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Act. 14-5

<<<<  栗子side  >>>>

 

 

「ここで何をしている」

 

 突然の朽木さん登場に驚いたあたしは、傾けていた自転車ごと倒れそうになった。けどふんばる。

 

 怖い。怖いっすよそのお顔。

 

 あたしを射抜く視線は静かに鋭くて、カンペキにあたしを『不審人物』とみなしてる。まかり間違っても「やあ、こんにちは」なんて言ってくれそうもない。

 

 それでもとりあえず、あたしは咄嗟に思いついたことを並べ立ててみた。

 

「えっとね。天から啓示があって、この公園で散歩するといいことありそうだなーなんて感じちゃったもんだから、たまたまやってきたところなんだよ、そう、たまったまっ。わお偶然! これが運命の赤い糸ってやつ?」

 

「自転車で追いつくとは脅威の脚力だな。どこから追いかけてきた?」

 

 やっぱりごまかされちゃくれませんか。そうですよね。

 

 あたしは観念して自転車を降りた。警戒は怠らないけど。

 

 よく見ると朽木さん、いつもの仏頂面で、それほど怒ってる風じゃないのだ。

 

 怒ってるのは怒ってるんだろうけど、遊園地に行く前とそんなに変わらない態度に戻っている。

 

 逆にそれが少し不気味でもあるんだけど。このあいだの言い合いはなんだったんだろう?

 

「マンションから。朽木さんのバイクが飛び出してくるのが見えたから」

 

「また向かいのビルから覗いてたのか?」

 

 冷ややかな一瞥。

 

 うごっ! その覗きスポット、バレてたんですかー!

 

「えっと、ちょっとだけだよ、ちょっとだけ。リビングしか見えないしさ」

 

「何が見えた」

 

 ぎくっとする。怪しい人が見えたっつーのは、言わないほうがいいだろうか。

 

「なにもー。つまんないから帰ろうと思ったら、朽木さんがバイクで出てきたんだよ」

 

「……本当か?」

 

「ホントホント。何も見てない見てない」

 

 両手を顔の前で振って、なんか墓穴掘ってる気もするけど、見てないことを激しく主張。すると。

 

「もう一度きく。本当だろうな?」

 

 スッと朽木さんの黒いグローブをはめた手が伸びてきた。

 

 あたしの顎を掴んで、上向かせる。

 

 おわっ、近い! でもってちょっぴり怖い!

 

 わずかに怯むあたしの目を覗き込む朽木さんの目は底なし沼みたいだ。深くて暗い。

 

「う……」

 

 こりゃバレバレだ。どう見ても絶対にバレバレだ。

 

 でも自分から言うわけにはいかない。どうしようかと考えていると、朽木さんの手からツンと鼻をつく嫌な臭気が漂ってくることに気づいた。

 

「ん?」

 

 視線を口元に落とす。

 

 指先はあたしの顎の下になって見えないけど、見えてる部分――グローブの甲のあたりに、赤いものがべっとりと付着しているのが見えた。

 

 うわっ。これって血じゃない?

 

「朽木さん、ケガしてんの!?」

 

 思わず朽木さんの手を取ってまじまじと見る。

 

 赤――というより茶色に近いソレは、甲に通気用か穴を開けた革製のグローブの至るところに染みこんでて、てらてらと生々しい光を放っている。

 

 ひどいケガ――――いや待てよ。グローブの外側に付着してるものが自分の血である可能性は低い。

 

 どちらかというと他人の――――

 

 そこまで考えて、スッと背中が冷えた。

 

 思わず固まったあたしから、朽木さんが自分の手を引き抜く。

 

「たいしたケガじゃない」

 

 言いながらグローブを外し、たたんでブルゾンのポケットにしまう。

 

 朽木さんの恰好は、こんなスポーツバイクに乗ってきつつ、ライダーっぽくないスマートなブルゾンだ。

 

 なんだろう。このイヤな感じのちぐはぐ感。

 

 だけどあたしは不審の目をすぐにひっこめて、公園を指差した。

 

「手、洗ってこうよ朽木さん。公園なら水があるっしょ?」

 

 柵の向こうに茂る木々は、紅葉から枯れ葉色に変わりかけている。

 

 少し淋しい景色だけど、これはこれで味があるものだ。散歩も悪くない。

 

 どこかギスギスした気配の漂う朽木さんに、マイナスイオンを浴びてもらおうと思った。

 

