067
「……とりあえず、魔物に対して恐怖を抱かせることはできたな」
キリリと顔を作るジュリアン。
でもつい先ほどまで誰よりも焦っていたことは明白だった。
「とりあえず魔物に怯えるようにはなったようだし、魔物を遠ざけるぶんには問題ないだろう」
「あら、さっきの痴態には触れないの?」
「んんっ……。それでだ、惹き寄せるほうについてはもう少し考えたほうがいいかもな。魔物の弱さも教えたつもりだが、あれでは恐怖以外は残ってないだろうな」
「誰のせいなのかしらね」
「……すまなかったよ。ユーリアは傭兵を目指していたわけではないんだもんな。傭兵と同じことをするべきではなかった」
縛り付けた魔物の芽の前に立たせること、確かにそう悪いものではなかった。
漁師をやっていたにしても、陸地の魔物といきなり戦えるはずもない。
中には初めての魔物に舞い上がってそのまま返り討ちなんて討伐初心者もいるのだし、恐怖を抱いたことも悪くない。
ちょっとやりすぎただけなのだ。
「あとは魔物に対して敵対心を持たせたらいいのよね。一応考えてはいるから大丈夫よ」
「そうか……。本当にすまなかった」
「いいのよ。あれを見たからこそ敵対心を植え付ける方法も思いつけたのだから」
私の保護下にて魔物と戦えば問題ないと考えていたが、残念ながらそれだけでは誘惑を使いこなすに至らないだろう。
なによりもまずは発動させなければお話にならないのだ。
今まで心理的な要因で使えていたのなら、まずはそこから攻めるべき。
感情を表に出してやることが先決なのだ。
ユーリアが野宿に慣れだした夜、私は行動を開始する。
あれ以来魔物は出てこず、ユーリアが魔物を遠ざけていることは明らかだ。
なにせ私の目がユーリアの身体から漏れ出る魔力を捉えている。
もちろん無意識のことであろうが、それでも使い続けているあたりに進歩が見える。
「ユーリア、起きている?」
「……イルザ?」
「少し抜けましょう」
今日のテントの位置は、いつもと違って外れの方。
これからやることに人目は邪魔なだけなので、わざわざ端を陣取ったのだ。
「……なに?」
「そう怯えないで。変なことなんてしないわよ」
最後の村で酔って以来、なぜだか避けられている気がするけれど気のせいだろう。
怯えるならジュリアンに対してだ。
魔物の目の前に立たせること、止めなかったのが原因だろうか。
「最近眠れていないみたいじゃない。そろそろなんとかしないと途中で倒れるかと思ったの」
「そこまで弱くない」
「肉体的にはね。でも今のあなたは肉体的に弱っているわけではないでしょう?」
昼も夜も、特に周りが暗くなってからの怯えようは酷いものだ。
いや、そこまで露骨でもないのだけれど、一日が経つ度に昨日よりもほんの少しだけ身が縮こまっている。
むしろそれだけが、彼女が怯えているという証明だ。
「そもそも今のあなたを連れているのはただの善意なの。もちろん倒れるのは勝手だけれど、わざわざあなたの回復を待つようなことはしないわ。間違いなくこの場に置いていくことになるの。もちろんそれでも構わないというのなら、もう私も何も言わないわ」
「……」
しぶしぶという様子でユーリアがテントから出てくる。
不本意だけど、でも置いていかれるのは困る。
そういう心理が見て取れた。
テントを出ると行っても目的地は目の前だ。
テントの裏手にまとめて止めている馬車と炭付馬。
今日は私たちのテントが一番近い。
その炭付馬の前で止まると、わずかにユーリアが固くなる。
危なくない魔物だということはこの数日で実感できているはずなのに、それでも近づきがたいのか。
気持ちは分かる。
しかし容赦はしなかった。
「なんで……?」
「どうしてここに連れてきたのかって? もちろんあなたのためよ」
炭付馬の群れの中へ。
従順な魔物はこちらから手を伸ばさない限り近づいてこない。
だから群れの中心で、炭付馬に見つめられる形になる。
襲ってはこない、ただし何匹もの魔物に見つめられる。
ユーリアにとっては相当の恐怖だろう。
「……このままなの?」
「ええそうよ。このまま、今夜は私と過ごしてもらうわ」
ただし眠りはしない。
問題ないとは思うのだけれど、実際に炭付馬の目の前で戦ったのは私だけ。
もしも動物程度の知能しか持っていないのならば、私の目の届かない場所では人を襲うかもしれない。
眠っている間にユーリアが襲われたりでもしたら目も当てられないのだ。
そう、ユーリアを見捨てるつもりなんてこれっぽっちも持ってはいない。
彼女の持つ誘惑はそれほどまでに魅力的なのだ。
ただし使い手が彼女でなければいけない理由などどこにもないというだけのこと。
「一晩をただ過ごすのも暇でしょうし、なにか楽しい話でもしましょうか」
そのほうがユーリアも心休まるだろうから。
とはいえユーリアが語れることは多くない。
少なくとも両親についての話はこれ以上出てこないだろうし、あまり思い出したくもないだろう。
