14.深夜の攻防戦
突如、真夜中に現れた3人の不審者。否、乱闘者。
彼らは状況について行けていない周囲などお構いなしに、戦いを始めていた。
意地と意地のぶつかり合い。
いきなり始まったそれが、『寝てる人の顔面に落書き』という子供の悪戯みたいなことを発端にしているとは思えないほどの真剣さだった。
位置関係的に窓を突き破って乱入してきたらしい、と推測できるのは黒づくめに紙袋を被った不審人物。体の輪郭から、それが少女だと知れる。だが顔は、目の位置に穴を空けた紙袋に遮られて窺い知れない。
しかしその不審少女は、ただでさえ薄暗い夜闇の中、紙袋で視界を制限されているとは思えぬ俊敏さを見せた。それは、本職の騎士であるクレイグ・バルセットが素で驚くほどの鋭い動き。
強く踏み込んで少女は駆ける。
まっすぐに正面から向かうかと思えるほどの、勢いと速度。
しかし対峙する相手の厄介さを彼女は良く知っていた。
真正面から向かう危険さも
相手がどれだけ油断ならないか、今まで何度も目にして知っている。
手が届く距離に入る、その一歩手前で。
少女は跳躍していた。
いつもの竹槍の補助がなくても、彼女の跳躍力は常人より優れている。
脚力に強い獣人の特性もあるだろう。
だけどそれ以上に、そうあろうと理想の動きを何度もなぞって鍛錬してきた蓄積がある。
一息に、その細い体は天井まで達していた。
勢いのまま体がぶつかる、その直前でくるりと身は捻られ、天井に着地していた。
動きを目で追えなかった者も、少し離れたところからは天井に身を寄せる少女の姿を目視した。
だが見た、と思った次の瞬間には、もうその姿は視界から消えている。
天井に着地した瞬間には、次の跳躍に移っていた。
そう、天井から今度は標的へと向けて。
全身をばねのようにしならせ、少女は跳ねる。
視界を惑わし、頭上からの攻撃だ。
目で追える動体視力を持っていなければ、彼女が最初の跳躍でどこに消えたかもわからない。
息つく間もなく、次いで頭上から来られれば、余程勘の鋭い者でなければ成す術もなく潰されていただろう。
だが、少女が青年達の手口を熟知しているように。
青年達もまた、長年見つめ続けてきた少女の戦法をよく知っていた。
「ふ……っ」
金属の衝突する、甲高い音が響いた。
いつの間にか青年の手には、左右それぞれに短剣が握られている。
右手に諸刃の一般によく見る短剣が。
そして左手には、片刃が櫛のような形状の短剣が。
自分に向けられた鋼の輝きを、櫛歯状となった刃で青年は受けていた。
跳躍と体重によってかかる圧力と勢いを、右手の刃を交差させることで押し負けないように踏み止まる。
「……やっぱり、最初に狙うのは僕の方、か」
「当たり前っだよ! 手強いの、厄介なのから潰すのは鉄則だもん!」
「僕がそれを、予測しない、とでもっ?」
「いざって時に狙われるのは自分が先、ってわかってて、も、今夜この場でっては考えてなかったでしょ!」
「それはその通りなんだけどね!」
だけどいつでも、戦いが起きること前提で備えておくのも鉄則だよね?
