Act. 18-12
<<<< 朽木side >>>>
突然の乱入者にハッと顔を上げた。
俺の名前を呼んだのは、不穏な空気を纏った声だった。
すぐさま振り返れば、立ち入り禁止のバリケードを跨いでやってくる数人の男たち。どの男も屈強そうな肉体の持ち主だ。ご丁寧に下卑た笑いまで浮かべてくれている。
状況は一目瞭然。瞬時に俺の脳は危険を察知した。
拝島を背後に庇い、地面に転がっている鉄パイプを拾って構える。昔じいさんに教わった型だ。
「あんまり手荒なことはしたくねーんだ。大人しくついてくりゃなんにもしねーよ」
男はまったく信用できない台詞を吐き、襟元を緩める。
相手は三人。面倒だ。囲まれる前に俺は動き出した。
「なっ!」
正面に立つリーダー格の男に打ちかかる。と見せかけ、横をすり抜け、後ろの男の胸に鋭い突きを入れる。
自分にくるとは思わなかったのだろう男がもろに食らってよろけた隙に、リーダー格の男に向き直りながら大きく払う。
こちらを振り返った男の顔に鉄パイプがいい具合にめり込んだ。
「ぐあっ!」
返す刀で最初の一撃を浴びせた男の横腹、顎、脳天へと続けざまに攻撃する。
「て、てめえっ!」
ようやく動き出した三人目の拳をかわし、背後にまわりこんだ時、リーダー格の男が視界を取り戻したらしき様子が映ったが、とりあえずは後回しだ。
三人目の後頭部を薙ぎ払い、よろめいた男の鼻に容赦のない拳を叩き込む。
これで一人は戦闘不能。もう一人はまだふらつきから回復していない。
あとはリーダー格の男――
「朽木!」
ハッと横に跳ぶ。俺の頭があった場所に角材が振り下ろされていた。拝島の警告がなければかわせなかったかもしれない。
すぐに体勢を立て直し、チッ、と舌打ちするリーダー格の男の顔に、拾った小石を投げつける。
咄嗟に男は身を捻った。そして角材を滑り落とし、一瞬動揺した。わずかな迷い。
それが命取りだ。俺は瞬時に間合いを詰め、男の脳天めがけて鉄パイプを素早く振り落とした。
だがかわされる。男は寸前で首を捻り、肩に流して受け止めたのだ。
頭を狙ったものなので肩ではたいしたダメージにはならない。俺は反撃に備え、すぐさまバックステップで間合いを広げた。
しかし、男は俺に向かってはこなかった。
「邪魔だっ、てめぇっ!」
身を翻すと、なんと、背後の拝島に殴りかかっていったのだ。血の気がひいた。
「拝島っ!」
間に合う距離ではない。拝島は咄嗟に身をかわしたが、男に腕を掴まれ、角材の山に放り飛ばされた。
積まれてあった角材が大きな音を立て、拝島の肩に崩れ落ちる。
「拝島っ!」
こいつ……よくも拝島をっ!
怒りで煮えたぎった血が一瞬にして沸点に達する。踏み込んだ足は既に間合いの中にあった。
身構えながらこちらを振り返る男の足に、俺は強烈な一打を浴びせた。
鈍い感触が伝わってくる。こういうろくでもない奴らにもはや手加減など必要ない。
「ぎゃあぁぁあぁぁっ!!」
地面に転がる男の悲痛な叫びを俺は冷めた頭に聞き流した。
このくらい、人を襲うなら覚悟の上だろう。もう一本も潰しておくか。
男は転がりながらも立ち上がり、恐慌状態で足を引きずりながら逃げていく。逃がすものか。だが。
「朽木……」
拝島の痛みをこらえて絞りだされた声に振り返り、見ると角材の山をどかしながら立ち上がろうとする拝島が肩に手を当て一歩よろめいた。
「拝島! 大丈夫か!?」
「平気だよ……。それより、あんまりやりすぎちゃ」
「拝島っ、話は後だっ!」
最後まで聞かずに俺は向き直った。男たちの呻き声が遠ざかっていったからだ。
それぞれに痛む箇所を手で押さえながら、男たちは工事現場の入り口に戻っていく。そこに立つ人影に気づき、俺はこれが誰の差し金なのかを悟った。
「話が違う! あんなに強いなんてきいてねぇ! 俺たちはパスさせてもらうぜこの仕事!」
リーダー格の男が唾を飛ばしながらわめく相手――黒スーツ姿の男は、見覚えがある。
サングラスで顔は隠れているものの、顎の厚い髭と体格からしてあれは――神薙蓮実の黒服だ。
俺は即座に地を蹴り、黒服のもとへ一気に詰め寄った。
「なんのつもりだ! 今更俺を消す気になったのか、神薙蓮実は!」
主人の名前は、逃げようとする黒服の足を止めた。こんな住宅地のど真ん中で叫ばれたくないだろうことは、無論、計算に入れている。
