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公国の真紅の瞳  作者: ざっくん
第3章
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066 帰路の特訓

 暑苦しさに目覚めると、なぜだかアールテッドが私に絡みついていた。

 それもどうしてか服を脱いで。

 昨夜……どうしたんだったか。

 少なくともアールテッドを誘った記憶はないから、シルヴィアあたりが誘ったあとのおすそ分けなのかもしれない。

 せっかくなので、チュッと一口吸ってからテントを出る。

 どうやらまだ日の出前、そこら中に男たちが寝ていることから、朝まで騒いでいたようだった。


「出発は遅れそうかしらね」


 急ぎの旅ではないし、これからは道中に村もないため野宿が続く。

 最後の村でゆっくりするのもいいだろう。



------



 昼前になってやっと出発した。

 馬車六台、うち二台には食べ物ばかりが載っている。

 総勢で20名近くになるとこの量でも足りないぐらい。

 大きな馬車を用意したらまた違うのだろうけれど。


「ユーリアとコロナには、これから優先的に魔物と戦ってもらうわ」


 ユーリアには自らの才能である誘惑への理解を深めてもらい、コロナには魔法に対して更なる理解を深めてもらう。

 どちらも簡単なことではないけれど、少なくともこれだけいるなら怪我をすることはないはずだ。


「魔物と戦うのは初めて」


「わたしもです。無事に済むといいんですけど……」


 どうやらコロナのほうが気負っているらしい。

 ユーリアが平常心なのは、漁師としての経験があるからだろうか。

 魚も大別したら魔物だし。


「イルザさん、私はどうしたらいいのでしょう」


「シルヴィアは私と一緒に馬に乗るわよ。矛を持って、それなりに扱えるようにならないと」


「難しそうですね……」


「大丈夫よ。なんでか分からないけれど逃げる様子はないもの。きっと言うことを聞いてくれるわ」


 馬車に引っ張られ動きにくいだろうに、暴れることなくついてくるのだ。

 私という強者に従順なのだ。

 その私が馬に乗るのだから、その隣でシルヴィアを振り落とすなんてことをするわけがない。


「いえ、私たちは今から慣れておきましょう。道具は昨夜揃えたのだし、あとは乗るだけだものね」


「ええ、分かりました」


 ということで一旦馬車を止めて、炭付馬(ザームヘスト)二頭を開放して背中にまたがる。

 こちらの動きを察して身をかがめるあたり、魔物といえどその頭は侮れない。

 これが調教された結果なのかも。

 炭付馬(ザームヘスト)は全く暴れず、これならば飛び乗ることも可能かもしれない。


 鞍がなくとも、安定している背中から落ちることはなかった。

 揺れる背中でも手綱があればバランスを摂るには十分だ。

 少なくとも歩いている限りにおいては。

 だから問題は別のところにあった。


「イルザさん、これは……」


「そうね……」


 はっきりと言わなくとも、私たちが思っていることは同じだった。

 考えてみたら当然で、馬はその体から殆どが筋肉だと言っていい。

 背中も硬いのだ。

 つまりお尻が痛くなる。

 我慢できるかてきないかで言えばもちろん我慢は可能だし、それこそ戦いになったら気にならない程度ではある。

 が、一歩一歩が大きいためか、背中の脈動が伝わってくるので気になるものは気になるのだ。


「……鞍なしで乗るのは無謀だと思うぞ」


 そう忠告するジュリアンだけではなく、気づけば傭兵全員から白い目で見られていた。


「盗賊たちも鞍を使っていなかったから、平気だと思ったの」


「そりゃ金がないからだ。大方武器を揃えるだけで精一杯だったんだろ。馬上で踏ん張れなきゃ馬のメリットも半減だ」


 だから私でも盗賊たちには勝てたのだ──

 そう言われた気がしたのは、きっと気のせいだろう。



 さて、忠告を頂いたことは大変にありがたいのだが、現時点で鞍を用意することなんてできるはずもなく、また、まったくの無駄というわけでもないだろう。

 鞍なしのままでユーリアとコロナの乗る馬車へと近づく。


「それではまずはユーリアからね」


「……そのままなの?」


「私のことはいいのよ。それよりもあなたの才能を確かめるほうが先よ」


 これからの移動では、ユーリアには魔物を惹き寄せることと離すことを、コロナにはひたすら魔法を使ってもらうのだ。


「あなたの才能の誘惑だけれども、非常に珍しいものだと思うわ。だから最初は意識して使うことも難しいだろうけれど、なんとか使いこなせるようにならないと」


「……どうやって使うの?」


「魔法が使えたら簡単なのだけれど……。でもあなたは無意識にでも使えていたはずよ」


「そうなの?」


「漁に出ていた時、あなただけが襲われていなかったでしょう? あれはあなたの才能で、魔物を惹き寄せつつも自分だけは無視させていたからのはずよ。極めたら、魔物を呼び寄せることも魔物に気づかれないことも思いのまま……になるはずよ」


