第20話 淋しい農村
早朝に宿屋を出て、柊と楓は雑草の生えた田舎道を歩いていた。歩きながら楓は、地図を広げて見ている。この国の地図は宿屋の女将がくれた物で、昼食用にとパンまで持たせてくれた。よほど人外を討ち取ったことが有り難かったようだ。
相変わらず楓は、地図の上下を変えて方角を合わせている。きちんと位置関係は分かっているから、柊は特に口出しはしない。
「暫くは農村地帯が続くみたいね。中つ国経由は山越えルートになるから、ラウの国から入って正解だったわ」
陸の形や山脈の位置などは元の世界と同じだから、今更ながらここが遠い宇宙の何処かの惑星ということではなさそうだ。ただし、国の名称や国境線はまるで違っている。国の大きさは大小様々だが、総じて日本よりは小さいという印象だ。既に何カ国かを渡り歩いて、楓もすっかり頼もしくなった。
「そろそろ柊は、女の子の日なんじゃない?今日中に宿がある街まで行ければいいけど」
「もう、自分でも前兆が分かるようになったよ。楓は全然、弱音を吐かないから、いつの間にか終わってるよな」
「敏感な一週間だって柊に気を使われるの、恥ずかしいじゃない。意識して口に出さないようにしてるのよ」
「じゃあ、俺は何なんだよ」
何処まで行っても変わらない景色にうんざりしながら、昼時には小川を見付けて宿屋で貰ったパンを河原で食べる。川の水が飲めるかどうかは、アクアが判斷してくれた。こちらの世界では化学物質などはないから、注意するのは糞尿くらいだ。特に農村では人間に限らず家畜の排泄物が流れ込んでいる可能性がある。
両手で水をすくって飲みながら暫く休憩していると、遠くから馬車が近付いて来る音が聞こえた。慌てて二人は荷物を持って道へと戻る。行き交う人も少ない農村地帯で、馬車に乗せてもらえる絶好のチャンスを逃したくはなかった。
こちらへやって来る馬車に向かって二人が手を振ると、中年男性の御者は停まってくれた。荷物を積むためだけの簡素な馬車で、男性は酪農家だろうか。荷台には牧草が積んである。
「王都を目指してるんですけど、行ける所まで乗せてもらえませんか?」
「ああ、構わないよ」
通常ならここで値段交渉をするのだが、中年男性はお金を取るつもりはないらしい。乗せる側が要求していないのに、乗る側が金銭の話しをするのは失礼に当たる。
荷台には牧草が積んであるので、座れる場所は御者台しかない。重量バランスを考えると、左右に別れるしかなかった。
楓が中年男性の右側に、柊は左側へ座る。この配置になるのには理由がある。楓は右利きだから右手で剣を抜く。柊は腰の後ろ側に剣を差しているから、左手で抜いて右手に持ち替えるという動作をする。いつでも抜刀できるようにするための配置だった。
「ここから先は暫く宿屋はないけど、今日中に街まで辿り着けるかい?特にエルフのお嬢さんは、小柄で足が遅いだろう」
柊はフードで顔を隠していたが、白い肌と長い金髪でエルフではないかと予想は出来るだろう。ただし、エルフではなくても、そういう人が居ない訳ではない。鎌を掛けられたようで、反射的に柊は剣の柄を握った。
「心配しなくても、女の子を捕まえて金銭を受け取るほど生活が荒んではいないよ。困ってる人を放っておけないだろう」
馬車代を取らなかったことからも、賞金には興味がないのだろう。取り敢えず、信用する気になった柊はフードを外した。
「エルフのお嬢さんは綺麗だな。目の保養になったよ」
そう言って男性は馬車を発進させた。あっさりと信用してしまったお人好しの柊に、楓は少し呆れた様子だ。誰も彼も疑っていたら先へ進まないから、楓も逆らったりはしないものの、気を抜いてはいない。
