038
日々の日課というものは、そう簡単に消えるものではないのだろう。
それこそ呼吸と同じように、自然になっていたことは特にだ。
もしくは衝撃的だったことも。
遠く離れていても、二つの魔力が流れ込んでくる。
どちらもいつもよりも少ない量だ。
自ら慰めているのだろうと思う。
そして発情している者がこの場にも一人。
ヘルダではない。
私がすぐそばにいるのだから、ヘルダが一人でするわけもない。
私の隣、私とヘルダに背を向けて横になっている巨体の女。
カルディアは毎晩リタの相手をしていたはずだ。
まだ眠れないのか、時折小さく動いている。
いや、見なくとも気づいていた。
毎晩のようにリタに襲われていたことで、カルディアの中でも襲われることが当たり前になっていたのだろう。
つまりは、カルディアは襲われなければ眠れない身体になっていたのだ。
「んん……」
わざとらしく寝息を立てると、カルディアは笑えるぐらいに動揺した。
身体をビクンと震わせて、それでも太ももの間に伸ばした手の動きは止められない。
ひとつ考える。
隣で身体を持て余している女がいる状態で、私は無視して眠ることができるのだろうか。
もちろん無理だ。
たとえ満腹であろうとも、誘惑されたら喜んでついていくのが私なのだ。
こんなすぐそばで身体を火照らせているのならば、もう誘われたも同然ではないか。
「……ねえカルディア。まだ起きているかしら」
「んっ……む、どうした?」
必死になって堪える様子がとても楽しい。
「いえね、実は野営なんて初めてのことだから眠れないの。少しだけお話に付き合ってもらえないかしら」
「いいだろう。私もあまり眠れなかったのだ」
そうだろうそうだろう。
さて、どのようにして話を持っていくべきか。
「カルディアは討伐者ではなかったのよね? それでどうやって兵士になったのかしら」
「昔……お嬢様に誘われたのだ。私は孤児だった。憐れんだお嬢様がその手を差し伸べてくれたのだ」
「へえ……お優しいのね」
「うむ。だからこそヘルダも私の同僚になるのだと思っていた。まあ、ヘルダにはイルザがいたようだがな」
褒めてない。
リタは昔から変わらないみたい。
私がとやかく言う事でもないが。
「そう。兵士というのは大変なの?」
「そうでもない。私は常にお嬢様のおそばに控えるだけだ。苦しいことなんて何もない。討伐者こそどうなのだ。命を落とす者も多いと聞く」
「そうね。Dランクでは無茶をする者も多いみたいね。もちろん私はそんなことはないけれど」
「そうだろう。昼間の剣捌きは見事だった。あれならばすぐにでもAランクになれるのではないか」
「あら。昨日とは違う態度ね」
「う……すまない。昨日まではあまりイルザのことを好きではなかったのだ。もちろん今は違うからな」
はて、いったいどこでカルディアの好感度を稼いだのだろうか。
むしろ今は好都合だけど。
「……討伐者だけれど、普通は何人かでパーティーを組んで活動することは知っている?」
「当然だ。一人では厳しい魔物も数人集まればたやすく屠ることができるからな」
「それではパーティーで性別が固まりやすいことも当然知っているのね」
「……それはつまり、女がだけのパーティーも多いということなのか? 私がいうのも何だが、それでは逆に危うくなるのではないのか」
ちらりとヘルダに目を向けるけれど、返事は小さく首を振るだけ。
やはりカルディアは嫌いなままか。
それでも私は止まらない。
ここは私らしく、性教育も施さなければならないだろう。
「女性にとってはね、荒くれ者の男も魔物と同じぐらい危ない相手なのよ」
「そうなのか。大変だな」
そう、大変なのだ。
「ねえ、お話している間ぐらい、こちらを見てもいいのではないの?」
「む……しかしそちらを見ると火の灯りが目に入るのだ。眠れなくなってしまう」
だからヘルダと目配せをしてもカルディアは気付かなかった。
そして私が徐々に近づいても、背を向けて横になるカルディアには気づかれない。
「女性ばかりのパーティーにはね、ある特徴があるのよ」
「うむ、連携が高まるのだな。力で男に劣るのならば、連携を高めるしかないからな」
「そうじゃないわ。そんなことじゃないのよ」
あとほんの少し腕を伸ばすだけで、私はカルディアを抱きしめることができてしまう。
「男を避けてばかりいるとね、歪んでしまうのよ……」