猫耳の青年……ミヒャルトが口にするそれは、彼にとっては当然ともいえる心構え。
常在戦場の心得という言葉を知らずとも、今までの賞金稼ぎ生活で培われた経験則。
だからこそ、今この場にも彼らは武器を持ち込んでいた。
深夜にお隣のお部屋にこんばんわ~落書きに来ました~という状況でも、刃物を手放しはしなかった。
それは、黒づくめの少女……メイちゃんも、同じ。
ただ室内での取り回しの難を考えてのことか、常の武器である竹槍ではない。
少女の手に握られていたのは、珍しく青年が右手に握っている物と同じような諸刃の短剣。
代り映えのない、よく売られている類の短剣だ。
しかし交差する短剣と短剣、その2つが比較できる距離に並んだからだろうか。
ミヒャルトの握る短剣が、際立って怪しくぬらりと光る。
「……深夜の悪戯行くのに、何塗ってきたの? ミーヤちゃん」
「紳士の備えだよ。ただの痺れ薬だから安心して。触っても死にはしないし後遺症もないから。でも経口摂取はお勧めしない」
ミヒャルトは杜撰な性格ではないし、小まめで几帳面だ。
普段、仕事の時に刃物に何かを塗布していたとしても、仕事が終わればきちんと薬物をふき取って丹念に手入れを行っている。
今夜も床に入る前に、日課の手入れを行っていたはずだ。
なのに今、ミヒャルトの短剣は痺れ薬に塗れている。
一体何の為に、何に備えて塗ってきたのかはわからない。
ミヒャルトだから、で納得しそうになる。
どういうつもりだったとしても、ミヒャルトの武器に警戒が必要なことは確かだ。
これだから油断できないんだよね、胸中で呟きながら歯を食いしばる。
力と勢いで押し切ることは難しい。
ミヒャルトがメイちゃんの短剣を受けている。
その間、当然ながらスペードに手は回っていない。
自分の背後に回り込もうとする気配を察して、メイちゃんは仕切り直しと距離を取った。
警戒を、一段階引き上げる必要を肝に銘じながら。
なんできっちり武装してるの、ふたりとも。
最低限のものではあった。
仕事中のフル装備に比べれば、ずっと軽装だ。
だけど青年達が2人とも武装していることに違いはない。
両手に短剣を握る、ミヒャルト。
そして小さな鋼の縫い付けられた手甲を装着しているスペード。
最低限の戦う準備をした上で、どうやら悪戯に来たらしい。
それは目を覚ましたリュークの抵抗を念頭に置いての備えであったが、そんなことはメイちゃんの知る由ではない。そして青年達も、まさかこの備えでメイちゃんを迎え撃つことになろうとは思ってもいなかった。
三者にとって予想外の対峙は、緊張感の高まりとともに室内の空気に不穏なものをまき散らす。
ぎりぎりと、ぎりぎりと。
折れる寸前まで引き絞られた弓の軋む音のように。
音は聞こえない。
だけど聞こえない緊張の音が、寝台の上で成り行きを見るしかなくなってしまったお兄さん達の身を苛む。介入するタイミングを見失い、何が起きているのか理解も及ばず。ただどうやらありきたりな襲撃ではなさそうだぞ、と。それだけはわかる空気の中で、身の置き所のない思いを味わう。
彼らが宿に借りた部屋だというのに。
その光景を呆然と見せつけられる羽目になった、離れた寝台の上。
騎士の青年クレイグ・バルセットは、唖然としたまま呟いた。
「この状況でも眠り続けますか……『再生の使徒』殿の神経、見かけよりも図太いな」
すぐ真横でいさかいが始まった、というのに。
昼間に体調を崩したっきり目覚めるのことなかった青年は、未だ青い顔で寝台に沈んでいた。
その身のこなし、不審者達がただの不審者でないことが知れる。
いや、ただの不審者ってなんだ。
若干混乱している頭を振って正気を呼び戻そうとしながら、クレイグはいつでも動き出せるように体に力を入れた。
一連の攻防を見ても、実戦に重きを置いて戦闘訓練を積んでいることは明らかだ
こんな真夜中になんで此処で乱闘を始めたのか、その真意は知れない。
だがこの部屋にいるのは『再生の使徒』。
人類の希望を背負った重要人物と目される青年だ。
クレイグは『再生の使徒』を守るように、と王命を受けている。
いつまでも悠長に乱闘を観戦している訳にはいかない。
剣はいつでも手に取れる場所にあった。
しっかりと握り、感触を確かめる。
この状況で動き出さないラムセスに疑問を持って目を向けると……何故か頭を抱えて苦悩している。
苦悩しながらも、音もなく既に動いていた。
紙袋の人物は、どうやら優先的に猫耳の青年を狙っている。
その息もつかせぬ猛攻、変幻自在の動きに惑わされることなく、猫耳の青年は向かってくる短剣をさばいている。だがそのやり取りには、どこか相手の先を事前に予測しているような……互いの手をよく知っているような気配がある。やはり先程の会話から考えても、どうやら3人の不審者は互いによく知っている仲らしい。
重点的に狙われ、防衛に徹しているのが猫耳の青年ならば。
手が空いており、攻撃への介入と相手の無力化に努めているのが狼の青年だ。
紙袋の人物はひたすらに身が軽いらしい。
その動きは、初見のクレイグには予測がつかない。
狼の青年が手を出そうとするも、あの紙袋でどうして察することができるのか……するりするりと身をかわし、かわしたと思えば反撃に転じて時々狼の青年にも一撃が入っている。
あんなに読みづらい動きもそうそう見られるものじゃない。
素人ではないだろうが、一体どこの流派に連なる動きなのか見当もつかない。
特殊な歩法を秘伝とする流派には幾つか心当たりがあったが、そのどれとも違う。
見る者、相対する者を惑わす蝶のような動き。
かと思えば攻撃に転ずる時は怒れる雀蜂の如く苛烈で鋭い。
手を出しあぐねている自分を、クレイグは認めるほかなかった。
先程の言動から、まだ若い女性だと知れるのに。
自分より年下かもしれない。だが。
認めるのは癪だ。
だがあの紙袋の怪しい人物は……自分よりも強い。
真っ向から向かったとして、あの乱闘を止められるだろうか。
不意を打つしかない……。
ラムセスも何か動きを見せようとしている。
それに呼応して行動するためには、ラムセスの狙いを察する必要があった。
まだ寝台の上で動けずにいる他の3人は、どう見ても委縮している。
自分がやるしかない。
覚悟を決めて、他の者に気付かれないよう慎重に寝台を抜け出した。
が、動かないだろうと持っていた仲間に早速行動を乱されることになった。
隣の寝台にいた、スタインがいきなり叫んだからだ
「ちょ……ミヒャルト君、こんな夜中に何してるんですかぁっ!!」
君はあの夫婦の子だから、もっと常識があると思っていたのに!