田舎の荒れた道にガタガタと揺られながら、お互いに自己紹介をした。柊は年齢を聞かれて、十八歳だと答える。実際にはアリアが何歳なのかは知らないが、エルフの見た目で判斷すると大して違わないだろう。そして中年男性は、クワトロと名乗った。
「歩きに自信がないなら、うちへ泊まっても構わないよ。耄碌した母親と二人きりだから、取って食ったりはしないから」
「そうですか…それじゃあ、お言葉に甘えて」
柊に警戒心がなかった訳ではない。ただ、このまま歩いて行っても宿屋まで辿り着けるとは限らない。夜通し歩いたり、野宿するよりは余程マシだという判斷からだ。
細長い木造の牛舎の横にクワトロは馬車を停めた。荷台から牧草を下ろすのを二人が手伝ったのは最初の一束だけで、埃が舞うのに心が萎えた。それなりに綺麗な洋服を着ていたのに、まとわり付いた埃をパタパタと払う。
扉のない牛舎を覗いた楓は、一直線に並べるように繋がれた牛の毛が茶色いことに首を傾げる。酪農と言えばホルスタインというイメージがあったので、てっきり白黒の牛が居るのかと思っていた。
「ジャージー牛?」
「ジャージーってのは、イギリスの地名だからな。こっちじゃ何ていうのか知らないけど」
牧草を全て下ろすと、クワトロは二人を母屋の方へ案内してくれる。母屋はレンガ造りで屋根には煙突が付いた、こちらの田舎ではよく見るタイプの家だ。
暖炉のある部屋に案内されると、クワトロが話していた母親だろうか。背中が少し丸くなったお婆さんが柊に詰め寄って来た。
「ナナイ、ナナイじゃないか。何処へ行ってたんだい?ずっと待ってたんだよ」
「あの…」
人違いなのは分かっているが、お婆さんが何の疑いもない様子なので、柊はどう対処して良いのか分からずに戸惑っていた。
「母さん、この二人はお客さんだよ。今日は泊まって行くから、夕食を頼むよ」
「そうなのかい?ナナイは何処へ行ったんだろうねえ」
トボトボと部屋を出て行くお婆さんを尻目に、楓が柊の耳元で
「認知症だよ」
と囁いた。こちらの文明レベルでは、認知症という概念は多分ないだろう。単なる老化現象だと思っているから、耄碌しているという表現になるのだと思う。
「あの…ナナイって?」
「俺の妻なんだ。二年前に人外に食われてね。遺体には頭がなかったから、まだ生きてるんじゃないかって思ってるんだよ」
「エルフだったんですか?」
「エルフのようだとは言われてたけどね。本物のエルフにお目に掛かったら、烏滸がましかったと思うよ。それじゃ俺は牛の世話をして来るから、夕食まで寛いでいてくれよ」
そう行ってクワトロは、二人を残し部屋を出て行ってしまった。重苦しい空気の中で放置されて、柊と楓は顔を見合わせていた。
夕食には酪農家だけあって、チーズを使った料理を出してくれた。カマンベールチーズのような柔らかいタイプで、元の世界ではフランス辺りで作られていた。そんなチーズの塊も丸ごと出してくれて、ホールケーキのように切り分けた。
このタイプのチーズが大好きな楓は、こちらの世界の味気ない食事に飽き飽きしていたから、食欲が旺盛になっている。
「酪農家の家に泊めてもらえて、本当に良かったわ」
あっさりクワトロを信用した柊に呆れていたのに、食べ物のこととなると現金なものだ。
「ナナイは、おかわりはいいのかい?」
何度違うと言っても、お婆さんは柊のことをナナイと呼ぶ。認知症なんだから仕方がないと思って、もう普通に返事をしていた。
「少食なので、もう大丈夫です」
「じゃあ、残りのチーズは私が食べてもいい?」
そう言って楓は、返事を待たずにチーズに手を伸ばす。
「太るぞ」
「一日三十キロ…じゃなくて、三千メットも歩いてるんだから、すぐに消費しちゃうわよ」
「それじゃ、明日はもっと歩けるな」
「柊に言われたくないわ」