背後から抱きしめた。
カルディアの腕を辿ると、当然のように下腹部へと伸びている。
「なんだ。まさか一人では眠れないのか?」
まだ焦らないカルディアが面白い。
もしかしたら、バレないよう必死に繕っているのかも。
「お互いを慰めるようになるのだそうよ」
やっと振り返るカルディア。
でももう手遅れだ。
「だからね、さっきから持て余している様子を見せつけられると、抑えられなくなってしまうの」
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真夜中、すっきりとした気分で周りの警戒にあたる。
カルディアのことは気を失うまで攻めたから、明るくなるまで目覚めることはないだろう。
楽しい夜だった。
とっくに見られているにも関わらず、ヘルダに気づかれないようにとカルディアは見動きを必死に抑えていたのだ。
これがこの場でなかったら、カルディアは暴れていたことだろう。
私とヘルダ以外の人を連れての遠出も悪くはない。
「しかし、暇ねえ」
ヘルダももう眠ってしまった。
パチパチと薪の燃える音だけが響いている。
中域だからなのか、中々魔物も現れない。
魔物に縄張りがあるのかは知らないが、こうも魔物が現れないということはそういうことなのだろう。
しかし、退屈もすぐに終わりとなる。
結界の外側で物音が聞こえたのだ。
複数の、森の中を移動する足音だ。
場所はそこまで近くもない。
徐々に近づいてきている様子。
ただ、魔物とは違う気配にも感じる。
「ヘルダ、起きて。どうやらお客さんみたいよ」
こうなるとヘルダにも申し訳なくなる。
私のせいでカルディアは起きない。
様子を見に行くためには、眠りについたばかりのヘルダを起こさなければならないのだ。
「……魔物、ですか?」
「どうやら人のようね。討伐者かしら。こんな夜に動くだなんて、普通ではないと思うのよ」
「見に行くんですか?」
「下手に近づかれるぐらいなら、こちらから見に行くべきでしょう。ヘルダには悪いけれど、少しの間でいいから起きていてほしいの」
「分かりました。……カルディアは起きないみたいですね」
離れる間際にチクリと言われた。
うん、私も反省しているのだ。
今後森の中では手は出さない。
慎重に森の中を進んでいく。
魔物の気配は感じない。
気をつけるのは、向こうにいるであろう人物に気づかれないことだ。
以前の例もある。
また魔物を引きつけられでもしたらたまらない。
「……!」
声が聞こえた。
少しだけ高い、もしかしたら女性の声。
足音は……四つ。
四人が暗い森を移動しているようだった。
さらに近づく。
そろそろ話し声も聞こえる位置。
身を隠し耳をすますと会話が聞こえてきた。
「止まるな! もう少しで森を抜けるはずなのだ!」
「はあ……はあ……」
「追手は巻けたのでしょうか」
「今だけだ。急いでハインドヴィシュに入らなければ直に追いつかれる」
「なんで私たちがこんな目に……」
「言うな。私が決めたことなのだ」
何かから逃げている?
とてつもない魔物にでも見つかったのか。
しかし魔物の気配は感じない。
四人以外の気配はどこにもない。
「っ! 誰だっ!」
──素晴らしい。
私が身を隠している場所に正確に剣を向けられる。
一人を除いてすぐに臨戦態勢に入るのが分かる。
中域を活動する討伐者としては最上位の鋭さだ。
気づかれた以上、このまま隠れているわけにもいくまい。
これ以上警戒されぬよう、ゆっくりと姿を現した。
夜といえども月は出ている。
私の姿は見えるはず。
「……お前は?」
「私はハインドヴィシュの討伐者。魔物かと思って様子を見に来たの」
「動くな! ……何か証明するものはあるか?」
「討伐者証ならここに。さすがに渡すことはできないわよ」
四人はいずれも女性だった。
討伐者証を確かめるために近づいてくる、リーダーと思われる長剣に革鎧。
控えにも長剣が一人、短剣が一人。
最後の一人だけは普段着にしかみえないからとても討伐者にだとは思えない。
「……確かに。ハインドヴィシュの討伐者で間違いなさそうだ」
「それはよかったわ。それであなた達は? どうやら訳ありのようだけれど」
「すまないが教えられない。今は一刻も早くハインドヴィシュにたどり着きたいんだ」