「そこまでするつもりはありません。しばらく身を隠していただきたかっただけです」
「ようするに監禁したかったということか。痛めつける気満々な奴らをよこしておいて、そこまでする気はないとはよく言ったもんだ」
睨みつけると、黒服はわずかに怯んだ。こいつにあたっても仕方ないとはわかっているが、治まらない怒りを一発頬にぶちかます。
よろけながら退散していく黒服の後ろ姿を見送り、工事現場から肩を押さえながら出てくる拝島のもとへ駆け寄る。
俺のせいで……。首筋まで赤く腫れあがっているのが痛々しい。
「大丈夫か? 俺の巻き添えになって……すまん、拝島」
「ちょっと打っただけだから。朽木こそ大丈夫? あいつら、また朽木を狙ってくるんじゃ……」
「どうだろうな。こんなに堂々と仕掛けてくる人じゃなかったんだけどな……」
少し考える。神薙蓮実は夫・神薙海治の不評を買うのを怖れて、これまで直接俺に手出しをすることはなかったはずだ。
密かに事故死に見せかけるくらいはやりそうなものだが、意外と神薙蓮実は己の手が血で汚れるのを嫌う。
息子の前では毅然としていたいのだ。一点の曇りなき母親として。
なのに、あんなチンピラどもを差し向けてくるということは、よほど切羽詰っていたとみえる。何があった?
いや、考えられることはただひとつ。
――神薙が動き出したのだ――
俺を神薙家に引き込むために。何か行動を起こした。
だから焦ってあんな奴らを雇ったのだろう。
もしかすると、グリコが言っていた視線を感じるというのも奴らか? だが神薙蓮実がグリコを狙う意味がわからない。
グリコを脅しに使いたいのなら、何故こうして直接俺に仕掛けてきた? 考えるまでもなく、俺一人を捕まえて監禁すればすむことだからだ。
人質を使うのはまわりくどすぎる。自分の悪事を知る人間が増えてしまうし、得策とは思えない。
俺をおびき寄せるくらいしか使い道がないと思うんだが。俺を言いなりにさせたいのならともかくとして。俺を言いなりに――
その時、ようやく気がついた。
俺を言いなりにさせたい人間は、確かにいる。神薙蓮実じゃない。
神薙グループ現会長。神薙海治だ。
「拝島! 戻るぞ!」
俺は慌てて叫ぶと同時に走り出した。「え?」と戸惑う拝島を置いて先に行く。
俺を跡継ぎに据えるために。
俺を操り人形にするために。
あいつを、取引の材料として――――
「グリコが危ない!」
全速力でだんご屋の前に戻った俺たちを待っていたのは予想通りの事態だった。
「悪い! グリコちゃん、連れて行かれちまった!」
両手を合わせて謝る高地を怒ることなどできるはずもない。原因は俺なのだ。
「黒スーツの変な奴らが現れて、グリコちゃんに用があるから一緒に来いって。俺、抵抗しようとしたんだけど、グリコちゃんが行くっつって……」
「そんな怪しい奴らに自分からついて行くなんてバッカじゃないの!? グリコの奴!」
立倉は憤慨して吐き捨てるが、それはグリコを心配しているからだ。
空気が重くなる。息苦しいほどに。池上と拝島も、心配そうに表情を曇らせている。
くそっ。気づくのが遅すぎた。俺がグリコから怪しい男の話を聞いた時、もっとよく考えていれば。
なんであいつなんだ。なんで俺じゃなく、あいつを連れて行くんだ。
「そんでこれ、その黒スーツの奴がお前にって……」
言いながら高地が渡してくる封筒を受け取り、中を開くと、一枚の素っ気無いメッセージカードが出てきた。
『屋敷で待っている 海治』
思わず紙切れを握りつぶした。
抑えようもない怒りで拳がわなわなと震える。
まだこんなやり方で俺を支配できると思っているのか、あの人は!
「朽木。なんて書いてあったんだ? 栗子ちゃんはどこに連れてかれたんだ?」
「あのバカは無事なんでしょうね!?」
「朽木さんの知ってる人なんですか? グリコを連れて行ったのは」
騒然と詰めかけてくる一同に対し、俺は頭を下げた。下げるしかなかった。
「すまん。俺のせいだ。グリコを連れて行ったのは俺の父親だ」
拝島の顔がハッとする。事情を察してくれたのだろう瞳が俺への配慮を浮かべる。
「朽木が俺たちに謝ることじゃないよ。朽木の方が辛そうな顔してる」
それでも、俺は自分が許せない。
駄目だ。冷静になって考えろ。神薙はグリコをどう使う?
