16.空虚
クロムウェルから流れる血が水たまりににじんでいく。俺は段々と身体が冷たくなっていく親友を静かに地面へ置いた。
それまで全然気にならなかったっていうのに、やけに雨音が俺の耳に鳴り響いている。本当……うるさいくらいに。
俺はゆっくり立ち上がると、もう一度地面に横たわる男に目を向けた。随分と安らかな顔をしているんだな。身体はこんなにもボロボロだっつーのに。……いや、ボロボロ加減に関しては俺も人のこと言えないか。
「……結局、お前には一度も勝てなかったってわけか」
何度挑んだことだろう。お前に勝ちたいって強く思ったあの日から今日までずっと挑み続けてきた。数えるのもばからしくなるほどの回数を、だ。
「ヒーローはどんなに強いやつが相手でも負けることは許されない」
勇者の試練に出てきたお前の影に言われた言葉を口にする。勇者の力、なんて大層なもんを覚醒させておきながらこの様だ。笑っちまうよな。みんなが憧れるヒーローは悪役一人すらまともに倒すこともできない。
「ヒーロー失格だな……俺は」
別にそんなものになりたかったわけじゃないけどな。だけど、自分の親友さえも、守るどころかこの手にかけるような奴だ。誰も俺をそれとは認めてくれないだろう。
しばらく激しい雨に打たれながらクロムウェルを見つめていた俺は、そのままゆっくりと歩き始めた。目的地なんてあるはずもない。勝手に足が動いていく。
大事な親友が死んだっていうのに、存外何も感じないんだな。喜びも悲しみも怒りも嘆きもない。あいつを失うと同時に、俺の感情もどこかにいっちまったみたいだ。今の俺には何もない。からっぽだ。
それでも足は進み続ける。誰かに誘われるように、ただただ無心でどこかへと向かっていた。
正直、まっすぐ歩いているのか、曲がっているかもわからない。目から入ってくる景色は俺の脳へと到達する前に彼方へと消えてしまう。だから、俺の目には何も映っていない。何も見えていないんなら、どう進んでいるのかわからなくても仕方がないよな。
歩き始めてからどれくらいの時間がたっただろうか?5分かもしれないし、2時間かもしれない。それすらよくわからなくなった俺の目の前に突然両開きの荘厳な扉が現れた。
「ここは……」
見知らぬ景色、見たことのない扉。一体どこなんだ?俺は何のためにここにいる?そんな疑問が湧いてきているにもかかわらず、俺の身体はそうするのが当たり前と言わんばかりに、躊躇なくその扉を開く。
「——―やぁ。久しぶりだね、勇者君」
そんな俺を待っていたのは見覚えのある男だった。
「お前は……」
こいつは知っている。かつて俺が身も凍るほどの恐怖を感じ、抑えきれない憎しみを抱いた男だ。だが、今は何も感じない。なにも。
「僕の言いつけを守って強くなってきたみたいだね!感心感心っ!」
全身黒で着飾った魔王は豪奢な椅子に腰を下ろしながら、うんうん、と嬉しそうに頷く。
「……ということはつまり、親友の仇を取りに来たのかな?」
その言葉に俺の身体はピクっと反応した。そういえばそんなことをこの魔王にいわれた気がする。親友の仇を取りたかったら強くなることだ、って。それを思い出した俺は自嘲の笑みを浮かべた。
「今となっちゃ、どっちが仇かわからねーな」
「……そうだね。君が僕のところに来れたってことはそういうことだもんね」
魔王は顔から笑みを消すと、徐に椅子から立ち上がる。
「なら、悪の幹部を倒した勇者君はその親玉を倒しに来たのかな?」
「……なるほど」
魔王から放たれる底知れない魔力が俺の肌を刺激した。それがとても心地いい。やっぱ、この男は強いな。だから、俺はここまで来たのか。合点がいったよ。
「俺はお前を倒しに来たんじゃない」
ゆっくりと顔を上げ、魔王の目を見つめると、俺は微かに笑みを浮かべた。
「俺は死にに来たんだ」
この男なら俺を殺してくれる。
俺の言葉を聞いた魔王は特に驚くこともせず、何かを吟味するかのようにじっくりとこちらを観察していた。
「……無料で、ってのは聞けない相談だなぁ」
「俺に払えるものなんていないぞ?」
「別に君からもらいたいものなんて何もないよ……だだ少し、相手をして欲しいんだ」
そう言うと、魔王は自分の身体に魔法陣を埋め込む。ただの最上級身体強化だっていうのに、その圧力はあいつから感じたものと遜色ない。
「たった今、大事なものを失くしちゃってね。少しだけ苛立っているんだ。でも、それじゃダメなんだよ。僕は常に楽しい思いをしていないといけない……そういう約束だからね」
大事なものって…………そうか、あいつは魔族領でも楽しくやっていたんだな。だったら、その責任は俺にある。
「わかった。付き合おう」
短い言葉で答えると、俺は身体の中からエクスカリバーを呼び出した。それを、魔王が懐かしむように見つめる。
「ゆっくり楽しみたいけど、そうも言ってられないかな?あまり時間がないみたいだからね」
「時間がない?」
「あぁ、こっちのことだから気にしないで」
魔王が困ったように笑いながら、軽い口調で告げた。そう言うのであれば、俺は同じ大事なものを持った同志を楽しませることだけに集中しよう。あいつとの戦いで空っぽだった魔力も、何故か回復してくれている。これなら目の前の男を楽しませることができそうだ。
大きく息を吐き出し、魔力を高める。そして、己を限界まで強化すると俺は恐怖の魔王へと向かっていった。





