037
門番の驚く様を見たのが一時間前。
緑醜鬼と出会ったのが30分前。
それから30分、私たちは順調に森を進んでいた。
「……そうか。成長したんだな」
そうしみじみと呟いたカルディアの瞳にはヘルダの姿が映っている。
一人でも臆することなく緑醜鬼と戦い、倒しているのだ。
浅域ではヘルダ一人でも大丈夫だと思えるぐらい。
「あら、ヘルダのことを嫌っていると思ってたのに」
「そんな訳がない。お前は知らないだろうが、私はよくあの子の面倒を見ていたのだ。あの頃はまだ小さく、剣を教えることも難しかった。……しかしお嬢様に剣を向けられたら私はああするしかなかったのだ」
知っている。
森の広場を訪れていた時、カルディアはヘルダの面倒を任されていたから。
まあ、カルディアに教える才能は無かったみたいだけど。
しかしそうか、カルディアがヘルダに剣を向けたのは本意ではなかったのか。
ただどちらにしても意味は無いだろう。
ヘルダはカルディアを限りなく嫌っており、それは一言も言葉を交わしていないことからも明らかだった。
森の中を進んで数時間。
相変わらず緑醜鬼と白腕猿のみを相手にしている。
正直なところ、歩みはあまり早くない。
ヘルダ単独ではまだまだ魔物の気配も読み取れず、一歩一歩が少しだけ慎重になるためだ。
「そういえば、どのあたりから中域になるのかしらね」
この深い森は大まかに浅域、中域、深域と分かれていると聞いた。
以前に暮らしていた場所は中域だ。
このペースだとあと二時間といったところか。
「討伐者なのに知らないのか? 緑醜鬼と白腕猿以外が出てきたら中域だ」
「それは知ってるわよ。具体的な位置を聞いているの」
「そんなの分かるはずもない。人によって歩く速度は違うのだ。そうだな、この速度だと折り返しといったところではないか」
大体私の予想と同じか。
つまりはエミリアの家は浅域に近い中域にあったのだろう。
「ちなみに中域から深域まではどのくらい?」
「浅域と中域はほぼ同じ広さだと聞いたことがある」
「それだけ広いのならば、深域の魔物と出会う心配はまずなさそうね」
私はまだ深域の魔物の強さを知らない。
誰かが私のことをBランク相当だと言ったそうだ。
つまり、一人では深域の魔物と戦えないということだ。
もちろん私は深域の魔物にすら負けない自信はあるのだが、それでも過信は禁物だろう。
まあ少なくとも今日に限れば深域に近づくこともない。
本日ヘルダが倒した魔物は六匹。
普段よりも少ないが、ヘルダ一人で戦っていることと魔物を探しているわけではないことを考慮したら大量といえる。
「そろそろ交代しましょうか」
「……まだ大丈夫です」
「ダメよ。ヘルダには中域の魔物とも戦ってもらうのだから。今のうちに休んでおきなさい」
「はい……」
どことなく不満そう。
しかし気を張り続けるのも意外と疲れることなのだ。
特にヘルダはやっと戦えるようになったのだ。
今ここで無理をする理由もない。
私は中域の魔物を幾つか知っている。
飢餓犬は言わずもがな。
巨首馬は最初に倒した魔物。
今のヘルダならば、私のサポートサプリがあれば戦えないこともないはずだ。
問題は灰石象。
あれは深域に近い中域の魔物だと聞いた。
そう、飢餓犬とは比べられないほどに巨体で強くても中域の魔物なのだ。
ヘルダが逆立ちしても勝てない魔物。
果たしてヘルダ一人で灰石象を相手取る日は来るのだろうか。
ヘルダに代わって先頭を歩いていく。
現れる魔物は連接剣を伸ばして対処する。
最近は魔力の緻密な操作にもやっと慣れたのか、連接剣の切っ先を操り核を取り出すこともできるようになった。
おかげで手を汚さずに済む。
「凄いな……」
「……」
多分、カルディアはヘルダに話しかけたつもりだろう。
しかしヘルダは答えない。
まあ、それでいいと思う。
嫌いな人と仲良くなれだなんて馬鹿なことは言わない。
人間は溢れるほどいるのだ。
嫌いな人は嫌いなままに、仲良くなれる人とだけ仲良くなればいい。
それはもしかしたら人として間違っているのかもしれないが、聖人君子を育てたいわけでもなかった。
魔物と戦う時間は大切だ。
魔力を自覚してから一月あまり、まだまだ理解できないことも多い。
だからこうして戦いながら学ぶのだ。