「そうだけど、この暗さよ? それに一人はもう限界に見えるわ。私たちは明日の朝には街に戻るから、よければ一緒にどうかしら。どちらにせよ明るくならないと門も開かないのだから」
「……そうだったな。森が近いから夜には門を閉ざしているのだったか」
今の反応で確信できた。
彼女たちはハインドヴィシュの国民ではないみたい。
外国人か。
初めて見るけれど、クラーラやカルディアとそう変わりわない。
まあ、同じ大陸に住んでいるのだし当たり前か。
「近くに私たちが野営している場所があるわ。そこまで行けば安全よ。きちんと明日には案内するから。もちろんなにも聞かないわ。面倒だもの」
「しかし世話になるのも……」
「もちろんタダじゃないわ。そうね……中域の魔物の核をひとついただけるかしら。ここまで移動してきたのだから、魔物の一匹ぐらいは倒しているでしょう?」
彼女たちは少しだけ相談し、結局は私についてくることにした。
やはり疲労の限界だったのだ。
どこから来たのかは知らないが、ハインドヴィシュ以外から来たことは明らかで、ならば数日間は森の中にいたはず。
疲れていないはずがなかった。
「あそこの火が付いてる場所なら、魔物もまず現れないわ」
しかし、結界に近づくも彼女たちの歩みが遅くなる。
「これは……なんだ」
「うう……気持ち悪い……」
そうだった。
結界にただの人は入れない。
しかし困った。
首飾りはカルディアに渡した一つしか持っていないのだ。
血を分け与えるか?
まさか出会ったばかりの人を血族に迎え入れられるわけがない。
結界を解くこともいけないだろう。
彼女たちはすぐにでも深く眠ってしまうだろうから。
「うまくいくといいんだけれど……」
指を噛み血を流す。
これは飲ませるためではない。
滴る血液を、その場を動けずにいた彼女たちの髪の毛に擦り込む。
「な、何をしている……」
許可されていない者は結界に近づくだけで気分が悪くなる。
私の時と同じだ。
「どう? 気分は良くなったかしら?」
「む……確かに息苦しさはなくなったが……」
「だったら食事にしましょう。 ろくにご飯も食べていないのでしょう?」
私の血を付けただけで同種と認識してくれたのはありがたかった。
料理のできる女性がいたので、ヘルダは再び眠りについて起きているのは私たちだけ。
中域の魔物の核も手に入れたので明るくなったら帰っていい。
魔物を倒した瞬間はカルディアに見られていないが、眠っている間に倒したといえばいいだろう。
「さっきのは何だったんだ? 近づいてはいけない気がしたんだが……」
「結界よ。エルフの血が流れていると使える才能なのよ。だから、頭を洗うのは街についてからにしてちょうだい」
「なるほど。これで森の中でも安全なのか。羨ましい才能だ」
「そうですね。エルフの血を引くものは身体的に劣る方が多いですからパーティーに誘いませんでしたけれど、こんなに便利なことができるならぜひ誘いたいところですね」
結界そのものはそこまで隠すべき才能でもない。
エミリアができたのだから、他にもできる人はいるのだろう。
料理は肉を煮込んだだけの簡単なもの。
それでも彼女たちにとってはごちそうだったようで、用意した肉はすぐになくなった。
「ありがとう。ここまで世話になってなんと礼を言うべきなのか……」
「気にしなくていいのよ。困ったときはお互い様でしょう?」
私としても魔物の核が手に入ったのだから文句はない。
お礼もすでに貰ったのだから気を使う必要もなかった。
「それで……どうやら急いでいたみたいだけれど、その話も聞かないほうがいいのかしら」
「そうだな……申し訳ないが、聞かないでいてくれるとありがたい」
彼女たちはなんなのだろうか。
外国から訪れた討伐者には違いないと思う。
討伐者は国に属しているわけではないから、国から国へ移動することも不思議ではない。
しかし、移動にわざわざ森の中を通る必要もないのだ。
魔物の少ない平野を移動し、拠点を確保してから魔物の討伐を行うのが自然ではないのか。
「これでもハインドヴィシュ公国に籍を置いているからこれだけは確認させてもらうわね。……あなた達は、悪いことをするためにハインドヴィシュを目指しているの?」
私の質問に彼女たちは目配せをする。
頷いたのは唯一の討伐者ではないと思われる女性だった。
その返事にリーダー格の女性が答える。
「私たちはハインドヴィシュの姫に会うためにやってきたのだ」




