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大坂の幻〜豊臣秀重伝〜  作者: ウツワ玉子
兵庫編

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第292話 京都進駐

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 天正十年(1582年)六月十五日。前日に定められた計画に沿って羽柴軍は動き出した。秀吉率いる主力は安土城へ向かい、堀秀政率いる堀勢と仙石秀久勢は坂本城へ、中川清秀と高山重友率いる軍勢が丹波亀山城へ向かった。

 そして、重秀率いる軍勢は、京都鎮撫のために京へと向かった。


「・・・甚内殿(脇坂安治のこと)は淀城に置いたままですが、よろしかったのでございますか?」


 街道を進む馬上の重秀に、同じく馬上の大谷吉隆がそう話しかけると、重秀は「うん」と返事をした。


「日向守(明智光秀のこと)が見つかっていないからな。南に逃げるかも知れないし、川を下って海に出て、四国の長宗我部を頼るかも知れないしな。淀城は我等が抑えた方が良い」


 重秀がそう言うと、吉隆が納得したかのように頷いた。


 そんなこんなで京に入った重秀は、まずは本能寺に入った。本能寺は焼け落ち、その残骸が残されていた。重秀は残骸を取り除いた後、唯一残っていた門前に明智方の将の首級を晒した。

 斎藤利三を始め、伊勢貞興、松田政近、御牧兼顕といった明智方で有名な将達の首級が晒され、京の人々に明智が敗北し、羽柴が勝利した、という事実を見せつけた。


 その後、重秀は軍勢を二条新御所跡地に入れた。ここも大部分が焼け落ち、残骸はそのまま残されていたが、重秀は兵達に残骸の片付けと残存している建物の取り壊しを命じると、家臣を連れて隣の妙覚寺に入った。

 妙覚寺は隣の二条新御所と違い、ほぼ無傷で残っていた。そこで重秀は妙覚寺を本営とすることにした。


「まずは京の乱れを鎮めなければならない。そのためには、まず兵共に禁制を厳しく申し渡す。京の民に狼藉乱暴を働けば、即刻首を跳ねる旨、よく言い渡すように。また、兵がそのようなことを起こした場合、物頭や侍頭にも責を負わせる。先の戦いで武功を挙げたとしても、論功行賞に響くから心しておくように」


 織田信吉臨席の軍議で、重秀がそう言うと、諸将は一斉に「ははっ」と言って頭を下げた。その後、重秀が具体的な治安維持の指示を出すと、諸将はその指示通りに京の治安維持を行うのであった。


 さて、重秀が妙覚寺に入った後、織田信吉への面会を求める者達が妙覚寺に押しかけた。信吉への面会、と言っているが、実際は重秀への面会である。

 最初に来たのは京の商人で茶人の長谷川宗仁であった。


「羽柴様、山崎のご勝利、おめでとうさんどす。これは、ほんのささやかなお祝いどすさかい」


 多くの金銀銭を持ってきた宗仁がそう言って戦勝を祝った。重秀も低姿勢で宗仁に話す。


「いえ、長谷川殿が京の報せを送ってくれた故に、我等羽柴は日向守に勝ったのでございます。父も長谷川殿のことを褒めておられました。きっと、父より何らかの恩賞が出されるものと思います」


 重秀がそう言うと、宗仁は首を横に振る。


「いえいえ、うちかて、ただ日向守はんの無体がどうにも我慢ならなんだけでしてな。・・・それより、羽柴はん、これから都をお治めにならはるおつもりどすか?」


「はい。京の鎮撫こそ、父が望まれたことでございます。まあ、実際はこちらにおわす源四郎様(織田信吉のこと)の名において行われますが」


 重秀からそう言われた宗仁は、上座で緊張気味に座っている信吉をチラリと見つつ、重秀に返す。


「・・・それでは、私めは京の町衆をまとめまひょか。ささやかやけど、私めにもそのくらいはお手伝いさしてもらいまひょか」


「おお、それはかたじけない。何卒よろしくお願いいたします」


 そう言って頭を下げる重秀。そんな重秀に宗仁が笑いながら話しかける。


「そうして頭をお下げになるお姿、まことにお父上そっくりどすな。・・・承知いたしました。羽柴様・・・いえ、源四郎様にお従い申すよう、町衆をとりまとめてご覧に入れまひょ」


 宗仁がそう言って重秀の前から下がっていった。次にやってきたのは小西隆佐であった。


「隆佐殿!?ご無事でございましたか!?日向守が謀反を起こされた際、京にいたことは知っていました故、御身を案じておりました!」


 隆佐の姿を見た重秀がそう言って大声を上げた。隆佐が苦笑いしながら頭を下げる。


「いや、私めはな、南蛮寺(カトリック教会のこと)に身をひそめておりましたんや。明智はんも、どないしたことか南蛮寺には手ぇ出さはりまへんでしたさかい、なんとか命だけは拾ろうておりました」