 だけど、あたしの視線を追って公園に目を向けた朽木さんの顔は、嫌そうに眉をひそめた。

 

「うちに帰って洗えばいい」

 

「なに言ってんの薬学生のくせに。ケガしたらすぐに水で洗って消毒するもんじゃん」

 

「たいしたケガじゃないって言ってるだろ」

 

「そういうところが子供っぽいんだよ、朽木さん。わけわかんない意地はる場面じゃないっしょ?」

 

 あたしは強引に朽木さんの手を引き、公園に足を向けた。そこまですれば、嫌がっていた朽木さんも抵抗をやめ、足を動かし始める。

 

「公園は好きじゃないんだがな……」

 

 ホントに子供か、この男。

 

 公園が嫌いって、わけわかんない言い訳してまで手を洗いたくないんだろうか。

 

 だけど、渋々ついてくる朽木さんが、公園の入り口に差しかかったところで、辛そうに目を背けるのを見ると、公園が好きじゃないという話も本当かもと思えてくる。

 

「大丈夫だよ。広場は多分すぐそこだから」

 

 何が大丈夫なのか。自分でも根拠のない、かつ意味不明なこと言ってると思ったけど、朽木さんは公園の入り口にある車両の進入防止用のハードルみたいなものを過ぎてからは大人しく無言でついてきた。

 

 公園は、入ってすぐが雑木林みたいな落ち葉に地面が覆われたわびさびとした空間で、その中を抜ける小道を行くと、急に視界が開け、運動場のような広い場所に出た。子供達がサッカーボールを蹴って遊んでいる。

 

 水場はすぐに見つかった。

 

 広場の隅に、恐らくトイレだろう灰色の野暮ったい建造物がある。そこから数メートル隔てたところに、ポツンと蛇口のくっついた石柱が淋しく立っていた。

 

「朽木さん、あれあれ。あそこで手を洗お!」

 

 返事もしない朽木さんを引っぱって連れていくと、観念したのか、朽木さんはあたしの手を払い、水を流して黙々と汚れた部分を洗い始めた。

 

 その様子を横から覗き込む。

 

 指先やら手の甲に乾きかけた赤黒い血がこびりついている。恐らく、グローブの穴の部分から入ったんだろうと思いつつ眺めていたけど。

 

 めくれた甲の部分の皮と、そこに水を当てながら朽木さんが痛そうに眉をしかめるのを見て、どうやら本当にケガしているらしいことがわかった。

 

「うっひゃー痛そう! イタイイタイイタイ! 大丈夫? 朽木さん」

 

「耳元で痛い痛い騒がれたら平気なものも平気じゃなくなる。少し黙ってろ」

 

「しかしこのめくれた部分の皮がじゅくじゅくとピンク色なところがいかにも肉っぽく」

 

「黙ってろと言ってるんだ!」

 

 ぎゃふん! 横腹を蹴られた! あたしの方が超重傷。

 

 仕方なく朽木さんから離れて、なんか消毒できそうなものを探しに雑木林の方に向かう。

 

 あたしが小さい頃は、ケガしたらよく市兄ちゃんがヨモギの葉をこすりつけてくれたものだ。

 

 民間療法だけど、化膿したことないから、結構バカにできないと思うんだよね。

 

 でも落ち葉に埋もれた地面は、とてもヨモギなどあるようには見えなくて。

 

「何している」

 

 しゃがんで落ち葉をかきまわしてたら、後ろからきた朽木さんの冷ややかな声に突っ込まれた。

 

「ん~。ヨモギないかな~と思って」

 

「ヨモギか……。もっと日当たりのいい場所じゃないとないだろうな」

 

「やっぱり~? そっか、残念」

 

「止血ならうちに戻ってすればいい」

 

「うん、まぁそうなんだけどね。青い葉っぱ、これくらいしか見当たらないしなぁ~」

 

 言いながら立ち上がったあたしは、目の前の太い木の表面にくっついてるなにやら鬱蒼と茂った長い葉っぱを引っぱった。

 

 裏返してみると、うげっ! 茶色いブツブツしたものがいっぱいこびりついてる!

 

「キモッ! 触っちゃったようえぇ~~かぶれないかなぁ~」

 

 思わず放してぶらぶらと手を振る。いかにも毒とかありそうじゃん?