だから話すのはもっぱら私。
それもこちらに来てからのこと。
「一人で、魔物に囲まれて?」
「囲まれるといっても襲われるわけではないわ。近づくこともできないもの。それこそ今のあなたのほうがよっぽど酷いわ」
「でも、何年間も一人で森の中で、魔物に囲まれていたんでしょ?」
「彼女は極度の人間嫌いだったのよ。……いえ、嫌いというよりは苦手と言ったほうがいいかしら。でもずっと一人だったわけでもないの。しばらく一人で暮らして落ち着いたときに、森の中に迷い込んできた子供を拾っているわ」
私だって語れることはそう多くない。
だからそれこそ初めから語っていくことになる。
「結局は慣れるということよ。一人で暮らすことにも慣れるし、魔物が傍にいたって眠れるようになるの。あなたが怖がっているのも今だけ、じきに怖くなくなるわ」
「……でも、子供を拾ってる」
「そうね。一人に慣れてしまったら、次に寂しくなったのではないかしら。そうでなくともずっと一人なんて退屈だもの。それに人としても間違った生き方でしょう?」
ユーリアは理解していない。
もしかしたら討伐者になったあと、一人で生き抜いていくつもりだったのかも。
「どうして間違っているのかって? だってそれでは魔物と変わらないじゃない。人と魔物の違いなんてほとんどないわ。それこそ、子供をなすかなさないかの違いしかないじゃないの」
「そんなこと……」
「少なくとも私はそう見るわ。会話も拒否するようになったらそれこそ疑うしかなくなる。あなたも聞いたことがあるでしょう。強くなった魔物は人の姿をとることがあると」
「そんなの、知らない」
「では覚えておきなさい。人と関わらずに生きていくことなんでまずできない。今のあなたの態度を続けていくと、人からも魔物からも狙われ続けることになる」
もちろん他にも違いはある。
確かに一番大きな違いは生殖能力の有無だろうが、違いなんて探せばいくらでもあるだろう。
ただ今のユーリアには効果てきめんだった。
「……うっ……ぐす……」
なんと泣き出してしまったのだ。
いけない、脅かしすぎただろうか。
私がバカだったのかもしれない。
長く続けていた漁師を投げ出して、見知らぬ土地を知り合ったばかりの私たちと移動して。
ストレスが溜まらないはずもなかった。
さらには魔物をけしかけられて。
思った以上に限界だったのだ。
「ごめんなさい。泣かせるつもりはなかったの。ただね、今のままではダメだと思うよの。一人で生きていきたいという気持ちは分かるけれど、その弱さではすぐに死んでしまうわ。こうして知り合った仲としては、すぐに死なれると気分が良くないのよ」
ユーリアは自らを抱きしめるように小さく丸くなっている。
その身体を周りから包み込むように、優しく抱きしめる。
「あなたが選べる道はそう多くはないけれど、それでも多少の選択肢が残されていることは幸いなのでしょうね」
ユーリアに選ばせてやるのだ。
他でもない彼女の意思で。
「まずはすぐにでも私たちから離れるか、それとも一緒に行くのか。この点に限っていえば、離れることはあり得ないわね。今の状態で一人になったら何もできずに死んでしまうわ」
まずは私から離れるという考えを失わせる。
「だから選ぶとしたら、何もせずにハインドヴィシュまでついていって別れるか、それとも私とパーティーを組むかね。……もう何度も言っていることだけれど、あなたの才能は得難いものよ。だから私とパーティーを組んでくれるのならば、私は絶対にあなたを守るし、強くなるまで鍛えてあげるわ」
どちらを選ぶか、それはどれほど追い込まれているかにかかってくる。
そして何度も泣いて泣き止むことも出来なくなった彼女には、実質一つしか選ぶ道はなかったのだ。
今もまさに魔物に囲まれて、今すぐにでも逃げ出したい状況なのだから。
「イルザとパーティーを組む。だから、炭付馬を早く遠くにやって」
思わず笑みが浮かんでくる。
彼女が自らの意思で私の傍にいるというのなら、手を出すことになんの躊躇もなくなるのだから。
「分かったわ。でも追い払うよりも鍛えるよりも先に、その臆病な心をなんとかしないとね」
これまでは想定どおり、そしてこれからも狂いはない。
魔物に囲まれたこの状況こそが、もっとも望んだものなのだ。
すなわち魔物に恐怖を抱かず、むしろ敵視するように。
この場で手を出し魔物に対して恥ずかしいと思わせることが、敵視へと繋がっていくのだ。
「大丈夫、すぐに周りの眼は気にならなくなるわ……」
テントの中心ではない見張り役が篝火を焚いている。
テントの裏手にあたるこの場には、薄ぼんやりとした淡い光しか届かない。
私は膝と手のひらで、草が柔らかいことを確かめる。
彼女はきっと背中いっぱいに感じていることだろう。
抵抗は小さい。
「や、やめて……」
「振り払えたら、やめてあげる」
私だけをその瞳に写して。
ユーリアは最後まで強い抵抗を見せなかった。
