前編第12章 「忠義のボトルキープ」
そんな私達の席へと静かに歩み寄って来たのは、御子柴高等学校1年C組の南崎泉少佐だった。
「御主人…様?御飲物は何になさいますか?」
オーダーを取る泉ちゃんの声に、怪訝そうな音色が多分に含まれている。
「こちらの方々と同じ、チャペルダウン・バッカスを所望致します。」
「かしこまりました、御主人様。」
他のみんなは気付かなかったみたいだけど、引き返していく泉ちゃんが小さく小首を傾げていた事、私は見逃さなかったよ。
まあ、本物のメイドさんを勤めている登美江さんを前にして、気後れしちゃって落ち着かないのは分かるけどね。
「こうして人数分の飲み物は揃った訳だし、改めて乾杯しよっか?」
京花ちゃんの声に促されるように、私は卓上に視線を落としたの。
泉ちゃんが運んできてくれたので、テーブルの上にはワイングラスが5つ。
スパークリングワインの気泡がパチパチと出来ては弾ける様子は実に爽やかで、見ているだけで涼しい気分になってくるね。
これが夏場だったら、我慢出来るか分からないよ、私。
何気無くグラスを掲げようとしたマリナちゃんは、何かに思い至ったかのように、そっとグラスを下ろしたのだった。
「なあ、お京…せっかくだから、次は登美江さんに乾杯の音頭を取って頂かないか?私は、つい先程やったばかりだし…それに、言うなれば登美江さんはゲストだからね。」
ああ、そういう事ね。
それは確かに良い考えだよ、マリナちゃん。
「うん!それで良いんじゃないかな、マリナちゃん。登美江さんが、それでいいのならね。」
「あの…よろしいですか、登美江さん…?」
京花ちゃんと英里奈ちゃんに水を向けられ、登美江さんは首を小さく縦に振る。
上品で謹み深いのは勿論だけど、内気で臆病な英里奈ちゃんには希薄だった、優雅な余裕も兼ね備えられているね。
「皆様に差し支えが御座いませんのでしたら、この登美江、誠に僭越ながら乾杯の音頭を取らせて頂きます。それでは…皆様と英里奈御嬢様の御友情の末永からん事を、そして京花様の演舞の成功を願って、乾杯!」
高々と掲げられた登美江さんのグラスに、私達のグラスが続く。
「いやあ、参っちゃったなあ…ついさっき、クラスメイトと金打の誓いをしたばかりなのに、これは責任重大になっちゃったよ…」
照れ臭そうに青いサイドテールを左手で弄る京花ちゃんだけど、そのニヤけた表情を見ると、満更でもなさそうだよ。
「京花様は英里奈御嬢様の大切な御親友。英里奈御嬢様にとって大切な御方なら、この登美江にとっても、同様に大切な御方です。そんな京花様の成功を願うのは、至極当然の事で御座います。」
「登美江さん…」
言われている張本人であるはずの京花ちゃんよりも、英里奈ちゃんの方が感極まっちゃっているじゃないの。
英里奈ちゃんったら、しょうがないなあ…
そういえば、登美江さんのグラスが空になっているね。
息継ぎもせずにあれだけ一気に喋れば、そりゃ喉だって渇くよね。
だけど、マリナちゃんや英里奈ちゃんの位置からじゃ、登美江さんのグラスには手が届かないし、京花ちゃんはヘラヘラ笑っていて気付いていないしなあ。
ここは、登美江さんのグラスが空になった事に気付いていて、ボトルとグラスにすぐ手が届く席に座っている私の出番だね。
それに、こうして准佐の私が同席しているというのに、少佐3人の手を煩わせる訳にはいかないよ。
「あっ!注ぎますね、登美江さん!」
「ありがとうございます、千里様。それでは、御言葉に甘えまして…」
軽く掲げられた登美江さんのグラスに、私はスパークリングワインを静かに御酌させて頂いたんだ。
にわか仕込みのコスプレメイドに過ぎない私が、本物のメイドさんである登美江さんに御酌するのも、端から見れば珍妙な光景なのかもね。
「それでは賞味させて頂きます、千里様。」
私が御酌したイングリッシュ・スパークリングワインを、登美江さんはさも美味しそうに飲み干した。
えっ!ピッチが早いよ、登美江さん?
まさかとは思うけど、さっきのマリナちゃんが移っちゃった?
うーむ…もう一度御酌し直してあげるべきなのかな、この場合?
でも、これで下手に御酌をし直して、登美江さんが酔い潰れでもしたら…
新歓コンパのアルハラ大学生と同レベルに成り下がっちゃうね、私。
まあ、この場はとりあえず、登美江さんの了解を得てからにしようかな。
「あの…いかがですか、登美江さん?」
「英里奈御嬢様が御選びになり、英里奈御嬢様の御親友の千里様に御酌して頂きますと、格別の味わいですね。これが友情の風味と申すのでしょうか?この登美江、感服致しました。」
とりあえず、登美江さんが上機嫌みたいで何よりだよ。
お代わりが必要かどうかは分からないので、もう少し様子を伺おうかな。
「そこで、皆様に申し出たい事が御座います。」
ここで言葉を切った登美江さんは、手にした卓上ベルを軽く鳴らし、注文係を務める上級大尉の子を呼びつけると、チャペルダウン・バッカスをもう1瓶追加オーダーしたのだった。
こうして、黒いメイド服姿の上級大尉からスパークリングワインのボトルを受け取った登美江さんは、ボトルを懐に抱くと、私達に向けてアルカイック・スマイルを決めたんだ。
「こちらのボトルは、この登美江からの奢りです。どうぞ、皆様で召し上がって下さい。ただ、その中に、この登美江も加えては頂けないでしょうか?」
酒屋か居酒屋に貼られているポスターみたいだよ、今の登美江さんのポーズ。
日本酒やビールならともかく、ワインのボトルでやると新鮮だね。
「気持ちはありがたいけれど…いいんですか、登美江さん?」
柄にもなく恐縮するマリナちゃんの問い掛けに、登美江さんは優雅な微笑で肯定の意を示すのだった。
「英里奈御嬢様と懇意にして下さっている皆様への感謝の意で御座います。それに、この銘柄のスパークリングワインは、英里奈御嬢様が選択された御品物。オーダー数が多い方が、御嬢様の体面も保たれるかと存じまして。」
英里奈ちゃんの体面を保つためか…泣かせるよね、登美江さん。
「し、しかし…それでは登美江さんが…」
アルカイックな微笑を浮かべる登美江さんが、続いて制したのは、慌てて財布を取り出そうとした英里奈ちゃんだった。