連接剣は魔力の訓練にうってつけだった。
魔力を動かすことで剣を操る。
今後役に立つかどうかは分からないが、魔力を素早く動かすことは悪いことでもないだろう。
目標は手で振るよりも早くすること。
今の連接剣も動きは滑らかだし緑醜鬼に躱されることもない。
しかし、腕で振るう剣のほうが早いのは確かなことだった。
それでは連接剣を持つ意味も半減だろう。
この変幻自在の射程を活かすには、何よりも早くなければ意味がない。
「ふっ」
下から伸びた剣身が緑醜鬼を真っ二つに斬り裂いた。
「はっ」
力を込めると、緑醜鬼に絡みついていた連接剣がその身をバラバラに引き裂いた。
練習は順調とはいえなかった。
なにせ相手が弱すぎる。
どうせならもっと強い魔物を相手に、ギリギリの戦いをしてみたかった。
しかし今はまだいいだろう。
無理をするのは、もう少しヘルダが強くなってからでも遅くないのだから。
さらに数時間。
エミリアと暮らしていた場所へとたどり着いた。
燃え尽きた家はそのままで、魔物に荒らされている様子もない。
人を襲う以外の本能がないのだから当然かもしれない。
「そろそろ野営の準備をした方がいいのではないか」
「……まだ昼過ぎでしょう?」
「そうだ。しかし今から中域の魔物を探し出し倒したとしても、そこから街まで戻ると途中で暗くなるだろう。暗い森の中を進むのは危険だ」
「ふうん。まあ分かったわ。ヘルダ、野営の準備をしましょう」
「はい」
泊まりになるらしいことは分かっていたので、必要はなくとも野営の準備をする。
寝床と夕飯の用意ぐらいだが。
「おい……」
薪を集めだしたヘルダを手伝うことなく、カルディアは私の腕を取ってその場を離れる。
「少しは遠慮したらどうなのだ。ここで泊まるなんてヘルダが可哀想だ」
「それはなぜ? 森の中でもここだけは開けているし、ヘルダもこの周囲には詳しいのだからむしろ泊まるとしたらここしかないでしょう」
「しかしここはエミリアさんの亡くなった場所だ。ヘルダが悲しむとは思わないのか」
……ああ。
本当に無駄なことだと思う。
そもそもエミリアは魂の一欠片まで私の中にあるのだから、ここで何をしようとなんとも思わない。
放置しているのがその証、魔物に荒らされているとさえ思っていた。
なんて融通の効かない生き物なのだろうか。
人が死んだら墓を作るのもバカバカしい。
墓を作り続けて増え続け、住む場所がなくなったらどうするつもりなのだ。
最後を看取ったのだからそれでいいではないか。
「初めからここを目指していたことはヘルダにも伝えてあるの。ヘルダはなにも気にしてないわ。せいぜい懐かしむ程度でしょ」
「本当なのか?」
「本当よ。なんならヘルダに聞いてみなさい。答えてくれるとは思えないけどね」
面倒だ。
リタが全てをカルディアに説明していたならこんな面倒なことにはならなかったのに。
まあ、出来る限り秘密を漏らさないのはいいことだと思うけど。
ヘルダの所に戻ると薪も組まれていた。
一晩中火をつけ続けてもらう消えない程度には薪も集められている。
「井戸はまだ使えそう?」
「さっき飲みました。大丈夫だと思います」
「そう。だったら料理はヘルダに任せようかしら」
井戸だけは壊れずに残っていた。
桶で水をくみ、格納していた鍋に水を満たしていく。
薪に火をつけ、肉を取り出し、あとはヘルダに任せることにする。
「……おい、待て。今どこから取り出した」
そういえばカルディアは格納のことも知らなかったか。
面倒だな。
格納ならばバレても問題ないか。
「これが私の才能よ。少しの荷物ならこうして持ち運ぶことができるの」
「そんな才能は聞いたことがない!」
「そう? 良かったわね。見知らぬ才能を知ることができて」
なおも言いすがるカルディアは無視して、私は次の作業に入る。
魔物が頻繁に現れる森の中での野営は大変だ。
普通ならば、交互に夜の見張りを立てなければならないだろう。
しかし私にはエミリアから引き継いだ才能があった。
なんの物とも知れない核を四つ取り出した。
余裕を持って眠られるスペースの四方に置いた。
一日だから埋める必要はない。
『隠れて 逃げて
万もの瞳から逃げおおせ
それでも追いかけられていた
閉ざして 消えて