 そう言った隆佐が、今度は真面目そうな顔つきで重秀に言う。


「羽柴様。このたびの勝ち戦、ほんまにおめでとうございます。まさか謀反を起こしはった日向守様を、たった十日で打ち破られるとは。筑前守様(秀吉のこと)は、昔にも今にも滅多におらんような、名将でございますなあ」


「そう言っていただけると父も喜びます。ところで、堺には戻られないので?」


「そら、もちろん戻らしてもらいますえ。ただまあ、明智の勢がうろついとる中で堺へ戻るんは、ちと骨が折れましてな。けど、今んとこやったら戻っても、もう大事あらへんやろと思てます。・・・それでな、羽柴様に、ちょっとお願いがありましてん」


 そう言った隆佐に、重秀が「何でしょう?」と尋ねた。隆佐が話し出す。


「南蛮寺を、お守りいただきとうおまんねん。事あるごとに、寺社の連中から攻め込まれてしもうて・・・」


「分かりました。兵を送って護りましょう」


 重秀の回答を聞いた隆佐は、安堵の表情を顔に浮かべるのであった。


 隆佐が重秀の元を去った後に来たのは、阿弥陀寺から遣わされた使者であった。


「え?上様(織田信長のこと)と殿様(織田信忠のこと)のご遺体を供養した?」


 重秀がそう言うと、使者である僧は「はい」と頷いた。


「と、言われましても、両者のご遺体は骨をわずかばかり残したのみ、しかも他の方々のご遺体も似たようなものだったため、上様と殿様のものである、という確証はございません。とりあえず、上様と殿様、その他本能寺や二条新御所でお亡くなりになられた織田の方々を弔っておりました」


「そうですか・・・。では落ち着いたら、改めて上様と殿様の葬儀を行おうと思います」


 重秀はそう言うと信吉の方を見た。信吉も頷く。


「後日、阿弥陀寺にて父上と兄上の墓前にて手を合わせようぞ」


 信吉がそう言うと、重秀と使者の僧はかしこまって頭を下げた。


 それからも商人や寺社の使者が、信吉と重秀に挨拶するべく妙覚寺の門前に並んでいた。そんな列を押しのけて重秀に会いに来た者がいた。内大臣近衛信基改め近衛信輔(のちの近衛信尹)である。


「羽柴殿、羽柴殿!どうかお助けくだされ!」


「内府様(近衛信輔のこと)!?何で内府様ご本人がこんなところに来てるんですか!?」


 本来ならば殿上人たる信輔が直接来ることはありえない。使者を通じて重秀とやり取りするのが当然であった。しかし、父親である近衛前久と共に地方に下向し、武士と交友を重ねた信輔は、そんな公家としての常識をあまり重視していなかった。

 もっとも、本人が直接乗り込むことは、武士の常識から見てもあり得ないのだが。


「羽柴殿!近衛家存続の危機でござる!何卒、何卒お助けくだされ!」


 公家でありながら武家言葉でそう言った信輔は、恥も外見もかなぐり捨てて重秀の腕にすがった。重秀が信輔を宥める。


「落ち着いて下され、内府様。一体どうされたというのですか?」


「日向守の謀反が、儂の父の指図によるもの、という噂が禁裏、いや京に流れているのだ!」


 そう言うと、信輔は事の顛末を話し始めた。


 天正十年(1582年)六月二日。明智光秀が織田信忠の籠もる二条新御所を攻めた際、光秀は二条新御所に隣接している近衛前久邸を占拠した。このときには前久・信輔親子は御所に逃れて無事だったのだが、その後に明智勢が近衛邸より二条新御所に向かって鉄砲を放ち、更に塀を乗り越えて二条新御所になだれ込んだ。この明智勢の行動が、前久・信輔親子が光秀に与したのではないか?という疑念をもたらしたらしい。


「・・・そんな事、戦ではよくある話ではありませんか」


 重秀が呆れつつ信輔にそう言うと、信輔が首を横に振りながら話を続ける。


「武士たる貴殿ならそう思うでしょう。しかし、戦を知らぬ公家はそう思わぬのです。それだけではありませぬ。貴殿もご存知かとは思うが、禁裏内には父上をよくお思わぬ方々が多くおりまして・・・」


