見せず、むしろ誇らしげな様子で『あの方』と呼ぶとなれば相手は限られてくる。
ペルケティアの頂点にいる司教クラスならばそう呼ばれるのも相応しいが、ベネデッタよりも癒しの術に優れているという点から見るなら、思い当たるのは一人だけだ。
案の定、次にベネデッタの口から飛び出したのは、予想していた人物の呼称だった。
「すなわち、『聖女』様ならばパーラさんの腕を治せるかと」
キッパリと断言したその言葉に、俺達は揃ってポジティブなリアクションを返すことは出来ず、なんとなく気まずい空気を覚える。
ベネデッタの口から飛び出た聖女という名前には、納得と共に落胆も覚えた。
確かに法術では最上級の使い手と言われている聖女ならば、ここにいるベネデッタよりも高度な治療を望むことは出来る。
だが、その聖女の治療を受けるのはまず不可能なのだ。
「聖女か…。噂に名高い奇跡の術ならばなるほど、確かにパーラの腕も治せるかもしれん。しかし…」
顔をしかめながらそう言うハリムの言葉に、俺も微かに頷きながら眉間に皺が寄る。
ヤゼス教における聖女とは、聖鈴騎士序列一位の人物でもある。
その時代で最も優れた法術の素養を持つ女性だけが代々受け継ぐ聖女という称号は、その言葉のイメージ通りにヤゼス教の象徴とされている。
そんな存在だけに、普通の人間が会うなど到底できず、顔を見ることが出来れば生涯の誉れとしてもいいとさえ噂されるほど、教会がその懐へ厳重に囲う人間だ。
例え一国の王であろうとも、入念な根回しと十分な対価無しには会うことも難しいと聞く。
当然、俺やパーラなどが面会を願ったところで、治療をしてもらうどころか話さえ聞いてもらえないだろう。
「ベネデッタ殿、どうにか聖女に会うことはできぬだろうか。この二人…いや、パーラだけでも良いのだ」
ソーマルガ皇国の宰相ならば、他国の人間、それも正式な爵位すら持たない人間が聖女へとお目通りさせることの難しさはよく理解しているはず。
だがその上で、こうして縋るようにベネデッタに頼んでいるのは、それだけパーラの怪我の治療に必死だからだ。
なにせ俺達がソーマルガへ忠誠を誓うには、法術での治療が交換条件なのだ。
ここで治療が施せないとなっている現状、せめて聖女への繋ぎぐらいはとって俺達に恩を売っておきたいという狙いはあからさまだ。
しかし現実は非常だ。
ハリムに返って来たのは、毅然としたNoだった。
「無理でございますよ、閣下。聖女様に会いたい、治療を受けたいという頼みは常にあります。しかしそのほとんどが一顧だにせず跳ねのけられているのが、今のヤゼス教の意志なのです。残念ながら、こちらのお二人が聖女様と会うには、些か足りぬものが過ぎているかと」
多少丁寧な物言いではあるが、要するに俺とパーラでは身分もコネも何もかもが足りていないということだ。
おまけに俺はヤゼス教の一部とは少し前に派手に揉めているので、果たして正規のルートで頼んでいいものかの疑問はある。
八方塞がりかと小さく溜息を吐くと、それに答えたというわけではないだろうが、ベネデッタが残念そうに言葉を漏らす。
「期待をさせてしまいましたね。手があると知らずにいれば、そちらの方がまだ幸せだったのでしょうか。まぁ、序列上位の聖鈴騎士との伝手でもあればまた話は違うのですが」
ピクリと、俺は自分の耳が大きく動いたのが分かった。
今ベネデッタが零したものに、俺は一縷の希望を見出した。
「…序列上位の聖鈴騎士、ですか。例えば書庫番や夜葬花のような?」
聖鈴騎士の中で俺が顔と為人を知っているのは三名だけ。
その内序列上位となれば、二人が思い当たる。
「そうですね、そのあたりであれば聖女様との確たる繋がりもありましょう。もっとも、夜葬花はともかく、書庫番は動いてくれるかどうか。あれで気難しい方ですから」
書庫番…つまりグロウズは聖鈴騎士の序列でも三位だかそこらだったはず。
性格がかなりクソだというのはベネデッタにも知られているようだ。
聖女にはかなり近い地位にいると思えば、コネとしては申し分ないのだが、俺と奴はなんやかんやあった末の犬猿の仲、水と油、白米にファ〇タといった相性の悪さだ。
正直、頼るのが躊躇われる相手ではある。
となると、俺達とは関係性が良好である夜葬花ことキャシーを頼るべきか。
グロウズより序列は下がるが、為人もいいしなにより現在の聖鈴騎士の中でも古株だという。
それに上手くすれば、キャシー経由でグロウズも動かせるかもしれない。
色々と考えを巡らせてみれば、どう動くかが少し見えてきた。
聖鈴騎士序列上位の人間は、聖女ほどではないが連絡を取るのが面倒で難しい。
そこの問題はあるが、まずは比較的連絡がつけやすいガイバとどうにか繋ぎをつけよう。
聖鈴騎士の中でも国外へ出向くこともあるガイバなら、窓口もどこかに用意されているに違いない。
「ハリム様、預けていた俺達の飛空艇はどうなっていますか?」
善は急げと、ソーマルガに預けていた俺達の飛空艇に関して、復元状況をハリムに尋ねる。
流石に随分時間も経っているので、復元が終わっていなくては困る。
ソーマルガ皇国の技術力は世界一、のはず。
「む、あれなら少し前に復元が完了したと報告を受けているが…まさか、行くつもりか?ペルケティアへ」
「ええ、ベネデッタ殿から色々聞けたので、とにかく向こうへ行ってみようかと」
「行ったところで、聖女とは会えぬだろう?」
「ご心配なく。ちょっとした宛てはありますので」
「なんと。いや、だが…」
「急ぎますので、お話はまた今度。あぁ、仕官の件はなかったことでよろしいですね?」
「ぬぅっ!?」
引き留めようとするハリムを手で制し、仕官のことを口にすると、顔の皺をさらに深くしてハリムが黙り込んでしまった。
だって仕方ないじゃないか、仕官の条件がパーラの回復なのだから。
一応、ベネデッタの診察までセッティングしてくれた貸しはあるが、それはそれでまた別な形で返すことも考えなくもない。
「行くぞパーラ!ベネデッタ殿、ありがとうございました!」
「あちょっと!首引っ張らないでぐぇっお、お二人、ありがとねぇー!」
ハリムがさらに何かを言う前に、俺はパーラの首根っこを掴んで部屋を飛び出す。
ベネデッタには雑な別れ方になるが、これも急ぎのためと勘弁してほしい。
ペルケティアを目指して、再び俺達は羽ばたこう。