そんな二人のやり取りが面白くて、テーブルを挟んだ向かい側に座っているクワトロは微笑ましく見ていた。妻のナナイを亡くして以来、久しく感じていなかった家庭的な雰囲気だった。
「もし良かったら…」
それだけ言って、クワトロは言葉を飲み込んだ。彼が何を言いたかったのか、柊も楓も察していた。恐らく、もう二、三日泊まって行かないか。或いは、酪農の仕事を手伝ってくれないかといったところだろう。
その誘いに、二人は応じることが出来ない。一か所に長く留まれば、それだけ危険も大きくなる。それが分かっているから、クワトロも言葉を飲み込んだのだろう。
柊と楓は一度目を合わせてから、何事もなかったように振る舞っていた。
柊が浴室に入っている間、楓は剣を持って外で待っていた。別にクワトロのことを疑っている訳ではない。柊がアリアに体を奪われてから、常に警戒は怠っていない。ましてやこの国では、賞金が掛けられているのだ。いつ襲われるか分からない。
浴槽は体を洗う場所だが、日本人だった柊はゆっくりと湯船に浸かりたくなる。たっぷりとお湯を張って、肩まで浸かっていた。
今では自分で髪をまとめられるようになり、女性特有の作業は考えなくても自然に出来るようになっている。未だに生理痛には慣れないが、普通の女性でも似たようなものだろう。
そんな浴槽の縁に、メイプルが現れた。
「ねえ、ヒイラギ。もう、あんまり時間がないよ。自分でも、分かってるんでしょう?」
柊はお湯に浸かったまま、自分の体を撫でるように洗っていた。初めの頃は妙に恥ずかしかった少女の体も、もう違和感すら感じていない。
「日増しに俺が、エルフになって行くのが分かるよ。魂と肉体が完全に融合したら、もう元の体へは戻れないんだろう?」
「ごめんね、ヒイラギ。私、取り返しのつかないことしちゃった」
メイプルは柊が体を奪われる前から、アリアに同行していたのだ。魂を入れ替えるのに関わっていたと考える方が自然だろう。初めからそれは分かっていたが、敢えて追求はしなかった。柊が自分の体を取り戻すためにメイプルは必要だし、メイプルにも思惑があって柊に同行していると思えたからだ。
「メイプルは、いつか俺が体を取り戻すと信じて、ずっと守ってくれてたんだろう。アクアだって、メイプルが居たから同行してくれたんだ。精霊同士の対話は、俺達には認識できないからな」
「うん…でも、魂の融合は予想外だった。ヒイラギが、純粋な魂を持ってたから」
「時々、もうエルフのまま、この世界で暮らそうって誘惑に駆られることもあるよ。だから、本当に駄目でも、その時の覚悟は出来てる。勿論、最後まで諦めないけど、この体が俺のままでも、メイプルはずっと一緒に居てくれるんだろう?」
「勿論だよ。本来なら、魂を入れ替えた時点で私は消滅する筈だった。でも、柊の魂が私を繋ぎ止めてくれたんだからね」
問題は、楓をどう納得させるかだ。策がない訳ではないが、諦めないと言っておきながら駄目だった時のことを考えるのは、既に負けを認めているようなものだ。その時になってから考えれば良いことだ。
柊が浴室を出ると、見張りをしていた楓に声を掛ける。
「俺が見張ってるから、楓も入れよ」
「うん、ありがとう」
楓は特に躊躇することもなく、浴室へ入ろうとする。待っている間にアクアと話しでもしていたのか、水筒を持っている。その水筒と長剣を柊に預ける時に、
「長風呂だったね。私を出し抜く相談でもしてたのかな?」
そう呟いた。
「冗談だよ」
すぐに否定したが、やはり双子だけのことはある。当たらずとも遠からずと言ったところか。
自分がエルフ化して行くことに自覚がある柊としては、まだ楓と繋がっているという確認が持てて少し嬉しかった。