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「これは……すげえ才能だ」
声を発したのはアールテッドだけだが、ジュリアンもピエールも同じ思いだっただろう。
飢餓犬が攻めてくるのは見慣れた光景だが、そして規模も普段通りだが、連携がまるでとれていない。
飢餓犬はそれほど強くない魔物だが、ランクはC相当。
個体の強さよりも、その連携を意識されてのランク付けなのだ。
その連携が見る影もない。
囲まなければならないはずなのに、飢餓犬は一方向から、しかも小さくまとまって突っ込んで来るのだ。
誰しも初めて見る光景だ。
『押し流して──空から墜ちる水』
『沈めて──地面から滲む水』
纏まっていようとも、一匹ずつ倒すことは面倒だ。
ただしこちらに魔法使いがいたら別。
今もコロナの魔法で残らず一掃したところだ。
……いや、コロナの水魔法はあくまでも足止めだけだから、その後で傭兵たちが突撃する必要はあるのだけれど。
「何よりも襲ってくる時間が分かるのがいいな。警戒しない訳にはいかないが、それでも一人で十分になるだけでも大きなメリットがある」
「特に街道では昼も夜も気を張る必要がありますから。護衛の数も減らすことができるでしょう」
「つっても今使えるのはユーリアだけか。なんとか覚えたい才能だ」
ユーリアは日増しに誘惑のコントロールができるようになってきた。
まだ魔物の種類を限定することはできないが、周囲の魔物を惹き寄せることと離すことはおてのもの。
まだまだ検証は足りないけれど、ここまできたらあとは慣れるだけだろう。
「ユーリアさん、すごいですよ!」
「うん。コロナもすごい」
才能を見せ合う前からだけど、ユーリアとコロナはより親密になったように思える。
もともとレーゼル共和国を出た当初から距離の近かった二人だけれど、ユーリアの才能が目覚めてからはさらに近づいている。
初めはいまいち頼れる相手がいなかったコロナが、一方的にユーリアに近づいていたように思えていたけれど。
意外とユーリアもまんざらではなさそうだ。
ユーリアに懐く分だけ私から遠ざかっている気がするけれどきっと気のせいだろう。
仲良くなったのはいいことだけど、夜の訓練は続いている。
寝床を抜け出したユーリアは、今夜も炭付馬の群れの中へ。
もちろんそこには私が待っていて、炭付馬の影に隠れながら
「……これ、いつまで続けるの?」
「ハインドヴィシュに着くまでは毎夜続けるわ。そのあとは状況次第かしらね」
「そう……」
炭付馬に囲まれても、ユーリアが固くなることはほとんどなくなった。
だから夜の訓練はやらなくてもいいんだけれど、食事の時間でもあるので止まらないのだ。
なによりもこの歳で生娘というのが素晴らしい。
この移動中にシルヴィアにもおすそ分けをするべきだろうか……。
──カサリ、と。
油断していた私の耳が、草を踏む足音を捉えたのだ。
別に見られても恥ずかしいことはないけれど、ユーリアのことを考えると誤魔化すべきだろうか。
そんなことを思いながら振り向いて、そこにいた人物に安心した。
「ずっと見られていたようですよ」
「……あら、ちょうどいい機会なのかしら」
そこにいたのはシルヴィアと、その小さな身体をシルヴィアに抑えられているコロナ。
私はもちろん見られていることに気づいて……は、いなかった。
だって魔力を感じなかった。
「な、何をしているんですか……」
怯えたコロナ。
若いと言ったって、なんの情事も知らないわけではあるまいに。
「あら、見たら分かるでしょう?」
まあ見られても悩むことはないのだ。
だってユーリアが才能を存分に使いこなせるようになった今、次の目的はコロナだったから。
むしろ自ら身体を差し出しに来たと思っておくべきだろう。
「コロナさん、あれは魔力を動かす練習ですよ。私もよくやっています」
「……そうなんですか?」
「ええ、そうですよ。イルザさんは触れた場所に魔力を流すこともできますからね。身体に流れる魔力を感じる練習にはもってこなんです」
「……でも、こんな場所でやる必要はないと思います」
「そうでもありませんよ。直接肌と肌で触れたほうが効率がいいですからね。コロナさん、あなただって誰彼見られてもいいわけではないでしょう?」
「それは、そうですけど……」
シルヴィア、ナイスフォロー。
ユーリアのことを譲ってあげよう。
代わりに私がコロナを。
確かにシルヴィアの言うとおり、魔力の操作を覚えさせるのに手取り足取り教えたほうが早いのだから。
「そうね、アルベルトとの約束でもあったもの。そろそろコロナにも本格的に教えるべきのようね」
傭兵団長との約束、コロナを同族として迎え入れること。
まだ何も説明していないけれど、生まれ変わったことを実感した時、自然と受け入れられるはず。
たまには怯える小さな娘を相手にするのもいいものだ。
さて、それではいただきます。