 信輔の言葉に、重秀が思わず「ああ・・・」と声に出した。公家とは思えぬ行動力を有する近衛親子に眉を顰める公家衆は多い、という話は、重秀も長岡忠興から聞いていた。


「しかしながら、内府様はもちろん前相国様(近衛前久のこと)も上様とは懇意だったではありませんか。その前相国様が明智に与するとは思えませぬ」


 重秀がそう言うと、信輔がブンブンと首を縦に振る。


「仰るとおり。誠に仰るとおりでござる!しかしながら、少なくない公家衆や京童はそうは思っておらぬのです!」


 そう言うと、信輔が重秀に頭を下げた。公家の中の公家、五摂家筆頭の近衛信輔が頭を下げる姿を見て、重秀だけでなく信吉や周囲の者達が唖然としている中、信輔が声を上げる。


「どうか、どうか羽柴殿のお力添えで近衛を護っていただきたい!我等が明智に与した、という誤解をどうか解いていただきたい!」


「わ、分かりました!父を始め、織田家の方々に近衛家が明智に与したわけではないことを私から口添えいたします!だから、頭をお上げくだされ!」


 重秀がそう言って信輔の身体を起こした。信輔が「かたじけない!」と言って両手で重秀の右手を取る。


「この御恩は一生忘れませんぞ・・・!ときに羽柴殿。もう一つ頼み事をお願いしたいのだが・・・」


「・・・何でしょう?」


 嫌な予感を感じつつ、重秀が信輔にそう尋ねた。信輔が躊躇ためらいもせずに重秀に言う。


「実は日向守の謀反で近衛邸が破壊されてのう。できれば直してほしいんだが」


「・・・分かりました。とりあえず、陣城造りに長けた兵を送り、修復させまする」


 重秀が内心嫌がりつつもそれを表に出さずにそう言った。それを聞いた信輔が喜ぶ。


「おお、重ね重ねかたじけない!もし京で何か困ったことが起きたら、我等親子を頼るが良い!」


 信輔がそう言ったのを、重秀は聞き逃さなかった。


「・・・でしたら、一つお願いがございまする」


 落ち着いた声でそう言った重秀。その声のトーンに、信輔は思わず息を呑む。


「な、何かな?羽柴殿?」


「ご存知のとおり、私も源四郎様も官位を持っておりませぬ。一応、従五位下神戸侍従様(神戸信孝のこと)の命で京を鎮めに参ったのでございますが、官位を持たぬ我等の言うことを京童や寺社が聞いてくれるか?という疑問があるのです」


 重秀の話を聞いた信輔が「なるほど」と頷いた。


「確かにこれまでは従二位前右府様(織田信長のこと)の家臣として、織田家の方々は京を治めてこられた。前右府様の位階があったからこそ、織田の方々は無位無官でも京を治めることができたのでござる。

 しかし、その前右府様もご逝去され、しかも三位中将殿(織田信忠のこと)も戦火に倒れられた。そして次の織田家の当主もまだ定まっておらぬ。そんな中で無位無官の源四郎殿や羽柴殿が京を鎮めることができるのか?と疑問を持つのはもっともな話かと存ずる。

 ・・・しかし、だからといって源四郎殿にも羽柴殿にも官位を与えることは、拙者の口添えがあったとしてもなかなか難しい話でござるな・・・」


 信輔が困惑気味にそう言うと、重秀が首を横に振る。


「いや。源四郎様はともかく私にも官位をよこせ、というのは虫が良すぎる話。そこまでお頼みしようとは思っておりませぬ。・・・しかしながら、我等が京を鎮めるためにも、内府様のお力添えをいただきたいのでございます」


「なるほど。拙者の名を借りたいということだな?」


 信輔がそう言うと、重秀は「御意にございます」と頷いた。それを見た信輔も頷く。


「相分かった。従一位内大臣の官位がどこまで通用するかは分からぬが、貴殿等の京での行いは、内大臣たる拙者の名によるものである、ということにしよう。

 ・・・しかし、分かっていると思うが・・・」


「無論、近衛家にご迷惑がかからぬよう、我が兵には厳しく申し渡しておきまする」


 重秀がそう言うと、信輔は重秀の肩を軽く叩く。


「分かっていればそれでよい。羽柴殿の振る舞い、しかと見させていただきますぞ」


 その後も重秀は自分を訪れる人々と面談を行った。が、その場に信輔が居残ってしまったため、挨拶に来た者達は信輔に挨拶する羽目になった。

 重秀の元に挨拶しに来た者の中には、日野輝資や広橋兼勝、柳原淳光や烏丸光宣といった須磨に来たことのある公家に仕える青侍も来ていた。しかし、重秀に会いに来たつもりが、何故か近衛信輔に挨拶する羽目になり、慌てて主君を連れてきて本人が信輔に挨拶する羽目になった。