「確かに、危害を加えられることはないと思う。あいつを取引の材料に使いたいだけで。用がすめば無事に帰してもらえるはずだ」
俺が、神薙の要求をのめば。
「朽木……」
「心配するな拝島。グリコだけは無事に帰してもらう」
「だけってなんだよ! そんなこと言うなよ、朽木。ちゃんと朽木も帰って来るんだろ?」
不安に揺れる優しい瞳が同意を促すように俺を覗き込む。目を合わせることはできなかった。
拝島はそんな俺を愕然と見つめ、それから震える手で俺に掴みかかってきた。
「ダメだよ! そんなのダメだ! 諦めるなよ! ちゃんと二人とも帰してもらえる方法を考えようよっ!」
拝島の悲しむ姿はできれば見たくない。だが打ちのめされた俺の心は、静かに決意を固め始めていた。
大丈夫だ。再び拘束されるぐらい、どうということはない。
また昔のように逃げ出せばいい。どれだけ回り道しようと、いつか夢に辿り着くことを信じて生きていけば……。
「いいんだ拝島。あいつを辛い目にあわせるくらいなら……」
神薙は恐らく権力でグリコを脅し、俺を従わせるための道具にするだろう。
反抗すれば、直接的な暴力ではなく社会的な制裁を加える。そういう男だ。
それがどんなに辛いことかは、俺が一番よくわかっている。グリコに同じ苦しみを味わわせるわけにはいかない。
俺のせいで――
「俺のせいで、あいつを苦しめたくないんだ」
あいつを神薙の檻に閉じ込めるわけにはいかない。
あいつの自由な羽を、奪わせるわけには。
グリコ――
どうか、無事でいてくれ。
「グリコが……」
「苦しむことになるなんて……」
「グリコちゃんが……」
沈んだ空気に同調するかのように、立倉や池上、高地も翳らせた目を伏せる。
それぞれが沈痛な表情で呟き。
「――――」
重い沈黙がその場を支配する。
みな不安に思っているのだろう。
グリコも今頃は不安に震えてるだろうか。突然連れさらわれて。屈強な黒服どもに囲まれて。さすがのあいつも――
「……………………」
さすがのあいつも、黒服の威圧感に今頃はさぞや怯えて――――
『じょっうわっんにっとうっきんっ♪』
……いや。
ちょっと待て。
「……あのグリコちゃんが?」
高地の呟きに、ふと、空気が変わった。
「心を痛めるってことあんの?」
「あのグリコが?」
他の面々も、想像がつかない、といった風に疑問符を浮かべる。
そうだ。思わず浸ってしまいそうになったが、よく考えてみればあのグリコが。
あの殺しても死ななさそうなグリコが。
怯えて震えるとか。辛い思いをするとか。そんな繊細な神経を持ってるか?
あのグリコが――――
『イケメンげっとぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!』
ど。
どう考えてもないだろ。
「あのさー……」
衝撃の事実にあんぐりと硬直する俺を見ながら高地がおずおずと言いにくそうに手をあげる。全員の視線が集まった。
「グリコちゃん、写真を撮るんだって張り切って行ったんだけど」
写真? 神薙の写真か?
「みょーにウキウキしてよ。先に行ってるねー、って。なんか別の意味で心配っつーか」
なっ。愕然とした。なんだそりゃ。先に行ってる――
『ねー♪』
……をい。
「あのバカ! また同人誌のネタになるとでも思って!」
言葉もない俺の横で立倉が呆れたとばかりに額に手を当てる。
「むしろ連れ去った相手が気の毒かも。暴れだしたら手のつけられない珍獣だし……」
震えだす肩を抑えるかのようなぎこちない笑みを浮かべ、池上が言う。
確かにそうだ。あいつが大人しくしているわけがない。
権力で脅される? 社会的制裁を加えられる?