それなら何も見えぬよう
壊れぬ壁を作り上げよう
──孤独な広場』
それはエミリアの過去が少しだけ理解できる呪文だった。
一人で暮らしていたことも、ヘルダを受け入れたことも。
なんとなくだけど分かってしまう。
初めて作る結界は成功した。
四方に置いた核の中には、私と同種の存在しか許さない。
魔物は入ることがてきず、森の中での安全は確保されたのだ。
「ぐ、ぐおおおっ!?」
ただ一人、カルディアだけは面白いように吹き飛ばされていったのだけど。
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「そうか、エミリアさんから習っていたのだな……」
わたしの作った結界の中、落ち着けることをカルディアも疑っていなかった。
今、カルディアの首にはエミリアから受け取った首飾りが下げられている。
私が貸したのだ。
私が作った結界は、私と同種の存在しか認めない。
つまりは血を分けた相手だけ。
これはカルディアが吹き飛ばされたことからも明らかだった。
同じ呪文でも、やはり使う者によって効果は違ってくるものらしい。
首飾りが機能したのは幸運だった。
「私とエミリアが一緒にいたことを見たことはなかったでしょうけれど、これで納得できたかしら」
「……いや、そもそもお嬢様は初めから信じていらしたのだ。私も疑ってなどいなかったさ」
カルディアは単純だ。
ならばこそ、こうしてエミリアができることと同じことをしてしまえば疑いも晴れるというものだ。
「しかしエミリアさんも人が悪い。初めからイルザのことを教えてくれていたら私が剣を向けることもなかったのだが……」
そこでちらりとヘルダを見るが、話を聞いているのかいないのか料理に集中したままだった。
「諦めなさい。今はどうであろうと、あなたが剣を向けた事実はなくならないの」
「……そんなこと、分かっている」
まだヘルダと仲良くしたいのか。
こうしてすべてが勘違いだと分かった以上、昔のように戻りたいと思うのは当たり前のことかもしれない。
けれどもカルディアは兵士でヘルダは討伐者。
ヘルダが到達者を討つという目標を掲げ続ける以上、あえてカルディアと仲良くする理由はなかった。
それから早めの夕飯を終え、その日の晩。
安全とは分かっていても、とりあえずは見張りを立てることにした。
「このあたりに出てくるのは中域の魔物でしょう。探す手間が省けるのだから、いちいち見逃す理由はないわね」
「そうですね。早く倒してCランクに上がってしまいたいです」
「けれど一人で戦ってはダメよ。近づく魔物を見かけたら必ず私を起こすこと」
「はい」
なにせこれは試験であるから報酬もない。
無駄なことは早く終わらせて、依頼として魔物を狩りたいのだ。
Cランクからは魔物の討伐料が貰えるようになる。
もちろん魔物が強いからだ。
誰でも倒せるDランクの魔物はいくら倒したところで核の値段にしかならないが、Cランクからは追加で討伐料が手に入る。
際限なく増え、街に押し寄せてきたら大変だからだとか。
わずかな金額らしいがそれでもありがたい。
「ふむ。それで眠る順番はどうする。三人だと真ん中が一番大変だぞ」
「あら、カルディアも手伝ってくれるの? 中域の魔物を倒した証明しかしないものだと思っていたけれど」
「そうなのか? 私も討伐者に同行するのは初めてだから知らないのだ。しかし私だってたまには魔物と戦いたいぞ」
「それなら……最初はヘルダに起きていてもらいましょうか。多分一番疲れないわ。その次に私、カルディアには早朝をお願いするわ」
「……また、真夜中ですか」
何か言いたそうなヘルダ。
「ああ、もう大丈夫よ。空を見上げたりなんてしないわ」
真夜中、また私が夜月を見上げることを心配しているのだろう。
何度も忠告を受けたのだから、さすがの私も同じことは繰り返さない。
……理由には納得していないけれど。
「それでは私たちは眠るわ。ヘルダも疲れたら私を起こすのよ」
「さ、寂しかったら私を起こしてくれてもいいんだぞ」
「はい。お休みなさい、イルザさん」
堂々と無視されたことでカルディアが落ち込んでいるがそんなことは無視して横になる。
夜になって気づいた。
布の一枚ぐらいは用意しておくべきだった。