そう叫ぶスタインの視点は、『ミヒャルトの親戚』のモノだった。
いきなり隣で叫ばれたことで、驚きに息を呑み……クレイグの足元が、盛大に滑った。
側の椅子にぶつかって「どがしゃんごんっ」と音が立つ。
だけど誰も、その音にもクレイグにも注目しなかった。
クレイグの立てた物音よりも、皆々の注意を奪ったものがあるからだ。
ご……っ
――壁一枚挟んだ、隣の部屋から。
なんだかとっても重々しい……鈍い、打撃音がした。
途端に、驚くべきことに。
それまで誰もが介入を躊躇うほど、激しく攻防を繰り広げていた……3人の不審者の動きが、止まった。
揃いも揃って、音の発生源……隣の部屋に顔を向けて、動きを止めている。
どうやら硬直しているようだ。
気のせいでないなら……滝のような冷や汗を、青年達は流しているような。
あんなに周囲を気にもせず、戦っていたというのに。
彼らの動きを止めてしまうような、何が……クレイグもまた、隣の部屋に意識を向ける。
耳を澄ませば……なんだか苛立ちを感じさせるような、物騒な気配と身動きの音。
慌てもせず、急ぎもしない……だからこそより際立つ、奇妙な圧。
音を立てながら、『誰か』は、動き出し……
少しの間を置いて、どこかの部屋のドアが開く音。
廊下をゆっくりと歩む、ぎしりぎしりという足音。
この部屋のドアが、『誰か』によって叩かれた。
至極一般的な強度の、ノックの音。
だけどそれが聞こえた瞬間の不審者達の反応は劇的だった。
まさに脱兎の如く。
その言葉を思い出させる迅速さと息の合った動きで、青年達は砕かれた窓へと殺到した。
心当たりのありすぎる、後ろ暗さのなせる素早さだった。
あまりに2人が素早すぎて、一瞬紙袋の反応が遅れたほどだ。
だがそれは、罠だった。
ゆっくりと開かれるドア。
そこから顔を出したのは……
「サプラ~イズ!」
こんな明かりも灯らぬ夜には不似合い……というか不気味すぎる、白塗りメイク。
黄色いもこもこしたカツラと、色とりどりのカラフル過ぎる衣装。
顔中に原色の☆やら何やらを散らしたピエロが、そこにいた。
予想外過ぎて、全員が呼吸と動きを止めた。
少し離れた寝台では、力を失ってエステラが寝台に沈み込む。どうやら気を失ったらしい。
暗闇では見たくなかった……愉快なピエロも、夜闇の中では物の怪と変わらない。
窓から離脱しようとしていた青年達も、ぱっかり口を開けて固まっていた。
そんな2人の肩に。
正面から……窓の外から伸びた手が、ぽん、と置かれた。
軽い音とは不釣り合いな、絞めつけるような握力が2人の肩を襲う。
恐る恐る彼らが正面へと視線を戻すと……
「――よう」
そこには、口元だけで笑みを刻む彼らの師匠……ヴェニ君の姿があった。
そして当然ながら、その目は全く笑っていなかった。
何の前触れもなく、突如現れた深夜のピエロ――果たして、その正体は!?
a.シュガーソルト・バロメッツ(パパ)
b.トーラス先生
c.ルイ君
d.王子
e.セムレイヤ様