それがどうした。あのグリコがそれくらいで大人しく神薙の道具になるわけがない。
全力で抵抗し、暴れまくったうえにお返しとばかりに神薙の家を爆破しかねない。あいつは脅迫には報復で答える奴だ。
俺の肩を揺さぶる姿勢のまま真っ白に固まる拝島と俺の肩を、頬をひくつかせた高地がぽんぽんと叩き、「えーと……そういうわけだからよ」と笑いを抑えながら言う。
「大丈夫じゃね?」
……なんだ。このなんともいえない微妙な空気は。
「そのうち自分で戻ってくるかもしれないけど、とりあえずお迎えよろしくするわ」
「そうね。熨斗をつけて返される前に、迎えに行ったげて、朽木さん」
「グリコちゃんの分のだんご、お前んちのポストに入れとくぞ。一人だけ食い損ねたら怖そうだからな、グリコちゃん」
……をい。お前ら、切り替え早すぎだろ。
もはや誰もグリコの心配などしていない。話題はだんごに移っている。寒い風が吹き抜けた。
拝島もやや恥ずかしげに俺から身を引いた。さっきの盛り上がりなど欠片も残っていない空気の中、俺一人いたたまれない気分で取り残されているんだが。どういうことだ。
先に気を取り直した拝島が、まだ赤らんでいる頬を指でかきつつ、
「……えっとさ。とりあえず、栗子ちゃんをよろしく」
「あー……ああ」
気の抜けたような返事しかできない俺を見てぷっと噴きだす。拝島にまで。拝島にまで笑われた。
「ご、ごめ……っ、あはははっ! やっぱ朽木と栗子ちゃんって、こうだよね!」
こうってのは具体的にどうなんだ。誰か教えてくれ。
と、不意に。
「俺さ」
表情を戻した拝島が俺を見る。
「二人が楽しそうにしてるのを見るのが好きなんだ。こっちまで元気になるようなパワーは、二人が一緒じゃなきゃ出ないんだ」
穏やかな瞳がにこりと笑う。俺は目を瞠った。
「拝島……」
「だから、朽木の好きにしていいんだよ。どうせ最初から栗子ちゃんは朽木しか見えてないんだからさ」
胸の奥から、微かな熱が生まれる。
グリコが追いかけるのは俺だけ――そうなんだろうか。だとすると、あいつを迎えに行くのは俺の仕事だ。
「二人で帰ってこいよ、朽木」
高地の明るい声に振り返る。
その場にいる全員が確信を持った顔で俺を見つめている。
俺はひとつ息を呑みこみ、それから口の端を小さく吊り上げ、にやりと笑って言った。
「ああ。あのバカを連れ戻してくる」
柔らかな布のジャケットを脱ぎ捨て、セーターを細身のスウェットに替える。
防寒用のマフラーを首に巻き、分厚い革のジャケットに袖を通す。
俺の部屋。身軽なバイクで行くことにした俺は一度マンションに戻り、服を着替えた。
ベッドの上で光るフルフェイスメットとグローブを取り上げ、寝室を出ていこうと戸口に足を向ける。だがふと振り返り、ベッドサイドテーブルに置かれた写真立てを手に取った。
そこには、昔の俺とじいさんが映っていた。
たった一枚しかない俺とじいさんとの思い出。グリコが探し出してくれたあの写真だ。
「じいさん……」
ずっと逃げ出したくてたまらなかったあの屋敷に、自分から向かう日が来るとは思わなかった。
もう二度と、この門をくぐるまいと誓ったあの中学最後の日。
俺は、弱かった自分をあの門の向こうに置いて屋敷を去った。
じいさんを助けられなかった無力な自分。神薙に屈服してしまった無気力な自分。
いつしかそれは神薙に対する嫌悪と合わさり、捕まれば二度と抜け出せない恐怖の檻を神薙に重ねて見るようになった。
この男には逆らえない。そう自分に暗示をかけて。
その呪縛を破る時がきたということだろうか。今、これから俺があの屋敷に戻ることの意味は。
正直、今まで恐怖の対象だった神薙を前にして、平常心でいられる自信はない。
あまりに長い時を縛られ続けてきたのだ。神薙への恐怖は本能に刷り込まれている。
だが、じいさんは言っていた。俺には牙があると。
負けたくないだろうと。そのとおりだ。
それに――
『先に行ってるねー、朽木さん♪』
それに、あそこにはあいつが待っている。
誰にも負けない天下無敵の腐女子が、ここに来いと俺を誘っている。
何故だろう。そう思えば不思議と怖さを感じない。
あいつにだけは、負けたくない。
だから――
「行ってくるよ。じいさん」
過去に、立ち向かうために。
さてさて。次回、Act.19。とうとうラストスパートです。
ここまでお付き合いくださって、本当にどうもありがとうございました。あと数話、どうぞ最後までお楽しみください!
さて、連絡事項です。
今週の土曜日の更新ですが、帰省のため、お休みさせていただきます。
来週の更新は、佳境に入っているところ申し訳ないのですが、体調次第になります。
実はわたくし、現在第二子を妊娠中でして。九月に出産予定となっております。
そのため、しばらく無理のできない体でして・・・・。
また、出産後はしばらく執筆活動ができなくなってしまうと思います。
色々と書きたいものはあるんですが、物理的に時間がなくて残念無念。(>_<)
それでも執筆は必ず続けていきたいと思っていますので、応援してくださると嬉しいです!
とりあえずは腐敵の第一部終了まで頑張りますので、どうかよろしくお願いいたします。m(_ _)m