 ユーリアが海に出ていた時、僅かな魔力が海中へと向かっていた。

 他に才能はないのだから、誘惑を使っていたのだと思うのだ。


 とらあえず使って見ると言うユーリアに任せて数分間。

 何やら目を瞑って瞑想していたけれど、残念ながら魔力は僅かも漏れていない。


「分かんないや」


「簡単にできたら苦労しないわ。でもどうしたらいいのかしら」


 誘惑なんて才能、使いこなすためにどう教えたらいいのかなんて分からない。

 ただ無意識であれ使えていたのだから、そこにヒントがあるはずだ。


「心理的なものかしら……。ねえユーリア、あなたは漁に出るときどんなことを思ってた? あれだけ魚を惹き寄せていたのだし、たくさん魚が近寄ってきたらいいと思っていたのではないの?」


「……私は海に出るのが嫌だったから」


 それはまた……ちょっと意外な答えだった。

 いや、意外でもないのかも。

 漁師になったのだって他に進路を知らなかっただけの話だし、そもそも両親が海で亡くなっているのだから、跡を継ごうと考えるほうが珍しいかもしれない。

 でもだとすると、どうして魚が寄ってきたのか。


「今日も海に出なきゃダメだなって、無くなればいいのになって思ってた。でも海に出たくなくて、このままさかなに襲われたらどうなるのかなって、ずっと思ってた」


 ……淡々と語るユーリアだけれど、内容は決して軽いものではなかった。

 死にたかった、か。

 今は魔物を惹き寄せていないから、死にたいとは思っていないようだけど。

 ただ、単純に解決できるものではなさそうだった。


 それから数日、商人がよく通る街道というだけあって、魔物は一度も現れなかった。



「一番簡単なのは、魔物相手でも死にたいと思わせることだろ? 一体どこに悩む要素がある」


 ある夜、ユーリアのことをアールテッドに相談してみた。

 いただいた答えは単純明快、ただしあり得ないものだった。


「それじゃあ意味がないでしょう。ハインドヴィシュに入ったあとは、討伐者にならないと言い出すわ」


「そこまでのものか? 見ている限りでは、討伐者に適しているとも思えない」


「今はそうでしょうね。でも彼女の才能は希少よ。私はなんとしても仲間に引き入れたいの」


 魔物を呼び寄せられるということは、極めたら狙った魔物だけをおびき寄せることもできそうではないか。

 それは討伐者のランクを上げることが楽になることを意味するのだ。

 それになによりも……


「アールテッドは気づかないの? 魔物を惹き寄せる、魔物を離す、さらに次があるとは思わないの?」


「……食べる、か?」


「どうしてそうなるの」


 自分で自分の体を切り開くとでもいうのか。


「魔物を操る、だな」


「そのままアデライドとフルシャンティにぶつけるのが最善でしょう」


 さすがはジュリアンにピエールだ。

 それにしても、いつから話を聞いていたのやら。


「そもそも本当に誘惑という才能があることに疑問ですがね」


「相変わらず嫌みなこと」


「まあまあ、オレも今までに聞いたことのない才能だからな。イルザはどこで誘惑なんて才能を知ったんだ?」


 ……もしかして、やらかしてしまっただろうか。

 いや、まだなんとかなるはずだ。


「誰かは教えないけれど、仲間に才能を見抜ける目を持っている者がいるの」


「それはまた……稀有な才能をお持ちのようですね」


「なるほどな。わざわざ漁師を連れてきた理由はそれか」


「……別に、誘惑の才能がなくとも逃がすことぐらい手伝ってあげてたわ」


 どちらかといえば容姿に惹かれたのだし。

 才能を引き出せないままでも、鍛冶を手伝ってくれたらそれでいいのだ。


「そうなると話は別だろう。どうだピエール、手伝ってやったほうがいいんじゃないか?」


「ふむ……そうなりますか。確かに戦力が増えると考えるならば大きいですからね。ところで、彼女も戦争には参加していただけるので?」


「誘惑が使えるようになったのならば」


「もちろんそれで構いません。それではジュリアン、アールテッド。魔物を適当に捕らえてきていただけますか」


「何するつもりなの」