 また、相国寺からは住持の使者として承兌と口蕣(のちの藤原惺窩)が来ていたが、こちらも信輔がいることに驚いてしまった。結果、承兌と口蕣は住持を連れてくることになり、住持が信輔に挨拶する、という形になってしまった。


 そんなこんなで、信吉と重秀への挨拶がいつの間にか信輔への挨拶となり、しかも信吉や重秀への付け届けがすべて信輔に渡ってしまい、信吉と重秀は何の旨味も得ることができなくなってしまった。

 しかし、信輔がいたことが、かえって信吉や重秀が内大臣をバックに京の治安維持をしている、という印象を人々に与えた。結果的にこれが京の治安維持活動に良い影響を与えることになった。

 元々、明智光秀が京の治安維持に力を入れていた、ということもあり、本能寺の変後は比較的京の治安も良かった。そして、山崎の戦いの後、明智の兵は京から離散したが、すぐに重秀率いる軍勢が入ったため、治安の悪化はさほど見られなかった。

 更に近衛信輔がバックにいることと、重秀自身が軍勢に対して風紀を厳しく取り締まったため、重秀のような若造でも京の治安維持を保つことができたのであった。

 そして、この事で近衛信輔の名声も高まり、宮中での発言力も高くなった。もっとも、口さがない一部の公家や京の人々からは、「明智から羽柴に乗り換えた」と陰口を叩かれてしまったのだが。





 天正十年(1582年)六月十六日。重秀の元に秀吉の馬廻りである片桐且盛(のちの片桐且元)がやってきた。彼は首桶を複数携えてきていた。


「惟任日向守と、それに従った阿閉親子(阿閉貞征と阿閉貞大のこと)、それと明智左馬助(明智秀満のこと)と明智十五郎(明智光慶のこと)が首にございます」


 且盛がそう言ってそれぞれの首桶の蓋を取った。重秀が覗くとそこにはびっしりと詰められた塩があり、その上に髪の毛の束が渦巻き状になっていた。


「大殿(秀吉のこと)からは、『この首を本能寺に晒すように』とのことにございました」


 且盛がそう言うと、重秀は「相分かった」と応えた。そして傍に控えていた尾藤知宣に命じる。


「この首、本能寺の門前に晒すように。すでに晒している他の首と共にな」


「承知しました。しかし、若殿もご見分しなくてよろしいのですか?」


 知宣の言葉に、重秀は「いや、いい」と応えた。


「すでに侍従様や父上が見分しているのであれば、改めて私が見分する必要はないだろう」


 重秀がそう言うと、知宣は「はっ」と言って一礼し、且盛を連れて部屋をあとにした。


 残された重秀は思う。


 ―――日向守様は、結局何を思って謀反を起こされたのだろうな―――


 重秀はそう思うと同時に、織田信忠と光秀が面談を行っていた場面を思い出していた。


 ―――あの時、日向守様は自身の御子息である十五郎殿を殿様(織田信忠のこと)のお傍に置くことを望んでいたが、それは叶わなかった。・・・まさか、それが原因で謀反を起こされたわけではあるまい。もっと、深い理由があるはずだ―――


 そう思った重秀は、その深い理由を考えた。しかし、考えつくことはできなかった。


 ―――今となっては詮無きことよ。それよりも、今後のことを考えなければ。父上はこれを機に畿内を羽柴のものにしようとしている。そうなれば昔、細川を思いのままにした三好と同じ様な感じになるのかな?つまり、天下を羽柴の意のままにできるようになる。

 ・・・しかし、羽柴が天下を意のままにするって、全く考えつかない。かといって今の織田家に天下を委ねることができるのか?上様も殿様もいなくなって、跡を継げそうなのは誰だ?三法師様(織田信忠の嫡男)はまだ三歳。上様の他の御子息は他家に養子に出されたかまだ若年。しかも、上様や殿様と共に日向守に討たれた織田家臣も多い。中には朝廷や寺社、商人や伴天連達との交渉に長けた者達も含まれている。そういった者たちがいなくなった今・・・―――


「・・・これからどうすればよいのだ・・・」


 重秀は思わずそう口から漏らすと、一人残された部屋の中で頭を抱えるのであった。


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― 新着の感想 ―
今は畿内すら持て余しているね。これからどうなるんだろう。
いきなりトップだものな。途方に暮れる 織田家の譜代としてある程度満足していた
そりゃ途方に暮れるよね 自分の勤めている会社の上役やら同僚やらが消し飛んでその後の舵取りどうすんの?ってなるよね 秀吉が何話か前にも言ってたように1番の旨味は欲しいけど更に規模を巨大化させた上でそれを…
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