 

「見た目で判断するな。一応そいつも薬草だ」

 

「え? そうなの?」

 

 後ろの朽木さんをびっくりして振り返ると、朽木さんは大真面目な顔で頷いた。

 

「こいつはノキシノブと言って、乾燥させたものを煎じて飲んだりする。淋病などにいいそうだ。あと腫れ物に外用するという使用法もあるな」

 

「へぇ~そうなんだ。意外と有能なんだね」

 

「お前よりはよっぽどな」

 

 ぐふっ! 反論できません!

 

「止血効果もあるそうだから、試しに使ってみたらどうだ? 鼻血を止めるのに効くかもしれんぞ」

 

「大きなお世話じゃ! でもさすが薬学生。そういうのも学校で習うの?」

 

 あたしは多少感心して言った。

 

「これは習ってないけどな。俺がこの草のことを知ったのは大学じゃなくて……」

 

 垂れ下がる細長い葉を手に取り、朽木さんはじっとそれを見つめた。そして、何故だかそのまま固まってしまった。

 

「大学じゃなくて?」

 

 あたしは言葉が止まってしまった朽木さんの続きを促した。

 

 だけど朽木さんは心ここにあらずといった風に、葉っぱを凝視したまま動かない。

 

 なんだ? どうしたんだ?

 

「朽木さん?」

 

 もう一度声をかけると、朽木さんはハッとした顔で葉っぱから手を放した。

 

「いや……なんでもない」

 

 そうかー? どう見てもなんでもなくはなさそうだけど。

 

「大学じゃなくてなんなの?」

 

「多分……父に教わったことだな。それだけだ」

 

 そう言ってあたしに背を向ける朽木さん。

 

 スタスタと歩きだすのを、あたしは慌てて追いかけた。

 

「どこいくの?」

 

「うちに戻る」

 

「えーっ! もう帰っちゃうの? せっかくだから散歩していこいうよー」

 

 テンション低すぎの背中に反論する。マイナスイオンを死ぬほど浴びせようと思ったのに。

 

 もっと遊び心とか人生に余裕を持つべきだと思うんだよね。

 

「これの消毒もしたい」

 

 でも、痛々しい手をあげてそんなことを言われれば、確かに無理は言えない気がして渋々口をつぐんだ。

 

 あーあ。じゃああたし一人で散歩でもして帰るかなー。

 

 朽木さん、家に入れてくれないだろうし。

 

「グリコ」

 

 と、急に足を止めた朽木さんがあたしを振り返る。

 

「ん?」

 

 つられてあたしも足を止めた。

 

 朽木さんはじっとあたしを見つめている。あの暗くて深い瞳で。

 

 なんだろう、と思っていると。

 

「うちに来るか?」

 

 えっ? 朽木さんのうちに?

 

「行ってもいいの? 消えろとか言ってなかったっけ?」

 

 あたしはこの間の会話を思い出しながら目をぱちくりさせた。

 

 朽木さん、あんだけあたしを追い払おうと脅しまくってたじゃん。

 

「その理由を教えてやる。ここじゃ話しにくいからうちでな」

 

 朽木さんのうちで? 思わず眉をひそめる。

 

 最近のあたしに対する朽木さんの感情は、嫌悪というより憎悪に近い。隙あらば殺してやるといわんばかりの。

 

 今もなんだか不穏な空気を漂わせている朽木さんのうちに行ったりして大丈夫だろうか。

 

 部屋にあがった途端ブスッとか刺されたり絞め殺されたり。ありうる。朽木さんならやりかねない。

 

 冷や汗だらだら流しながら返答に迷っていると。

 

「話をききたくないならいい。お前とはこれきりだ」

 

 朽木さんは再びあたしに背を向けて歩き始めた。

 

「あっ、待って待って! いく! 話してくれるんならきくよ!」

 

 もぉ~~短気なんだから。

 

 以前もこんなコトあったような気がしつつ後を追いかけ、腕を掴む。

 

 すると、その手を逆に掴まれた。

 

「俺のバイクの後ろに乗れ」

 

 あたしの方を見もせず手を引いて言う朽木さん。

 

「へ。あたし、自転車があるんだけど」

 

「またここまで送ってやる。自転車にあわせて走るのは面倒だからな」

 

 えーっ。あたし、ここから行ってまたここに戻ってくるわけ?

 

 朽木さんにとっちゃその方がいいのかもしんないけどさー。あたしがメンドイじゃん。

 

 ブツブツ。でもバイクに乗るのもちょっと面白そうなので、文句は口に出さなかった。

 

 

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