「いえ。ただ魔物を惹き寄せる才能ですから、魔物がすぐそばにいたほうがいいのではと思っただけですよ」


 それから数時間後、やっと現れた魔物は一瞬にして傭兵たちに捕らえられた。



「傭兵であろうと討伐者であろうと、根幹にあるものは同じだ。相手が人であろうとう殺すか殺されるかという単純な関係だな」


 紐に縛り付けられた飢餓犬(アンリュード)は一匹だけ。

 でも暴れ狂っており、今にも紐を引きちぎりそうだ。


「俺たちにとって飢餓犬(アンリュード)は雑魚だ。一匹二匹は問題にならんし、百匹現れてもなんとかなる自信がある。むしろこんな程度を倒せなきゃ街の移動もできないからな。だが油断をしてはいけない。どんなベテランだろうと死ぬときは死ぬし、事実としてこんな初心者レベルの飢餓犬(アンリュード)に殺されるやつも毎年数人は現れる。どうしてか分かるか?」


 ユーリアは一定以上近づかない。

 いくら縛られているといったって、必要以上に魔物に近づく一般人は頭のネジが間違いなく飛んでいる。


「どんな魔物が相手だろうと油断してはならないんだ。魔物は本能で人の弱点を知っている。いくら身体を鍛えたところで弱い部分は弱いままだ。油断をしたら首を斬られるし頭を割られるし目を突かれる。どれだけ俺たちが強くなって、こいつらが初心者向けの魔物だったとしても、恐れるべき部分は恐れるべきなんだ」


 ジュリアンは率先して語ってくれた。

 それは傭兵の心構えではあるのだが、討伐者だってそう代わりはしない。


「無駄に長く話すこともないな。それに驚かせてばかりのつもりもない。まずはこいつらがどれだけ弱いのかをその目で見て、確かめろ」


 それだけ伝えてジュリアンは剣を取る。

 そしてためらわずに飢餓犬(アンリュード)の首を落とした。

 多分わざとなんだろうけれど、それほどきれいでもない剣筋で、それでも魔物を倒すことができると見せたかったのではなかろうか。


「次持って来い!」


 ジュリアンが叫ぶとすぐに次の飢餓犬(アンリュード)が連れてこられる。

 もちろん縛り付けられた状態だ。


「さあ、こんどはユーリアがやってみろ」


 これはゼルファレン傭兵団における、新人教育の一環なのだそうだ。

 意外なことに、この傭兵団では荒くれ者はほとんどいない。

 見た目はともかくとして、過去に傷を持ったものはいないのだ。

 もちろんそれがこの傭兵団の方針だからだ。


 入団してくるものは純朴な青年だったり、そうでなくてもチンピラになりきれなかった者とか、人殺しの経験はない者ばかり。

 だからこそ、最初の教育で犯罪者を斬らせるらしい。

 ユーリアは討伐者としてやっていくのだから、犯罪者ではなく魔物で十分ということだ。


「せあっ!」


 剣筋はやっぱりきれいではなかったけれど、剣が重かったためか飢餓犬(アンリュード)はすんなりと首を落としてくれた。

 まあ、首は特に念入りに縛り付けられていたし。


 そうそう、この教育の狙いは度胸をつけることにあるらしい。

 戦争でも必要以上にビビらず、そして油断しないこと。

 人の脆さを、そして怖さを同時に教えるのだそうだ。


 まずは動けない犯罪者を斬り殺して殺人が簡単だということを。

 その次には恐ろしさを……


「……!」


 二匹目の飢餓犬(アンリュード)を用意され、同じように斬りかかろうとしたユーリア。

 そのタイミングで、縛り付けられていた飢餓犬(アンリュード)が一時的に解き放たれた。

 もちろん飢餓犬(アンリュード)のそばにいる中ではユーリアが一番弱いから、向かう先はもちろんユーリアだ。


 動けなかったはずの飢餓犬(アンリュード)がいきなり迫ってきたことに、ユーリアは思わず剣を落としていた。

 ただしケガはない。

 ギリギリのところで、飢餓犬(アンリュード)の紐を持っていた三人がピンと引っ張ったから。

 飢餓犬(アンリュード)の口はユーリアの目の前で閉じられ、触れることは決してないのだ。


 ただ、驚いて、座り込んで。

 その地面に何かが広がっていたのを、私は見ないことにした。


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